悪役令嬢が婚約破棄される小説を書いたら、偶然同じタイミングで友人の伯爵令嬢が婚約破棄されてメッチャ気まずい
「マリーナさん、これは歴史に残る傑作ですよ!」
「ホ、ホントですか!?」
老舗の出版社『フリージア出版』の会議室。
そこで担当編集者のアロイスさんから太鼓判を押してもらった私の心は、春を知らせる精霊が舞い踊っているかの如く華やいだ。
やった!
これで遂に私も、念願のプロ作家になれるかもしれない!
……思えばここまで長かった。
貧乏男爵家の末っ子である私の人生には、どこぞのスケベオヤジの後妻になるか、自立するかの二択しかなかった。
何としても前者は回避したかった私は、子どもの頃から趣味だった小説の執筆を職にすることに決め、フリージア出版に何度も何度も、雨の日も風の日も原稿を持ち込んだのだ。
その甲斐もあり、アロイスさんが担当編集者になってくれたのが今から一年ほど前。
しかもアロイスさんはフリージア出版のエースとも言えるエリート編集者で、そのうえ十秒以上直視していたら目が潰れるんじゃないかというくらいのイケメン。
フリージア出版内でもアロイスさんのファンは多いらしい。
まるで三流小説の如きご都合主義展開に舞い上がった私だったが、もちろん現実は甘くなかった。
アロイスさんのダメ出しはとにかく苛烈。
一切の妥協を許さぬボツの嵐に、私の心は数えきれないほど折れかけた。
ただ、アロイスさんの口調からは、私をプロの作家にするために、敢えて心を鬼にして言っているのだということがひしひしと伝わってきたからこそ、今日まで頑張れた。
今やプロになることは、私一人の夢ではなくなっていた。
だから今回初めてアロイスさんに文句なしのオーケーをもらえたことが、泣きそうになるくらい嬉しいッ!
「悪役令嬢を主人公にするという発想には脱帽しました。よく思いつきましたね」
「え、えへへ、いやあ、たまたまですよたまたま」
絵画に描かれている天使様みたいな顔でそこまで絶賛されると、思わず表情が緩む。
でも謙遜はしつつも、正直今回のネタには自信があったのも事実だ。
ロマンス小説には必然とも言える、主人公の恋のライバル役である悪役令嬢。
所謂主人公の引き立て役である悪役令嬢だが、中には私のように、悪役令嬢側に感情移入する読者も一定数いる。
だからこそ私は敢えて悪役令嬢を主人公に据え、婚約破棄された悪役令嬢が、よりスペックの高いイケメンから溺愛されるという小説を書いたのだ。
書き終えて筆を置いた瞬間、我ながらあまりの面白さに手が震えたのを今でも覚えている。
ぶっちゃけ私って天才なのでは? と思ったほどだ。
そして今日アロイスさんから絶賛してもらえたことで、私の考えは間違っていなかったことが証明されたようで、天にも昇る心地だわ……!
「ではこの原稿は僕のほうで預からせていただいて、来月の編集会議に回させていただきますね。絶対に編集長からも書籍化許可をもらってきますので、任せてください!」
「は、はい、よろしくお願いいたします!」
ああ、今日は人生最高の日だわ――。
「ふっふふっふふーん」
フリージア出版を出た私は、午後の陽射しが降り注ぐ街並みを鼻歌交じりに歩く。
見慣れたはずの風景全てが、キラキラと光り輝いて見える。
心が満たされていると、こんなにも世界は違って見えるものなのね!
「マ、マリーナアアア!!!」
「っ!? カサンドラ様!?」
その時だった。
由緒正しい伯爵家の令嬢であるカサンドラ様が、号泣しながら私に抱きついてきた。
カサンドラ様は下級貴族である私とも分け隔てなく接してくださる、心の友とも言うべきお方。
私の憧れの人でもある。
いつも毅然としていて何事にも動じないカサンドラ様が、いったい……!?
