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スモール4  作者: 木下すいか
1章
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プロローグ

 中村和人なかむらかずとは高校の修学旅行でクラスの同級生らと共に海に来ていた。

 絶賛シーパラダイスをクラスメイトの多くが満喫している。

 俺も海に来た絶好の機会を無駄にしないためクラスメイトたちを筋トレに誘った。


「筋トレもいいけどよ、俺らはシーパラダイスだぜ」


「村人もこいよー」


「いいや、お前らはお前らで楽しんできてくれ」


 もちろん、二つ返事で全員に断られた俺は一人黙々と筋トレに励む。

 そうだよな、みんな海で泳ぎたいよな。

 俺も泳ぎたい。

 しかし、物事には順序というものがある。


 せっかくの砂場に来たとなればやはり足腰を鍛えることは欠かすことが出来ない鉄板のトレーニングだろう。

 軽い準備運動をしてから俺は砂浜を駆け抜ける。


 うおおおおおおおおおおっ!ズシャー(砂にダイブする音)爆ぜろ、必殺スライディングキャッチ!!!!!!ぐあああああアアアアアア(相手の声)流石はお兄様です。

 俺は浜辺で行われていたビーチフラッグス競技の大会に参戦していた。

 ふっ、我が俊足にかなう者はついぞ現れなかったようだな。(後方へと踵を返す)


