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16歳 -無の月10-

「う……そ でしょ……」


精霊は嘘をつかない。それは百も承知していますが、それでもそう呟かずにはいられません。浦さんの言葉通りだとしたら、眼の前の巨大な水の妖(べとべとさん)のサイズは見えている部分の何十倍どころか、ヘタをすれば数百倍以上の大きさがあるって事になります。


前世では「氷山の一角」という、見えている部分は全体像のほんの一部にすぎないという事を表す言葉がありました。氷山は海上には10%程しか出しておらず、その大部分が海中に隠れていることからそう言われるようになったそうなのですが、もし氷山がこの巨大べとべとさんを見たら、自分が代表のように扱われる恥ずかしさに溶けてしまうんじゃないかと思うぐらいの割合です。


(この世界の物って、なんで何もかも大きいのよ!!)


本当に何度も何度も、この世界に来てから同じことを思いました。

いっそ気絶したいと思うほどに視界に入れたくなかった土蜘蛛もそうでしたし、林檎や毛美(もみ)や馬といった動植物、貝や魚といった水産物も巨大でした。何だったら一番身近な人間だって私の基準だと全て大きく、この世界のファンタジー要素の大部分はサイズに割り振られているんじゃないかと思うぐらいです。


<流石にその大きさはまずいな……>


攻撃を控えて距離を取っていた桃さんがそう心話でつぶやきます。今のように見えている一点に対して攻撃して有利に戦えていたとしても、私達の背後を突くようにして同一個体のべとべとさんが現れる可能性が高く。


それに私は当然ながら、緋桐さんですらアレには対抗できません。剣がろくに効かない上に運良くダメージを与えられたとしても、そこから中にあると思われる溶解液が噴出するでしょうし、それを浴びてしまえば一巻の終わりです。あの時、引きずり込まれてしまった青藍と同じ部族と思われる男の人と同じように……。


いっそ一気に浦さんに浄化してもらいたいところですが、それが出来るのなら最初から浦さんだってそうしているはずです。それをしていないってことは見た目のサイズの時点で既に大きすぎたのか、或いは穢れすぎていて一度に浄化できないから桃さんに千切ってもらって、その都度浄化していた……ってところなのでしょう。


ならば私が取るべき最善の選択は、逃げ遅れた青藍の部族の人が居たらその人達を助けつつ私達も逃げる事です。そうと決まれば……


「み「退却しましょう!!」


私が「みんな」と声をあげたのとほぼ同時に、緋桐さんが声をあげました。その声に、そして何より内容に、私は直ぐ側にいた緋桐さんの顔を見上げて凝視してしまいます。ヒノモト国の武人にとって敵を前にしての退却は惰弱の極みであり、とても不名誉なことなんだと以前に聞いた事があります。逃走じゃなくて撤退ですら不名誉なのです。そんな価値観の中で育った緋桐さんが、自ら退却を提案したことに驚いてしまいました。


そんな私の様子に気づいた緋桐さんは、


「確かに俺は骨の髄までヒノモト国の武人だが、

 同時に櫻嬢が大切に思っている事は俺も大切にしたいと思っている。

 ただそれだけだよ」


そう言いながら私に向かって微笑むと、一度目を伏せてからキッと敵を見据えました。その横顔にドキッとしてしまいます。


(こ、これが吊り橋効果ってやつかぁ……)


こんな時に……と思いますが、逆にこんな緊迫した事態だからこそ吊り橋効果が発動してしまったのでしょう。なので先程のドキッは勘違いだと冷静に自分に言い聞かせて、眼の前の事に意識を集中させます。


敵はこちらからの攻撃が止んだ事で余裕ができたのか、迫ってくるスピードが徐々に上がってきています。ただ最初の時と比べると動きにムラがあり、先ほど放った爆炎×2や三太郎さんの攻撃はちゃんと効いているようです。


「櫻嬢、走れるか?」


龍さんから青藍を受け取った緋桐さんは、右手に剣を左手で青藍を抱えて戻ってきました。


「もちろん、大丈夫です!」


先ほどの爆発のあまりの激しさに膝が少し震えていたのですが、それは無かったことにして力いっぱい頷きます。三太郎さんと龍さんには巨大べとべとさんへの対処に極力専念してほしいですし、青藍が走るよりは私のほうが流石に速く。なので青藍を緋桐さんに任せて、私は全力で走るというのが一番良い割り振りです。


「よし。背後は俺が必ず守るから、前だけ警戒して進んでくれ」


「はい! 龍さん、緋桐さんと一緒に後退してください!