「カサンドラ様、どうなさったんですか!?」
「うぅ……、聞いてちょうだいマリーナ……。実は私――婚約破棄されてしまったの」
「――!!!」
えーーー!?!?!?
「ついさっき舞踏会の最中、唐突にランベルト様が『君との婚約は破棄する!』って言い出して……」
「そ、そんな……!」
近くの隠れ家的なカフェに移動した私とカサンドラ様。
そこで私は涙交じりにカサンドラ様から、衝撃の事実を告げられた。
ランベルト様はカサンドラ様の婚約者であり、我が国の王太子殿下でもあらせられるお方。
今までお二人の仲に問題があるという噂は、聞いたことがなかったけど……。
「何故ですか!? ランベルト様は、何故急にそんなことを!?」
「それがね……、私が陰で、バルバラに酷い嫌がらせをしてるって言うのよ。だから私は婚約者に相応しくないって……。私そんなこと一度もしたことないのに……!」
「――!!」
バルバラが……!?
バルバラは私と同じく貧乏男爵家の令嬢で、カサンドラ様と懇意にしている人間の一人だ。
ただ私と決定的に違うのは、玉の輿を虎視眈々と狙っているところ。
天性の美貌とスタイルの良さを武器に、上級貴族の令息に色目を使っているのを何度も見たことがある。
そんなバルバラの魔の手が、遂にランベルト様にまで……!
「で、ですが、事実無根なんですから、ちゃんと説明すればランベルト様だって……」
「何度も説明はしたわ! でも取り付く島もなくて……。ああもう私、これからどうしたらいいか……」
「カサンドラ様……」
寒空に震える幼子のように小さくなっているカサンドラ様を宥め賺しつつも、私は全身に冷や汗をかきっぱなしだった。
「ああどうしよう……。どうしよう……」
自宅に戻った私は、真っ白な原稿用紙を前にして頭を抱えた。
まさかこんなことになるなんて……。
偶然とはいえ、カサンドラ様が私が書いた小説とまったく同じシチュエーションになってしまうとは……。
もし私の本が出版されたら、カサンドラ様は私がカサンドラ様をモデルにして小説を書いたと思うに違いないわ……!
私がフリージア出版でプロデビューを目指していることは、カサンドラ様にも何度も話しているし、仮に偽名を使ったとしても絶対バレる。
そうなったら私、カサンドラ様から何て言われるか……。
……しょうがない。
背に腹は代えられないわ。
ここは涙を飲んで悪役令嬢の話はボツにして、新しい話を書くしかない――!
幸いもう一つだけ、温めていたネタがある。
これも悪役令嬢に負けず劣らず自信があるネタ。
こうなったら一か八か、こっちで勝負するしかない――。
――この日から私は一週間、睡眠時間すらギリギリまで削って小説を一本書き上げた。
「悪役令嬢の話はボツに!? な、何故ですかマリーナさん!?」
いつものフリージア出版の会議室でアロイスさんにボツにしたい旨を話すと、いつもは冷静沈着なアロイスさんが珍しく取り乱した。
「あの話はお世辞抜きでミリオンセラーが狙える逸品です! そんなに僕の目が信用できないんですか!?」
「い、いえ! そういうことではなくてですね……」
あのアロイスさんにそこまで言ってもらえるのは、作家の卵としてこの上ない誉れだ。
……でも。
「……本当にごめんなさい。訳あって事情は言えないんです。そ、その代わり、新作を書いてきたんで、こちらを読んでいただけないでしょうか!?」
「新作を……!?」
満点の星空の如く美しい瞳を見開くアロイスさんをよそに、半ば無理矢理新作の原稿を押し付ける。
「……わかりました。何はともあれ、まずはこちらを拝見します」
「よ、よろしくお願いします!」
滝のような汗を流しながら、深く頭を下げる私。
無言でアロイスさんが原稿用紙をめくる音だけが、会議室に溶けていく。
私はあまりのプレッシャーに心臓が押し潰されそうになりながらも、「逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ」と自分に言い聞かせ、判決の時を待った。
「……素晴らしい!」
「――!!」
原稿を読み終え、用紙を綺麗に揃えて置いたアロイスさんの第一声がそれだった。
その目は、ずっと欲しかったオモチャをプレゼントされた子どもの如くキラキラしている。
あ、ああ……!
