第一話 僧正
【初めに】この物語は区切りが良いところまで続きます。第二部があるかどうかは第十一話まで続けて反応を見て決めます。第十一話が判定回です。それでは、ダンジョンのある現代世界をお楽しみください。
石畳の広い空間がある。天井までの高さも十mと高い。五人の人間が灯を頼りに歩いていた。五人は黒尽くめで四人は銃を構えていた。銃には先を照らす灯が出ている。ただ、最後尾の一人だけ銃を持たず、先端に光を灯した錫杖を持っている。
錫杖の持ち主の名は犬井勝三。札幌でダンジョンを探索する会社の社員である。犬井の持つ錫杖から出る灯が、仁王の石像を照らした。石像は大きく全長が六mはあった。
仲間の持つ銃から出る光が仁王を照らす。犬井を含む四人で辺りを警戒する。残ったリーダーの金子が像の顔をライトで照らす。
「こいつはまた。いかにも動き出しそうな像だな。犬井、ちょっと調べてくれ」
金子の指示に従おうとした時に仁王が動き出した。全員は即座に散開する。犬井を除く四人が銃を撃ちまくる。金子がライトを回して指示する。犬井に下された命令は退路の確保。
犬井は小走に道を引き返す。部屋と通路をつなぐ出口は閉鎖されていなかった。だが、通路の前に人影があった。青白く光る三十人の亡者と大柄な人間が一人。
大柄な人間は緑の袈裟を着て縦帽子を被っている。顔は痩せこけている。僧侶のミイラであり、探索者の間では僧正と呼ばれる魔物だった。
僧正がどんな魔物かについては情報が少ない。ただ、強いとは噂されている。犬井は探索者の中で霊能者と呼ばれる部類に入る。仁王の石像を相手にするより亡者を相手にするほうが得意ではある。だが、数が多く、また敵に僧正がいるのであれば、勝てるかどうかわからない。
「進むも地獄。引くも地獄か。それでも俺は俺の仕事をする」
犬井が亡者に負ければ、亡者は背後から仲間を襲う。仲間たちの銃では亡者に効果が薄い。亡者を討ち漏らせば後ろで戦う仲間は窮地に陥る。
犬井は一人で三十人の亡者と一人の僧正を相手にしなければならない。普段なら相手をお断りしたい状況だ。亡者が顔を上げて犬井を捉える。三十人が一斉に襲い掛かって来た。
錫杖を前に置き気合を込める。亡者を睨みつけて錫杖で足を払う動作をとる。犬井は気を放ち地面を薙いだ。前列の亡者が床で転倒した。転倒した亡者に二列目の亡者がぶつかり倒れる。二列目を避けようと三列目が横に避けた。
不揃いだが、敵が横並びになる。犬井は力を錫杖に込めて横に振るう。空間に光る粉が一列に現れる。
「魂壁爆散・横一文字」と呪文を唱える。光る粉により横に伸びる爆発が起きる。爆発に巻き込まれた亡者はばらばらになった。犬井の攻撃を逃れた亡者が六人いた。六人は襲い来るが、一斉攻撃の機会を逃していた。
一度に飛び掛かられ組み伏せられたら犬井でもどうしようもなかったが、六人程度であれば問題なく対処できる。機動力を使って各個に撃破すればいい。
亡者が腕を伸ばす。亡者の腕にはさして力はないが、亡者の腕は生者の命を吸い取る能力がある。
犬井には錫杖があるので間合いを活かす。両側から襲い来る亡者の頭を錫杖で素早く砕く。
霊力を込めた跳躍で飛び退く。距離を空けてまた二人の頭を砕く。最後に残った二人も打ち据えて倒した。倒れた亡者の集団に広範囲に作用する昇天の力を浴びせる。亡者の集団は消え去った。ここまでは問題ない。
問題は味方の亡者が全て倒されても微動だにしない、僧正にあった。亡者の三十人を相手に全滅した探索者チームの話は聞かない。誰かが生き残るからである。僧正を相手にして全滅した探索者チームの話も聞かない。誰も生き残らないからである。
