4 有言実行
「てつ」
半ば無意識に、その名を呼ぶ。てつはちらりとこちらを見やり、ハァ、と息を吐いた。
なに? 今の? 溜め息吐かれた?
「すみません榊原さん。てつさんが昨日言った通りに、一度顔を見せろと……」
「そういうことらしいの」
遠野さんがすまなそうに、宮崎さんがちょっと困ったように言う。
「いえ、そんな。こちらこそ、その、すみません……?」
お手を煩わせてしまい──とは、流石に言わなかった。
「ほらやっぱり。てつさん杏さんに会いに来てた」
華珠貴さんの言葉に、てつの耳がぴくりと動く。
「……では、てつさん。榊原さんの顔も見た事ですし、もう戻って大丈夫ですか?」
顔を向け、問いかける遠野さんに、てつはまたハァ、と息を吐いて。
「杏」
「うん?」
「ちょっと来い」
そんな事を言われた。顔を背けられたままで。
良いんだろうか、と遠野さんと宮崎さんを見ると、二人とも頷く。
「何? てつ」
てつの方へ行けば、その頭上にある顔がこちらを向き。
「……ふん」
一瞬目が合った、ような気のするところでその顔はまた背けられた。
「もういい。用は済んだ」
「え」
「では戻りましょうか。宮崎さん、榊原さん、お忙しい中失礼しました」
遠野さんはそう言って会釈し、もう既に向きを変え歩き始めたてつを追いかけようとして、
「遠野さん! あたしもついてっていいですか!」
「すみません駄目です。てつさんとは、またの機会にして下さい」
華珠貴さんの言葉に丁寧かつ早口で対応し、今度こそ、てつを追いかけていった。
「…………な、なんだったんですか……?」
呆気ない。いや、それは別にいいんだけど。
「それがね。榊原さん達の話で私が外に出たでしょ? そしたらもうホント、その角からてつさんが見えてね?」
宮崎さんは、てつと遠野さんが曲がっていった、通路の先の角を指差す。
「てつさんはずんずん歩いてくるし、後から見えた遠野さんはそれを小走りに追いかけてるしで。で、てつさんが目の前で止まって、この第五の方へ顔を向けたの」
第五とは、第五事務室の事で、今まで私達が作業をしていたこの部屋の事だ。
「で、「杏は」って。今は仕事中ですって言ったら、いつ終わる? って」
てつ、まさか、お前、ここに居座る気だったのか?
「そこに遠野さんが追いついて、事の次第を話してくれて。それで、こっちは仕事もあることだし、ちょっと顔を見せるだけって話になったワケなのよ」
「……すみません、宮崎さん。仕事の邪魔を」
頭を下げ、謝る。
「いいのいいの! 邪魔っていうほどのモンじゃないし。ほら、頭上げて?」
明るく言ってくれて、私は顔を上げた。
「さ、仕事に戻りましょ?」
「はい」
「あたしも戻ります!」
宮崎さんに続いて部屋に入る。華珠貴さんが入るのを見届けて、ドアを閉めた。
「榊原さん、もう時間だから帰っていいよー」
今日の分の入力作業を終えた私は、別の書類をコピーしていた。そこに宮崎さんの声がかかる。
「ありがとうございます。そしたら、今やってる分だけ、終わらせますので」
華珠貴さんは一時間ほど前に「お邪魔しましたー」と出ていった。また別の誰かの所へ行ったんだろう。
コピーを終わらせ、中身を確認して、担当の人に持っていく。もう一度そこでも二人で中身を確認して、終了。
私は、正規の人達より上がりが早い上、事務作業に関しては殆んど残業がない。私が非正規だからか、それとも繁忙期なら私も残業になるのか。そこはよく分かっていない。
「それでは、お先に失礼します。お疲れ様です」
「はいお疲れ様ー」
他にもパラパラと挨拶が返ってくる。私は部屋を出て、そのまま帰ろうとして、ふと思い出し、職場用スマホを手に取った。
特に何も連絡は来てなかったとは思うけど……念のため……。
「……うん」
スマホには特になんの連絡も入っていなかった。私は一安心して、スマホを仕舞い──
ヴーッ、ヴヴッ
「……」
何かの連絡を受け取ったスマホの振動で、再びそれを取り出した。画面を見れば、遠野さんからだ。
メールを開き、文面を読む。
「……」
内容を簡潔に書くと、こうだ。
・これからは仕事終わりにてつの住居となっている場所へ行って、少しの時間過ごしてほしい。
・てつからの時間指定はないが、長くても三十分ほどで大丈夫だろう。
・その時間分の給与も出ることになっている。
・今日は一度顔を見たから、てつの所へは行かなくて良し。
「……てつさんよぉ……」
はあぁ、と思わず盛大に溜め息が出た。
なんでここまでするのかね? 私の家に住みたがって、バイトのある日に一回は会う事を決めて。私何かした?