「まさか聖女が国を追放された後、隣国の王子に溺愛されて幸せになるとは……! 前回の悪役令嬢の話もそうでしたが、この発想力はまさに神懸っている! 紛れもなく、あなたは百年に一度の天才です、マリーナさん!」
「そ、そそそそそそうですかね!?」
興奮冷めやらぬ様子のアロイスさんに、強く手を握られる。
しかも顔面凶器とも言えるご尊顔が、目と鼻の先に……!
ふおおおおおおお!?!?
「あっ、すいません! これは大変な失礼を……! あまりにもマリーナさんの作品が秀逸だったもので……」
「い、いえ、どうかお気になさらないでください」
むしろこちらこそご馳走様でした……!
「確かにこれなら十分悪役令嬢の代わりになると思います。では編集会議にはこちらの原稿を回させていただきますね」
「はい、よろしくお願いします!」
ふううぅ……!
九死に一生を得たわ……!
「ふっふふっふふーん」
フリージア出版を出た私は、午後の陽射しが降り注ぐ街並みを鼻歌交じりに歩く。
すれ違う一人一人が、みんな私の未来を祝福してくれているような気さえする。
悩みが解決しただけで、こんなにも世界は違って見えるものなのね!
「マ、マリーナ様あああ!!!」
「っ!? コリンナ!?」
その時だった。
我が国の聖女であるコリンナが、号泣しながら私に抱きついてきた。
コリンナは元々平民で、私の家で子どもの頃からメイドとして働いていたのだけれど、数ヶ月前突如聖女の力が覚醒し、今では聖女として国中から祀り上げられている。
今や身分的には完全にコリンナのほうが上になったのだけれど、昔と変わらず私を立ててくれる、とても懐の深い良い子だ。
そんなコリンナが、こんなに泣きじゃくるなんて……、まさか……!?
「落ち着いてコリンナ。何があったのか、ゆっくり話してくれる?」
「は、はいぃ。実は私――この国を追放されることになっちゃったんですぅ」
「――!!!」
えーーー!?!?!?
「ついさっき舞踏会の最中、唐突にランベルト様が『これ以上意味のない聖女に割く予算はない!』って言い出して……」
「そ、そんな……!」
前回同様、近くの隠れ家的なカフェに移動した私とコリンナ。
そこで私は涙交じりにコリンナから、衝撃の事実を告げられた。
またしてもランベルト様が余計なことを!?!?
しかもまた舞踏会の最中に!?!?
あのお方は舞踏会を何だと思ってらっしゃるのかしら!?!?
確かに聖女の管理は王太子殿下であるランベルト様の管轄だけれど……。
「で、でも、我が国は代々コリンナみたいな聖女が毎日祈りを捧げているから、こうして繁栄してきたんじゃないの? 聖女であるあなたがいなくなったら、この国は……」
「私もそう言ったんですけどぉ、取り付く島もなくて……。私マリーナ様と会えなくなっちゃうの嫌ですぅ」
「コリンナ……」
コリンナの顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになってしまっている。
「で、でも、仮に聖女の任を解かれたとしても、国から追放するのはやりすぎじゃない? もしコリンナさえよければ、またうちでメイドとして――」
「いえ、ランベルト様としては、聖女がこの国からいなくなっても、何の損失もないことを国民にアピールしなきゃいけないから、私はこの国にいちゃいけないって言うんですぅ」
「――!?!?」
横暴がすぎる!!!
あんな人が王太子殿下で、この国は大丈夫なのかしら!?!?
