花子さんの探し物
この世の中不思議なことばかりだ。なんて、トイレの花子さんに会ったくらいで思っているわけではない。今目の前にあるソレがそう思わせているのだとここで伝えたい。
学校で手に入れたその人形はおじさん顔に華やかな着物という珍妙な出立ちをしており、私は心の底から気味悪く感じ、家に着いた瞬間にゴミ箱へと捨てた。そしたらばその人形が言ったのだ。
「おい。そんなすぐに捨てるな」
と。私は驚きのあまりカバンを落としスリッパも飛ばしながら後退りした。それが大袈裟と言われればそうかもしれない。だが、現にそういう反応が出たことは理解してほしい。
「僕の名前はモクモク。」
ゴミ箱に頭から突っ込んだ人形がもごもごとそう言った。あまりに滑稽な状態に対して笑いが込み上げてくるが、祟りや呪いにかかるかもしれないという考えがよぎり堪えることにした。
「わ、私はメイです……。」
おずおずとそう答えると、間髪入れずに「うるさい。そんなことより早く出さんか!」と怒声が飛んできて私は早々にその人形をゴミ箱からサルベージした。
「ふう。」
身動きひとつ取れないその人形を取り敢えず床に置くと、目だけをぐりんと動かしてこちらを上目遣いで見やった。
「もう一度言う。僕の名前はモクモクだ。」
私はこくりと頷くしかなく、モクモクの次の言葉を待った。だが一向に継ぐ言葉はなく、ただ見つめ合う時間が続いた。
「お前、花子に会ったのか?」
しばらくしてから、ふうとため息をついてからあきれ気味にそう聞いてくる。
私はまたもこくりと頷く。
「で、どうだった?友好的だったか?」
友好的という言葉に引っ掛かりを感じつつもこくりと頷く。モクモクは真実かどうか確かめるようにこちらをジッと見つめ、確認できたのか目をスッと細めた。
「そうか……。僕について何か言っていたか?」
首を横に振る。
モクモクは遠い目をして「そうか。」とだけ言って動かなくなった。
しばらく見ていたが本当に動かず、突いても揺すってみても反応がないので取り敢えずそのまま部屋へと持っていくことにした。
私の頭の中には2つの考えがあった。1つはモクモクと名乗る人形を遠い場所に捨てにいく。2つ目は面白そうだからこのまま不思議の空間に浸かる。怖いことは確かにあったが、実際この非現実的な体験は私にとって新鮮で、魅力的であることには間違いなかった。ここまで評価が高いことに気付いて考えが決まった。
「よろしくね。モクモク……。」
勉強机の上にちょこんと乗せ、私は部屋着に着替えた。
○
私は家のトイレが好きだ。なぜ好きか述べよと言われれば返答に困るが、何というか閉鎖空間と家で使っている芳香剤の香りが好きで落ち着くのだ。用事がなくてもなんとなく入るほどに好きで、そして今もトイレに向かっている。
私がルンルン気分でトイレの扉を開け、中に入って扉を閉めた途端にそこは学校のトイレに変わっていた。
一瞬で気分が冷めたと同時に、よくわからないが瞬間冷凍されるみたいに怖さが滲んできた。
『うぅ……』
上から悲しそうな聞き覚えのある声が聞こえてくる。見上げると案の定そこには花子さんが天井に体操座りで張り付いていた。そのちんまりとした姿に私の中の恐怖は消えた。
「どうしたの?」
一呼吸置いてから声をかけると花子さんはコチラを向いて、『うえーんっ!』と泣きついてきた。じんわりと温かい体に今までの霊に対する考えを一新しなければならないと強く感じた。
私は何が起こったのか花子さんに確認すると、花子さんは涙を拭ながら事情を話した。
時を遡る事2時間前。午後7時。花子さんは誰もいなくなった廊下をお気に入りの風船を持って散歩していたという。すると残っていた教職員を見つけ、花子さんはこう思ったそうだ。『驚かしちゃえ!』。昼間私を驚かしたことで気を良くしていたそうだ。だが現実は違った。思いっきり驚かしたそうだが、教職員は花子さんを無表情で横切って行ったそうで、それに対して怒りを露わにした花子さんは所かまわず走り回り、挙句の果てに風船を無くしたそうだ。そして今に至るという。
「それはそれは……。」
話したことでまた悲しくなってきたのか嗚咽する花子さん。あまりにもいたたまれないその姿に頭を撫でる。
「私で良かったら探すの手伝うよ?」
花子さんの嗚咽が止まり、コチラをクイっと見上げる。昼間もそうだが、なぜか花子さんの目は影になって見えない。だが、目は見えずともスッと通った鼻や小さな口だけでも十分すぎるほどに表情豊かな花子さんなのであまり気にはならない。
『うぅ、ありがとう!』
花子さんはそう言うと私から離れた。そして私の手を取るとトイレから出た。一緒に出た。出たはずだった。
「あ、れ……?花子さん……?」
