16歳 -火の陰月3-
ぼんやりとした脳内に誰かの苛立たしげな声が浮かび上がってきました。聞こえてきたというよりは、本当に心に浮かび上がってきたかのような感覚。すっかり違和感を感じなくなってしまったこの感覚は、起床時に身体の覚醒よりも先に意識がゆっくりと覚醒していくことで生まれるものです。
(あぁ、そろそろ朝かぁ)
この朝の目覚めの前のまどろみの時間は、精神世界で三太郎さんと今日一日の打ち合わせをしたり、食べたい物のリクエストを受け付けたりする時間なのですが、なんだか今日は様子がおかしく……。
(桃さん、なんだか怒ってる? どうしたんだろう??
もしかして私ってば寝坊しちゃったの?!)
ぐんぐんと明確になっていく意識が、今日は皐月姫殿下相手にソーラークッカーをお披露目する予定があったことを思い出させました。
「ごめん、寝過ごした?! 今日は予定いっぱいなのに!
本当にごめん、今直ぐ起きるね」
周囲を見回す時間すら惜しいと言わんばかりにそれだけを言い切ると、慌てて今度は身体を覚醒させるべく毎朝恒例の気合入れをしました。
「ご飯のリクエストはあとで聞くから!
じゃぁ、今日も一日頑張って……」
「「待て!!!」」
頑張っていこう!って言う気合い入れのルーチンを大声で阻止され、しかも両側から桃さんと金さんにがっしり抑え込まれてしまいました。突然のことに驚きすぎて心臓がバクバクしてしまいます。
「な、何?!」
「何?じゃねぇだろ!
寝ぼけてんじゃねぇぞ!!」
「櫻、よく思い出すが良い。
そなたは眠っていたのではなく、襲われて気を失っていたのだぞ!」
「は?」
…………
…………………
お・も・い・だ・し・たぁぁあああああ!!!!
「ちょ、アレ、何だったの?
誰が私を殴ったの??」
「殴ったってよりは剣の柄か鞘でゴンッ!……だと思うぞ。
剣を抜く音は聞こえなかったが、鞘を握りなおすような音は聞こえたからな」
「アレは打ちどころが悪ければ命に関わったな」
よくフィクション作品で首筋トンッとか後頭部ゴンッってやって気を失わせるシーンってありますが、実際には命の危険を伴う行為です。絶対に駄目なやつです。
「それって私が死んでもOKって思ってる人が襲ったってことだよね?」
「そういうことだな」
「お前の中にいる間は、お前の目や耳を通してしか外部の情報を得られないから
相手の顔は解らねぇが……、襲った奴らのうち一人はあの大団扇の女だ」
「まじか……」
衝撃的な事実を突きつけられ、言葉遣いを取り繕う間もなく気持ちがこぼれ落ちます。何度か目が合った時に睨まれたような気がしないでもなかったのですが、それはヒノモト国人の風貌が良く言えば凛々しく、悪く言えばきつい顔つきの人が多いからだと思っていました。
あと私自身も気まずく思ってはいたのですが、皐月姫殿下に対して気安い口調で接する私を許せない女官さんは確実に居たと思うので、それ関係だと思っていました。
でもソレだけで殴って気を失わせる程に恨まれるの??
「だが……」
桃さんの情報に修正を加えたのは金さんでした。
「その女官だが、しきりにお前を殴ったと思われる兵士の男に確認をしていた。
この娘が本当に我が国の害悪となる娘なのか?
王族を騙している国賊なのか?……とな。
その言葉から察するに、女官自身も誰かに嘘を吹き込まれた可能性がある」
「王族を騙す??
ソーラークッカーで今までより格段に味の良い塩を作ってみせたのに?
それどころかお魚だって焼いて見せたのに?」
確かに熱砂の海に集まった文官たちの中には、
「太陽の光で湯を沸かす?