「うううぅ……、マリーナ様、今までお世話になりましたぁ……」
「コリンナ……」
涙ながらに頭を下げてくるコリンナに、私は何と声を掛けてあげればいいかわからなかった。
そしてそれとは別の理由でも、私は全身に冷や汗をかいていた。
「あああああ今度こそもうお終いよおおおおおお!!!!」
自宅に戻った私は、真っ白な原稿用紙を前にして頭を掻きむしった。
まさか悪役令嬢に次いで、聖女追放まで現実になってしまうなんて……!!
流石にもうネタ切れよッ!!
もうこれ以上面白いネタなんてないわよッ!!
……でも、かといって聖女追放の本を世に出すわけにもいかない。
あれをもしコリンナが読んだら、コリンナはどんな気持ちになるか……。
これといったネタはないけど、何としてでも他の話に差し替えるしかないわ――!
――この日から私は一週間、ろくに眠らず、食事時間すらギリギリまで削って小説を一本書き上げた。
「ま、またですか!?!?」
アロイスさんのリアクションは、さもありなんといったものだった。
うん、まあ自分でもどうかと思います。
二回も続けて作家のほうから原稿をボツにしてほしいなんて、前代未聞でしょうからね。
でも、しょうがない……!
しょうがないんですアロイスさん……!
「……どうか何も言わず、まずはこちらの新作を読んではいただけないでしょうか」
「……ふぅ。……わかりました、拝見します」
「よろしくお願いします……」
明らかにいろいろ言いたいことはある顔をしているアロイスさんだけれど、ありがたいことにそれをグッと堪え、原稿を受け取ってくれた。
無言でアロイスさんが原稿用紙をめくる音だけが、会議室に溶けていく。
ただ、前回とは違い、私はあまり緊張していなかった。
言うなれば、死刑判決が下されることが半ば決まっている罪人のような気分だ。
「……率直に申しまして、まったく面白くはありませんね」
「……そうですか」
アロイスさんから下された評価は、予想した通りのものだった。
それもそのはず、私自身もまったく面白いとは思っていなかったのだから。
流石に二度あることは三度あるとはいかなかったわ。
ない頭を振り絞って全力で書いてはみたものの、その出来は何ともお粗末なものだった。
むしろ今となっては悪役令嬢と聖女追放が書けたのが、何かの間違いだったのではないかとさえ思えてくる。
「……マリーナさん、どうか僕に、事情だけでも話してみてはいただけませんか? 僕はあなたの担当編集者です。僕にできることであれば、何でもお力になりますよ」
「――! ……アロイスさん」
全てを包み込む慈愛に満ちた顔で、私を真っ直ぐに見つめるアロイスさん。
嗚呼、天使様……!!
この瞬間、私の中で何かが弾けた。
「じ、実は……」
私はとつとつと、ここ二週間で起きた悪夢のような出来事をアロイスさんに語った。
「……なるほど、そんなことが」
全ての話を聞き終えたアロイスさんは、物憂げに顎に手を当てた。
そんな様さえ絵になるのだから、イケメンはズルい。
「事情はよくわかりました。そういうことであれば、マリーナさんのお気持ちも理解できます」
「そ、そうですか」
わかってもらえてホッとしている半面、これでもうアロイスさんから見限られてしまうかもと思うと、自業自得ながら短剣を突き刺されたかの如く胸が苦しい。
「――ただ、それを承知したうえで、やはり僕はあの二作を本にすべきだと思います」
「…………は?」
アロイスさん!?
今、何と!?
「で、でも、それじゃカサンドラ様とコリンナが!」
「あれはあくまでフィクションです。お二人もその点はわかっていただけると思いますが」
「そ、そうでしょうか……」
「――マリーナさん、我々の仕事は何ですか?」
「――!!」
アロイスさんがいつになく真剣な目で、私を射抜く。
アロイスさん……!
