袖すり合うもギルドの縁 (2/2)
――フローレンスが用意した応接室から、男がゆっくりと出てくる。
時間にすれば十五分ちょっとといったところ。一人の男の生の終わりを語るには短すぎるその時間が、黒い男と新人パーティが語らいに使った時間だった。
男がいましがた退室した応接室、その扉の中からは、なお嗚咽の音が聞こえてくる。
「お疲れ様でした。お話しいただき、ありがとうございました」
応接室の外で待っていたフローレンスが、男をねぎらう。
「構わん。自分から言い出したことだ」
「……亡くなった彼も浮かばれると思います」
気休めの言葉を吐いて、フローレンスが男を見上げる。
鋭い眼光は相変わらず。けれどその中にどこか優しさが見えた気がしたのは、おそらく勘違いではないだろうとフローレンスは思った。
「……こういうことは、よくあるのか?」
「亡くなる方が出たり、プレートが持ち込まれるところまでは比較的。しかし、こうやって縁者に最期をお話しされるというケースはあまりないですね。プレートについては、そもそも息のある間に故人と会えていたということ自体が珍しいですから」
「それはそうだな」
言いながら、男が壁に背を預ける。
外套の中に装備を隠しているのだろう、壁と金属が当たってかちゃりと音が鳴った。
「慕われていたんだな」
「え?」
「亡くなった男だ。今際の際に、自らのことではなくギルドの心配をした奴だ、大したもんだとは思ったが」
「そうですね。慕われていた、というのは間違いないと思います。<<北の森>>付近にいたのも、若手冒険者の安全確保が目的だったのではないかと」
それでも、一歩間違えばこうして死んでしまうのが冒険者という職業だ。
フローレンスも既に男から概略は聞いていた。傷から見て、複数の魔物に奇襲でもされたのだろう、とのことだった。
「……。冒険者というのは、不思議だな。俺たちの周りには、面倒を見た連中にああも泣かれる男はそうはいなかった」
「『冒険者というのは』……? そういえば、どちらのギルドの所属なんですか?」
違和感のある口ぶりに、フローレンスが尋ねる。
男もまた、首を傾げながら応じた。
「どちらのギルド、とは?」
「え? ですから、どこの冒険者ギルドの方なのかなと……ハーベストで登録された方ではないですよね?」
「うん……? ああ……なるほど」
かみ合わない会話に、男が一人で合点する。そうして、答えた。
「俺は冒険者ではない。そう名乗ってもいないはずだが」
「えっ?」
フローレンスが驚いて、改めて男の全身を見る。
外套に、その下の甲冑に、腰に下げている剣。冒険者然とした体躯や態度からも、どう見ても冒険者だと思ったのだが――
「俺は元傭兵だ。冒険者の経験はない」
「あ、傭兵の方でしたか……どうりで」
傭兵、と聞かされて、フローレンスも納得する。
「元、ということは、今は他になにか?」
「いや。傭兵を辞めたのもつい最近で、まだ何をするかは特に考えてはいない。今回の件も、狩りのために森に入ったところで、偶然だった」
狩りでもしていればどのみち食うには困らん、と続けて、ぱしぱしと剣の柄を叩いて見せる。腕に覚えがあるからこその余裕、ということだった。
その様子を見て、特に何か下心があるわけでもなく、フローレンスは思ったことを口にした。
「でしたら、冒険者になったらいかがですか?」
「冒険者……? 俺がか?」
「はい。腕に覚えがあって、旅にも慣れていて、他者を看取り託された遺言を実行するような気概もある。傭兵を辞められた理由が怪我などでなければ、冒険者はとてもよい選択肢だと思いますが……」
「む……冒険者か……」
考えたことがなかった、といった表情で、男の鋭かった眼光が困惑気味のそれに変わる。
「……それは、冒険者ギルドの受付嬢としての意見か?」
「はい、そう捉えてもらって構いません。なんでしたら、さっきまで話していた新人パーティのみなさんにも聞いてみてください。おそらく、彼らはあなたのことを普通にベテラン冒険者だと思っていると思いますよ」
「冒険者、か……」
男はなおも思案する。唐突に示された、男にとっては思いもしなかった選択肢。
……そうしているうち、やがて部屋の中から嗚咽の声は聞こえてこなくなり、件のパーティが部屋から出てきて話は一旦中断となった。
〇 〇 〇
「私は、冒険者ギルドが好きなんです」
泣き腫らした顔で何度もお礼を言ってきた新人パーティを見送って、夕方。赤みがかった夕日の差し始めた冒険者ギルドロビーで、「もう少し話を聞かせてほしい」と言ってきた黒い男の求めに応じて、フローレンスは男とロビーのテーブルを囲んでいた。