私は家のトイレの前に出ていた。それもそのはず。元はと言えば自宅のトイレにルンルン気分で入ったのだから。
大きく息を吐き、取り敢えずこんな夜更けに1人で学校へ行くのは怖いのでモクモクを連れて行くことにした。
○
「やっぱ開いてないよね……。」
正面の門は自力で乗り越えられたものの、玄関の扉は当然ながら閉ざされており、なんなら先程から何やら警報ベルが作動している。
『やっと見つけた!』
焦って裏へ回ろうとしていた最中で窓ガラスからぬっと花子さんが出て来た。また泣いたのか若干鼻声だ。
「花子さん、ごめん。入れないみたい……。」
そう言うと花子さんはうつむき私の服の裾をきゅっと握った。
「僕に任せろ。」
2人ではない誰かが言った。
その瞬間だ。花子さんの手に明らかに力が入った。
「早く出してくれ。」
私のリュックの中から聞こえるソレはモクモクの声だった。
リュックからモクモクを取り出すと花子さんが大きく距離を取った。
『何それ……?』
「ごめんね驚かしちゃって。この人形はモクモクって言って、説明すると長くなるから省くけど、喋る人形なの。」
そう言ってモクモクを花子さんに差し出すと花子さんは決して近づくことなくその場から観察していた。
「花子。僕を覚えていないのか?」
そう言ったモクモクに対して花子さんはきょとん顔。首を横に振った。
モクモクは小さく「そうか。」と言った。
「モクモクは花子さんのこと知ってるの?」
私の問いにモクモクは答えなかった。
『で、任せろって言ったけどどうするつもりなの?』
花子さんがそう聞くと、モクモクの体の周りがうっすらと歪んだように見えた。その途端に警報ベルも止まり、窓の鍵がガチャンと音を立てて開いた。その現象に驚いたのは私だけでなく、花子さんも同様に口をあんぐりと開けて静止していた。なんとも奇妙な力に何も言えずにいるとモクモクは目だけでコチラを見た。
「な、なに?」
「いや、これで解決したと言いたいだけだ。」
「……ありがとう」そう言うと満足したのかモクモクはまた動かなくなった。力を使いすぎたのか興味が失せたのか、眠っただけなのか、よくわからないが、取り敢えずモクモクをリュックにしまってから花子さんと一緒に学校の中へと足を踏み入れた。
中は夏だというのに空気はヒンヤリとしていた。当然だが中は暗い。が、外灯がついているおかげでまばらではあるが見通しが効かないほどではなかった。
『じゃあ早速風船を探そ!』
花子さんはそう言って私の袖を引き、職員室、保健室、1年1組……。と、当てもなさそうに名前を呼んでまわっている。
「花子さん。1階でなくしたの?」
花子さんは立ち止まることなく『わからない。』と答えた。そう言われると何も言えない。花子さんにただついていくことにした。
『あ!いた!』
嬉しそうな声を上げた花子さんは私の手を離して理科室へと入っていった。私もそれに続いて理科室の中へと入る。目の前の花子さんは、鼻と歯を見せて笑っているのっぺらぼうの様な風船を大事そうに抱いて喜んでいた。
「よかったね。見つかって。」
そう言うと花子さんはこちらを向いてニカっと笑った。その愛らしい姿に思わず抱きしめたくなる衝動が湧いてきたが、グッと堪えて微笑み返した。
ガチャン。
嫌な音が聞こえた。私は振り返り扉を開こうとした。が、開かない。閉じ込められたのだ。私が扉をガチャガチャとやかましく音を鳴らしていると花子さんがどうしたのと言った様子で寄ってきた。
「扉、開かなくなっちゃってる……。」
『え!?なんで?』
私からの衝撃的な報告に驚く花子さんはすぐさま扉を引いたり押したりするものの結果は変わらず一向に開かない。
『どうして開かなくなっちゃったんだろ……。』
「近くに別の奴がいる。」
いつのまにかリュックから出たのかモクモクが理科室の机の上に立ちそう言った。
「いつの間にでたの。」
その問いには答えずジッと扉の外を見るモクモク。その視線の先を確認するとナニかがいた。
「ヒッ!」
驚き扉から飛び退いた拍子にしりもちをつく。その様子を見て花子さんも確認し、小さな悲鳴をあげた。
扉のガラス越しに鼻の長い、スーツを着たオールバックのおじさんが立っていた。口髭だけでは飽き足らず顎髭も蓄えており、暗闇でもわかる不機嫌そうな顔に怯えてついた尻を持ち上げることができずにいた。するとモクモクがズズズと少し前に動いた。
「天狗。久しぶりだな。相変わらず臆病だな……。お前は僕を覚えているか?」
モクモクの問いに天狗と言われた男は答えない。が、開かなかった扉の鍵が動き、扉が開かれた。のっそりと中に入ってくる天狗はやはり不機嫌そうで、開口一番こう言った。
「誰だてめぇ。臆病呼ばわりする奴は真っ赤にするぞ。」
これが天狗と私の出会いとなった。