リベンジチャンス
大地がすすり泣くような地鳴りともに、地球が発狂するかのような激しい揺れ。耳をつんざくようなうなる音がする。津波が襲う。泥水は想像もしないくらいの高さからあざ笑うように人々を襲う。青春を彩る青い海は別の生き物に豹変した。美しい思い出は流され、なにもなくなった。灰色の泥となった海は容赦なく人の命や住処や大切な物を奪う。法律で裁くことができない大量殺人。自然の驚異には逆らえない。人間は防御と逃亡のみの無力な生き物だ。
大震災を経て、萩野月美は変わってしまった。どう頑張ってもうまくいかない。考え方もマイナス思考だ。あと、もう少しだけ前向きだったら――あの時に戻りたい。今は亡きお父さんと初恋の彼、遠野奏がいた世界。大震災当時、小学生だった。初恋の彼は、優しくて笑顔がかわいくて、とても人気者だった。でも今、その彼はいない。そして、お父さんもいない。私のまわりにはないものばかりだ。「ない」で埋め尽くされて存在している萩野月美、高校を卒業間近の18歳。闇の底に突き落とされたまま生きている。
「君は、リベンジチャンスを与えられた。君の大切な人を救いたいって思ってるなら、手助けするよ」
美しい男が突如現れる。
「リベンジチャンス?」
「タイムリープできるんだよ。リベンジチャンスは過去に戻って修正できるシステムなのさ」
「過去を変えられるの? そんなことしていいの?」
「今の世界がすべて正しいとは限らない。善人が悪人に殺されることだってあるし、死ぬべきじゃなかった人が死んでしまった世界もある。それを少しずつ変えている。今いる世界はリベンジチャンスの末に創られた世界なんだよ。何が正しいことで、何が正しくないのか、それはとても曖昧な基準だと思わないか?」
この美男は、すごくまともなことを言っているのだと思う。でも、少しばかり難しくて頭が混乱する。
「今、難しいって思った? じゃあ簡単に言うよ。死んだ彼が生きている世界を創ろうって提案しているんだよ」
よくわからないけれど、こんなチャンスはきっと今後ないだろう。
「タイムリープは結構危険な作業だから私の言うことに従うこと。まず、タイムリープすると君は小学生の自分と同化する。外見は小学生だけれど、中身は高校生の今の君だ。でも、タイムリープしたとかそういったことは言わない。あとは、バレる発言をしちゃだめだ。バレたら即、今の世界に引き戻される。せっかく過去を変えに行ったのに、そのまま帰るなんてもったいないと思わないかい?」
手を差し伸べてくれる善意にすがっていた。きれいな顔立ちの男性だ。テレビに出たら映えるだろう。どこか人間離れした雰囲気とでも言おうか。風もないのになびく髪はこの世の者とは違う空間を歩いている人ということを物語っている。
「リベンジできるならば、何でもする!! お願いします。リベンジの神様」
「私の名前はねがいやというんだ」
ねがいやってお店みたいな名前。
感じのいい人だな。人当たりが優しくてなめらかな印象だ。
どことなく、育ちがいいのだろうか。のんびりした口調が落ち着く。不思議な声だ。高くもなく低くもない、そんな心地のいい声質だ。
「でも、過去を変えることなんて……できるかな」
「大丈夫。こう見えても色々便利なアイテムを持ってる。初恋の彼には九死に一生を得るというアイテムを使おうか」
「なにそれ?」
「九割死ぬはずだった人が一割の可能性で生き残ったとか、運よく生き延びたっていうのは、たいてい誰かがこのアイテムを使ったと思っても過言じゃない。運を集めて彼に渡すんだ」
「集めて渡す?」
「運がいい人っていうのは何かを持っている。そういう人から運を分けてもらうんだ。そうすればおのずと彼は強運になる。偶然助かったことになるから、問題ないでしょ」
「そっか。でも、運がいい人なんてわからないよ」