君たちの夢物語につきあわされる我らの身になってほしいものだ」
「まったくです。
そもそもこの時期の熱砂の海に来るなんて馬鹿のすることですよ」
「もしかして君たちの頭は既に茹だっているんじゃないか?」
なんて悪口を言う人もいました。まぁ陰でコソコソいうのではなく、面と向かって言うだけマシだとは思うのですが、ストレスだったことに違いはありません。
この国では武官と文官では明確に武官が上なので、文官たちはここぞとばかりに小さなことでマウントを取ってきます。パワハラで労働基準監督署に訴えてやりたいぐらいですが、この世界にはそんな役所はありませんし、同行していた皐月姫殿下や東宮妃牡丹様に訴える訳にもいきません。それをすれば確実に皐月姫殿下は私の味方をしてくれるでしょうが、さらなる反発を招く事は確実です。なのでイラッとした感情をぐっと堪えるしかありません。
ただ上手に隠したつもりでも叔父上にはお見通しだったようで、文官たちから見えないところで背中を優しくポンポンと叩かれ、
「大丈夫だから落ち着きなさい。
結果を見れば彼らは何も言えなくなるのだから」
と小さな声でフォローしてくれました。そのうえで文官の相手は自分の仕事だからと私と兄上を遠ざけてくれたりもして……。もちろん慣習的に16歳の私や19歳の兄上がその場に居ることのほうがおかしいのですが、できるだけ早くに遠ざけて皐月姫殿下の元に向かわせてくれたのは叔父上の優しさだと思っています。
そこまで考えてから、あることに思い至りました。
「ぁーー、いや、でも……騙していないとは言い切れないのか……。
緋桐殿下の想い人なんて大嘘をついているんだから」
ソーラークッカーや塩作り、更には小火宴で提供した様々な品物には一切の嘘はありませんが、別件で大嘘をついていた事を思い出しました。
ただ緋桐殿下自身を騙しているわけではなく、彼と私達の利害が一致したからこその大嘘なのですが、腹違いの兄の梯梧殿下や腹違いの妹の皐月姫殿下からすれば騙されたと思うのも仕方がありません。
となると襲撃は梯梧殿下か皐月姫殿下の指示?
そうは思えないんだけどなぁ……。
そんなことを桃さんと話していたら、金さんが
「もう1人、明確にそなたに敵意を持つ者が居るであろう」
「……考えたくはないけれど、苧環姫さん?」
「我から致せば、真っ先に其処を怪しむべきだと思うが?」
「そうかもしれないけれど、彼女は背後から襲いかかってくるより
正々堂々と正面から「貴方は相応しくないから私と勝負しなさい!」って
言ってくるような人って印象だったんだけど……」
苧環姫の気持ちを一度会っただけの私が完全に理解することではできないでしょうが、ヒノモト国人の気質やあの時の言動からはそういう印象を受けました。
「何に致しても今はどうやってこの窮地を脱するか……
それを考えなくてはならぬ」
「そうだね」
その後、手短に現在の状況を金さんと桃さんに確認しました。
まず私は何か大きな袋のようなモノに入れられて、荷物を装って連れ去られていること。おそらく荷馬に乗せられているらしく、私達が思っているよりも更に遠くに連れ去られている可能性が高いこと。犯人は男2人とあの女官の1人の最低3人は居ることなどなど……。
そして浦さんは今まで以上に気配を消すため、深めの眠りについていました。
「俺様の力が少々周囲に漏れても、それはこの国のこの月だからで済むし、
金の力が漏れてもヤマト国の商人と思われているから問題にはならねぇ。
だが浦の力だけは駄目だ」
浦さんの力が私と一緒に移動しているとなれば、確実に様々な疑いを持たれてしまうのは私でも解ります。
そして桃さんがずっと怒っていた理由も解りました。
「つーかよ!!