「なんてやつだ!あの最強のビーチフラッガーに修学旅行で来た少年が初めて土をつけたぞ」


「土じゃなくて砂な」


「キャー抱いてー」


「おいおい、見ろよ、あそこ。あいつ、もう過激なファンを作っちまったようだぜ」


「砂もしたたるいい男な」


 そうして俺は最果ての地で王者となった。



「どうして違うクラスのお前がそこにいるんだ」


 俺はいつのまにかビーチフラッグ競技を観戦していた妹に声をかけた。


「いやー、黄色い声援をかけた方が、お兄ちゃんもやる気が出るかな、なんて思ったりしてね」


「まあ、お前の声援は俺の力になったさ。決勝の相手は強かった」


 すると、妹の横にいた妹のクラスメイトにして、学年一位の秀才と噂される少女が呆れた表情をした。


「あなた、スライディングキャッチなんて余裕を見せつけておいて、よくもまあ、そんな口を叩けるわね。お相手さんが耳にしたら怒りを買うわよ」


 黒髪の少女の名は天王院琴葉てんのういんことは

 同じ学年の生徒で、容姿端麗、文武両道と学校内ではかなりの有名人だ。

 妹とは仲が良いようだが、俺はこれが初対面だった。


「まあまあ、琴ちゃん、うちの兄貴はいつもこんな調子なんだよねー」


 仕方ないのさー、と妹が天王院になげやりに言い放った。

 今日は自由行動らしい彼女らのクラス、妹と天王院は浜辺の屋台でB級グルメを堪能していたとのこと。

 そんな折に彼女らは偶然、俺が砂浜で走る姿を見つけて、途中から観戦していたとのこと。


俺はそんな二人と別れた後、砂浜へと戻った。

 優勝してもらったトロフィーは無駄に立派で、トレーニングの邪魔になるでしょ?と妹が俺の代わりに持っていってくれた。

 つくづく良い妹を持ったものだ。




 俺は道端にあった土嚢どのうのいくつかを拾い、今度はそれらを担いでスクワットトレーニングを開始した。

 目標は筋肥大だ。


「ママー、なにあれー」


「しっ、見ちゃダメ」


 なにやら声がしたが、高負荷でのトレーニング中、俺には周りを伺いみる余裕がない。

 それから、しばらくの間はスクワットに没頭した。

 大臀筋は人体の中でも大きめの筋肉だからな、セット数は多いに限るぜ。


 ふっ、いい汗かいちまったな。

 そんな感じで満足感に浸ることが出来た俺は足腰のトレーニングもあらかた終わり、遂に海へと泳ぎに向かうことにした。

やっと泳げるぜ




 海へと向かうと、クラスメイト達が迎え入れてくれる。


「おー、村人か。トレーニングの方は終わったか?」


「これから女子たちとバナナボートに乗るんだ。村人も一緒にどうだ?」


 ほほう、それは楽しそうだ。

 しかし残念ながら、俺はそれを断る。

 心拍数がいい感じに高ぶっているうちに、今日のトレーニングの最後の一つを終わらせておきたい。


「悪いが、身体が火照ほてっているんだ。少し泳いでくるぜ」


「おお、そうか。じゃあ、またなー」


 クラスメイトのダンシーズはバナナボートの方へと走り去っていった。




 さてと、泳ぐか。

 全身持久力系の運動は、トレーニングの後半に取り入れるのがミソだ。


 序盤に持ってくると、筋トレをする頃には溜まった疲労感のせいで正しいフォームや、こなせる回数が低下する恐れがある。

 いちゃつく観光客のカップルや水をかけあうクラスメイト達の横あいを通り、水が深くなるところまで歩いて進む。


 冷たい水が心地いい。

 しばらくしてから俺は泳ぎ始めた。

 あまり岸から離れすぎてもいけないだろうと思い、ある程度沖合まで泳いだ後、岸と平行に泳ぐことにする。




 俺が気持ちよくクロールをしていたら、浜辺の方がざわつき始めた。

 クラスメイト達が騒ぐ声が聞こえる。

俺は泳ぐのを一旦中断し、そちらを見た。


「そこの浮き輪に乗った少女―!聞こえるか!離岸流に流されているぞー!早く目を覚ましなさい!」


 メガホン越しに伝わってきた声によると、どうやら、浮き輪の上で器用にも寝ている少女が波に流されてしまっている模様。

 俺は周りを見てみると、浮き輪ガールの姿は俺よりも沖合の位置に見つかった。

 どれだけ流されているんだか。

 仕方なく俺は助けに向かうことにした。


 離岸流に乗った俺はその流れを利用し加速していく。

 するとまたメガホンの声が聞こえた。


「今から、ボートで助けに向かう。目を覚ました後あわてないで……、なに?近くにサメの姿が確認された?おーい!危ないぞ、早く起きて離岸流から逃れるんだー!!!」


 サメだと?

 おいおい、それは危険じゃないか。

 俺はさらに泳ぎのギアを上げて少女のもとへと向かう。

 ほどなくして俺は浮き輪ガールのもとに到着した。


「おい、なに寝てるんだ。起きろ。姫」


 浮き輪ガールの正体はクラスで唯一、俺の幼馴染である町田姫花まちだひめかだった。




「むにゃむにゃ、なーに?って、和人じゃん。どうしたん?何か用?」


 まるで授業中居眠りをし、授業が終わった後、友人に起こされた時のような態度で町田が目を覚ました。


「おい、お前は沖合いまで流されてるんだぞ」


「はあ?何言ってるの?わたしはちーちゃんたちとあそんで……、ってほんとだ」


 素直に現状を受け入れた町田を引き連れて俺は離岸流に立ち向かった。

 しかし、泳げど泳げど、あまり前に進んだ感じがしない。

 

「和人、知らないのー?これはねえ、離岸流っていうの。逆らっちゃだめなんだよ。今のペースじゃ岸につくまで何分かかるか分からないじゃん?まずは岸と平行に泳がなくっちゃ」


「……。そうだな。だが、浮き輪で引っ張られているだけで、のんびりくつろいでいるんじゃあない。お前もバタ足くらいして貢献してくれ」


「はーい」


 気の抜けた声で応じる町田。

 しばらくし、離岸流から抜けたと思ったら、正面方向、少し遠くから何かが近づいてくる。

 同時に岸の方角からも騒がしい音が聞こえてきた。


「おーい、お兄ちゃん。大丈夫か?」




 水上バイクを運転して近づいてきたのは妹だった。

 ロープで後ろに引かれていたバナナボートには天王院が座っている。

 なぜか片手にはさっき俺が妹に渡したトロフィーが握られていた。


 何でソレ持ってきたの?