 金さんと浦さんと桃さんも退却で! 攻撃はしないで防御に専念して!」


ヒノモト国ではたくさんの兵士を率いた経験のある緋桐さんですが、流石に精霊さん相手だと「畏れ多い」と言って指示をしてくれません。なので私の方から三太郎さんたちにお願いする事にしました。文字通り指示じゃなくてお願いなのは、私に戦闘経験が無いことに加え、最終的な判断は三太郎さんたち任せだからです。


私にとっての最善が、三太郎さんにとっての最善と同じとは限りません。

でも例え違ったとしても、三太郎さんが私にとって害となるような選択は決して選ばないという、揺るぎない信頼があるのです。


<退却するのは良いが、アレはいずれ倒さねばならぬぞ>


撤退を開始した私達の後方で、敵からの攻撃を防いでくれたり足止めを請け負ってくれている金さんから心話が届きます。


<確かにそうなんだけどね、時と場所は選びたい>


今は全くその面影が残っていませんが、水の神座(かむくら)と呼ばれていたこの付近は本来なら綺麗な水と精霊力に満ちた土地です。そんな大切な場所が妖に占拠されて穢されたままでは、浦さんも心穏やかでは無いはず。それにあの妖を浄化して精霊力へと戻してから吸収すれば、浦さんの霊力が劇的に上がります。叔父上の復活には三太郎さんの大幅パワーアップが必須なので、あの大妖もいずれは倒さなくてはなりません。


ですが、今は無理です。

せめて青藍だけでも安全な場所へと送り届けてからじゃないと、危険すぎて敵に挑めません。私が危険な目にあうのは覚悟の上ですし、緋桐さんは私より強い上に自分で判断の出来る大人ですが、青藍は違います。周囲の大人が守ってあげないといけない子供です。ですから先ほど遭遇した青い肌の人を追いかけて青藍の保護を頼むか、確実に安全だと思える場所を見つけて、青藍の安全を確保したいのです。


<桃さん、お願い! 私の近くに来て>


敵から距離をとって様子を見ていた桃さんに心話で声をかけ、私の横へと来てもらいました。そのまま桃さんに抱き上げてもらえば一気に逃走速度を上げる事ができるのですが、万が一にそなえて桃さんには身軽でいてもらわねばなりません。なのであくまでも並走してもらうだけです。


なにせ私の頭上に明かりはあるものの、その明かりが届かない場所は私の目では全くと言って良い程に見えません。気配を察知するなんて武術の達人みたいなこともできませんし、「発光」の霊石もあと1つしかありません。


そんな中でも取れる手段は幾つかありますが、一番リスクが低くて簡単なのは桃さんに横にいてもらう事です。何より敵が回り込んでいたとしても、桃さんが一緒にいれば安心です。





どれだけ走ったのか分からないぐらい、暗い峡谷の底を走り続けました。呼吸は荒く足も限界を訴えていますが、足手まといになりたくない一心で足を前へ前へと運びます。無の月だというのに汗だくで、冷たいスポドリを一気に飲み干したいぐらいに喉がカラカラです。


「こ、ここまで、きたら だい じょーぶ かな?」


言葉が呼吸で寸断されながらも何とかそれだけ伝えると、私は後ろを振り返りました。そこには当然ながら青藍を抱えた緋桐さんや龍さんがいて、更にその後ろには金さんと浦さんがいます。


金さんたちの足止めのおかげで敵との距離がかなり稼げたようで、今では巨大べとべとさんは私の頭上から照らされている明かりのサークルの中にはいません。それどころか妖が動けばお腹の下にあった発光の霊石も一緒に移動していたのですが、その明かりが遠く離れたところにポツン見えて、ゆっくりと右往左往しているところをみると私達を見失ったのかもしれません。


(良かった。みんな、怪我一つ無い)


そう安堵したとき、視界の端で何かが動きました。慌ててそちらへ顔を向け暗い向こう側を目を凝らして見つめます。するとそこには峡谷の壁があったのですが、その壁には高さ3~4m程の裂け目があり、その向こう側を人が走り抜けていきます。暗くてはっきりとは見えませんでしたが、明らかに人の形をしたものが数体、横切っていったのです。


「あそこに人がいる!」


ようやく息が整ってきたこのタイミングで、再び走り出すのは足がとても重く感じられて大変ですが、この暗い地底では一度見失ったら再発見は困難です。なので気合を入れて走り出します。裂け目の幅はそれほど広くありませんがそれでも2mはあるので、何の支障もなく通り抜けられそうです。


いきなり壁に向かって走り出した私にみんなは驚いたようですが、その1拍後


「駄目だ!!」


と緋桐さんが叫ぶと同時に私へと腕を伸ばし、


「櫻、いけません!!!」


と今まで聞いたことがないぐらいの大声を浦さんがあげました。そのあまりの緊迫感に「えっ?!」と一声上げて顔だけ振り返る私ですが、すでに勢いが付いている上に足は全く踏ん張れず止まることはできません。それどころか足元が泥濘んでいることに加え、急に振り返ったせいで足を滑らせて体勢を大きく崩してしまいました。


その時、まるで待っていたかのように壁の裂け目から一気に何かが飛び出してきました。


「ヒッ?!!!」


それは青い肌の人を捕まえたあの触手で、それが一斉に私に向かってきたのです。そのうちの1本が私の足首にぐるりと巻き付き、信じられない力で引っ張っていきます。


(何で?!!)