「……面白い本を、作ること」
「そうです。それこそが作家や出版社に求められる、何よりの仕事です。我々はその点においては常に全身全霊を注ぐべきであり、一切の妥協は許されないというのが、僕の持論です」
「……」
「もちろんだからといって何を書いてもいいというわけではありません。倫理にもとるような本は出すべきではないでしょうし、他にも勘案すべき事柄は多々あります。――ただ、それらを加味したうえでも、僕はあの二作をボツにしてしまうのはあまりにももったいないと思います。あの二作は、数えきれないほど多くの読者を幸せにする可能性を秘めています」
「アロイスさん……」
あれ?
おかしいわね?
いつの間に私、涙が……?
「――マリーナさんの正直な気持ちを聞かせてください。マリーナさんはあの二作を、本にしたくはありませんか?」
「……!」
嗚呼……!!
「……し、したい、です……! 本にして……たくさんの人に読んでもらって……面白いって、言ってもらいたい……です……!!」
私の視界は、涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「――わかりました。その言葉が聞けてよかったです。――後は僕に任せてください」
「アロイスさん……!」
アロイスさんは私の手を優しく握って、天使のような笑みを向けてくれた。
あわわわわわわわわわ。
「で、でも、今更ですけどあれ、王室批判とかになっちゃったりしませんかね?」
他意はなかったとはいえ、たまたま二作とも作中で王太子殿下を悪役にしてしまっている。
もしもこれがランベルト様の目に入ったら、私はもちろんのこと、フリージア出版も王家から目を付けられちゃうんじゃ?
「その点も合わせて僕にお任せください。決して悪いようにはしないとお約束します」
「は、はぁ、そういうことでしたら……」
アロイスさんに自信に満ち溢れた顔でそう言われたら、何とかなるんじゃないかと思えてくるから不思議なものだ。
何にせよもう後には引けないわ。
――私も覚悟を決めて、アロイスさんに全てを託そう。
こうして満を持して編集会議に回された私の二作は、満場一致で書籍化が決定。
数ヶ月後には国中の本屋さんに私のデビュー作が並んだ。
本屋さんに自分の本が平積みされていた光景は、今思い出しても涙が出そうになる。
フリージア出版が社を挙げて宣伝してくれたお陰もあり、私の本は二冊ともベストセラーとなった。
――私は一躍、時の人となったのである。
「マリーナさん、また二冊とも重版がかかりましたよ。本当におめでとうございます」
「そ、そうですか」
いつもの会議室でアロイスさんからそう告げられた。
それはとても光栄で嬉しいことなのだけれど、私の中にはそれを素直に喜べない自分もいた。
「やはりお二人のことが気になりますか?」
「――!」
ああ、アロイスさんの目は誤魔化せないわね。
確かに本が売れたことはこの上ない幸せだ。
……ただ、本が出版されて以来、まだ一度もカサンドラ様とコリンナには会っていない。
これだけ話題になっているのだもの、きっと二人とも目にはしているはず。
何があっても後悔はしないと決めたつもりだけれど、それでもやはり、常に心に鉛を吊るされているような気分が晴れることはなかった。
「……実は今日はここに、とある方々をお呼びしているんです」
「え?」
アロイスさん??
とある方々、とは??
「どうぞお入りください」
「マリーナ!」
「マリーナ様!」
「――!!!」
扉を開けて入ってきた二人を見て、私は絶句した。
それは満面の笑みを浮かべた、カサンドラ様とコリンナだったのだ。
えーーー!?!?!?
「ど、どうして二人がここに……」
「アロイスさんが呼んでくれたのよ! もう、水臭いわねマリーナ!」
「そうですよ! プロデビューおめでとうございますマリーナ様! やっと夢が叶いましたね!」
「……」
未だに状況が飲み込めない。
私は偶然とはいえ、二人の境遇に近い話を本にしてしまったというのに、何でそんなに手放しで祝福してくれるの……?
