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こどもとこどもの心を忘れないおとな向け

まる、さんかく、ばつ

作者: 楽弓



 水曜日の五時間目。

 週の真ん中で、お昼休みの後の授業で、教科は数学。

 そんなの誰だってやる気をなくす。

 とりわけ、私にとってはものすごく憂鬱な時間だったりする。

 だって、毎週この時間の授業の最初には、小テストがあるんだもの。

 正確には、小テストが嫌なわけじゃない。

 公式を覚えて計算さえ間違わなければ満点とれるようなテストだから。

 私が憂鬱なのは、そのあと。


「はい、じゃあ隣の人と交換して」


 今日も先生の無情な一言がかけられた。

 なんで交換しなきゃいけないんだろう。意味がわからない。

 小テストの採点くらい、自分でやればいいじゃない。

 この先生、ちょっとデリカシーがないんじゃないかな。

 とは思っても、そんなこと絶対に口にできない。

 だって私たちはただの生徒だから。


 先生が読み上げる答えに合わせて、教室中でペンの走る音がする。

 まる、まる、まる、まる……

 そりゃそうだよ。こんな小テスト、間違う方が難しい。

 それなのに、まるの大合唱の中で私だけが不協和音を奏でてる。


 ばつ……ばつ……ばつ……ばつ……

 お願い、まぐれでいいから次は当たって。

 ばつ……ばつ……


 あっ、これ! 見ようによっては6に見える……かも?

 …………。

 …………まる。


 ちょっとだけ良心が痛むけど、悪いことをしたわけじゃないよね。

 だって、まるを付けてあげただけだもん。

 わざとばつを付けるのは良くないけど、まるを付けるのはセーフ、だよね。


「すげー! 宮本また全問正解!!」


 いきなりのことで、ものすごくどきっとした。

 私の答案用紙を見ながら声をあげたのは、永山くんだ。

 隣の席から聞こえた大声に、クラス中の視線が集まっている。

 くすくすと笑い声も漏れて聞こえてきた。

 なんでそんなこと言うんだろう。お願いだからやめてほしい。

 私はすごく恥ずかしくて、逃げるように顔を伏せた。

 視線の先には、一つだけまるの付いた永山くんの答案用紙がある。


「宮本はいつも頑張ってるからなぁ。で、お前はどうなんだ永山」


 先生の落ち着いた声が、隣の席の永山くんに向けられた。

 くすくす笑いが、少し大きく広がった気がする。

 私は、居た堪れない気持ちで永山くんに答案を返した。


「俺はいつも通り……お、おおっ! 一個まる付いてる! やった! ……って、ん?」


 もう、耳を塞いで机に伏せてしまいたい。

 なんでそんな恥ずかしいこと大きな声で言えるんだろう。


「宮本、これ間違ってね? ここ答え6だろ。俺は0って書いたんだけど」


「えっ……あっ、そうなんだ。ごめん、6かと思って……」


 泣きたい気持ちで誤魔化したら、デリカシーのない先生が口を開く。


「永山の字が汚いから、宮本が間違えたんだろ」


「なんだよー、ぬか喜びかよぉ」


 教室中が、大爆笑に包まれた。

 永山くんも楽しそうに笑ってた。

 私だけが、笑えなかった。






 六時間目は体育の授業。今日はマラソンの日だ。

 というか、ここのところ体育ではいつもマラソンをしてる。

 市民マラソンの開催日が近いからかな。

 何が楽しいんだろう。ずっと苦しいだけなのに。


 私は昔から運動が苦手な方だ。

 中でも、はっきり順位のわかってしまうものは大嫌い。


 もうクラスの大半の子が走り終わって、グラウンドに座って待っている。

 足の速い子はたちは、もうすっかり飽きてお喋りなんかしてる。

 それを横目で見た私は、なんだかすごく焦って嫌な気持ちになってきた。

 誰も私なんか見てないってわかってるんだけど。

 笑いながら話している子たちを見ていると、気分が暗くなる。

 どうしても、私の足の遅さを笑われているような気がするから。


「みやもとぉー! 頑張れー! あと少しだぞー!!」


 突然名前を呼ばれて、びっくりした。

 フル稼働していた心臓が、衝撃で止まるかと思った。

 恐る恐る声のした方を見たら、永山くんがぶんぶん手を振っている。

 みんなが、こっちを見ていた。

 笑って話していた女子も、永山くんの近くの男子も。

 みんなが私を見て、くすくす笑っている。


 途端に、私の足がひどく重くなった。

 力が入らない。うまく動かない。

 もたついているうちに、ゴールまで二人が私を抜かしていった。






「さっきは惜しかったな。ゴールの前で失速しなかったら、抜かされなかったのになぁ」


 教室に帰るなり、永山くんがまた大きな声で話しかけてきた。

 また教室中からくすくす笑いが聞こえる。

 なんかもう、恥ずかしいのを通り越して腹が立ってきた。

 どうして永山くんは私の嫌なことばかりするんだろう。


「やめてよ。ああいうの、恥ずかしいから」


 小さな声で抗議してみたら、永山くんは心底不思議そうに目を丸くした。


「なんで? 応援してやったんじゃん」


 応援()()()()()? なにそれ。何様のつもりなの?

