ハルト兄弟と田舎貴族 (3/3)
「っぷは――!」
大浴場を上がり、服に着替えて浴場そばの休憩所。その一角で、ハルトが大きく声をあげた。
「いやっ、やはり浴場上がりのミルクは最高だな! こればっかりはエールではなくミルクに限る!」
口元のヒゲを白くしながら、ハルトは上機嫌だ。ぐびぐびと飲み込み、あっさりと瓶一本のミルクを飲み干してしまう。
「っかはー! どうだアゼット、最高だろう? どうもどこかの地方の文化らしいんだが、エールより安いし健康的だってんで人気が出て、いつの間にかここの大浴場での名物になったんだよ」
「ふむ、これは確かになかなか……」
どこの地域でも、汗をかいたら基本はエールだ。運動後のエールが美味いのはアゼットですら知っているし、冒険者ギルド周辺にはその需要を狙った商店も数多い。
だが、アゼットにとって風呂上がりのミルクというのは初めてだった。初めはハルトがそのいかつい風貌で「ミルク3つ」なんて頼んでいる姿に冗談かと思ったものだったが、なるほど、口にしてみて初めてその美味しさに気が付いた。
「ま、といっても兄さんがミルク派なだけで、エール派の人間も多いんですけどね。このギルド、鍛冶工房にドワーフたちがいるんですが、彼らは根っからのエール派なんで、しょちゅう兄さんと言い争いしてますよ」
「おい、ブルーノ! せっかくいい気分なのにあいつらの話なんかするんじゃねえ!」
火照った体に、喉を通してミルクが流し込まれて行く。ハルトの次にブルーノ、最後にアゼットが飲み干して、三人揃って大きく息を吐いた。
「いや、名物と言うだけはある、美味かった。いくらだ?」
「おいおい、バカ言うなよ。奢りに決まってるだろ。銀貨一枚くらい、新人に奢らせてくれや。どうしてもってんなら出世払いで返してくれりゃあいい」
「そうか。悪いな」
「がはは! いいってもんよ! これでお前さんが将来偉くなってくれりゃあ、俺は周りの連中に言ってやれるんだ。『俺はあいつにミルクを奢ってやったんだよ』ってな!」
「それで、アゼットさん。今日はおそらく帰られるんでしょうけど……これからこのギルドに通うことになるんですか?」
「いや、それはまだ分からない。今日はとりあえず自分の剣技が通用することや、冒険者の知識、それに……君たちに会えたことが、なによりの収穫だ」
「臭いこと言ってくれるねえ。まあ田舎貴族上がりだと色々あるってのは俺にも分かる。次また来たら、遠慮なく連絡くれや。お前は見込みがある、色々教えてやるからよ」
「感謝する。冒険者にこのままなるにせよそうでないにしろ、このお礼は必ず」
「新人が細けえこと気にすんなって。それより時間は大丈夫なのか?」
ハルトが窓の外へと目を向ける。外はそろそろ、日が落ち始めていた。
「……ああ、そろそろ帰るよ。二人とも、今日は本当に世話になった。また必ず、会おう」
「おう。待ってるよ。またな」
アゼットが席を立ち、荷物をもって休憩所を後にする。
……と。部屋を出る直前。最後に、と前置きして、アゼットがハルトとブルーノに尋ねた。
「ときに貴殿らは、実家とはうまくやっているのか? 貴族末弟の中には、勘当同然で追い出されるようなこともあると聞くが」
「ん? あー、俺たちの場合は別に冷たくされたわけじゃねえよ。たまには連絡もとってるし、兄貴らからすりゃ、俺らが冒険者として成り上がって大貴族や大商人とツテでもできれば儲けもの、くらいに考えてるんじゃねえかな」
「……ふむ。であればよかった。ではまた、再会の日に」
そう言って今度こそ、アゼットが部屋を後にした。
軽く手を振り見送って、ハルトとブルーノはお互いに顔を見合わせる。
「なんか最後の質問はよく分からんかったが……ま、なかなか骨のある新人に会えて嬉しかったぜ。ああいうのがどんどん増えると、嬉しいやら追い抜かされそうで怖いやらってなあ」
「アゼットさん、自分では田舎貴族って言ってましたけど、たぶんウチよりもいいところの出っぽかったですよね?」
「だろうなあ。まあ冒険者になろうってんだから、伯爵だ侯爵だって家柄ではないだろうが……」
まあ本人が言わないならどうでもいいさ、と呟いて、ハルトが空っぽになったミルクの瓶を見つめる。もう一本飲もうか思案している顔だ。
と。そこに、冒険者ギルドのロビー方面からどたどたと騒がしい足音が聞こえてきた。明らかにアゼットが戻ってきた足音ではない。
「あん? なんだ、珍しい。ギルドマスターじゃねえか。どうした?」
現れたのは、このギルドでギルドマスターと呼ばれている男だった。
ハルトに劣らず筋肉隆々の壮年の男。冒険者上がりであり、普段は冷静沈着なはずの男が、珍しく明らかに取り乱していた。
「おう、ハルトか! ブルーノも!」
「どうしたんです、慌てて?」
「いや……あーっと、ここには居ないか。大浴場……はさすがにないな」
「だからなんだってんだ。誰か探してんのか?」
「いや、いい、知らんでいい! あ、だが、金髪碧眼で見覚えのない青年が居たら、受付まで一報をくれ! いなかったら忘れていい! じゃあな!」
ギルドマスターは休憩所を一通り見回すと、ハルトやブルーノの返事は待たず、またどたどたとした足取りでロビーへと戻っていってしまった。
ぽかん、と二人でその背を見送る。
「……。あの、兄さん。いまの、たぶん……」
「あー、まあそうなんだろうが、別にいいんじゃねえか? あいつは次の予定に向かったんだろうし、用事の相手がギルドマスターだったかどうかは知らんが、そのうち見つかるだろ」
ハルトはそう言った後、少しだけ考えて。
「……よし! やっぱ飲むぞ!」
ギルドマスターの珍しい姿が見られたことを金髪の青年に感謝しながら、ミルクのおかわりを注文することにしたのだった。
〇 〇 〇
――一週間後。北方のグランデンド領、ブルクバルド家の屋敷にて。
その日、ブルクバルド家に一通の封書が届けられた。
早馬の使者が届けたその蜜蝋の刻印は、四翼の不死鳥。
それは、王族のみが使用を許された刻印であり、その封書が第三王子からのものであることがわかったとき、ブルクバルド家の主は己が目を三度疑ったという。
屋敷にいる一族総出で集まりこれを開封すると、中には第三王子の署名付きの借用書が入っていたとのこと。
『我、下記の金額をハルト・ブルクバルドならびにブルーノ・ブルクバルドより借用す。
銀貨 一枚
返済期日 出世次第
以上』
……ブルクバルド家の主が己が目を再度疑ったことは言うまでもなく。
ハルト、ブルーノの両名が実家からの速達便にて詰問を受けることになるのは、もう二週間後のことであった。