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追い求めていたもの(後):蒔蘿

俺の耳にゴクリと唾を飲み込む音が届いた。だがその音が俺のモノなのか、すぐ横で同じように竹簡を見ている茴香(ういきょう)のものなのか判断ができない。どうやら思考力や判断能力がかなり落ちているようで、目の前にある見た事のない文字の羅列が、まるでぐるぐると螺旋を描いて俺を惑わせようとしているかのようにすら思う。


「何処の言葉だと思う?」


俺の絞り出すような問いかけに茴香は何も答えないまま、奥にまだ残っていた竹簡を全部取り出して文机の上に次々と広げた。やはりそこには同じような文字がびっしりと書かれていたが、俺にも茴香にもその文字に全く心当たりがない。


我が国をはじめとした各国は今でこそ共通の言葉を使ってはいるが、遥か昔は各国でそれぞれ違う言葉を使っていた。王族の嗜みの一つとして、そういった現在は使われていない言葉も俺や茴香は習得しているのだが、その知識をもとにして言えば違う言葉とはいっても実際には発音が違う程度で文字自体は良く似ていたし、単語も読めはしないがなんとなく意味は解るという程度の差でしか無かった。もちろん全ての言葉がそうだった訳ではないが、見た事すらない文字という程の大きな差でなかった事は確かだ。


「解らん……。解らんが、隠すように奥にしまわれていた事が気になる」


合紋(あいもん)の可能性がある……と?

 何処の国が7歳の子供を志能備(しのび)にする?

 それに櫻嬢は赤子の時からずっと此処にいて、

 初めて山を下りたのは先日だと聞いている、ありえない」


各国は表立って認めてはいないが志能備(しのび)という隠密活動をする部隊を持っている。その部隊は任務の性質上、自分たちだけが理解できる言葉を使って情報のやりとりをするのだが、それを俺達は合紋(あいもん)とよんでいた。


「そうだな、俺もそれは無いと思っている。

 何より精霊様が付いておられるのだ、あの子が悪意ある者のはずがない。

 だが、この文字は……この竹簡はどういうことだ?」


その答えを知っている者がここに居ない以上、問いかけは堂々巡りだ。ただ、茴香はあえて考えないようにしているのかもしれないが、志能備どころか余程の悪人でない限り精霊様はちゃんと守護をしてくださっている。精霊様がついているから大丈夫だなんて断言はできない。


「それにあの子が持つ不思議な知識は、精霊様から授かったモノらしい。

 だからもしかしたら俺達が求めている民の命を守る新しい技術が

 此処に書かれている可能性があるのではないか」


少し興奮気味の茴香が求めている民を救う技術、それは俺を含めたヤマト王家代々の悲願ともいえる。無の月はミズホ国やヒノモト国でも飢えや様々な理由で命を落とす国民が増える時期ではあるが、我が国の死亡率は他国に比べて抜きんでていて、死の月という忌々しい異名に相応しく多くの人命が容赦なく奪われる季節だ。いや人だけじゃない、家畜などの経済動物が死んでしまい、生活に困窮する家庭が出る事も珍しくない。


それをどうにかしたくて、代々王家は様々な手を尽くしてきた。例えば居住空間を地下に作るようになったのも、地下の方が地上よりも温かい事に気付いた先祖がそれを証明して政策として実行したからだ。地下に居住地を作るために掘削や排水など別の技術が必要になったりもしたが、その政策のおかげで以前に比べれば死亡者はぐっと減った。……確かに減りはしたのが、我が国の無の月の厳しい寒さはそれでも他国より高い死亡率となって数字に現れる。


今回、二人でここまで来た理由は幾つもあるが、その中の一つに精霊様と対話ができる櫻嬢の存在があった。櫻嬢を通じて精霊様から、人々を寒さや飢えから救う知恵を授かれないかと思ったのだ。その質問を明日こそはと思っていた矢先の事だっただけに、茴香は少し気が逸っているのかもしれない。


一つ大きく深呼吸をして気分を切り替えたのは、茴香とほぼ同時だった。


「明日、あの子の聞こう。そうする事が一番だろう」


「そうだな」


ならば明日こそ早起きをして、俺達と櫻嬢だけで話せる時間と作らねばならない。どうやって自然にそんな状況へ持ち込むかが悩ましいところだが、聞いた話では碧宮家の皆は起床後に軽く鍛錬をしているらしい。櫻嬢も朝は体力をつける為に運動をしているという話しだったので、起床直後かそこで捕まえれば良いだろう。そう決めた俺達は決意を胸に眠りについた。逸る気持ちを抑えながら……。





翌朝。

まだまだ外が真っ暗な中、俺と茴香は櫻嬢を探す為に身支度を整えてから外へと出た。起床直後に櫻嬢を捕まえる事が出来たら良かったのだが、俺達の起床が昨晩の事もあって少し遅れてしまった事が悔やまれる。7歳女児を追いかけまわす成人男性なんて事案が王都で発生したら検非違使が出動する案件だが、幸いにもここには検非違使は居ない。いや、罪を犯す気はサラサラないので検非違使の有無は関係ないのだが、なんとなく後ろめたい気になってしまう。


それというのも、


「本当にあの子とだけ話すのか?