「誰でも運は持っているけれど、強運を持っているかどうかは、この識別メガネをかけると見えてくるんだよ」
一見普通のメガネだ。
「識別メガネをかけてごらん。すると、人間の色がわかる。そう言った人からエネルギーをもらうと効率がいい。この世界で、まずは運を集めて、タイムリープする。そして、彼の元へ届けようか。この世界の運というのは幸福の象徴でもあるかな。幸福な人は幸運な人が高確率で多い。幸運が重なった結果、幸せな生活を送っているということさ」
「たしかに、運って見えないけれど、人生を左右するかも」
「入試や面接なんかでも運がいい人は強い。体調が良かったり、問題や試験監督に恵まれていたりする。結果的に行きたい進路を選ぶ権利が与えられるんだ。結婚も運かもしれないな。良縁がある人は幸せになれるからね」
「人って色々な色を持っているんだね」
「黄金色はかなり強い運を持っているんだ。黄色、赤色、青色が運の順番だよ」
「緋色は虹色のような色が組み合わさったオーラに包まれているね」
「私は普通じゃない仕事をしているからね」
普通じゃない仕事。たしかに、この人何者? そもそも人間なのだろうか? でも、今はとりあえず幸運を集めなきゃ。
「幸運を集めるってどうするの?」
「名前を聞いて握手をする。すると、この幸運の箱に運が貯まっていくんだ。これが満タンになったらOK。でも、偽名だとかニックネームだと集まらないから」
スーツケースのようなものから取り出した箱は白い小さな箱だった。インテリアとして置いたらかわいいかもしれない。
「でも、急に知らない人に名前を聞くなんて、変だよね」
「そこは頭を使うんだよ。例えば、道を聞くふりをして、ありがとう、名前を聞いていいですか。そして握手をする流れがポピュラーだけれど。そうだな、ハンカチを落として、拾ってくれた人に感謝しながら名前を聞くのもありだな」
「拒否されたらどうするの?」
「次のリベンジ」
「別に断られてもデメリットはないよね?」
「精神的なダメージはあるかもしれないけど、問題はないよ。箱に貯まるエネルギーが足りないというだけだよ」
「じゃあ、繁華街のほうに行ったほうがいいかな」
「まぁ、この町は田舎だから、もうちょっと都会の方が目立たないかもしれないね」
「たしかに。知り合いも結構いるし、道を聞くほど込み入った町じゃないね」
駅へ向かう。どうせ暇人の私は、緋色と一緒に電車で30分のこの県で一番大きな街へ向かう。
「田舎って悪くないね」
ねがいやという者は田舎好きなのだろうか。
「都会に行きたいと思ってる私みたいな人間もいるのに」
「田舎の方が、心が優しい度数が高い人間が多いのも事実なんだよ」
「心の優しさが見えるの?」
「メガネをかけなくても人間の運の色も優しさの度数も見えるんだよ」
「不思議な人」
不敵な笑みをうかべるねがいや。
魅惑的な雰囲気だけれど、優しい人だな。この笑顔に救われた。きっと私は幸運だ。
「自分が幸せになる方法って知ってるかい?」
ねがいやが聞いてきた。
「この箱に幸運を入れればいいんだよね」
「自分が幸せだと思うことが幸運への第一歩さ。だから、君はかなり幸運に近づいているってことだよ。笑顔、いいと思うよ」
私、自然と笑えていたんだ。不思議な人。
「私の名前は萩野月美。月美でいいよ。よし、田園風景を眺めながら電車に乗って楽しもう」
なんだか、わからないが、この人は幸せにする何かを持った人だ。多分幸せを分け与える存在の人なのだろう。
「たしかに、田園風景は悪くないかも。言われてみて改めて良さを認識したよ」
「同じ景色でも誰かと見ると楽しくなるんだよ」
こんなやりとりを誰かとしたのは、いつぶりだろう? リベンジできる? これはチャンスなのかもしれない。神様がくれたチャンス!! こんなに気持ちが楽になったのはいつぶりだろう?
