17 五分
「……入れ替わり、作戦……」
『ええ』
私の気の抜けた声に、天遠乃さんはしっかりと頷く。
……名前は、ともかくとして。今日ここまで来たのは、それが目的だもんな。
「了解です。で、一応の確認だけど、いいよね? てつ」
さっきまであれだけ怒っていたてつに、念のためと問いかけると、
「……チッ」
舌打ちを返された。その目は、天遠乃さんと遠野さんを見ている。
「……やりゃあいい。……ただ、」
ただ?
「変な気を起こしたりでもしやがったら、消し飛ばしてやる」
てつは牙を剥き、鼻にシワを寄せた。
『分かってる。変な気なんて起こしたりしません。誓うわ、……えっと、てつさんに』
天遠乃さんは真面目な顔で、てつを見る。
「……ふん」
てつは、一応は気が済んだのか、まだ不服そうな顔をしながらも、腕を組んで背もたれに背を預けた。
『じゃあ、杏さん』
「はい。いつでもどうぞ」
私はもう、自分の魂を知覚している。準備は万端だ。
『ありがとう。──失礼するわね』
天遠乃さんがふわりと、前のように抱き締めてくる。そして、私の意識は外へと向かい、一瞬暗転し。
『──成功、ですね』
私は幽体でふわふわと、座っていたソファの横に漂っていた。
「……」
天遠乃さんはというと。
「……ええ。今回も、問題なくいったようね」
ソファに座ったまま、自分の──つまり私の──両手を顔の前に掲げ、握ったり開いたりしている。
「どう? 守弥、てつさん」
天遠乃さんはニコッと、二人に笑いかける。
「……ええ、本当に、出来てしまえるんですね……」
遠野さんは、なんとも言えない表情になっていて。
「…………」
てつはというと、立ち上がり、私と天遠乃さんを、矯めつ眇めつするように、
「…………」
様々な方向から、眺める。無言で。顔をしかめて。
「杏」
『うん?』
ふわふわ浮かぶ私を見つめ、どうするのかと思えば、てつはこっちに手を伸ばした。
『ん? ……え?』
そして、頭を鷲掴みにされる。
『え? な、なに』
「てつさん」
自分の、つまり天遠乃さんの声にそっちを向けば、天遠乃さんも同じ様に頭を掴まれていて。
『……これは、なんですかね? てつ』
「なんでもない」
なんでもなくはないでしょ。と、てつの気が、緩く波打っていると気付いた。
……ああ、なるほど。
『てつ、体と魂の繋がりなら、ちゃんとしてるよ? 私もそれを、きちんと確かめられてる』
てつは、私の気が変になっていないか、確かめたかったんだろう。そう当たりを付けて、声をかける。
「……まあ、……そうだ、な」
てつは私と天遠乃さんから手を離し、座り直すのかと思ったら。
『ん? ぉわっ?!』
私のお腹に左腕を回し、脇に抱えた。そして、その状態のままドカリと、さっきの場所に座る。
『……てつ?』
ソファが大きいおかげで、ぶつかる事はなかったが、私はうずくまるような体勢になってしまった。
『あの、これ、なに?』
「これ?」
『いや、これ』
てつの腕を、ペシペシと叩く。
「気にすんな」
気にするわ。
『……天遠乃さん』
「はい、何かしら」
『あの、壁とかをすり抜けるやつ、どうやったら出来ますかね』
私は今、幽体だけど、体が少し透けている事と、ふわふわ浮かぶ事くらいしか、幽霊っぽい事が出来ていない。なので、この体勢を変える事も、てつの腕から抜け出す事も、出来ないでいる。
「……あー……教えても良いんだけれど……」
天遠乃さんは、てつをちらりと見やって。
「今は、そのままの方がいいと思うわ」
『えぇぇ……』
天遠乃さんに裏切られた。
「まあ、それで。ちょっと待っててね、杏さん」
ちょっとだけ申し訳無さそうな顔になり、そう言われる。
現状を変える事は、出来ないらしい。
「で、守弥」
天遠乃さんが、遠野さんに向き直る。
「そっち行っても良い?」
「……ええ、どうぞ」
なんだか諦めたような顔と声で、遠野さんが応える。それに天遠乃さんは喜々として、もうホントにワクワクした様子で、さっきまで浮いていた場所に、要するに遠野さんの隣に座った。
「守弥、手、握っていい?」
「……てつさん」
「いいから早く終わらせろ」
その言葉に、遠野さんは「……ですね」と言って、天遠乃さんに右手を差し出した。
「……て。守弥の手だわ。やっぱり、ちゃんとあったかい」
最初はそうっと両手で持っただけの天遠乃さんだったが、次の瞬間握り締め、自分の胸に押し付けた。
……うおぅ……。
「おい」
てつの声が低く響いた。すかさず遠野さんが口を開く。
「分かってます。……当主、やり過ぎは禁物です。それは、榊原さんの体なんですから」
「……ええ、そうね。分かってるわ、……分かってる……杏さん」