 天王院は空いた方の手を町田に差し伸べた。


「さあ、早くボートの上に登りなさい。どうやら近くにサメがいるみたいで危ないから」

「ありがとう天王院さん」


俺は自力でバナナボートの上と飛び乗る。

すると、妹があおい顔をして叫んだ。


「お兄ちゃん!本当にサメがこっちに泳いできた!」


 そう言うと、町田と俺がバナナボートの上に登ったのを確認してから妹は急いで水上バイクを発進させた。

 横方向から迫ってくるサメから逃げるようにバナナボートは岸へと向かっていくが、信じられないことにサメがもう一体正面にも現れた。


 突然現れたそれを見つけた妹がなんとか避けようとギリギリのところで舵を切る。

 その結果、妹の乗る水上バイクはサメをすんでのところでかわしたが、後ろの俺たちは遠心力で曲がるのが幾分いくぶんか遅れた。


「危ない!」


 町田が悲鳴を上げた。

 一番前の席にいた天王院がサメにぶつかる。

 そう思われた次の瞬間、天王院はボートから手を離し、足だけでボートに身体を固定させると、リーチの長い金属製トロフィーを両手で握って、サメの顔面に思い切り叩きつけた。


 サメはのけぞり、俺たちにぶつかることなく真横を通り過ぎていった。

 なに今の?すげえ。

 しかし、サメはもう一匹いる。


「まずい。このままでは追い付かれる。神楽!もう立ち向かうしかない。サメに突進して!」


 天王院が俺の妹に指示する。


「あいさー!」


 そして、横方向から来たサメと水上バイクは衝突した。

 結果はサメを戦闘不能にまで追い込むものであった。

 しかし、そのはずみで水上バイクの勢いが完全に止まってしまう。


「おい、後ろのサメがまた近づいてくるぞ」


 天王院の攻撃を受けて多少は怯んだものの、先ほどのサメがこちらへとまた泳いできた。

 サメはこちらの様子を見ながら衝突で動けなくなってしまった俺たちの周りを旋回し始める。


「く、らちが明かない。和人!餌をいて!」


 天王院に指示された俺は覚悟を決める。

 愛する妹を守るために一肌脱ごうじゃないか。

 俺は海にその身を落とした。


「お兄ちゃん、なにやってるの?」


 俺は真っ青な表情の妹が乗っている二人乗り水上バイクを目指す。


 サメとの衝撃で水上バイクが止まった時に、本体につながったロープで引っ張られていた後ろのバナナボートは慣性の力で水上バイクのすぐ近くまで来ていた。

 その距離約3メートル。


 俺が海に落ち、サメが俺につられてやってくる。

 しかし俺は瞬時に水上バイクの上へと乗り上げ、サメはすんでのところで獲物を失ったことで立ち往生する羽目になる。

 その隙を見逃さなかったのはトロフィーを担いだ勇者様だった。


「うおおおおおおおおおおっ!」


 足場の不安定なところからうまくバランスをキープしてジャンプ。

 その手に持った獲物へと存分に体重を乗せて、放たれた一撃はサメの脳天を的確にとらえて昏倒させた。




 た、助かった。

 サメに襲われて逃げるどころか、立ち向かって倒しちゃうとか、どんだけだよ。

 天王院さんマジ半端ねえ。


「お兄ちゃん、水上バイクが動かないんだけど、故障しちゃったかも……」


 声の方を見ると、妹が慌てふためいていた。

 水上バイクを動かそうとしているようだが、ビクとも反応しない。

 そんなところに、サメに念のためとどめを刺した天王院が近づいてくる。


「どうしたのかしら?」


 んっ?

 とどめを?

 刺した?


 頭に浮かんだ疑問を反芻はんすうし、確認。

 見ると、天王院の服は血まみれである。

 それは、サメの血だった。


 どうやら、天王院は服のポケットかどこかにナイフでも忍ばせていたようである。

 俺が目を離したすきに、彼女は刃物でサメの息の根を止めたらしい。

 おいおい、これってまずいんじゃないのか?


 周りを見渡す。

 俺の正面にはこちらへと泳いでくる天王院と彼女に身体をかれたサメ一匹、そして徐々に遠くへと広がっていくサメの血に染まった赤黒い海水。

 他に見えるものは、水上バイクの電源装置に夢中になっている妹と、サメの脅威から逃れたことで安心したのか波の揺れにも動じず、綺麗な姿勢のまま、寝こけている町田。


 って、おーーーい!この状況で普通寝るか?