「あ、あの、あの、私……」
「何も言わなくていいわ、マリーナ」
「はい、マリーナ様」
「――!?」
「あなたが私たちをモデルにあの話を書いたんじゃないってことは、よくわかってるから」
「ですです!」
「――!!」
ふ、二人とも……!
「……それにね、今じゃ私もコリンナも、あなたの小説の主人公みたいに、幸せな人生を送ってるから」
「えへへへへー、そうなんですよー」
「っ!?」
えっ!?!?
どういうこと!?!?
「これはまだ公にはなってないからここだけの話にしてもらいたいんだけど、実は私、ベネディクト様の婚約者になったの」
「っ!?!?」
えーーー!?!?!?
ベネディクト様といえば、我が国の第二王子殿下のお名前。
確かに私の小説では、主人公は婚約破棄された後、第二王子殿下から溺愛されたけど、こんな偶然ある!?!?
「私も国を追放された後、たまたま隣国の王子様と旅の途中で出会いまして、何やかんやあって今じゃ次期王妃でーっす!」
「っ!?!?」
えーーー!?!?!?
これまた私の小説と同じーーー!?!?!?
ひょっとして私って、予言者の才能もあったりする!?!?!?
「じゃ、じゃあ、もしかして……」
「はい、ここからは僕がお話いたしましょう」
「――!」
「――結論から言いますと、ランベルト様は王位継承権を剝奪されました」
「――!!!」
やっぱり……。
「理由はマリーナさんの小説の通りです。あまりにも日々の行いが横暴すぎましたからね。遂に国王陛下も庇いきれなくなったようです。ベネディクト様の調べで、カサンドラ様への濡れ衣も晴れました。それに伴い、バルバラ嬢も修道院送りに。新たな王太子にはベネディクト様が指名されました。そしてベネディクト様からコリンナ様に国を代表して誠心誠意謝罪し、今後は月に一度だけ、コリンナ様に我が国に出張聖女として祈りを捧げていただくことになりました。これまたマリーナさんの小説の通りですね」
「……」
自分の才能が怖いわ。
「でもね、私は正直そんなことはどうでもいいの。――何よりあなたに言いたかったのは、あなたの書いた小説が、とっても面白かったということよ、マリーナ」
「はい、今まで私が読んだ小説の中で、間違いなく一番面白かったです、マリーナ様!」
「――!!」
カサンドラ様……、コリンナ……。
「ふふふ、あなたって本当に泣き虫ね、マリーナ」
「でもそんなところも可愛いです!」
「ありがとう……! 本当にありがとう、二人とも……!」
ああ、今日は人生最高の日だわ――。
「マリーナさん、この後少しだけ僕にお付き合いいただけませんか?」
「は、はぁ? いいですけど」
二人を見送った後、不意にそう言ってきたアロイスさん。
その熱意を帯びたようにも見える瞳に、私の心臓が早鐘を打つ。
「マリーナさんに是非お見せしたい場所があるんです」
「ほ?」
お見せしたい、場所?
「ここです」
「――!!」
そうしてアロイスさんに連れてこられたのは、王家の管理する庭園。
ここは確か、王族関係者しか立ち入りはできないはず――!?
「やあ、お疲れ様」
「ああ、これはこれはお久しぶりでございます」
「――!?」
ダンディな髭の門番さんに、気さくに挨拶するアロイスさん。
門番さんはそんなアロイスさんに、恭しく頭を下げた。
こ、これは――!?
