誓いの子 :沙羅
寝込んでばかりで橡に迷惑をかけ続けていた無の月。
連日のように熱を出し、酷い時には意識が朦朧となり死を意識してしまう程の日々を何とか乗り越え、まだ雪が残ってはいるものの暦のうえでは水の陽月に入って数日。
だというのに
眼前で風に揺れている木々の葉の色はとても濃く、また空の色も降り注ぐ陽の光もまるで火の極日の頃のようです。
「ここ……は……」
ここがとても見知ったあの場所である事は確かで……。
でも決してあの場所ではない事も確かでした。
なぜならこの場所は既に失われた場所。
あの日、炎と血で真っ赤に染め上げられた場所だから。
こんなにも穏やかな光景は、もう二度と見る事が叶わない場所だから……。
思わず目頭が熱くなり、こみあげてくる嗚咽を辛うじて飲み込んだその時、庭の奥から懐かしい声が聞こえてきました。
「よしよし、良い子ね」
小さく聞こえてくるのは赤ん坊の泣き声と、それをあやすかのような優しい女性の声。その声には聞き覚えがありました。そう頭が判断するよりも早く、私の足は動き出します。幾つもの庭木の下を通り、庭とは呼べない自給自足の為の畑の脇をはしたなくも駆け抜けてその先を目指しました。
そこにあるのは父上様と母上様が大好きだった四阿のある小さな庭。宮家の庭の大半を畑にしてしまっても、ここだけは庭として残していた母上様たちのお気に入りの小さな小さな庭。
そこに二つの人影がありました。その姿を認めた途端に視界が滲んでしまいます。
「父上様……は……はうえ……さま」
そう呼びかけると二人は、懐かしい穏やかな笑顔で振り返りました。
「姫沙羅、息災であったか?」
「まぁまぁ、姫沙羅は大きくなっても泣き虫さんね」
あの日に捨てた姫の名。今はただの沙羅と名乗っている私に、父上様も母上様も昔と同じように呼びかけてきます
そんな二人の腕には小さなおくるみが抱かれていました。先程から聞こえていた赤子の泣き声は二人の腕の中、特に母上が抱いている方の赤子の声のようです。抱いている角度などから顔を見る事はできませんが、特徴ある泣き方や身体の大きさなどから生まれたばかりの赤子な事が解ります。
私の視線が自分たちの抱いている赤子に向いたのが解ったのでしょうか……。
母上様が
「この子はちゃんと次の世へと送り出すわ、安心してね」
と優しくおくるみの上からトントンと背をたたいて赤子をあやします。その言葉で不意に悟りました、母上が抱いている赤子が私が生んであげられなかったあの子であると。
「母上様、その子は……その子は私の……」
そう言いながら腕を伸ばす私に母上の表情が曇ってしまいました。
「ごめんなさい。あの日、貴方たちを守ってあげられなくて」
「そのような事はありません!」
謝る母上様の言葉を遮るようにして叫びます。謝るべきは母上様たちではなく……
「私が、私が天女としての定めから逃れようとしたから……」
私が“天女”と判明したのは精霊確定の儀でもある十三詣りの時の事。それまでは碧宮家は父上の代で終わるからと、ほぼ全ての事柄において華族の様式ではなく町人に近い生活を送ってきたのです。学があった方が職に就きやすい為、様々な事を学ぶことはできましたが、他の宮家の姫様方が学ぶような華族特有の礼儀作法などは必要最低限のみで、殆ど学ぶことがありませんでした。
それが十三詣りを境にして一変してしまったのです。父上様たちも戸惑った事でしょうが、私とて戸惑いました。いきなり今までお会いしたこともないような公達から文が幾つも届き、贈り物も相次ぎました。どうしたら良いのかわからず、乳母子の浅沙と二人で途方に暮れた覚えがあります。
ただ、この変化など可愛らしいものである事を後ほど思い知る事となります。
東宮妃として召し上げるという帝の御言宣によって。
「そうではない、私の力が及ばなかったのだ。
お前と令法を守る為に方々に根回しし、手を打ってはいたのだ。
ただ、それが足りなかった……」
父上様は苦渋に満ちた表情でそう仰られますが、その父上様がとても仲が良かったヤマト国の王太子殿下に内々に話を通しておいてくださったおかげで、幼い槐をかかえて無の月をあても無く逃げ回らずに済んだのです。感謝こそあれ、父上様を責める気持ちは欠片もありません。
「アレは野盗ではありませんでした。
明確な悪意を持って私達を滅ぼしに来た敵です。
私達の力が及ばず、椚や浅沙の家族にも申し訳ない事をしました」
あの時、命を落としたのは父上様と母上様だけではありません。浅沙とその夫、そして二人の間に生まれた槐と同い年の子供までもがあの業火に焼かれてしまったのです。椚は橡の夫ですが彼の行方は今も解りません。
「浅沙たちは……?」
「家族揃って既に次の世へと旅立った。
お前たちの事をとても気にかけていたが、
ここに残るよりも、次の世で幸せになってほしくてな」
「そうですか……」
もし会えるのならば巻き込んでしまった事を謝りたいと思っていたので、会えない事が残念で仕方がありません。ですが、同時に何より安堵しました。家族みんなで次の世へと旅立てたのなら、また次の世でも彼らは家族のような近しい関係となれる事でしょう。
どうか次の世では笑顔で天寿を全うし、幸せであるように……
心よりの願いを籠めて祈ります。
「姫沙羅、私達もあまり時間が無いの」
祈り終えた私に母上様が辛そうに声をかけてきました。母上様たちも次の世へと向かわれるのかもしれません。
「母上様、最後にその子を抱かせてください。私の子を……」
そう言って両手で母上様が抱いていた赤子を受け取ります。
せめて我が子の顔を……と思うのに、おくるみの中はぼんやりと光る何かがあるだけで人の姿はありませんでした。ただ確かなぬくもりがそこにはありました。
「ごめんなさい……。守ってあげられなくて……」
そう我が子に呟いた時、先程母上様たちが私に謝った気持ちが解りました。
道理や理屈ではないのですね、父上様。
ただただ申し訳ないと思ってしまうものなのですね、母上様。
「この子に名前をつけてあげても大丈夫でしょうか?」
そうお二人に尋ねたら、少し難しい顔をされました。
「この子は既に次の世へと向かいつつある。
にもかかわらず名を付けてしまえば枷となる可能性があるやもしれん」
「ですが姫沙羅の気持ちも解ります……。
なので、この世で使われる事のない名前ならば良いのではありませんか?