のどかな景色が過ぎると、そびえたつビルが立ち並ぶ町が見える。先程よりも、人口密度が高くなったような感じだ。澄み渡る青空と空気がおいしい。少しばかり都会は排気量が多いのが難点だけれど。
この県内で一番大きな町に着いた。人がたくさんいる。メガネをかけて、一番黄金色の人に声をかけよう。歩いてくるゴージャスな奥様は黄金色のオーラに包まれている。
「すみません。お土産売り場はどこでしょうか?」
「あぁ、そこの階段から地下街に下ってね」
派手な色合いの衣服に包まれた奥様にお礼を言う。
「ありがとうございます。お名前伺ってもいいですか?」
「佐々木よ」
握手の手を出すが、スルーされてしまう。
「あの、下のお名前は?」
奥様は無視していなくなる。
「幸福の箱は?」
「まだ補給ゼロだよ」
「やっぱりフルネームじゃないとだめなのかな」
「それもあるけれど、あの人、そもそも偽名」
「そんなこともわかるの?」
「まあね。幸運の持ち主が本当のことを言うわけじゃないよ。疑り深いからこそ騙されずに今の地位にいるって人も多いんだ」
「そうだよね。警戒されるよね」
その後、リベンジするも、無視されたり、笑って何も言わずに立ち去る人が大半だった。見ず知らずの人に声をかけることは思ったより疲れる。少し座って休憩する。
「初恋の彼のどこが好きだったんだい?」
「優しくて、面白くて、顔もとってもかっこよくてね」
「完璧な男子だな」
「そうなんだよね。彼とは気が合って、付き合おうみたいな話になったこともあって。唯一の彼氏みたいな存在だったんだ」
「若いんだから、小学生の頃の栄光にすがっちゃうのはもったいないよな」
「でも、今の私、全然いけてないんだよね。服のセンスはダサいし、面白い話もできないし。勉強もとりえがないし」
「でも、それって地震のせい? 震災が君の今を奪ったのかい?」
「え……?」
「服や話や勉強って、関係ないよね。初恋の彼が生きていても、今の月美を見たら気持ちが変わっちゃうかもしれないじゃないか。だってすごく完璧な男子なんだろ?」
「そうだけど。うちは、母子家庭だから、お金がないし」
「でも、お母さんは変わらず優しいんだろ? それって震災とか無関係だろ」
「まぁ、そうかもしれないね。でも、心に傷を負ったのは事実だよ」
「そうだな。きっと被害に遭った人は傷を負っている。幸運が足りなかったのかもしれない。でも、自分らしく生きている人もいるんじゃないかな」
「そうだね。身内を亡くしても部活を頑張っている子もいるし、勉強を頑張っている子もいる。いいわけを言ってもだめだよね。リベンジチャンスは逃したくない」
箱を見つめる。
「このまま、運が集まらないかもしれないな」
「じゃあ、だめってこと?」
「そんな君に、朗報だ。幸せカメラだ」
ねがいやはカメラを取り出す。
「幸せな人の姿をこのカメラに収めると、自動的に幸福の箱に幸せが貯まる」
「何? すごく便利じゃない!! そっちのほうが楽じゃん。最初から言ってよ」
「知らない人の写真を勝手に撮るのは本当はまずいから、最初は握手と名前で貯めるほうを提案したんだけどね。このままじゃ集まるのに相当時間がかかりそうだから」
まだ補給されていない幸せの箱の数値はゼロを示している。
「私って、負けてるってことだよね。リベンジって元々復讐っていう意味だし、再挑戦しているんだもん」
「人生に負けとか勝ちとか正解はないんだよ。今のところ再挑戦したいって思っているんだろ」
「でも、この人たちから幸運をもらったとして――その人たちは運が悪くなるの?」
「そうだよ。君に出会った時点で運が悪いってことかもしれないけれど、元々強運な人ならば少しくらいもらってもその人の人生は極端には変わらないとは思う。でも、宝くじ1等の人が5等になったら、人生としては結構損かもしれない。でも、1等だからと言って幸せになった人ばかりじゃない。幸運と不運って紙一重なんだよ」
「たしかにそうかもしれない」
こっそり、風景を映すふりをして、道行く黄色や赤の人をシャッターに収める。我ながら、なかなか写真の腕前はいいような気がする。写真を撮るって意外と楽しい。でも、青い色の人がほとんどだ。そんなに強運な人なんていないんだろうな。何時間たっただろうか。徐々に箱の数値が上がる。これ、すごく楽しい。ゲームみたいな感覚だ。
「すごい数値が上がってきたな」
きっとこの人は人と比べるとか自分を低く見るとかそういったことをしない人なのだろう。だから、自信に満ちているんだ。あれだけ特殊な力を持っているのだから、納得だけど。
「満タンだ。そろそろ、過去に行って、彼にこの箱を開けさせよう」
「どうやって過去に行くの?」
「案内するよ。階段を上り切ったところで、行き止まりだ。底は見えない。一緒に落ちる」
「落ちるって命の保証はあるんでしょうね?」
「大丈夫、ほら」
手を延ばすと掌に触れる。意外にも温かくて、落ち着く。
その瞬間飛び降りる。底は見えない。下に落ちる感覚だけがある。私は本当に過去に戻ることができるの?
