普通とは
普通。
誰もが一回は、いや何回も使うことがある言葉だと思う。普通に考えて、普通はこうするだろう、とかよく言う人もいるだろう。
だがそういった人に普通とはと聞くと大抵が答えられない。答えたとしても常識とか当たり前の事だとあいまいな返答が返ってくる。常識とは、当たり前の基準は何か、と聞くと返答に困って答えてくれない。具体的に示すことができないのだ。それだけあいまいなものなのに万人が同じ考えを共有しているかのよう思えるから不思議な言葉だと思う。だが門外漢の、社会に溶け込めてない新人や私のような社会不適合者からするとこれほど厄介な言葉はない。思考を共有したつもりで共有できないからカンチガイが起きやすい。しかもカンチガイがあるとしてもすぐに気づけない。カンチガイに気づいて正そうとしても教える側もこの言葉の便利さに慣れているからまた普通という言葉を使うので新人は理解できない。…ただの愚痴になってしまい申し訳ない。なにが言いたいかというと普通という言葉は便利だが誤解を孕む言葉ということだ。
そもそも言葉で伝えるということ自体があいまいさを孕むものだから気にしたらきりがないといわれればその通りですね、としか言えない。言葉は相手の解釈がはさむから仕方ないと言われればその通りなのだがなんだが気になって仕方ない。仕方ないので自分なりに普通という言葉を定義してみたいと思う。
普通には常識の言い換えだと思う。常識に当然とか当たり前とかある程度近い意味の言葉と慣例という意味が混ざった言葉であると考える。では常識とはなんだろうか。
常識はみんなが共有している考えとすれば反論は少ないと思う。ただ厄介なことにこの言葉もあいまいなのだ。みんなって誰だ、って話である。
ではこの言葉の本質は、主に使われる意味はなにかと考えると話し手の考えではないかと思う。この意味ではみんなとは話し手のことだ。話し手が自分の考えはあるが自分に自信が持てない。ただ周りは自分の思うように動いてほしいし思考を統一したい。いちいち自分のことをまとめて話すのは面倒だ。そんなときにあくまで他人の考えと偽って使うと考える。特に受け手に強要する場合にこの使い方をするように思う。イヤイヤ私の考えではありませんよ、みんながやってることなんです。だから私の意見に口出ししたり従わなかったりすればあなたは異常者ですよ、キチガイですよ、仲間外れになりますよ。という意味を孕んだ卑怯な意味でつかわれる言葉だと思う。
ただ厄介なのは慣例、つまりみんなが共有している考えという表向きの意味でも使われることがあるということだ。表向きの意味がなければ話し手の考えという意味がなり立たなくなるから当然だが。この場合みんなとは話し手からみる社会の考えという意味で使われる。本来はこの話し手から見る社会の考えという意味だがあまりに便利なため自分の考えの隠れ蓑として使われていると思う。誰だって責任は取りたくないのだ。言葉には騙すという言葉から分かるように力と責任がある。自分に合わせてほしいが責任は実体のない幽霊に負わせたいと考えるのは当然のことなのかもしれない。
Royal Weという言葉がある。ある国のお偉い方が演説でI(私)ではなくWe(私達)を使ってさも自分の考えを社会全体の考えを代表しているかのように話したということが由来らしい。私がいう普通とはまさしくこのことだ。自分に責任を負いたくないから主格をごまかして、にごしたくなる。細かいことならなおさらだ。細かいことの責任を逃がすには他にないほど便利な言葉だ。
最後にここまでながいながい愚痴を聞いてくれた皆様に感謝して終わりにする。なんの役にもたたない疲れた馬鹿の話だがお前の考えは違う、ずれていると思った方は感想でつたえてほしい。
ココマデヨンデクレテアリガトウゴザイマシタ。