「今回の、亡くなった冒険者の方については本当に残念でした。命を懸けた職業である以上、こういった不幸はなくなりません。けれど、そういった不幸と同じくらい、いやそれ以上に、素敵な出来事もたくさんあるのが冒険者ギルドです。私はここが、たくさんの人生と人生が交わう交差点のようなものだと思っています」
「事故も起こるが、よい出会いもある、と?」
「そうです。ここは、日々たくさんの縁が結ばれる場所ですから」
「……」
フローレンスの言葉に、男は周囲を見渡す。
日が落ち始めてもなお、人の絶えない冒険者ギルド。馴染みのパーティを組んでいる連中もいれば、一期一会の臨時パーティを組んでいる冒険者もたくさんいる。
目の前の見ず知らずの人間が、明日の朝には生死を懸けた冒険のパーティメンバーとなるかもしれない場所。すれ違い、袖が触れるだけのことでもあっても、それは偶然ではなく運命神の思し召しによる因縁である――そんな迷信を、旅の途中に耳にしたことを男は思い出す。
「……まあ、言いたいことは分かる。今回の件も、亡くなったという結果は残念だったが、その男と新人パーティの関係性は正直言って羨ましいものではあった。傭兵稼業では、徒党を組んでいる連中もいるが、ああいう関係性にはなりづらい」
二人のテーブルの上には、冒険者ギルドにはある意味では似つかわしくない、少しだけ優雅な紅茶が二杯。フローレンスが選び、男が奢ったものだった。
「……おや、気付いていないんですか」
「なにがだ?」
「その関係性に、あなたはもう登場人物として入っているんですよ。あのパーティの別れ際の表情。師匠のネームプレートを届けた人物に対する尊敬のまなざしが多分に含まれていたこと、本当に気付いていなかったみたいですね?」
「……」
「私たちは受付ですから、冒険者さん同士の間に割っては入れません。けれど、その分一歩引いた視点から、色んな冒険者さんたちの顔がよく見える。臨時パーティのために冒険者さん同士を引き合わせることもありますし、これはと思う人物がいたら冒険者の道を薦めることも当然にあります」
「いま、俺が勧誘を受けているように、か」
「勧誘を受けたがっているようにも見えましたけどね」
「……」
「興味、おありだったんじゃないですか?」
フローレンスが、できるだけ嫌味にならないよう優しく尋ねる。
男は、少しだけ間を空けて答えた。
「……瀕死の男からプレートを持っていってほしいと言われた時、正直何を言っているんだこの男は、と思った。まず助からない傷であっても、それでも治療を求めるのが人の性だろう。けれど男は自身の終わりを受け入れて、心残りがあのプレートだったんだろうな。その一連の出来事で、冒険者というものに興味が沸いたのは事実だ」
「……」
「傭兵時代、周りは国家に対する忠誠も、組織に対する信仰もないような連中ばかりだったからな。だから、そうだな、あの男の死に際が眩しく見えた、というのは確かにあったのだと思う」
「で、実際に彼を慕っていた新人さんたちに接して」
「ああ。……であればなるほど、あんたの言う通りなのかもしれん」
やや自嘲気味に呟いて、男が紅茶を口に含む。
見た目だけは優雅だが、味は場所相応のほどほど品質。それでも、甘い香りでどこか落ち着いていくのは確かだった。
「冒険者になるにはどうすればいい?」
「そうですね。それでしたら週に二回開催されているガイダンスに出席していただいた後、適性検査と実技試験を受けていただいて……」
「そこは仕事調なんだな」
「お仕事ですから」
冗談めいたやりとりに、ようやく男が相好を崩す。
「――交差点、通り過ぎるだけのつもりだったんだが。どうやら俺は、昨日まで自分が思っていた方向とは別の道に行きたいようだ」
「その手助けができたようであれば、何よりです」
「あんたは普段から、こんなことを?」
「交差点の受付ですから。でも、見ていることの方が多いですかね。おこがましく私が口を出さなくても、色んな人が色んな曲がり方をしていきます。それぞれが曲がり角を曲がるその一瞬、わずかな時間を切り抜いて観察することが、私の仕事の唯一の楽しみです」
「……いい趣味をしているな」
「よく言われます」
フローレンスのそんな態度にふっと軽く笑った後、紅茶を飲み干し、男が立ち上がる。
遺留品のほとんどを取り出したため軽くなった鞄を持ち、男は改めて目の前の受付嬢に尋ねた。
「で、次のガイダンスはいつなんだ」
「はい。次回は明日の正午開催となります。お名前を伺っておけば、こちらで参加予約をしておきますが」
「では頼む。俺の名前はエディ、エディ・クロスロード。出身はギルハント地方、特技は剣だ。よろしく頼む」
「エディさんですね、かしこまりました」
男に合わせて、フローレンスも立ち上がる。
「ようこそ冒険者ギルドへ、エディさん。我がギルドでは冒険者の皆様のご活躍とご健勝を、心よりお祈り致しております――」