「過去の自分と同化した時、相手に幸運の箱を開けさせるんだ。そして、未来のことは明かさないこと」
その瞬間、私は、小学生に戻っている。まさかと思うけれど、小学生の時のスカートにパーカーだ。もう捨てたはずの服。
「じゃあ、彼の家に行こうか。少し離れた場所にいるから」
箱を渡される。久しぶりの初恋の人。もう6年経つだろうか。あの時の彼にまさかもう一度会うなんて。とても恥ずかしい。立ち尽くしていると、学校帰りの彼がやってきた。
「あの……プレゼントを受け取ってほしくて」
「どうしたの?」
「どうしても渡したいから、この場で箱を開けてほしいの」
「今日誕生日じゃないし、どういう風の吹き回し?」
変わっていない。というか過去なのだから、記憶そのままで当然だけれど。優しくてかっこいい。少し話をしたいな。
「奏君は、将来の夢とかあるの?」
「立派な大人になれればいいけれど。しいて言うなら、花屋になりたいかな。植物とか栽培に興味あるし。成長を見守るっていいよね」
「すごく、奏君らしいね」
「どうした? 今日は月美らしくないなぁ」
「そうかな?」
少し焦る。
「あとで開けてもいい?」
あとであけちゃったら、家族に開けられたとか、そういうオチになりそう。
「ダメ、今、私の前であけてほしいの」
「どっきりかな?」
そんなことを言って幸福の箱を開ける。
すると奏くんは、黄金色や赤色に包まれる。
「不思議な色だな。ってこれどういうマジック?」
「不思議な箱だったから、見せたかったの」
「すごく、好きだよ。これからも仲良くしてほしい」
まさに今、告白されている。人生の絶頂期。
「私も……」
その瞬間、エレベーターで上に上るような感覚に襲われる。
「お疲れ様。君のリベンジは終わったよ」
優しい笑顔のねがいや。この人の傍はあたたかい。
「少しだけ、派手になったかな?」
鏡を渡される。18歳の私は、以前よりもどこかあか抜けている。少しだけ今時の女の子に変化した。化粧をしているし、唇は真っ赤な口紅をしている。服装もわりとかわいいブラウスにスカートが似合っているような気がする。
「愛しの18歳の奏君に会いに行ったら?」
「……うん」
奏君の家の前まで来てみた。
「あら、懐かしいわね。上がっていったら」
奏君のお母さんだ。懐かしいってことはもうここへは来ていないということ? 縁が切れたってこと?
18歳の奏君はどうなっているんだろう。きっとあのまま優しくきらきらした瞳の少年のはずだ。
「奏、月美ちゃんよ」
部屋に入ると、思ったよりも片付いていない。意外な印象だ。奏君はきれい好きだった。
「あぁ」
暗い低い声。これは、18歳になった奏君?