 母親である姫沙羅様や、傍仕えの(つるばみ)が一緒の方が良いのではないか?」


と心配そうに何度も尋ねてくる茴香が横にいるからだ。確かに女性側に付添人が居ない状態で男と会う事は一般的に外聞の良いものではないが、時間がないのだから仕方がない。そう自分に言い聞かせる。


「無理強いはしたくないが、櫻嬢が逃げ込める相手が近くにいては

 素直に話してくれないかもしれないだろう。仕方がないんだ」


櫻嬢は嘘や隠し事が苦手そうな、第一印象通りの素直な良い子だと思う。少なくとも俺が社交界で出会う女性……、そう言葉の駆け引きを日常的に行うような人とは全く違う性質を持っているのは確かだ。母親である姫沙羅様をはじめとした家族から惜しみない愛情を注がれて、まっそぐに育ったのだろう。だからという訳ではないが、真正面から単刀直入に疑問を投げかけて、その時の反応を見てみたかった。


(急な質問に知らぬふりを通すだろうか?

 それとも嘘をついて誤魔化すだろうか?)


幼い子供を問い詰めるような事はしたくないが、茴香も俺もあの見た事のない文字に興味がある。何よりそこに記されているであろう、精霊様のお知恵が気になって仕方がない。この喜びを伴った心が湧きたつような感覚は、兵座(つわものざ)の説明を受けた時と同じ感覚だった。





櫻嬢を見つけたのは、終わりが見えない程に地下深くへと続く階段の入口だった。階段の端には一定間隔で足元を照らす灯りが置いてあるようで、その1つめと地上を往復しているようだ。


「あれで運動になるのか?」


そう首を傾げる茴香に俺も同意しそうになる。だがよく見ると荒い呼吸もさることながら、櫻嬢の視線は足元ばかりを見ていて、その視線の先の足はといえば持ち上げる事すら一苦労といわんばかりにふらついている。その疲労困憊ぷりを見るに、櫻嬢にとっては十分すぎるほどの運動になっているようだ。


「おはよう、随分としんどそうだけど大丈夫かい?」


いきなり声をかけられた事に驚いたのか、櫻嬢はハッと顔を上げると同時に自分の足に躓くという……ある意味とても器用な事をしでかして顔面から地面へ突撃しそうになった。


「危ない!!

 すまない、驚かせてしまったかな?」


咄嗟に櫻嬢の体を両手で掬い上げるようにして助け、そのまま抱きあげて安全な場所へと移動させた。その移動の最中、櫻嬢の髪がサラリと流れるように揺れ動き、その動きに合わせて温泉で使っている石鹸の香りや、花や果物のような香りが俺の鼻をくすぐった。部屋を使わせてもらった時にも思ったが、油でべっとりとした髪やこれでもかと焚きこめられた香よりも、俺は絶対にこちらの方が良いと思う。


「はぁはぁ、だぃ……大丈夫です。

 助け……てくださって、ありがと……ございます」


そうは言うものの、櫻嬢の呼吸はかなり苦しそうだ。鬱金(うこん)から聞いてはいたが、本当に驚くほどに体力が低いようだ。何だか心配になって背中をさすってやると少し恥ずかしそうな笑顔を浮かべながら、もう一度「ありがとうございます」と礼を言われてしまった。



とりあえず櫻嬢の呼吸が落ち着いてからとは思うものの、なんだか切り出しにくい雰囲気だ。どうしたものかと悩んでいたら、救いの手が当の本人から差し伸べられた。


「殿下たちはどうされたのですか?

 ここには殿下が興味を持たれるようなものはありませんが……」


と櫻嬢は不思議そうに俺達を見上げてくる。その顔には全くと言って良い程に負の感情の色はなく、あるのは純粋な疑問や好奇心といった色だけだ。


「あぁ、櫻嬢に聞きたい事があってきたんだ」


「私に聞きたい事ですか??」


「これなんだが、君は読めるのか?」


そう言うや否や、茴香は一つだけ持って来ていた竹簡を櫻嬢の前でバッと広げた。その瞬間の表情を決して見逃すまいと注視していた俺の前で、櫻嬢の表情がサッと変わった。真っ先に浮かんだのは当然といえば当然なんだが、驚きに満ちたものだった。そしてその驚きの表情はすぐさま消えて、次は戸惑うような困惑した表情へと変わっていく。


それらをしっかりと見届けた俺の目の前で、櫻嬢は困ったような表情のまま頷き、


「はい、私は読めます。

 これは私と三太郎さんだけが使う文字なんです。

 でも、その……何が書かれているかは今すぐにはお伝え出来ません。

 まずは三太郎さんに聞いて確認してからでないと……」


と答えた。あぁ、なるほど。何を困る事があるのかと思ったが、精霊様の許可なく内容は教えられないという事を櫻嬢は申し訳なく思っているのか。何かしらお知恵を授かりたいと思っている俺達だが、流石に精霊様が秘密にしなさいと言っている事を無理矢理聞き出す事はできないし、そのつもりもない。そう伝えたら櫻嬢は明らかにホッと安堵した表情になった。


