19 莫迦と言いたくなるほどの
軽く笑いながら言った後、ふぅ、と、天遠乃さんは溜め息を吐いた。
『当の本人は、そんなこの家があまり好きじゃないみたいだけれど』
「そうなんですか?」
『もっと一般庶民の住む家が良かったって、この前ぼやいてたわ』
「……そうですか」
遠野さんの想像する一般庶民は、どのレベルだろう。
「あまり家に帰らない人だな、とは思ってましたけど、それが理由なんですかね」
遠野さんは、月の三分の二は家に帰らない。第二十五支部にいる時はそこで、別の支部にいる時はそっちに泊まる事が多い。それに、他にも色々な仕事を持っている。
単に仕事が忙しいから帰らないのかと思ってたけど、思い返せば、帰る帰らないの話をした時はいつも、少しモヤッとした揺らめきをしていたな。
『そうだと思うわ。家を建てる時だって、守弥の意思なんてほとんど無視されて、天遠乃家の威信にかけて、なんて言われたらしいし。あの時は立場も立場だったから、守弥も仕方なく、ね』
立場も立場。仕方なく。
あの時とは、天遠乃さんが「行方不明」で、仮の跡継ぎとやらになっていた時の事だろう。その時、孤立無援、まではいかなかっただろうけど、それでも。
……遠野さん、相当苦労してきたんだろうなぁ……。
「……天遠乃さん」
『うん?』
「私、もっと頑張りますね」
何を、とは言わなかった私だけど、天遠乃さんはそれについて突っ込まないでくれて。
『……うん。頑張ろうね、一緒に』
と、手を差し出してくれた。
「ありがとうございます」
私がその手を握ると、天遠乃さんにゆらゆらと揺らされ、
『うん、うん。……あなたは、本当に良い人ね、杏さん』
そんな事を、言われた。
その後、もう三十分ほどしてから、てつ達は戻ってきた。てつは、ドアを蹴破る勢いで。遠野さんは、苦笑いで。
一体何があったんだと聞いても、「なんでもねえ」の一点張り。いや、確実に何かあったでしょ。
「すみません。やはり、当主が、……その、少しやりすぎていたもので……」
歯切れの悪い遠野さんも珍しくて、その内容が気になりはしたけど。
「遠野」
「はい、分かってます。言いませんから、大丈夫ですから」
てつに止められ、というか圧に押さえられるようにして、遠野さんは詳しくは語らない。
それに、私も詳しく知るのは、やっぱりなんだか据わりが悪いもんで。美味しいタルトでてつの機嫌をなんとか直し、またあの高級車に乗せられ、サトウさんに門まで送られて。そうして私達は、帰路に着いた。
それから、その帰りの電車の中。まだ通勤ラッシュの前という事もあって、私達はそれなりに空いていた車両の、座席の真ん中の方に並んで座っている。
「ねえ、てつ」
「あん?」
私は、ちょっとした仮説を、検証しようとしていた。
「天遠乃さんってさ、美人だよね」
「あ? 人間の美醜なんて、気にしたことすらねぇが?」
「……」
検証、する前に頓挫した。
なんだか悔しくて、別方向から問いかける。
「なら、何基準でヒトを見てんの」
「害を成すか、成さないか」
とてもシンプル。分かりやすい。
じゃ、なくて。
「……てつさあ、私も害を成すかどうかで見てるの?」
「……最初は、そうだった」
「最初?」
「あの夜、初めてお前に会った夜だ。お前が自分でも気付かないうちに殺されかけている時、ああ、こいつは莫迦な類いだと、判断した」
「……私、馬鹿と思われながら助けられたの?」
「……まあ、そうだ」
人の姿のてつは、少しは悪いと思っているのか、気が揺らめいて、その顔を右──私の反対側──に逸らした。
「え、じゃあ今も私の事、馬鹿って思ってるの?」
ちょっとムカついたので、言葉で突っついてみる。
「…………莫迦は莫迦だが……質が、違う」
てつは決まりが悪そうに、ぼそりとそう言ったけど、なんだそれ。
「なんにしろ馬鹿なんじゃん」
てつの方に半身を向けて、抗議の意思を示す。
「……だから、質が違う」
「どう違うの?」
「……。お前は、危なっかしいんだよ」
てつの顔が、こっちを向いた。その表情は、無、のような。逆に、何か、大切な何かを伝えるべきか、迷っているような。
「それは聞いた」
「……本当に、分かってんのか? ……お前は、自分の事はなおざりにする。よその事ばかり気にする。──そして、」
てつは、溜め息を吐いて。
「最後には、自分を犠牲にする。……だから、莫迦だと、言ってんだ」
……。ようするに?