髪がぼさぼさで、やせこけていた。趣味はゲームみたいで、そこら中にゲーム関連のものが置いてある。
「奏は震災の後に足に障害を負ってしまったのよね。歩くことが難しくなってしまったの。こんな体になるくらいならば死ねばよかったって言われてしまって」
母親の言葉を無視する奏君。
高校には行っていない様子だ。花を好きだと言っていた、成長を見守る彼はどこにもいない。絶句する。
「奏君、きっと君を幸せにするから。待っていて」
そう言うと、緋色の元へ向かう。
「再リベンジ、お願いします」
丁寧に頭を下げる。
「でも、必ず幸せになれる保証はないよ。生きていたとしても、死んだ方がマシって思うことだってあるんじゃないの?」
「でも、どうしても――」
「震災の後の事故だから、震災は結果関係ないし、君はわりと充実しているみたいだし」
「今度は自分のためじゃなくて人のために何かしたいの」
目の前の神様に必死に願う。
「リベンジしても必ずしも思ったとおりになってはいない。そして、悪い方向に行くことだってある」
「わかっているよ。でも、何もしないよりはマシだよ」
決意は固まった。
♢♢
月美が自宅に帰ると白地にクローバーの模様の封筒が届いていた。差出人の名前を見て思わず体をこわばらせた。
「なんで――???」
疑問符が頭を覆う。
差出人は遠野奏。同姓同名? その名前の知人はたった一人のはずだ。彼が手紙を送るはずがない。誰かの悪質な嫌がらせかどっきりだろうか?
私が知っているのは幼馴染の遠野奏だけ。彼は分け隔てなく誰にでも優しく接してくれる。そんな彼のことが密かに好きだった小学生時代。彼よりも心を許せる友達はいなかった。
優しく美しい顔立ちで、甘い声が心をくすぐった。人気者の彼はなぜか私を特別扱いしてくれたように思う。個人的に放課後や休日も話すことが多く、彼の一番近くにいたと心の中で自負していた。
でも、ありえない。何故なら――九死に一生を得た遠野奏は別人になってしまった。他人に無関心だ。目も死んでいた。だから、手紙の主が彼であるはずはないのだ。
少し古びた封筒は時代を感じる。そして、字はまるで子供のままだ。小学生が書いた字のようだ。まさか、タイムスリップレター?
あるはずもないけれど、ドキドキしながら手紙を開ける。
奏本人の字だ!!
彼をよく知る月美が直感で本人直筆だと感じるのだから間違いはない。
緊張マックス状態で手紙を開く。すると――
『月美ちゃんへ 久しぶりだね。ぼくは小学6年生の遠野奏だよ。びっくりしたでしょ? どんな大人になっているだろう? ずっと言えなかったことを手紙に書くよ。ぼくは君が好きだと思っている。きっと大人になって好きの形は変わっても幸せをねがっているよ。いつか伝えたいと思って手紙をかきました。 遠野奏』
小学生の男子にしては丁寧な字体だと思う。6年生の時ならば、まだ明るい彼だったよね。でも、どうやってこの手紙が届いたのだろう? それに未来に向けた文章というような書き方だ。
もう一枚紙が入っている。
『この手紙は6年後の大切な人に送るタイムカプセルプロジェクトです。郵便センターのほうで手紙を預かり、送付しております。差出人の住所が変わっている場合があります。住所が変わっている場合、住人が変わっている場合は郵便センターにお知らせください』
そうか――。奏は私のためにラブレターを書いてくれたのか。大切な人だと思ってくれたのか。目頭が熱くなる。涙が自然とあふれる。ステキなサプライズ――うれしい。
もう一枚、手紙が入っている。赤い紙に黒い文字だ。
『この手紙が届くころ――大きな地震がある。早く高台に逃げて』
その瞬間大きく地鳴りがする。こんな音は初めてだ。大きく視界が揺れる。
地震――!!!