 だんだん腹が立ってきて、私はつい嫌味っぽい言い方をしてしまう。


「余計なお世話なのよ。運動できる人にはわからないだろうけど」


「なんだよ、わかんねェよ。俺はアタマ悪いからな。勉強できる人のことはわかんねェよ」


 なんでわかんないのよ! 当たり前のことでしょ!

 永山くんの言うことが頭に来すぎて、叫んでしまいそうだった。

 私は鞄を引っ掴むと、走って教室を飛び出した。


 思い切り走って、走って、走ったつもりだった。

 けど運動が苦手な私はすぐに息が切れてしまった。

 笑っちゃうくらい短い距離しか、私は走れない。

 そこからは、歩いて家まで帰った。

 家に着いたら、よく分からないけど涙が出た。

 涙は全然止まらなかった。






 それから何度か水曜日の五時間目を繰り返した。

 でもあれ以来、永山くんは私の小テストの成績発表はしなくなった。

 一度、返された答案の隅に「ごめん」と書かれていたことがあった。

 汚い字で書かれた謝罪を、私は受け入れなかった。

 どうしても、永山くんを許せなかったから。






 学期の終わりの、火曜日。

 明日でやっと水曜日の五時間目も終わる。

 少しだけ憂鬱な気持ちで帰る途中、永山くんとばったり会った。


「宮本、いま帰り?」


 目を逸らす前に声をかけられて、ちょっと気まずくなる。


「そうだけど……」


「そっか。あのさ、宮本、ごめんな!」


「別に、永山くんに謝ってもらうことなんてないけど」


「あー……そっか。俺ほんとにバカだからさ、またなんか知らないうちに宮本のこと怒らせちゃったかなーって思ってたんだ」


 あっけらかんと言った永山くんに、また腹が立ってきた。

 どうして彼はわかってくれないんだろう。


「数学の小テスト、明日で最後だな」


「そうね」


「俺さぁ、数学めちゃくちゃ苦手でさぁ」


 そんなの知ってるわよ。


「小テストも毎週すっげえ嫌でさ。だって絶対0点ってわかってんもん。だけどさ、宮本が隣の席になってから、0点が減ったんだよな」


 なにそれ。知らない。

 私の記憶にある限り、永山くんの答案にまるが付いたのは一回だけ。

 それも、()()()()()でまるが付いた一回だけのはず。


「あ、いや、0点は0点なんだけどさ。宮本は“さんかく”くれるじゃん。他の奴は答えが合ってるか間違ってるかだけしか見てないけど、宮本は途中の式とかまで見て“さんかく”くれたりすんじゃん」


 だって、そうしないと全部ばつになってしまうんだもの。


「なあ、明日は俺、ちゃんとまる貰うから。()()()()()()じゃなくて、正解のまる」


「……そう。頑張ってね」


「おう、じゃあな!」


 永山くんと別れて、校門までは普通に歩いた。

 なんでかわからないけど、そこからは無我夢中で走った。

 走って走って、最後は殆ど歩いてたけど、それでも最後まで走り続けた。

 そして私はいつかと同じように、家に着いてから泣いた。


「余計なお世話なのよ」


 いつか自分で言った言葉が、返ってきた。

 私だって、まるを()()()()()()だけって思ってた。

 思い出すと恥ずかしくて、悔しくて堪らない。

 あのときの私のまるは、余計なお世話でしかなかった。

 良かれと思ってやったけど。

 知らないうちに、私も永山くんを傷付けてしまっていたんだ。


 自分が嫌いになりそうで、私はいつまでも泣きやむことができなかった。






 今学期最後の水曜日、五時間目。数学の時間。

 いつもと同じ小テスト。

 いつもと同じ隣の人の答案用紙。

 私はそこにばつを付ける。沢山、ばつを付ける。

 たまに、さんかくも付ける。

 でもまるは一つも付けない。


 その代わり、用紙の隅に花まるを付けた。

 いつか永山くんが謝罪の言葉を書いたのと、同じ場所。

 ごめんって書くのは、なんだか違う気がしたから。


 返却された答案を見た永山くんは、すごく嬉しそうに笑ってた。






 長い休みが明けて、新しい学期になった。

 最初のホームルームで席替えがあって、永山くんとはそれきりだ。

 特に仲が良かったわけでもないし、隣の席じゃなくなれば話す機会もない。


 だけど、毎週水曜日の五時間目は、必ず彼の大きな声がここまで届く。


「あちゃー。また全部ばつだぁ!!」


 クラス中が永山くんを笑ってる。

 永山くんもおかしそうに笑う。

 気のせいかもしれないけど、一瞬だけ目が合ったような気がした。


 いつか、彼の答案に正解のまるが付くといいな。

 そう思いながら、私も思い切り笑っていた。



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