7歳 -無の月1-
無の月に入ると雪が人力の除雪作業でどうにかなる範囲を越えて積もっていき、それに伴って外で行う作業がどんどんと減っていきました。
複数ある食糧保存庫と家を繋ぐ道は、石鹸作りの副産物である消石灰や日々溜まっていく汚泥灰などを原料としたローマンコンクリートで舗装してあり、その際に水管を埋め込んで熱いお湯を流がせるようにしてあります。なので道には雪が積もらない仕組みになってはいるのですが、その為には「流水」を籠めた深棲璃瑠と「保温」を籠めた火緋色金の霊石が大量に必要でした。特に火緋色金はその時点で持っていた霊石全てを使っても追いつかず、仕方なく本当に必要最低限の範囲だけを融雪道路にしてあります。
そんな訳でこの時期、男性陣は吹雪いていなければ湖まで魚や貝を獲りに行きますが、女性陣は機織りなどを始めとした室内作業ばかりになります。今年はそれらの作業に加えて、殿下を迎える為の準備が増えました。
その例年よりも忙しい一日が始まる朝、母上が食後のお茶を飲みながら、
「二人のお部屋をお客様に貸して差し上げてほしいのだけれど……。
槐と櫻はそれでも良いかしら?」
と私と兄上の顔を順に見て尋ねてきました。
「はい! 僕は大丈夫です。
お部屋もしっかりと片づけておきます」
「私も大丈夫です」
どうやら予想通り、殿下と随身の方には私と兄上の部屋を使ってもらう事になりそうです。
「そういえば、結局どちらが来られるのでしょう?」
朝食の後片付けを終えて、自分のマグを片手に囲炉裏テーブルへと戻ってきた橡がそう尋ねると
「アスカ村周辺を視察するという名目がある以上、
来るのは茴香の方だと思いますよ」
と山吹が答えました。叔父上もそうでしたが、山吹も殿下たちとは小さい頃からの親しい友人関係なので、公私によって口調がかなり違うようです。その返事に橡や母上も得心がいったように頷いて
「だとすると、一緒に来る随身は忍冬かしら」
「一番付き合いが長く、気心が知れているのは彼でしょうから
恐らくそうではないかと……」
なんて話しながら、そのまま懐かしそうな表情で昔話に花を咲かせ始めました。どうやら母上たちは忍冬さんとも顔なじみのようです。
(そうかぁ、忍冬さんが来るのかぁ……)
嬉しそうな母上たちに対し、私は少し気が重くなります。蒔蘿殿下の随身の片喰さんは何時も穏やな笑顔で柔和な印象を受けますが、忍冬さんは何というか……強面という言葉を全身に張り付けたような印象を受ける人です。勿論、言葉遣いは丁寧ですし所作だって片喰さんと同じぐらいに洗練されています。でも、見た目の圧が凄いんですよね……。
「とりあえず歯ブラシや着替えは用意できましたし、食器も余裕があります。
不安でした食料も無事保存食を作り終える事が出来ましたし、
お米も持参してくださるとの事でしたから大丈夫だと思います」
橡が指折り数えながら、必要になりそうな物や気になるところを順にピックアップしていきます。それに対し母上や山吹が返事や提案をして、お互いに情報の共有を進めていくようです。大事ですよね報連相。
ちなみに歯ブラシという言葉は「リンス」や「スポドリ」と同じで、小さい頃の私がやらかしてしまった一つです。房楊枝と歯ブラシでは全く語感が違う上に、この世界ではブラシなんて単語が無いのにも関わらず受け入れられてしまった理由は、三太郎さんとの会話の途中でついポロッと出てしまった為に精霊公認の名称と母上たちが思い込んでしまった所為です。
気を付けてはいたのですが、慣れ親しんだ呼び方は簡単には抜けないという事を、この7年の間に嫌という程に思い知りました……。
そんなふうに毎日色々と忙しく過ごし、無の月に入って10日程過ぎた日の夕方。浦さんから叔父上が戻ってきたようだと知らされて、水力ケーブルカーのある洞窟へと向かいました。予定よりも少し遅い帰還でしたが、例年以上の積雪なので「もしかしたら少し遅くなるかも」と思っていた範囲内の日数ではあります。