僧正が一歩前に進む。僧正の放つ圧に押されて犬井は一歩後ろに下がった。僧正が軽く右手だけで印を組む。対抗するために犬井は錫杖を右手に持ち左手で印を組んだ。
ずんと体が重くなる。体がどんどん重くなっていく。立つのも辛くなってきた。僧正が押し潰さんと力をかけている。犬井は印を組んだまま力を全身に巡らせ抵抗する。
両者は一歩も動かないが、このままでは犬井が先に力尽きる。犬井から動かなければ負ける。犬井は組んでいる印を解除した。体が重さで動かなくなりそうになるのを堪える。
左手でポケットに入った護神石を取り出して投げる。護神石は思うように飛ばなかった。だが、地面を滑って僧正の二歩先で止まる。犬井は叫んだ。
「一心頂礼 神仏功徳」
護身石が強烈な光を放つ。僧正の力が途切れた。体が軽くなる。駆けだして距離を詰めて僧正の頭めがけて錫杖を振り下ろす。
普通の魔物なら護神石の光を浴びれば体が硬直して動けない。だが、僧正は片手で錫杖を受け止めた。犬井は押し切るために霊力を漲らせて叫ぶ。
「招福摩滅 五光招来」
錫杖が赤く光る。僧正の手から煙が上がった。効いている。
僧正が空いている片手で犬井の腹を突いてくる。危険と思い、錫杖を離し、斜め後ろに飛び退いた。犬井がいた場所を何かが通り過ぎた。横から風を受けただけだが、背中に冷汗を掻いた。浴びていればタダでは済まなかった。
危険なのでタッタッと五歩後退する。僧正は受け止めた錫杖を両手で持つ。金属が軋む音がして錫杖が曲がった。退魔の錫杖は金属製。人間の腕力では曲がるものではない。
あの腕に捕まれたら腕ごと引き千切られる。どうする、もっと距離をとるか?
僧正がなにかの呪文を唱えだす。キリキリと嫌な音にしか聞こえないが、何かを唱えている。攻撃? 防御? どちらにする。一瞬迷ったが、犬井は攻撃を選んだ。両手に力を集めると、手甲に『梵』の字が浮かび上がる。
距離をぱっと詰めて僧正の胸に力を打ちこんだ。霊力を込めた昇魂双打掌が僧正の胸に決まった。いままで犬井の昇魂双打掌を受けて無事だった霊体系の魔物はいない。だが、僧正は一歩だけ下がっただけ、詠唱を止めなかった。
急に膝から力が抜けて犬井は地面に這いつくばった。僧正の力には抗えなかった。脚に力が入らず立てない。手を地面に突き体を支えるのがやっとだった。顔を上げれば、僧正が見下ろしている。僧正の顔には優越感も驕りもない。ただ、物を見つめるような目で犬井を見ている。
俺はここで死ぬのか? 死の恐怖を犬井は感じた。勝利が確定しているのに僧正は動かない。薄暗かりに静寂が降りる。
犬井はここで悟った。後ろでは味方が仁王と戦っていたはず。犬井は聴覚を封じられたか、後続が全滅したかだ。どちらにしろ最悪の事態だ。
僧正の口が動き、またキリキリと呪文を唱え始めた。人生の終わりを感じた。予想に反した事態が起こった。体が温かくなり、力が入るようになった。
ゆっくり立ち上がると、僧正が動く。犬井はビクッと身構えた。だが、僧正はそのまま犬井の横を通り抜けて奥へと歩いて行く。
見逃されたのか? 理由はわからない。だが、逃げるのなら今しかない。仲間が気になったが、もう戦闘音はしてない。生きてはいない気がした。犬井は仲間の生死を確認せず、帰還するために、ダンジョンの入口へ走った。
生きたいと思う強い感情が犬井の足をうごかした。卑怯だとか、後ろめたいの感情はない。記憶を振り絞る。来た道を思い出す。出入口になっているエレベーターに乗る。地上階へと続くボタンを連打する。
エレベーターが動き出すと僧正に対する恐怖と仲間の生死を確認しなかった後ろめたさが襲って来る。
俺は無力だ。急に咳き込んで口から血を吐いた。咳は止まらず、呼吸が苦しくなる。血が混じった涙と鼻水がでる。死ぬのかと、思ったところで、犬井の意識は途切れた。