「さあどうぞマリーナさん、こちらです」
「は、はぁ」
無言で微笑む門番さんの横を、アロイスさんに案内されて通りすぎる。
全てのパズルがハマっていく感覚に、思わず身震いした。
「どうですか、なかなかの景色でしょう」
「――わぁ」
そうして辿り着いたのは、様々な色のフリージアが敷き詰められた、とてもこの世のものとは思えない極楽のような景色だった。
きっと美しいという言葉は、この風景のために存在しているんだわ。
「――子どもの頃、嫌なことがあった時とかは、いつもここに来て花を眺めながら本を読んでいたんです」
「……アロイスさん。――いや、アロイジウス様」
私はこの国の第三王子殿下のお名前を呼んだ。
どうりで私の王室批判になりかねない本を、あんなに自信満々で出せると言ったはずだわ。
元々王家にパイプがあったのですね。
むしろカサンドラ様とコリンナが、私の小説と同じくハッピーエンドになったのには、アロイジウス様のお力添えもあったと見るのが妥当だろう。
何のことはない。
私は予言者でも何でもなく、私の小説をヒントに、アロイジウス様が現実世界のシナリオを書き換えただけのことだったのだ。
「今までそうとは知らず、大変失礼いたしました。アロイジウス様のお姿は、一般には公開されていなかったものですから」
「いえ、僕が敢えて隠していたので、どうかお気になさらないでください。それに、今の僕はあくまでアロイスというただの男です。王位継承権は放棄しましたしね」
「そ、そうなのですか……」
アロイジウス様――いや、アロイスさんは、いつもの天使のような笑みを浮かべている。
「でも、何故王位継承権を……」
「王子なんて大層な地位は、僕には柄じゃないですから。ランベルト兄さんはご存知の通りどうしようもない男でしたが、その分ベネディクト兄さんが王の器を持っていました。ベネディクト兄さんがいれば、僕は王家には不要だと思ったんです。――それに、僕は心の底から本を愛している。子どもの頃から、将来は本を作る側の人間になりたいってずっと思ってたんです。ですからこうしてその夢が叶えられて、僕は今最高に幸せです」
「アロイスさん」
アロイスさんの表情からは、本心から言っているのだということがありありと伝わってくる。
「……ただ、今はもう一つだけ、新しい夢ができました」
「え?」
新しい、夢?
「何ですかそれは。差し支えなければ、私にも教えてください」
「――はい、では言わせていただきますね。――それはマリーナさん、あなたに僕の妻になっていただくことです」
「――!?!?」
えっ????
今、何と????
「あのー、大変恐縮なんですが、ちょっと聞き間違えちゃったような? 私には『僕の妻になっていただくこと』って聞こえたんですけど……?」
「ふふ、聞き間違えじゃありませんよ。どうか僕の、生涯の妻になってはいただけませんでしょうか、マリーナさん」
「――! アロイスさん……」
アロイスさんは私の前で恭しく片膝をつき、右手を差し出された。
「で、でも、何故私なんかを!? 私なんて全然美人じゃないし、家格も低いし何の取り柄もないのに……」
「何を仰るのですか。僕にはあなたはどんな名画に描かれている女神よりも美しく見えます。家格については先ほども申し上げた通り、僕は王位継承権を放棄していますので問題ありません。そして何より、あなたは類稀な小説の才能をお持ちだ。僕にはあなた以上の女性は、世界中探し回ったって見付かりませんよ。――それとも、あなたは僕のことがお嫌いですか?」
「そ、そんな!?」
捨てられた子犬のような目で、私を見つめてくるアロイスさん。
ああーーーーーーーーーー。
「き、嫌いでは、ない、です」
「では、僕の妻になっていただけますか?」
「は…………はい。私なんかで、よければ……」
私はおずおずと、アロイスさんの右手に自らの左手を重ねた。
「――ありがとうございます!」
「ひゃうっ!?」
その瞬間、ぐいと手を引かれた私は、アロイスさんに強く抱きしめられた。
ふおおおおおおおおお!?!?!?
「一生大切にします」
「あ、わ、私も、です」
ああああああ、私の心臓の音、絶対アロイスさんに聴かれちゃってるううううう!!!
「――マリーナさん」
「――!!」
アロイスさんの凛とした顔が、徐々に私の顔に近付く。
フリージアの甘い香りが漂う中で、私はそっと目を閉じた。