洞窟に入ればザァーザァーと流れる水の大きな音にまぎれて、ズズズッと岩の上を何かが擦っているような異音が聞こえてきました。その音が水力ケーブルカーが動いている証拠です。徐々に近づいてくる音に柵に近づいて下を覗き込みたくなりますが、過去にここで有った事を思えば柵には近づきたくありません。前世と合わせて2回も高い所から落ちたのです、もう二度と!絶対に!!落下しそうな場所には近づきたくありません。
ただ山吹や母上、橡は私よりも当然背が高く。わざわざ覗き込まなくても柵の下が見えていたようで……。ある地点から「えっ?!」や「まさか……」という声が漏れ、同時にソワソワとしだしました。そんな母上たちの挙動不審さに首を傾げる私と兄上でしたが、その理由はすぐに判明しました。
徐々にせり上がってきた床には大小さまざまな影がありましたが、真っ先に目に入ったのは荷物を沢山乗せた大きな一頭の馬でした。黒松は長旅から戻ってきたばかりですし、王風も黒松と同じぐらいの老齢です。なのでこの積雪量の中を歩かせるのは負担が大きすぎると判断した叔父上は徒歩で向かったので、殿下が用意した馬だと思われます。
そして羽毛入り外套を着て少々かさ増しされた人影が3つ。それはぐったりと疲れた表情で何度も溜息をつく叔父上と、興味津々といった感じで水力ケーブルカーのあちこちを見て回る茴香殿下と蒔蘿殿下でした。
「茴香殿下、蒔蘿殿下。ようこそお越しくださいました。
……そして、私が言いたい事はお分かりですよね?」
ゴゴゴゴゴゴ……という擬音を背負ったかのような圧を放つ橡を、私は初めて見たかもしれません。叔父上と両殿下の乗った床が定位置でしっかりと止まったのを確認した橡は、ツカツカと歩み寄って恭しくお辞儀をすると前半は丁寧に、後半は更に笑みを深めて挨拶をしました。後ろから見ていても、思わず横にいる兄上にくっついてしまうぐらいに迫力があります。どうやら兄上も同じ心境だったらしく、同様に私にピタッとくっつてきました。もしかすると、大人組の中で一番怒らせたら駄目なのは橡かもしれません。
「待て、橡!
言いたいことは解っている。解っているが、まずはこの床の仕組みを……」
「殿下?」
ニッコリと笑う橡に、水力ケーブルカーに戻ろうとしていた茴香殿下は「ヒュッ」と不思議な音で息を飲むと、慌てて大人しくなりました。
「勿論、橡の言いたい事は解るよ?
でも俺達にだって言い分はあるんだ……けど……」
蒔蘿殿下も随分と焦った表情で、大和で会った時とは別人のようです。あの時は両殿下共に年上に思えたのですが、今は何だか悪戯が見つかった小学生のようです。特に茴香殿下の印象が違いすぎます。茴香殿下は小説にも登場していましたが、私が読んだ範囲での登場は子供の頃のみでした。好奇心が旺盛で珍しい技術に目が無いという表現がされていたように思います。ですが先日出会った茴香殿下は良くも悪くも真面目な堅物で、感情よりも理性を優先する印象を受けたのですが……。
「橡。まずは殿下がたに禊をして頂いて……。
その後、部屋で落ち着いてからお話しをしましょう。
ここでは子供たちもいますから……ね」
母上が大きな溜息を吐いてから橡の肩に手をそっと乗せてとりなし、とりあえず移動する事になりました。洞窟内は風が吹き込まないのでマシではあるのですが、寒いことに変わりはないですから。
「殿下がたも鬱金から聞いているとは思いますが、
ここは精霊様の住まう神域に等しい場所です。
まずは徹底して禊をして頂かなくては、家に入って頂くことができません」
母上はそう言うと、私の手を引いて歩きだしました。そういえば最近は兄上と手を繋ぐ事がほとんどなくなりました。兄上も私も少しずつ大きくなっているんだなぁ……なんて感慨深く思ってしまいます。