たんなる裂け目だと思ったソレは、引きずられて近づくにつれてただの裂け目ではないことが解りました。


私が見つけた裂け目は、みっちりとわずかの隙間もなく巨大べとべとさんが詰まった裂け目だったのです。敵は体の透明度の高さと周囲の暗さを利用し、骨片などが何も浮いていない身体部分を使うことで、何の変哲もない裂け目だと錯覚させていたのです。


「しゃーーーら!!!!」


青藍が可愛らしい目をまんまるに見開いて、私へと手を伸ばします。それに応えてあげたいところですが、今は私の足に絡みつく触手を外すほうが先です。ところがその腕にも触手がからみつき、更に私を引きずろうとしてきます。


脳裏を先程の男性の成れの果てが過ぎり、


「やだ、やだやだやだっ!!!!」


と必死に手足を暴れさすのですが、そんな事では触手は外れるどころか緩んですらくれません。


「櫻!」


涙目になった私の視界に、サッと入ってきたのは桃さんでした。桃さんは私を左手で抱えると、右手に火の精霊力を集中させて触手を握り一気に焼き潰します。途端に周囲にはジュワッというあまり耳にしたくない音と、不快極まりない臭いが充満しました。


そうして私に絡む触手を焼き切ると、私を一番近くに居た緋桐さんへと放り投げました。それには緋桐さんも驚いたようですが、難なく私を受け止めると即座に背後に庇ってくれます。


「桃さん?!」


ふと見れば桃さんにも触手が絡んでいて、それも私の比ではない太さと多さです。おそらく私は食料なのに対し、桃さんは明確な敵だと認定されたのかもしれません。このままでは桃さんが大変なことになります。


「桃さん、実体化解いて私の中へ戻って!!」


その言葉に桃さんは「あっ!」という短い声をあげ、今気づいたという表情をしてから視界から消えました。そして次の瞬間には私の中に温かい霊力が戻ります。


(良かった……)


「いや、良くないわ……」


桃さんが助かったことに良かったと胸を撫で下ろしましたが、この僅かな間に私達が通ってきた道も、この先進む予定だった道も全て巨大べとべとさんによって塞がれていました。まだ距離はありますが、逃げ道はありません。


「ごめん、やらかした」


「気づくのが遅れた我らの責でもある」


「そうですね。おそらく先程貴女が見たのは、妖が見せた幻。

 正確には「水鏡」という何処かの水に写っている景色を映し出す技能でしょう」


「へぇ、そんな技能があるんだ。

 島に居た頃に知ってたら、その情報はもっと嬉しかったんだろうけど……」


ジリジリと寄ってくる妖に、そんな会話をしつつも全員が背中合わせになります。


「しゃ、しゃーーら、しゃーらぁ」


べそべそと泣き出してしまった青藍を緋桐さんから受け取り、ぎゅぅっっと抱きしめてから背中をぽんぽんと撫でます。


絶体絶命。


緋桐さんの顔にもそんな表情が浮かびます。


でも私は諦めるつもりはありませんし、絶体絶命のつもりもありません。


「桃さん、そろそろ出てきて!

 そして私たちを中心に円状に炎の壁を作って敵を牽制して!

 金さん、できるだけ強固な壁と余力があれば攻撃を!!

 浦さん、桃さんとは逆に私の中に戻って、常時回復しつつ全力浄水で!」


そう私が指示を出すのと、ほぼ同時に敵は一気に襲いかかってきました。それは地上だけでなく頭上からも行われましたが、それは予想していました。


「龍さん! 上に来る敵を風で押し戻して!!

 それから火を使うから常に新しい風をここへ!」


その私の指示に龍さんはニヤリと笑うと、


「了解じゃっ!」


という声と同時に、周囲から強風が吹き荒れます。髪や服の流れ方から見るに、どうやらはるか上空から新鮮な空気を此処まで下ろす中央部と、敵を外にはじき出す外縁部の風の筒を作り上げたようです。


「根比べなら絶対に負けないから!!」


それは私が巨大べとべとさんの獅子身中の虫となった瞬間でした。


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