ヒールの使えない治癒師 (3/4)
エディとセレナが帰還したのは、ほぼ予定通り、一週間後のことだった。
「……これでようやく一息だな」
「おつかれさまです。ギルドの手続きまで、ありがとうございました」
冒険者ギルドロビー。いくつも並べてあるテーブルのうちの一つに、二人は腰掛けていた。
旅立つ前はまだ真新しかった服装も、いまはずいぶんと泥まみれ。一週間の旅、セレナは当然のことながら、慣れたエディとて疲れないというわけではない。
「買取所の方、驚いてましたね」
「……そうだったか?」
「そうでしたよ。Fランクがハイオーク四匹分の素材を持ってきたんですから、そりゃ驚きもします」
「そうか……」
今回仕留めたハイオークは都合四匹。ギルドに持ち込んだ段階で全て素材は綺麗に処理されており、エディはその全てをギルドの買取所に売却した。
買取所の職員はFランクであるエディとセレナを訝しんだものの、素材自体には問題ないと判断したのか、ほぼ相場通りにそれらを買い取った。エディとセレナの配分は、事前の取り決め通り8:2。二割といえど、セレナにとってはかなりの額であることに間違いはない。
「フローレンスさんにもご報告したいですけど、いまは席を外してるみたいですね」
「よくは知らんが、あれでも忙しいんだろう」
懐に余裕が出たため、テーブルの上にはギルドの食堂で買える中では比較的豪勢な食事が並んでいた。
保存食ばかりだった二人にとって、久しぶりのまともな食事。このクラスにもなると食器も専用のものが付属していて、特に最近新調されたというナイフは意匠も切れ味も抜群だとベテラン冒険者の間では話題となっていた。
件のナイフでさっくりと肉を切りつつ、エディはエールを、セレナは水を喉へと流し込む。
狩りに出た当初はエディに対し緊張しっぱなしだったセレナも、一週間も一緒に過ごせばその態度はずいぶんと慣れたものだった。
食事の手が少しだけ中断したところを見計らって、セレナが口を開く。
「……あの」
「なんだ」
「今回のことで、エディさんが『狩りにヒールは要らない』と言った意味が、よく分かりました。最初は、エディさんが強いから、ヒールなんてなくても敵を倒せる、って意味だと思ってたんですが……」
ナイフを眺めながら、セレナが思い返すように呟く。
もちろん、魔物の中でも最弱と呼ばれるスライムを倒すのに、治癒師が不要なのは誰でも分かる。
だが、その時不要となるのは「ヒール」ではなく「治癒師」そのものだ。であれば、エディがあのときわざわざハイオークをターゲットにした意味も通らなくなる。彼は理由があって、ターゲットをスライムではなく、ハイオークにしたのだ。
「……森でも少し言ったが、ヒールというのはその奇跡的で唯一無二な効果とは裏腹に、使用場面は極めて限られていると言っていい。例えば強敵との戦闘中。ヒールというのは片腕が吹っ飛ぶくらいの傷は治してしまえるし、ああ、それを回復できるというのは、ひと時のミスに対する強力な保険となり得るのは間違いない」
「……はい」
「だが、残念ながらその効果は即時とは言い難い。実力が拮抗している相手に対して、一瞬でも片腕に――いや、もっと言えば、強い衝撃で一瞬でも気を失うという状況にでもなってみろ。たとえどんな傷をも治せる治癒師がその場に居ようとも、何をするよりも早く次の瞬間に首を刎ねられるのは目に見えている。ゆえに、ヒールというのは、一時の負傷を即座にカバーできる状態――つまり、少なくとも前衛が二人以上いるパーティでないと強敵相手には機能しない」
「……」
「そしてそもそも、腕一本でも足一本でもいいが、そんな致命傷を負わされるような相手との戦いを、前提になどするものではない。戦争のように、あるいは迷宮のフロアボスのように、その日その時だけのものであればまだ分かる。だが冒険者にとって、戦闘とはすなわち日常だ。ヒールが必要となる可能性のある相手と日常的に対峙する、という状況自体がすでに人として破綻している」
「……。だから、『狩りに』ヒールはいらない、なんですよね」
「そうだ。人である以上、狩りとは常に狩る側でなければならない。ポーションで事足りる以上の深手を想定する必要があること自体、そこはそいつにとって狩場として適正でないということになる」
そう言われて、セレナは昔を思い出す。
セレナのパーティ加入を断り、ヒールの使える治癒師を入れて冒険に出かけて行った冒険者たち。彼ら彼女らは、確かに少し背伸びをしたくて治癒師をパーティに入れていたし、そのおかげで望外の高い成果を持ち帰ってくる場合も確かにあった。
けれどそれと同時に、高い給金や好条件を提示して治癒師をパーティに組み込んだがゆえに、二度とギルドに帰ってこられなくなったパーティも、またあったのだ。彼らはきっと、治癒師をパーティに入れさえしなければ、そんな無謀な挑戦に挑まなかったに違いない。
「確かにヒールは奇跡的だ。あの魔法がなければ死人も増えていたろうし、なにより自然界では決して在り得ない、あの傷がみるみる塞がるさまを目の当たりにすれば、なるほど神の存在を信じたくなる気持ちも分かる。教会が最重要視するということにも異論はない。……だが、それだけだ。神秘的で、奇跡的で、ことさら貴重なスキルだったとしても、何もかもに役立つというわけではない。少なくとも、人が首を刎ねられれば死んでしまう生き物である以上はな」
「……」
「その点あんたは、他の支援系スキルは標準以上に使えたし、三日三晩歩いていても疲れが溜まらず、とっさに敵の攻撃を回避できるだけの体幹もあった。ヒールなんぞより、そっちのほうがよっぽど俺にとっては都合がいい」
「……ありがとうございます」
エディの話に、セレナは食事の手を止めて聞いていた。
治癒師という花形の職業を名乗りながら、ヒールという看板スキルが使えない矛盾。ずっと悩んでいたそのギャップを、けれど目の前のベテラン新人冒険者は、ヒールという魔法こそが矛盾を孕んでいると指摘している。
それは、教会では決して聞けない話だった。ともすれば、異端審問にでもかけられてしまいそうなほど、不敬な意見であるし――だからこそ、セレナはその話に聞き入っていた。