ソニアとメリー (1/3)
「冒険者、やめようと思ってるんだよね」
冒険者ギルド1Fにある、広々としたロビー。多くの冒険者が行き交い、またテーブルで談笑する中で、ランクBの魔術師ソニアは、昼間からワインをあおりながら呟いた。
対面に座り、ソニアの話に付き合っている親友のメリーが応じる。
「本気? だってこの前、ようやくミノタウロスを倒して、まだまだやるぞーって言ってたじゃない」
「あの時はそうは言ったけどさあ……」
言いながら、ソニアはワインをもう一口。そのまま注文していたつまみのチーズをかじる。続けるように、メリーも同じワインを口に含んだ。
二人はともに冒険者で、ともに魔術師を生業としている間柄だった。パーティは違うものの、数少ない魔法職ということで大規模クエストのときは行動をともにすることも多く、歳も近いため自然と仲が良くなった。
ランクに関してはソニアがBで、メリーはC。とはいえ実力的な差がさほどあるわけではなく、こうして二人で食事をすることもしばしばだった。
「何かきっかけでもあったの? 冗談で言っているわけではないんでしょ?」
「きっかけっていうか……まあ、私たちもそろそろいい歳じゃない? この生活を続けてたんじゃ、おちおち落ち着くこともできないっていうか」
「ああ、それはまあ……」
ソニアの愚痴ともとれる言葉に、メリーも苦笑いしながら頷く。
冒険者というのは基本的に、どこかに腰を落ち着けて生活するというのは難しい。というのも、遠方に出かけての依頼処理が多いからだ。
洞窟へ出かける、特定の山にしか生えていない薬草を収集しに行く、街から街に移動する商人を護衛する……いずれにしても、数週間単位で地元を離れることも珍しくはない。その日の朝に出掛けて夕方に帰ってこれるような依頼は、それこそ駆け出しレベルがせいぜいだし、依頼があっても手を上げる人間が多いため、足元を見られて極端に依頼料が安くなる。
いつだかどこかの貴族が、「冒険者は船乗りのようだ」と言っていたらしい。
港を出発し、数か月を船の上で過ごし、大漁旗を掲げて帰ってくる。なるほど、良い得て妙ではあった。
「でも冒険者をやめて、何かアテはあるの? なんにせよ、冒険者からはだいぶ収入が落ちちゃうと思うけど」
「んー、その辺はまだ全然。ただねえ……なんというか……」
「……?」
「なんか、最近あんまりやる気がねえ……」
「やる気? パーティとうまくいってないとか?」
「そういうわけでは、ないんだけど」
ソニアは「んー」と言い淀みながら、堅牢性を重視したため上品さのかけらもない、不透明なワイングラスをぐるぐると回す。
わずかながらの香りが漂うも、それらはすぐにギルドに充満する冒険者たちの汗臭さの中へと消えていった。
「メリーこそその辺どうなの。最近は新しいメンツとパーティ組んだりしてるみたいだけど」
「私? 私はまあ、ガツガツに『ランクを上げたい!』ってタイプじゃないから、効率は多少落ちてものんびりやりたいなって思って。前のパーティは、評価してくれたのは嬉しいんだけど、もっと高難易度でガンガン稼ぎたいって感じだったから、自然とね」
「なるほどねえ」
収入に、ランクに、難易度や格差など。一息に冒険者といってもその志向性はさまざまで、誰もが上のランクを目指したいというわけでもない。ランクはDもあれば食うには困らないレベルにはなるため、そこまではなんとか頑張って、それ以降は安全な依頼をこなして日々を食いつなぐ、という冒険者は多い……というより、人数で言えば大半がそうだろう。
特別なヒーローやスーパースターに憧れるのは若いころの話。Sランク冒険者になりたい、と鼻息荒くギルドの門を叩く若者は多いが、それ以上に、他の職業で食いっぱぐれたために仕方なく門を叩いてくる人々も多いのが現状だ。
「ソニアがいいなら、私たちのパーティに来てみる? 余裕のあるパーティだから、一緒に行くこと自体は特に問題ないと思うけど」
「それもアリなのかなあ……」