「いや、したでしょ」
という心境を翌日、大学で芽衣に話すと、開口一番そう言われた。
「あんた、どんな事に巻き込まれたか、もう覚えてないの?」
呆れ顔で言われ、思い返す。
「巻き込まれたって……」
芽衣が言うそれに思い当たるのは、一つ。四獣達が画策した、世界の均衡めちゃくちゃにしてやろう事件だ。
因みに、芽衣もこの事件の概要はざっくりと知ってるし、てつが帰ってきた事も、遠野さんに確認を取ってから話してある。
「あれは、そりゃ、大変な事だったけど。……それが?」
「"が"?」
「いえそのそれがてつの行動とどう関係するのかなーって思いまして」
ずいっと、怒ったような呆れたような、そんな顔を寄せてくる芽衣から距離を取りつつ、早口で言う。
「……分かんない?」
「……、……えっと、分かんない、です……すいません……」
芽衣は顔を引き戻し、はあぁぁ……と盛大に溜め息を吐いた。
「杏ってさ」
「はい」
「恋愛漫画の激ニブ鈍感主人公みたいだよね」
「……はい?」
なにそれ。
「……えーと、生憎と恋愛漫画はあまり読みませんで……」
「そのまま検索してみなさい」
「えええ」
悲痛な声を上げる私に、芽衣は腕を組んで。
「私から言ってもピンとこないと思うから。自分でそれに気付かなきゃダメなんだよ、こういうのは」
「そんなぁー芽衣先生ご教授をー」
「ダメですー」
そんな事をやっているうちに講義の先生が講義室に入ってきて、話は終わった。
「……」
「……、……」
今、私はもふもふのてつの横っ腹に背を預けている。
事務仕事を終え、伊里院さんにてつの所へと案内されて、一見普通のドアを開ければ、そこは。
『……はー……』
森の中だった。
『この目の前の道を行きますと、てつさんがお住まいになっている洞窟があります。てつさんはそこで待っておられるかと』
『あ、伊里院さんはここまでって事ですか?』
『はい。なるべく──あ、いえ。そう指示を受けていますから』
では、と伊里院さんは仕事場へと戻っていく。言われた通り、目の前のゆったりカーブしたそれなりの幅のある道を行くと、大きな岩をくり抜いたみたいな洞窟があった。
これ、見たことある。てつと、榮介さんの記憶を視た時のやつだ。要するに、ここはてつの故郷を模している訳か。
一人納得し、『てつー』と呼びかけながら洞窟の奥へ進もうとして、
『なんだ』
その闇の中からぬっと金色の大狼が現れた。
なんだとはなんだ。
『会いに来たんだよ。てつとは、バイト日に一回会う約束でしょ』
『……あぁ……』
てつは私の眼前まで来ると、どっしりと腰を下ろした。そして、何も言わない。
『……てつ』
『なんだ』
『私、何してればいいの?』
『……別に、何も』
呟くように言ってから、
『あぁ、だが、それなりに近くに居ろ。それ以外は何をしてようが構わねぇ』
そんなふうに放り投げられたので、
「……」
ちょっと考え、てつの横に座り、そのもふもふを背もたれにしてスマホをいじることにした。
「……」
こんなんで良いんだろうか? 遠野さんからも特に何かしろとは言われていないし、伊里院さんからも言われなかった。加えて、当人、えぇと、当狼が「何もしなくていい」と。
「……」
無言だが、てつの気の揺らぎは穏やかだ。住処に似ているここにいる事で、少しはリラックス出来ているのかも知れない。
「……ねぇ、てつ。ちょっと聞きたい事があるんだけど」
「あ?」
私は芽衣に言われた通り正直に、【恋愛漫画の激ニブ鈍感主人公】を調べながら、なんとはなしに言ってみた。
「なんで私さ、てつと一日一回会う事になったの?」




