第二十三話 イグアート村 破
無我夢中で逃げ続け、気づけば“夜”になっていた。
月明りだけが照らす世界で俺は倒れ、空を見上げる。
「……なに、してんだよ」
心が死んでいた。さまざまな感情が抜け落ち、自分が生きているのか分からなくなる。心の火が消えた俺は立ち上がる事もできず、空を見上げた。
寒さも感じない。色が見えない。何も感じない。
俺は死んでいるのか。いや、死んでないとおかしい。
俺は家族を守ってあの化け物に殺されてるはずだ。つまり俺は死んでいる。
「はは。……英雄なんて、笑い話だ。怖かった。守れなかった。逃げ出した」
現実逃避しようが意味はない。エルフを引き寄せ、みんなを守らずに逃げ出して。何が英雄だ。
母さんも、父さんも、村長さんも。守るために立ち向かった。なんで俺だけ逃げ出した。
「化け物が……」
あの少女がなによりも恐ろしかった。内に秘めた底知れない力が怖い。淡々と殺したあの表情に震える。
だが逃げてはいけなかった。あれに立ち向かって戦って、守らないと。
月明りが眩しい。俺の弱い心を見透かされる様で、涙が出てきた。
「グオオッ……ア゛ゴア゛……」
声がする。死者の声だ。
それはこちらに向かっていた。
「これが俺の末路……相応しいな」
全てを見捨てて逃げた裏切り者の末路は、死者に殺されるぐらいが相応しい。
惨めだった。本当に惨めな最期だ。
「オ゛ゴアアアア……グギャ」
現れたのは獣人の死者。元は兵士だったのか、ボロボロの装備を身に着けている。
そいつはゆっくりと俺に近づいてきた。
「やれよ」
「ア゛ア……」
「早く、殺せ」
「ア゛オ……」
「……なんで、殺さない」
死者は俺の前で徘徊するだけで、殺そうとしてこない。
俺がふれても何もしない。ただじっと見つめてくるだけ。
感情のない瞳からは何を考えているかなんて読み取れず、俺は困惑した。
「……ああ、そっか。俺もう死んでるのか」
ふと浮かんだその理由は、あまりにストンと納得できた。
死者は死者を襲わない。もう死んでいる俺も襲わない。心の火が消えた俺は、もう死んでいるのと同じなのだろう。
「はは……そうか。なあ、あっちにたくさん生きてる奴らがいる」
「ア゛、グギャ゛」
「みんなで行こう。たくさんいるぞ」
俺は歩き出す。俺の言葉を理解しているのか、死者も後ろを付いてきた。
歩いていれば徐々に周囲から死者がやってくる。そいつらも俺を襲う事なく、後ろをついてきた。
死者は汚染領域には寄り付かない。しかしそこに生者がいると分かれば話は別だ。
何があろうとそこへ行く。
「この向こうだ。今、通れる様にしてやるよ」
どれほど歩いたか。変わり果てた故郷にたどり着いた俺は、地面を掘り起こす。
故郷の姿は見ない様にした。見たくなかった。
深くに埋まっている結界石も、英雄の力があれば掘り起こすのは造作もない。
数十分で掘り起こし、砕く。そうすれば結界に穴があき、死者達はそこを通った。
「みんな……今、エルフは全部殺す」
死者を招き入れる。俺は死者を置いて、走り出した。
燃えて倒壊した建物。黒くなった畑。煤となった木々。ほんの一日で全てが変わった。もう俺の知っている故郷はどこにもない。
「ふぁ~。なんで俺達がこんな事を……」
「しかたねえだろ。死者になったらめんどくせえ。結界も回収しないといけねえし」
声が聞こえる。もっとも憎い声だ。
「でも大した功績にはならない。めんどくさい任務だよ」
「それは言えてる」
めんどくさい。俺の故郷を滅ぼして言う事がそれか。
ならば俺もめんどくさいから、死者に全部殺してもらおう。こんなやつらの末路など、それが一番ふさわしい。
「なあ、……」
「あ?」
「っ人間? 生き残りか!」
ただ聞かないといけない事がある。
「みんなは、どうした?」
変わり果てた故郷。しかしみんながどこにも居なかった。死体すらなく、死臭が消えている。ただ燃え残った故郷があるのみ。
みんなはどこへ消えた。俺の家族もだ。
「みんな? 他の人間なら消したが」
「めんどくせえからな。跡形もなく消した。人間にはお似合いの末路だよ」
「消し、た……?」
「ああ。魔法でな。何もかも消滅させるのがあるんだ」
「お前も、今消してやるよ」
消した。もう何も残っていないという事か。俺の家族が、仲間達が、みんな消えた。思い出しかもうないのか。
埋葬する事すら許されないのか。