あくまでも母である姫沙羅が祈る対象を明確にするための名ならば……」
「戒名のようなものか」
父上様と母上様が相談されている「戒名」というものを私は知りませんが、ようは私が祈る為の普通は使われる事のない名前ならば良いのではないか……という事は理解できました。
時間がありません、急いで庭をぐるりと見回します。
確かにこの小さな庭は畑にこそなっていませんが、植えられている木々は全て果樹を始めとした実が食べられる物ばかりです。その中に火の陽月の頃に赤い実をつける木がありました。本来なら白い花が咲いている時期のはずなのですが、ここではなぜか既に実すらも終わっているその木「山桜桃梅」
この木は十数代前の帝が大変好み、愛した言われている木です。何でも桜も桃も梅も全て合わせてもこれには叶わないと、もともとあった由須良梅という字を廃し、山桜桃梅という名を与えたと言われています。
帝が御自ら名付けられた為、この花を名前に使う事は不敬とされて今では誰も名前には使いません。だからこそ私が心の中でただ祈る為の名には相応しいかもしれません。何せ名前として口に出してしまえば不敬ですから……。
「では山桜桃梅と……。
私はこれから白い花を見ても赤い実を見てもあなたの事を思うわ。
どうか、次の世では元気に……笑顔で……大切な人と一緒の時間を……
何より幸せでありますように……」
名付けた我が子を今一度強く抱きしめてから母上に渡しました。そこでふと気になったのが父上様が抱いている子供です。
「父上様が抱いているその赤子は……?」
そう言うと父上様が私へと赤子を渡してきました。山桜桃梅が包まれているおくるみと同じようなおくるみの中には桜の枝が一振りあるのみ。なのに不思議な事に赤子と同じ重さ、温もりがあります。
「これ……は?」
「私達の家族ですよ。
旦那様、私、姫沙羅、令法、槐、山桜桃梅……
そしてこの子も私達の家族です」
「我が子らよ、どうか息災で暮らせ。
令法だけでなく、橡や山吹とも力を合わせて仲良くやっていくのだぞ」
二人の声が急速に遠ざかって行く事に驚いて顔をあげれば、既に二人の姿は朧気となり、消えそうになっていました。
「その子を大切になさい。その子は貴女の助けを必要としています。
ですがそれ以上にその子は貴女たちの助けとなる事でしょう」
「ゆめゆめ忘れる出ないぞ、我ら親は子の幸せを願っているという事を。
そしてこの子、山桜桃梅もまた親の幸せを願っている。
お前たち、家族全ての幸せを……な」
「貴女たちの幸せが、私達の幸せなのです。
どうか……元気で、笑顔で、大切な人と生きる幸せを……願っています」
私が山桜桃梅へと願う事を、父上様と母上様は私に願ってくれている……。勿論私だけではなく令法や槐を始めとした家族に向けての願いである事は解っています。だから私は……
「任せてください……。
どうか父上様も母上様もご心配なさらないで。
私は 私の家族は みな元気に、笑顔で、幸せになってみせます」
「そうであるならば、我らもまた幸せだ」
「息災で……ね」
そう言って二人の姿が消えたと同時に、私は硬い床の上で目を覚ましたのでした。
そんな夢を見た翌日。
私の元に桜の花びらと共に赤子がやってきました。
あぁ、この子は誓いの子。
父上様たちや、次の世へと旅立った我が子の山桜桃梅への誓いの子が私の元へとやってきたのだと理解しました。
ならば母上様が仰ったようにこの子も我が家族であり我が子。次は決してその手を放さず、槐の妹として共に健やかに幸せであれと願い、育てていきましょう。
それが私の幸せであり、父上様や母上様、山桜桃梅の幸せに繋がるのですから。