「馬鹿馬鹿言ってるけど、てつ、……心配し「違う」……」
食い気味に言われたよ。そうですか。
「あっそう。そんなに馬鹿だって言うんなら、帰りに買ってあげようと思ってたチョコアイス、買ってあげない」
「……は?」
切れ長の目が、見開かれる。
「……おい、おい何だその話。聞いてないぞ」
「そりゃ言ってないもん。今言いました」
今度は私が、身を寄せてきたてつから顔を背ける。
「っ、……だっ、……からお前、莫迦ってのは、……だから……」
「だから?」
ちらり、と見れば、てつの顔は、すごく不満そうで。
「…………言い、直す」
てつは口を曲げ、不承不承、という感じを出しながら、ぼそぼそと小声で話しだした。
「俺が、言いたかったのは、……お前は、……莫迦と言いたくなるほどの……────────」
その時、ちょうど私達の真後ろ、つまり隣の線路に、電車がやってきて。それはすごいスピードで、しかも結構な音をさせながら、すれ違って走っていった。
……てつの小さな声は、その爆音で聞き取れなかった。
「…………えっと、てつ、ごめん。聞き取れなかった。もう一回」
「はぁあ?」
てつは今度こそ目をかっ開いて、次には盛大に顔をしかめた。
「……やめだ」
てつは上を向き、背もたれにだらりと背を預け。
「別に、食いもんなんかどうでもいい。俺ぁ言った。言ったからな。それをもういっぺん言えと言われても、言う義理はねぇ」
腕を組んで、今度こそ、ふん、と顔を背けられた。
「あー、ごめん。ほら、電車の音がさ、すごくてさ」
「だからなんだ。あれくらい、別に聞き取れるだろう」
いや、無理だよ。……その気になれば、出来るかもしれないけど。
いや、それは置いといて。
「ごめんて。チョコアイス買うからさ、ほら」
てつはそれに、ちょっとだけ反応して。私の方を向きかけたけど。
「……」
またすぐ、顔は逆方向へ。
これは、完全にご機嫌を損ねてしまった。
「てつー。てつさーん」
完全無視。こりゃ駄目だ。
結局、支部の最寄り駅まで無言と無視を決め込まれ。着いたらさっさと車両から降りて支部の出入り口に向かおうとするてつをなんとか引き止めながら、私は近くのコンビニでチョコアイスを買って、半ば無理矢理にその大きな手に持たせて、
「……」
ムスッとした顔のてつが、それでもそのアイスを食べるのを見て、ほっと胸を撫で下ろした。
……あれ? いつの間にか、立場が逆になってない?
「お帰りなさい。てつさん、杏さん」
支部の出入り口を通り抜け、中に入ったところで、ちょこん、と座っている黒猫が挨拶をしてくれた。
「あ、お疲れ様です、華珠貴さん。どうしたんです? こんなところで」
「お二人の帰りを待ってました。ここから帰ってくるって聞きましたから」
待ってた?
「……てつさん、人の姿はそんな感じなんですねぇ……」
華珠貴さんが、私の隣にいるギラギラしい長身の男を見て、しみじみと言う。
「てつに会いに来たんですか?」
「会いに来たというか、見に来たというか。人の姿のてつさん、一度見てみたかったんです」
キラン、とその瞳を煌めかせ、華珠貴さんは一瞬にして人の姿を取る。
「ハッ、そんなに気になるか」
「あっ、待って、待って下さい。姿を戻さないで。ちょっとそのまま、横に並んでみたいんです」
とことこ、と、言葉通りにてつの横に並んだ華珠貴さんを横目に、てつは浅く溜め息を落とす。
「何がしてぇ」
「背比べです。あと、顔比べです」