この地域は海沿いだ。高台に逃げるのは津波が来るとき。
でも、今まで我が家は津波の被害に遭ったことはない。
でも、この地震の規模ははじめて――ではない、これはかつて経験した大震災と同じ? それ以上かもしれない。
はやく、避難しないと。
避難道具を持つ。
家を出る。
外出している家族は無事だろうか。
あれ、普段使っている文房具も持ってくればよかったと家に戻ろうとすると――
誰かが手を引っ張る。
もしかして、奏――??
少し離れた場所には、今よりも大人になったであろう姿の青年がいた。
優しい表情で手招きする。
「奏……?」
両足が不自由な様子もなく立っていた。思わず駆けよる。
優しい美しい顔立ちは変わっていない。
死んだ目をしていた奏ではない。
奏は、なぜか逃げる。結構足が速い。息を切らしながら、奏を追いかける。
高台まで来てしまった。あっ、忘れ物を取りに行かなきゃ。
そう思い、振り返ると津波が我が家の近くに到達している。
奏の姿を探す。しかし、いくら探しても、彼の姿はなかった。
手紙を読み返す。しかし、2枚しかない。手紙を1枚だけ落とした記憶はない。
どんなに探しても、3枚目の『この手紙が届くころ――大きな地震がある。早く高台に逃げて』という内容の赤い紙は何度探しても見つからなかった。
奏が助けてくれたの?
ありがとう。大好きな初恋の人。そして、今も大事だよ。
幻の手紙と大人になったであろう幻の青年、奏に助けられたらしい。
突如ねがいやが現れる。相変わらず宙に浮かんでいる。
「実は――未来の奏君から依頼されて、リベンジチャンスを与えたんだ」
ねがいやが説明する。
「2度目に来る大震災のリベンジチャンスを与えてほしい。萩野月美を助けてほしいと頼まれていた」
「じゃあ、奏君はリベンジチャンスを経験したということ?」
「奏君は、過去を修正して現在は元気に生きているよ。あれは、予知手紙というもので、重要なことを書く赤い紙は読んだら消えるようになっている。そして、差出人の今の姿が映されるという幻想的なアイテムさ。君は今の姿の彼を見て助かったのは事実だ」
「私だけでなく、同時に奏君もリベンジしていたの?」
「奏君は、正確に言うと3回リベンジチャンスを使った。1回目の大震災で自身が死なないようにし、2回目で自分が障害を負った事故を回避した。そして、3回目は今の手紙で君を救った」
「二人同時にリベンジすると、結構相乗効果で結果オーライということが多いんだ。君たちは強い愛情で結ばれている。会いに行ってほしい。違った未来が待っているよ。契約満了だ」
にこりと笑う。
「もしかして、もうあなたには会えない?」
一抹の寂しさが漂う。
「そうなるかもな。会えないかもしれないけど。幸せになってほしいと心から願うよ」
「私、少しだけど……あなたのこと、割と好きだったよ」
「ありがとう」
受け入れたかのようにほほ笑むねがいや。
「ありがとう、月美」
その瞬間体が宙に浮いた感じになる。深い深い海の底から水面に向かって這い上がっていく。光がまぶしい。きっと、深い海の底から水辺に顔を出す瞬間はこんな感じかもしれない。
「ひさしぶりだな、月美」
目の前にいるのは健康な体で小学生の頃から、変わっていない笑顔の奏君。
大好きな人が目の前にいる。いないはずの人がいる。ねがいやのことも好きだったけれど、それとは別な感情が沸き上がる。自然と涙が流れる。
「ひさしぶり」
「リベンジチャンス、結構大変だったんだよ」
「あなたもリベンジしたということでいいの?」
「君と俺が頑張ったから、今がある」
「本当はみんなを救いたいよね」
「それは、ねがいやの仕事だろ」
「俺たちはとりあえず与えられた今を生きるんだよ」
ねがいや。もう会えないだろうけれど、彼は今日も誰かにリベンジチャンスを与えているのかもしれない。
湊と月美の髪は風になびく。潮風に向かってこれからに向かう。これから、自宅の片づけなど大変なことがたくさんある。しばらく学校にはいけそうもない。でも、生きている限りリベンジはできる。