 ある意味すごい度胸があると言える彼女だが、思い返せば、浮き輪で離岸流にしばらく流されていても気づかずに寝ているくらいだし、なんなら、彼女は学校にいるときも授業はほとんど睡眠学習まである。


 しかし、天王院以外の3人は誰も天王院の行動を見ていなかったというのが問題だ。

 天王院が未だ水上バイクと格闘している妹に声をかける。


「バイクが壊れているなら泳いで帰るしかないわね。たしか神楽は金づちだったわよね。私が神楽を連れて泳ぐから、和人は町田さんのことをお願い」


 サメが血の匂いにつられてくる習性は割と一般的に知られている知識の一つであると思う。

 少なくとも俺は知っている。

 おそらく、クラスの人に聞けばそんなことくらい知っていると答える人の割合は9割を下回らないだろう。


 俺以外の二人もおそらく知っていたはずである。

 岸まで二人の足手まといを抱えて担いで戻るのにどれくらい時間がかかるだろうか。

 妹が担いで泳ぐという天王院の誘いに反応する。


「もうー、仕方ないか。琴ちゃんおねがいしm……」


 振り返った妹は声を途切れされた。

 やはり、妹もサメ相手に血を流すのは危険だということを知っていたようだ。

 しかし、妹の表情を見ると、どうやらそれは違うようだ。


 何が?

 そう思って、俺は妹の目線の先を追いかける。

 そこにはサメがいた。


 そして、妹の神楽が見ていたのは天王院が仕留めたサメではなかった。

 もうすでに!天王院が斬りさばいた味方サメの血の匂いに引き寄せられて新しいサメの群れがこちらに向かってきていたのである。

 オワタ。




 近づいてくるサメの群れを目撃して何が起こったか分からないといった表情の天王院が、慌てて水上バイクの上に避難してきた。

 未だ、岸からの助けは来ない。

 後でわかったことだが、この時海辺の安全を担当していた人たちの多くは、ビーチフラッガーとなって挑んだ大会で負けてしまい、その憂さ晴らしに、真昼間まっぴるまからやけ酒に向かっていたのだという。


 他にも人はいたが、多くは水上バイクを運転できず、残りの者もほかの場所の観光客を非難させていたため、こちらへの救援に遅れを要した模様。

 そんななかでも助けに来てくれたてんしと天王院には感謝しているが、それはまた後の話。


 岸から助けが来ず、乗っている水上バイクが動かず、それでものんきに寝こけている町田おひめさま

 そして、遂に俺たちの周りを群れで円を成して囲んで泳ぐサメ達。

 ああ、死んだな。


 そう思った。




 どうせなら、俺も最後にサメの一匹くらい倒せばよかった。

 元気なサメは厳しいが、先ほど水上バイクと衝突して昏倒しているサメに(そもそも息があるのかは定かではないのだが)とどめの一撃でもくれてやることが出来れば、俺の鍛え抜かれた肉体が活躍する場を得られたことで少しくらい、なぐさめにでもなったのではなかろうか。


 サメの包囲網がだんだんとせばめられていく傍ら、俺はそんなことを考えていた。

 水上バイクの上では今も妹は再度バイクが動くようにならないかと、もがいている。

 天王院はバイクの機体を思いっきり蹴りつけていた。


 そんなんで治るのかよ。

 しかし、思いは通じた。

 バイクのエンジンが再び元気に息を吹き返したのである。

 やった!と喜ぶ女二人。


 しかし、そのせいで天王院は背後から近づいてくる一つの影に気がつかなかった。

 俺はとっさに天王院が持っていた覇者のトロフィーを取り上げる。

 間に合え。


 そう念じて振り上げたトロフィーは何とかサメの軌道をらすことに成功した。

 つかの間の安堵。

 しかし、それは刹那の喜びに過ぎなかった。


「「「あっ」」」


 サメは水上バイクに着弾し、バイクに再びともった命のともしびの芽を完全に摘み取った……。

 今度こそ終わった。

 そう思った。


 二人もそう感じたはずである。

 間違いない。

 俺は見ていたのだから。


 近距離で、彼女らが絶望の表情に染まりゆく、その瞬間を。

 バイクの命を奪ったサメは俺の一振りによるものなのか、はたまたバイクとの衝突によるものなのか知らないが、動かなくなった。


 俺はチャンスだと思った。

 どうしてこんな状況でそんなポジティブなのかって?