うん、櫻嬢はあまり社交界向きの性格ではなさそうだ。



「何やってんだ、お前ら」


自分の背後からいきなり聞こえてきた声に、心臓が鷲掴みにされたような衝撃を覚えた。歴戦の(つわもの)に比べればまだまだな俺達ではあるが、そう簡単に背後を取られる程に未熟でもない。それがこうも簡単に背後をとられてしまうのだから、精霊様というのは本当に俺達の……人知を超えた存在なのだと思い知らされる。


「ん? あぁ、それを見たのか。

 見たところでお前たちには読めねぇだろうに」


いきなり背後に現れ、茴香の手にある竹簡をチラリとみやったのは火の精霊の桃様だった。正直三精霊様の中でこの方が一番、俺の思い描いていた精霊像とは違う言動をなされる。神の欠片たる精霊様はもっと威厳があって……そう、まさに金様とよばれている土の精霊様のような言動をなさるとばかり思っていたのだが……。


「ここに書かれている事を我らに教えて頂く事はできませんか?」


俺が桃様の言動について思考を巡らせている間に、茴香は目的に向かって一直線に進んでいく。そういうところが茴香らしいとも思うし好ましくも思うが、危なっかしくも感じる。現に桃様もその瞳の奥に剣呑な光を宿らせた。


「何故、知りたい?

 この文字をお前たちが知って如何する?」


と、まるで全身の肌がチリチリと焼けていくかのような威圧が俺達を襲う。それに対し俺達二人は慌てて片膝をついて服従の姿勢をとり、自分たちが常に国民の命を救う為の技術を探し求めている事を伝えると、「チッ」という舌打ちと共に重圧がフッと消えた。それからずかずかと近づいてきたと思ったら、櫻嬢にスポドリと皆が呼んでいる不思議な味の飲み物を渡してから、再び俺達へと振り返った。どうやら櫻嬢の為に飲み物を取りに行っておられたようだ。


「それは此処で作った物の工夫が書かれている。

 だが、それらはお前らにはまだ教えられねぇ」


「あの、もう少し詳しく言うと、

 その竹簡に書かれているのは醤油を作る際の覚書きで、

 他にも竹簡があったと思うだけど、あっちも同じように石鹸だったり

 お酢だったりお酒だったりを作った時に色々と試行錯誤した名残なの。

 だから内容は教えられません、ごめんなさい」


そう言って頭を下げる櫻嬢の説明によると、精霊様から知恵は授かったものの、家族の好みの味だったり出来具合にするには色々と試行錯誤が必要だったそうで、その過程で得られた配合率や工夫などの細かい記録なんだそうだ。


それにしても慌てすぎたのか、櫻嬢の言葉から敬語がかなり消えてしまっている。俺としては別にこれでも構わないので、あとでもっと気楽に話してくれるように伝えておこう。


「なるほど……。先程も申しましたが無理を言うつもりはありません。

 教えてくださってありがとうございます」


悩んでいる俺の横で茴香はそう言うが、俺としてはコレで終わらせたくは無かった。


「櫻嬢もこの文字を書けるのかい?」


という俺の問いかけに彼女はコクンと頷く。


そうか……、櫻嬢はこれを読めるだけでなく書けるのか……。

つまり精霊様が使われる文字「精霊語」は、神の力を使って精霊様だけが書き残せる特殊な文字という訳では決してないという事だ。しかも桃様や櫻嬢が言うには精霊様の全てがこの文字を使っている訳ではなく、櫻嬢と此処に住まわれている三精霊様しか、この文字を使っていないらしい。その稀少さに胸が高鳴る事が抑えられない。


「悪用は絶対に致しませんので、私にもこの精霊様の文字を教えください!

 兵座で集めた禍玉(まがたま)や様々な情報をやりとりする際、

 この文字を使えば機密性が上がり情報漏洩が防げます!」


「なんでそんな面倒な事、俺様がっ!」


桃様に即座に拒否されたうえに、これでもかと嫌な顔をされてしまった。だが、俺も簡単には引き下がれない。



その直後、騒ぎを聞きつけたのか様子を見に来られた金様と浦様にも俺は同様の事を願い出た。二柱の精霊様も最初は渋い顔をされていたのだが、最終的には何とか精霊語を教えて頂けることになった。特に渋い顔をしていたのは桃様だったが、どうやら教える事が面倒だったというだけで、俺達が使う事に関しては特に異存は無いらしく、定期的に金様や浦様が教えてくださるという事が決まった後は、何時もと同じ調子に戻っておられた。


当然ながら幾つかの注意事項はあったし、契約じみた取り引きを話し合う必要はあったのだが、それは精霊様のお知恵を垣間見れる可能性に比べれば些末な事だ。



こうして俺は兵座と精霊語いう人生を彩る「何か」を手に入れたのだった。


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