煮え切らない態度のまま、ソニアがおもむろにチーズを左手で摘まみ上げる。そのまま何事かを呟くと、右手の人差し指からはボッと炎が現れた。充分加熱した後、少しだけ溶けかかったチーズをぱくり。
「ウマい」
「ソニア、好きねソレ」
「これをするために魔術師になったまであるね」
微妙な火加減の魔力コントロールは、それ相応の魔術師でないとできない技だ。続けてソニアは何か言いたげな表情のままメリーにチーズを薦めて見せて、意を汲んだメリーはソニアと同じ方法でチーズを手に取り焙ってみせる。そのままぽい、と自身の口へと放り込んだ。
それを見て、ソニアが満足そうに笑う。
「でも実際、別にゴブリンだのオークだのを焼きたくて魔術師になったわけではないんだよねえ。なんかもう、ずいぶん慣れちゃったけど」
「あら。じゃあ、本当にチーズを焙りたくて?」
「火魔法の繊細な操作を学ぶモチベーションになっていたのは、事実かな」
言いながら、再びチーズをぱくり。
冒険者ギルド内での魔法使用は原則禁止となってはいたが、この程度の魔法なら誰も何も言いはしないのが現状だ。むしろソニアのこの食べ方が一部の冒険者仲間の間で広がり始め、チーズの売り上げが伸びたのではという噂もあるくらいだった。
冒険者ギルド内の食堂から持ってきたチーズの塊。スライスしたものはすべて焙って食べてしまったため、ソニアは手元からナイフを取り出し、もう数枚、チーズを一口サイズに切り分けていく。ナイフが固いチーズの塊にスーッっと入っていくのは、やはりナイフにわずかながらの火魔法を付与しているからだった。
「もう、ソニアは料理人にでもなったほうがいいんじゃないの? 食事用のナイフに火魔法付与なんて、あなた以外に聞いたことないもの」
「ん? んー……料理人って言うかさあ」
ソニアはスライスしたばかりのチーズを焙って、食べながら。
「私、本当は鍛冶師になりたかったんだよね」
「……。え? 鍛冶師? あの、武器や防具を作る?」
「そう、その鍛冶師」
「……初耳なんだけど」
「誰にも言ったこと、なかったからね」
突然の告白に驚くメリーと、対照的になんでもないことのようにワインに手を伸ばすソニア。ぐびっとそれを飲み干して、「うんうん、うまい」なんてもはや何度目ともなる感想を呟く。
「え、じゃあなんで魔術師に……?」
「まー、なりたいものと向いてるものは違った、ってことなんじゃないの。幸い私には魔術の適性がそこそこあって、魔法を使うことが別に苦ではなくて、それがたまたま冒険者って職業に向いてただけって話よ。別によくある話でしょう、そんなの」
「まあ……」
魔術師になりたいのに、適性がなくて剣士にならざるを得なかったとか。
逆に剣士になりたかったけど、むしろ学に長じて商人として大成功しただとか。
そんな話は、それこそ冒険者に限らずとも、世のそこここに転がっている。
「でも、それでランクBまで行っちゃうっていうのは、すごくない?」
「それはまあ、自分でもよほど向いてたんだなとは思ってるよ。謙遜するのも嫌味だしね。でもまあ……だからこそ、もうそろそろ第一戦は退いてもいいかなあって。幸い五体満足だし、お金もだいぶ貯まってるし」
「はー……」
冒険者の引き際というのは、それこそ十人十色、千差万別だ。
そもそも冒険者を辞める理由のうち、10人中9人は「辞めざるを得なかった」人々だ。足を失った、麻痺が残った、目をやられた――そしてもちろん、死亡した、などなど。
ある程度の蓄えを残したうえで、自分から引き際を選択して辞めるということができるだけで、冒険者としては上位数%の部類に入る。これには実力はもちろんだが運も必要で、どんな英傑であろうとも、「まだ大丈夫」「まだ大丈夫」と冒険を繰り返しているうちに、一瞬の油断でぱっと亡くなってしまうのが、残念ながら冒険者というものだった。
『ギャンブルも冒険も、勝っているときに辞めるのが一番難しい』――いつだか、どこかの吟遊詩人が言っていた格言だ。