ちなみに、お風呂も今では一緒に入っていません。数年前に叔父上たちが無の月の出稼ぎを止めたのを機に、兄上は叔父上や山吹と一緒に入るようになりました。
「山吹も若様や殿下たちと一緒に行ってきなさい。
若様は自分の禊もありますし、
殿下たちお二人を同時に浄めるのは大変でしょうから」
「はい、解りました」
後ろから橡と山吹のそんなやり取りが聞こえつつ、私達は帰路につきました。途中で無の月恒例の超大型氷の滑り台に茴香殿下が目を輝かせていたりもしましたが、流石に空気を呼んだのか蒔蘿殿下が止めたのか、大人しく後ろを付いてきます。暫く歩くと雪が全く積もっていないコンクリ舗装された道に出る訳ですが、その途端に道にも目を輝かせ、川沿いに幾つもある水車小屋に興味津々になり……。正直こんなに落ち着きがない人だとは思いませんでした。
ようやく家の前までたどり着いて、母上が
「荷物は私達で運んでおきますから、殿下がたはあちらへ。
では後程……」
と殿下たちに温泉へ行くように促したのですが、殿下たちは家を見上げたまま固まってしまいました。殿下の住んでいる王宮や大華族の豪邸に比べれば小さいでしょうが、個人宅としては十分すぎるぐらいに大きい家、しかも屋根には何故か雪が全く積もっていないという不思議さも合わせて驚いたようです。
なかなか動かない殿下を、叔父上たちが引っ張るようにして温泉に連れて行く姿を見届けた私は、残った3人と一緒に荷物を土間へと運び入れました。流石に王族だけあって荷物も比較的綺麗ではあるのですが、こっそり殿下たちが温泉に入っている間に「浄水」や「浄火」などで綺麗に出来るものは綺麗にしてしまおうと思います。
漏刻の目盛りが3つと半分程上がる……、つまり3時間半程経ってから叔父上たちは温泉から出てきました。随分と長いお風呂だったなぁと4人を見れば、全員がグッタリと疲れ切った顔をしています。恐らく殿下たちがお湯につかったり頭からお湯をかぶったりする事に、かなり強く抵抗されたのでしょうね。約6年前を思い出すと同時に、あの時の私の苦労を叔父上たちにも理解してもらえたかな?と9割同情、1割スッとした気分になってしまいました。
……一拍おいてから、スッとしてしまって叔父上たちに申し訳ないという気持ちにもなったのですが、あの時は私だって大変だったので大目に見てほしい所です。
「姫沙羅様、ここは……いえ、精霊様の神域だという事は聞いておりましたが、
何もかもが余りにも私の常識から外れていて……」
そう言って力なく座り込んだ茴香殿下でしたが、カッと目を見開くと床に手を当ててから大慌てで立ち上がります。
「床が!! 床が暖かいのですが、これは!!」
そんな茴香殿下の向うでは、蒔蘿殿下が橡からお風呂後定番のスポドリを受け取り、一口飲んだ途端に、
「こ、これはっ!
ほのかに甘く良く冷えた液体がスルリと喉を通る爽やかさ……。
食器も見た事の無い材質と形状で珍しいが、とても使いやすい……」
と、てんやわんやで収拾がつかない状態です。
母上が筆頭ですが、碧宮家の人たちは三太郎さんが絡むと「そういうもの」と納得してしまうのに対し、殿下がたは「何故?」とか「どうやって?」というった疑問が先に湧いてしまうようです。技術開発に定評のあるヤマト国の人なので、そうやって疑問を持って突き詰めて行く事は大事なのでしょうが、できれば今はそういった疑問を後回しにして、落ち着いて座ってほしいところです。
(このままじゃ、いつまで経っても話しが進まないよ……)
そんな思いでいっぱいになって、どうやったら座ってもらえるかと悩みだした時、
「いい加減にせぬか。
我は気が長いほうではあるが、流石に目がに余るぞ」
という、家族の中で一番の低音ボイスが部屋に響いたのでした。




