14 危なっかしい
目を閉じ、椅子に座っている私は、ゆっくりと瞼を上げて。
目の前の、ふわふわと浮かぶ私と、その視線がかち合った。
「……」
『……』
うわ、浮いてるな、私。そんで中に入れたと思われる天遠乃さんは、私を見つめたまま、動かないけど……。
『……天遠乃、さん?』
「…………、……、……ぁ、」
目の前の私は、ぱくぱくと口を動かし、微かに声を出して。
「……せ、成功したわ……杏さん……」
それは私の声だったけど、中にある気の揺らぎは、確かに天遠乃さんのものだった。
「せ、成功……! うわ、重力! 重力を感じるわ杏さん!」
立ち上がった天遠乃さんは、一瞬よろめき、けれどすぐに真っ直ぐに立つ。
『良かったですね。体に支障はありませんか?』
「ええ、大丈夫みたい。拒否反応もなし。それと杏さんも、体との繋がりは切れてないでしょう?」
言われ、また少し集中すると。
『……みたいですね』
私の揺らめいているものが、きちんと目の前の体と繋がっている事を確認出来た。
『じゃあ天遠乃さん。これで、遠野さんと……』
言いかけて、はたと気付く。
これ、中身は天遠乃さんだけど、見た目は私なんだよな。遠野さんの事だから、そこまで気にしないと思うけど……。
「ええ! 本当にありがとう、杏さん! ……じゃあ一旦、体に戻りましょうか」
『えっと、戻るのはどうやれば?』
「私がさっきやったのと同じ事を、杏さんがするの。そうすれば魂はまた入れ替わって、杏さんの体と元の魂はきちんと繋がるわ」
『分かりました。では、失礼します』
自分の体に失礼って言うのも変な気がするけど、なんて思いながら体に抱きついて。
天遠乃さんがスゥッと抜けて、私が空になったその中に、入っていく感覚があった。
そして一瞬、また意識が暗転し。
『どう?』
パチリと目を開けた時には、私の魂は元に戻ったらしく。目の前には天遠乃さんがふわふわと浮かんでいた。
私は軽く体を動かして、気の流れも確かめて、問題ないと判断する。
「大丈夫そうです。上手くいって良かったですね」
言えば、天遠乃さんは本当に嬉しそうな笑顔になって。
『杏さんのおかげよ。後は、これを守弥に伝えて……』
え?
「言ってなかったんですか?」
『それは、だって。出来るって確実には分からなかったし……それに、そんな事、言い辛いし……』
視線を斜めにして、その長い髪を指でくるくると巻く天遠乃さん。
……この姉弟、相手の事となると、途端に不器用になるな。
「で、成功したんだから、遠野さんに伝えるんですよね?」
『ええ。それで、都合がついたら改めて、また貸してね、杏さん』
「了解です」
これで、天遠乃さんの、私への用事は終わったな。……それにしても、本当に誰も来ない。
「今日って、なんか忙しい日でしたっけ?」
『え? ……そんな事、ないと思うけれど……?』
どういう意味? という天遠乃さんの視線に答えるように、言葉を続ける。
「いえ、ここに誰も来ないなーと、思いまして」
『あ、それはね。軽く人払いの術をかけてるからだと思うわ』
「はい?」
天遠乃さんの言葉に、目を見開いた。
『だって、こんな話。誰かに聞かれたら面倒になるでしょう?』
それは、たぶん、その通りだ。誰かってのは、本部長関係だろう。
「でもここ、カメラだったり通話記録だったりがされてるんですよね?」
天遠乃さんだって、いつもそれを気にしてる。なのに、ここで話した。
『あ、それについてはね。ここくらいの場所なら、私の霊障で無効化出来るって分かったから安心して? 今も、それで周りの電波を無効化してるの』
……それは、安心して良い事柄なんだろうか。
そう思うものの、ふわりと笑う天遠乃さんを見ていると、まあ、良いのか、みたいな気持ちになってしまい。
「……そうですか」
それだけ言った私だった。
その後、『これ、他言無用ね? 何かあったらマズイから』と言われたので、その後足を運んだ洞窟でも、てつにその事は話さずにいた。
けれど、この狼は、そういう事にとても鋭い。