 それは違うね。


 捉え方の問題なんだ。

 言葉なんて所詮使い方次第ということさ。

 ふふふ、ハハハハハハ。


「お兄ちゃん、壊れちゃったの?」

「さすがに鍛え上げられたその肉体も水上では輝きを放てそうにないものね。気が触れてしまったのかしら」


 妹と天王院が続けざまにおかしなことを言ってくる。

 違う。

 違うぞ。

 そうじゃあないんだ。


「俺は死に場所を決めただけだ。俺は最後に、サメを一匹道連れにしてやるのさ」


 俺は動かなくなったサメの肉を切り裂くため、天王院にナイフを要求する。


「俺にそのナイフをくれないか?」


 しかし、天王院は俺を睨んで拒絶した。


「いやよ、わざわざ自殺するようなことをするものではないわ」


「さっきは俺に餌になれと言った口でそんなことを言うのか?」


 俺は問いかけた。

 それでも天王院は折れない。


「あなたは、私の意図をくみ取って動いてくれたのでしょう?それに餌をけとは言ったけれど、餌になれとは一言も言ってないわよ?」


 そう得意げに、彼女は薄く微笑んだ。

 俺はそれを聞いて思わず苦笑してしまった。

 おいおい、状況が分かっているのか?

 言っていることは間違っていないのだが、この状況で言葉遊びの舌戦ぜっせんを彼女と繰り広げることになるとは思わなかった。


 意外と彼女とは馬が合うかもしれない。

 そんなことがふと頭をよぎったが、もう間もなく失う命である。

 最後にカッコよさを見せたいと思うのが男というもの。


 でも、まあ、死にかけのサメにとどめを刺すよりかは、無駄だとわかっていても、敵の群れに抵抗して妹を守る方が妹にとっては嬉しいかもしれない。

 それに俺はこれまでそのために生きてきたのだから。

 この状況で一度は諦めかけてしまったが。


「思いとどまってくれたようね。けれどせっかく、神楽が自慢の兄だと、よくあなたの話をしてくれて、一度お話をしてみたいと思っていたのに。やっとそれが出来たと思ったら、その日が最初で最後になるなんてね」


 天王院は俺と話す機会を楽しみにしてくれていたらしい。


「俺も似たようなものだ」


 同じようなことを考えていたため、一応短く返しておいた。

 そうこう言っている間にサメの群れはさらに包囲網を狭める。

 先ほど群れから飛び出ていった仲間が返り討ちに遭ったのを見たことで、サメたちは群れでの連携を保ったままこちらへの攻撃のタイミングをうかがっているように思える。


 先ほどの軽口を叩いたあと、一度は表情が和らいだ俺と傍らの二人であったが、それも既に諦観のそれに色濃く染められていた。

 二人は身体を震わせていた。


 俺もあきらめていたし、目の前の二人もそれは間違いない。

 この場の全員が諦めたに違いないと俺は確信した。

 しかし、それは違った。


 この場にはもう一人少女がいたのだ。

 俺は彼女が眠っていたのかと思っていた。

 それは目を閉じていたからだ。


 だが、どうも違うようだ。

 彼女の口もとはかずかに動いていた。

 俺は、本当は気づいていた。


 ただ、人は理解できない行動は特に気に留めることはしない。

 それはどうしてなのか。

 無駄だからだ。


 理解できないのだからしょうがない。

 聞いてみればよかったんじゃないかって?

 俺も今はそれを聞いてみたい心境だ。


 認めよう。

 しかし、最初にそれを見た時はひとまず危機が去った時だと思ったのだ。

 だから、理解することは出来なかったし、理解する必要もなかった。


 だから、彼女のその唇のわずかな、ともすれば波や風に揺らされているだけのものだと思えば、そう納得してしまえるような動きを、彼女が何かの言葉を紡いでいるものだとは思えなかったのである。

 そして今なら、その意味が俺にも少し予測がついた、


 彼女は祈っていたのだ。

 あの時、既に彼女はこの先、俺たちが絶体絶命の窮地から自力で助かることが出来ないことに薄々気づいていたのだろう。


 彼女はずっと神に自身の祈りをささげていた。

 彼女は小さい頃からある女神さまを信仰していた。

 それは彼女の幼馴染である俺だから知っていることだと思う。


 目を見開き、彼女の口から発せられたその女神の名は……。


 次の瞬間、光の柱が俺たちを瞬時に包み込んだ。

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