『え? はい』
「どこまで許してもらえる?」
ぐるん、と天遠乃さんが私に顔を向けた。
『へ?』
「守弥の手に頬ずりするとか、守弥を抱き締めるとか、五分くらいそのままでいるとか、他には、」
「当主」
遠野さんの声に、天遠乃さんは動きを止め、次には下を向いてしまう。
「……だって……」
『……ええと、遠野さんが良ければですけど、私は別に、いいですよ』
「ほんと?!」「杏」
天遠乃さんとてつの声が重なった。
「……榊原さん。そこまでしてもらわなくても大丈夫ですよ」
遠野さんが言えば、天遠乃さんはシュン、と、また下を向いてしまった。
『いや、本当に大丈夫です。どうぞ』
「おい、杏」
『だって、てつ』
こんな状態の天遠乃さん、初めて見たし。こんなに強い想いをずっと押し込めていたんだと思ったら、その、ちょっとくらいは、さ。
『ちょっとくらい、いいでしょ? あ、でも、私からも一つ、注文が』
「なんでしょう」
遠野さんの静かな問いかけに、少し、言いあぐねて。
『その、そちらのことが終るまで、私、席を外していたいんですが』
やっぱり、中身は天遠乃さんと分かっていても、自分と遠野さんが手を繋いだり抱き締め合ったりしてるのを見るのは、なんか、居心地が悪い。
「駄目だ」
てつは即答する。
『でもさ。……えっと、二人にしたほうが、いいんじゃないか、な……?』
ギロリとこちらを睨むてつに、ちょっと顔を逸らしながら言う。
「お前、本当、自分がどうなるか想像がついてんのか?」
『……それなりに』
「てつさん、誓うわ。あなたと、杏さんの体に。変な事はしないって。だから、お願い!」
天遠乃さんが、ずっと握っていた遠野さんの手から自分の両手を離し、パン! と柏手でも打つように顔の前で合わせた。
「当主」
「だって、だって守弥……!」
ヤバい。これじゃ、姉弟喧嘩が始まってしまう。
『えっと、それじゃ、時間を決めましょう。……えー、二十分?』
「はあ?」
てつにギロリと睨まれたので。
『じゅ、十五』
「駄目だ」
『十……』
「長い」
『……ご、五分……』
これ以上は、と祈る気持ちで言えば。
「……ハァ」
『うおっ?』
てつが立ち上がった。その拍子に声を上げてしまう。
「こいつが言った通り、五分だ。それだけくれてやる」
「いいの?!」
天遠乃さんは喜色満面の顔で。
「てつさん、大丈夫ですか」
遠野さんは、とても慎重な顔と声音で。
「……言ってもこいつが聞かねぇ。これじゃあ埒が明かねぇ。姉弟の絆だかなんだか、とっとと終わらせろ」
「ありがとう! てつさん!」
「……お前のためじゃねぇ。こいつが言ったからだ」
そしててつは、私を抱えたままスタスタと歩いていき、ドアを開け、通路に出て、バタンとドアを閉めた。
『……てつ』
「あ?」
『ありがとう。……それと、そろそろ離してくれない?』
いつまで抱えられているんでしょうか、私は。
「駄目だ」
『なんで』
「幽体に慣れてねぇお前の事だ。何があるか分からねえ。だから、お前も五分、このままだ」
『まじすか』
……あれ。
『てつ、時計持ってる?』
「あ? んなもん持っちゃいねえが?」
『どうやって五分計る気?』
「この部屋の時計の音が聴こえてる。それを数えてりゃ、いつ五分が終わるか、分かんだろ」
……ドア越しで? ……耳、いいな。さすが狼?
『……とりあえず、今、どのくらい経った?』
「一分五十五秒」
細かっ。
「今、二分経った」
てつはドアに背を預けようとして、それだと私がドアに引っかかると分かったらしく、右肩をドアに当てるようにして、もたれかかった。
「……ったく。お前、何を隠してると思ったら、こんな事をしていたとはな」
『う、その……話さなかったのは、ごめん。でも、支部では話さないでって、天遠乃さんに言われてたからさ……』
てつはそれに、ハアァ、と大きな溜め息を吐いて。
「……てめぇでてめぇが厭になるな」
『え、私の事嫌いになった?』
「違う」
『?』
首を傾げたけど、てつは私を見ていないので、どうにもならない。
『てつ、どういう意味?』
「気にすんな。俺の問題だ」
『てつの問題……?』
「ああ」
てつは前を向いたまま、私とは目を合わせてくれない。
『てつ』
「あ?」
『ずっとそっち向いてるけど、どこ見てるの?』
「どこも見てやしねえよ」
『じゃあ、ちょっとこっち向いて』
ちらり、と横目を向けられる。
「で?」
『いや、深い意味はないけど……』
「何が言いたい」
少し苛ついているような、そんな声で言われてしまい。
『いや、その、……えっと、てつは何を気にしてるのかなーって』