「……おい」
「ん」
「お前、何に気を取られてる?」
洞窟にて、スマホでゲームをしていたら、そんな事を言われた。いつもより低く、それでいて響く声で。
「何って、なんのこと?」
「……いつもと違う事くらい、簡単に分かる。何を気にしている?」
……。ここは、支部の中。せめてここが家だったら、隠さなくてもいいんだけど。
「……天遠乃さんの事」
私は全てを隠すのではなく、大枠だけ言う事にした。
「天遠乃さんとさ、遠野さん。姉弟でしょ。それで、お互いに気にしてて、でも立場や仕事で、あんまり姉弟っぽい事が出来てないんだろうなって」
「……ほぉん……」
私の話を聞きながら、てつは視線を向けてくる。
そういう話じゃないだろう、と言われているようだった。その通りなので、なんとも弱ってしまう。
どうしよう。何か、話を逸らさなきゃ。
「私さ、きょうだいって、少し憧れがあったんだよね。昔の話だけど」
昔。そう、昔の話。もうそれは、小学生になる前に、諦めた。
「私、一人っ子だから。てつもさ、一人っ子? だったんでしょ?」
「……考えた事もなかったが……子供ん時は、周りには母親しか居なかったな」
ああ、そうか。てつはきょうだいどころか、父親の顔さえ知らないんだった。
「……」
話は途切れ、変な空気のまま、無言になってしまう。
そんな私を見てか、ややあって、てつは大仰に溜め息を吐いた。
「別に、お前が変な事に首突っ込んでなきゃあいいんだよ。……お前は本当、見ていて危なっかしい」
言って、てつは自分の尻尾で私を包んで、けど顔はそっぽを向いた。
変な事。……これは、変な事に該当するんだろうか。
「危なっかしい、かな」
もふもふと、てつの尻尾の毛を撫でながら、ぽつりと呟く。
「危なっかしいにもほどがある。……お前も、あいつも。変なとこばっかり似やがって」
てつは小さく、舌打ちをした。
「お前らは、てめえより他者を優先しがちだ。……もっと自分の事に気を配れってんだよ」
あいつとは、榮介さんの事だろう。
榮介さんは、優しい人だったもんな。けど、私、似てるかな。
私には、自分にあの人みたいな優しさが備わっているとは、思えない。いつも自分がしたい事ばかり、してしまっている気がする。
「……えー、……と。……その、では、善処、します」
なので、歯切れの悪い返答になってしまった。
「……まじすか」
それを見上げて、思わず口があんぐりと開いた。
「いいからさっさと入るぞ」
「いや待って、待っててつ。こ、心の準備が……!」
「どんな準備をするってんだ」
呆れられたけど、だって。
こんな大豪邸を目の前にして、庶民である私の、足が竦まないはずがないだろうが。
──事は、一週間ほど前に遡る。
天遠乃さんと、入れ替わる事に成功して。天遠乃さんはそれを、遠野さんに無事伝えられたらしい。
けれど、それを聞いた遠野さんは。
「何をしているんですか……」
頭を抱えたという。
けれど、どうしても実行したい天遠乃さんに押され、押し切られ、遠野さんはそれに対して、首を縦に振るしかなかった、ようだった。
そんな遠野さんも条件を出した。
「けれど、それにはてつさんにも同席してもらいます」
と。
そして、場所は支部ではマズいとなり、天遠乃さんと遠野さんと私とてつの空いている日で、重なるところを見つけ出し。
天遠乃さんが私に、それを伝えに来た。という訳だ。
『場所はね、守弥のお家。あそこなら安全だから。で、こっちで確認はしたけど、杏さんの空いてる日って、この日で合ってる?』
天遠乃さんが、空中に指で何かを書く仕草をする。するとそこが、ぼうっと淡く光る線になり、文字列として浮かび上がった。
「……なんですか、それ」
『え? 日付』
いや、それは見たら分かるんだけど。なにカジュアルに霊的現象を起こしてるんですか?
『あっ、ごめんなさい。これじゃ鏡文字ね。ちょっと待って、書き直すから』
天遠乃さんがその光る文字列に対して、蝋燭の火を手で消すような仕草をすると、それらは簡単に霧散した。