「そうか……お前らの末路は、もっと悲惨なものにしてやるっ!!」
俺の背後から死者が歩いてくる。そしてエルフを見るや否や、一気に走り出した。
「なっ。なんで死者がっ!」
「結界に守られてるんじゃ――」
「グオオオオオオオッ!」
「ア゛アアアアアア゛!!」
死者は生者に情けなどかけない。ただ目についた者から殺すだけだ。
エルフに群がり、むさぼり、殺す。まさに相応しい末路だろう。
「まだ、一杯いるはずだ。さあ、行け」
死者は俺の言葉と共に走り出す。
二度目の地獄が、始まろうとしていた。
◇
「……ミルアの、人形」
実家の跡地から出てきたのは、俺がつくった木彫りの人形だった。不格好でつたないが、ミルアがとても喜んでくれたっけ。
「これで、最後だ」
人形を地面に埋めてその上に墓標をさす。
最後にミルアの墓を作り、俺は地に倒れた。
「ごめんな。俺が逃げたせいだ。俺が立ち向かわないと、みんなを守らないと。いけなかった」
エルフは許せない。あの化け物はもっと許せない。だが何より許せないのは俺自身だ。
なぜ逃げた。怖いからか。あれが怖かったからか。
「もう逃げない。かならずあれは、俺の手で殺す」
恐怖するなら、その感情を捨てよう。
もう二度と逃げない。
かならず仇を取る。
「行ってきます」
俺は立ち上がった。
ここに残っていたエルフは数十人だけ。あの化け物と、残りのエルフはまだ生きている。
いるのは先日見つけた結界の中だろう。
結界に襲撃をかける。多分死ぬだろう。だけど俺ならたくさん殺せるはずだ。あの化け物に一矢報いる事もできるはずだ。
死は怖くない。恐怖は捨てた。ならばやるだけだ。
「もう、逃げない――」
俺はもう死んでいる。みんなの仇を取るために動いている屍だ。
そう思えば恐れるものなど、何もないだろう。
エルフの結界を目指して走る。だが俺の足は結界の遥か前で止まった。
「なぜ、……ここにいるんだ」
森の中、化け物がいた。たった一人でなぜか泣いていた。その下には吐瀉物がまき散らされており、化け物が苦しんでいる様子だった。
今の化け物は無防備だ。奇襲をしかければ殺せるのではないか。外見は少女の姿、ならば心臓を一突きで殺せるかもしれない。
「殺れるか……本当に?」
だが本能が無理だと叫ぶ。あれは普通ではない。ましてやエルフではない。
俺のようなちっぽけな人間にどうにかできるのか。奇襲しても犬死で終わるんじゃないか。
そんな想像が湧き上がる。そしてどれだけ無防備でも、あれを殺せる気にはならなかった。
だが逃げるわけにはいかない。
「うぇっ……ひぐっ、んぁ」
あいつは泣いている。知らないといけない、あれの生態を。知って対処せねばならない。だから俺は賭けに出た。
「なんで、泣いてるんだ?」
「っ! ——人、間」
危険な賭けだ。だが普通な事をしてはだめだ。化け物を殺すには何かを差し出さねばならない。
何もできず犬死する覚悟はした。しかし化け物は目を見開いて、動きを止める。
「ごめん、なさい。……私、あれ。なんで、あんな――」
「…………」
酷く錯乱している。何が原因かは分からないが、化け物が弱っているのは確かだ。
俺は一歩、近づいた。
「ひっ……」
なぜか俺に怯えている。だが油断はしない。その内に秘める力が変わる事はないからだ。
一歩一歩進み、俺は化け物のすぐ側まで近づく。
「やぁ。許して。ごめんなさいっ。ごめんなさい。私が、悪いの」
「何も、悪くない」
「えっ?」
「怖いものなど、何もない」
俺は化け物に精一杯の笑みを見せる。
「あっ、なんで……?」
「なんで怯えてるかは分からないけど、大丈夫だ」
「許して、くれる?」
「……? ああ、もちろん」
化け物の懐に潜り込め。弱っている今が付け入る隙だ。普通に戦っても勝てない以上、たとえ一時的な裏切りとてやろう。
取り入れ。気に入られろ。それしかない。
「俺は、許すよ」
取り入って、弱点を探す。そうして最後は必ず殺す。
長い旅になるだろう。みんなを置いていく事になる。だが仇を取るため許してほしい。
この化け物と触れ合っていると失ったはずの感情が噴き出てくる。それはつまり、復讐が俺を生かしているという事。それこそが俺の使命だ。
「君の、名前は――?」
今日が始まりの日だ。
吐いて、苦しんでいた化け物を見て俺は誓った。
必ず――殺してやる。