古の約定なんて無視すりゃぁ良いじゃねーか!!」
「感情でモノを申すでない。
そのようなことを致せば櫻はこの先、
一生この大陸で暮らしていけなくなるのだぞ!」
「だがよ、このままじゃ櫻が危ねぇんだぞ!!」
「…………人の生死は命の巡る輪の一環ゆえ必定。
それは櫻とて変わらぬ」
「あぁん?! なら、櫻が死んでも良いっってのかよ!!!!」
確かに桃さんや金さんが実体化して、私を攫った人たちをどうにかすればこの状況は今すぐにでも終わります。赤ん坊の頃に遭遇したじゃんじゃん火とは違って人間相手なら、そしてやり方次第では、戦闘が得意ではない金さんや浦さんでも簡単に勝ててしまいます。
でもそうしなかったのは、精霊には精霊の決まり事があるからです。
過去に人に肩入れしすぎた結果、消滅してしまった精霊がいたことで精霊たちは決まりを作りました。それが桃さんのいう古の約定で、精霊は特別な場合を除いて人間とは言葉を交わさないだとか、人の前に極力姿を表さないようにするだとか、人の運命を捻じ曲げるようなことはしないなんて事を決めたのだそうです。
精霊たちが一番大事にしている事は、神様から与えられた自分の役目を果たすことです。その役目を果たすために神から力を分け与えられているのですが、力を効率的に使う為に人間の願いが使われています。もちろん願われなくても力は使えるのですが、人の願いを叶えるという方式のほうがスムーズに力を引き出せるのだとか。
でもスムーズな力の運用のせいで自分が消滅しては本末転倒です。
なので深く関わることを避け、願われれば事務的に力を与え、長期間願われなければ効率は落ちるけれど適宜世界に力を流して幾千年過ごしてきたのです。
そんなルールのうち幾つかを三太郎さんたちは無視していることになりますが、それは三太郎さん曰く
「赤ん坊でありながら自我がはっきりとあった、例外への対処として必要」
ということでグレーゾーンながらも許容範囲だったそうです。母上たち家族の前に姿を現した件も、1年かけて観察をしてイレギュラーな存在の対処として必要だったからだと周囲の精霊には伝えて渋々とはいえ許容されたのだとか。
他にも5年前の天都で菖蒲様の精霊力アンテナをポッキリと折った件に関しても、「アレは人間の命運を変えたのではなく、妖化しそうな精霊の対処の一環だ」ということでギリギリ許されていたようです。
元々三太郎さんたちは精霊の中でも時代に合わせて自分たちを変えていくべきだという一派に属して居たため、保守派にはすっごい睨まれたそうですが今まではどうにかなってきました。
ですが今回は精霊が関わった事件ではありません。私を助ける為に顕現することも、力を過剰に使う事も他の精霊たちは許さないでしょう。
「良いか、桃。
どれほど我らが櫻に寄り添おうとも、人は人の中で暮らすべきなのだ。
ここで我らが櫻を助ける為に力を振るえば、
全ての精霊が我らと櫻の敵となり、櫻はこの大陸には住めなくなる。
そこは理解しているのであろう?」
「あぁ、あぁ解っている!!
解っているけど、それでも俺様は……」
金さんは金さんなりに、桃さんは桃さんなりに私のことを案じてくれているのが解ります。それは深い眠りについている浦さんも同様だと信じています。みんながそれぞれ重点を置いている場所と方法が違うだけで……。
「とりあえず自分で頑張ってみるよ。
山吹どころか、母上たちにすら及ばない身体能力でも
何とかなる方法を考えてやってみる」
「櫻……」
「本当に最後の最後の時には、三太郎さんを呼んじゃうかもしれないけれど、
その前にまずは自分でやれることをやってみなくちゃ……ね!」
怖くないと言えば嘘になります。もしかしたら死んでしまうかもしれないという不安はありますし、死ぬまでいかなくても大怪我をする可能性はとても高いです。っていうか既に大怪我しているかもしれません。
それでも冷静で居られるのは、三太郎さんがそばに居てくれるから……。
そして絶対に叔父上や兄上が探しに来てくれると信じているから。
「だからまずは頑張ってみるよ」
そう笑顔をなんとか浮かべて言うと、起きる為に意識を更に浮上させることにしました。
「良いか櫻。いきなり起きるんじゃなく、
しばらくは気を失っているフリを続けて、情報を集めろ」
「うん、解った」
珍しく気弱な、それでいて心配そうな顔をした桃さんを見上げて、一つ頷きます。
「じゃぁ行ってくるね!」
努めて明るくそう言い切ると、踏ん切りを付けて意識を再浮上させました。このまま此処に居たい気持ちが湧き上がってきてしまいますが、それでは気を失ったまま命まで失ってしまうかもしれません。一度経験した「死」ですが、そう簡単に2度目は迎えたく有りません。
「我らも覚悟を決めねばならぬな……」
遠ざかりゆく金さんの声を聞きながら、私は現実へと戻ったのでした。




