46 緊急事態なので手荒に封を破ります
「……あ、止まる」
船の速度が緩やかになり、エンジン音が小さくなる。停止したのは、昨日より社に近い位置。
「なんだあ?早いなぁ」
海面が大きく揺れ、白く波立つ。船尾の方から、ザブァ……と、海坊主さんが顔を出した。
「おはようございます。皆、張り切ってるんですよ」
操縦室から出てきた遠野さんが、努めて明るく応え、話を始める。
「昨日、皆で話し合いまして。こちらに反応を示してくれた姫様と、それによって皆さん──」
てつが言った、『時間がない』部分は伝えない事になっている。もし伝えたら、気付かれたら。
『この身果てるまで姫様と共に居ろうぞ!』
あのダンさんの言葉通り、皆梃子でも動かなくなるだろう。そういう結論に至った。
「……あの」
「はい?」
遠野さんと海坊主さんが喋るのを眺めていたら、後ろから声をかけられた。
「あ、織部さん」
織部さんは眉尻を下げて、
「あの……昨日は本当に、遅くまで……」
「だから大丈夫ですって。気にしないで下さい。今日沢山寝れば良いだけですから!」
船に乗る前も謝られたし……。そう申し訳なさそうにされると、心が痛む。
「蓮と榊原さんは、仲良くなったんだねえ」
織部さんの後ろからしみじみとした声が聞こえ、稲生さんが歩いてきた。
「仲良く」
そこまでいったんだろうか、あれは。そう考えながら織部さんへ視線を移す。
そしたら不安そうな顔をこちらに向け、口をもごもごさせていて。
「……そうですね!割と仲良くなれました!」
一瞬にして、織部さんの表情が明るくなる。わっかりやすいな。
「そっか。今回以外の時でも、一緒になったらよろしくね」
稲生さんも、そんな織部さんを見て微笑んだ。
「はい、こちらこそ」
織部さんと稲生さんは、良くチームを組むらしい。そのためか、単に年長者だからなのか。稲生さんも織部さんの悩みは知ってるし、気にかけているみたいだ。
「おい」
「ん?」
狼から狼男へ。瞬く間に姿を変えたてつは、私の頭に手を置いた。
「気が浮ついてる」
そしてがっしりと頭を掴み、
「え?ちょっ」
ぐわんぐわんと回される。
待ってそれは、それは気持ち悪く……。
「おっと」
「うわぁ……」
見てないで止めて下さい二人とも。
「溺れるような間抜けはすんな。昨日よりもっと慎重に動け」
そう言うと、回された頭は元の位置に戻される。
「ぅお……ん?」
同時に、スゥッと何かが抜けた感覚があった。眠気が、覚めた?
「てつ?なんかした?」
「気付けだ気付け」
「気付け……」
頭を回すのが?
「お、あっちも終わったみたいだよ」
稲生さんに言われ、同じ方を見る。遠野さんがちょうど、こちらに振り返るところだった。
「それじゃ、始めますよ」
「頼むなあ」
その後ろから、海坊主さんが海面から手を出し軽く振っ──
いや、それ、船が揺れる……!
昨日より近いから、現場にはちょっと泳いだらすぐ着いた。
「……淀みが、薄くなってる?」
窪地の周りは少しだけ、通常の海のような雰囲気を感じられた。
「押し込めてんだよ、あの『姫』が」
また、顰め面。てつはそれだけ言って、遠野さんと共に降りていった。
「……押し込めて……」
織部さんはそれを目で追い、不安そうに呟く。私も気になって、姫様へ近付いていくてつ達を見てしまう。
「……さ!こっちはこっちでやろうか」
「あ、はい……」
「……はい」
そんな私達を稲生さんは促して、少しぎこちなく仕事が始まった。
「姫様……」
昨日同様、姫様を心配しているひと達は窪地の縁に集まり、底を覗いている。……その上、少し増えてる?
「楽にはなったけどさ……」
「……姫さん……」
そうか。環境が少し改善されて、自分達で避難してたひと達も集まって来たのか。
……仕事量が、増えたって事?
「あいつらが来たぞ」
「おお……!」
そして皆、社へ降りていくてつ達へ目を向けた。また昨日のような事が起こるんじゃないかと、辺りは一気に色めき立つ。
「皆さん」
そこへ稲生さんが呼びかける。
「ああ、あんたら!」
昨日より反応が良い。一気に沢山のひと達がこちらを向いた。
「また姫さんは、お社を守り始めてしまったんだよ」
「また、起こしてくれるのか?」
「どうか姫様を……」
まあ、分かっていたけれど。皆、自分より姫様の方を気にかけている。
「ええ、今度は昨日よりもっと、姫様と話が出来るでしょう。そのため──」
稲生さんの言葉は、集まったひと達の歓声にかき消された。
「姫様が助かるぞ!」
「ああ、ああ!良かった……!」
「姫様もお社も、ここも!また元に戻るんだ!」
歓声が、心に響く。どうにも嫌な響き方だ。私達は今、このひと達に重大な隠し事をしている──。
「……っ」
思わず口を引き結ぶ。
「だから、みんなも早くここから離れて」
その隣から、力強い声がした。
「この環境が良くなるまで、昨日行ったひと達と一緒に支部にいて。またここが元に戻ったら、そしてみんなが良くなったら、全員帰ってこれるんだから」
そう言って、織部さんは胸を張る。そして私を見た。
「ね!」
「あ、はい……あ、うん!そうです!姫様もですけど、まずは皆さんが動かないと!姫様はてつ達がきちんと対応しますから」
この言葉は、彼らを守るため。てつも結局なんだかんだ言いながら、とても渋い顔で「わぁったよ……」と言ったんだから。
だから、大丈夫。いつものように、昨日のように動けばいい。
「でも、それなら姫様と一緒に行きたいねえ」
ダンさんとは違う白黒のクマノミが、言いながら社を伺う。
「俺も、先に行くのは忍びねえ」
「姫様がここからお離れになるんなら、それについて行きたいよ」
今度は、そういう方向の問題か……。
「皆さん、まずは皆さんが動かなければ。そうすれば姫様も安心なさって、ここから離れやすくなるでしょう」
稲生さんの言葉に、皆あちこちで顔を突き合わせたり、話し始めた。
「姫様を安心させる……」
「でも本当にお社から、姫様は『しぶ』とやらに行くのか?」
「だけど昨日のを見たろう」
「ああ。どうやってかあいつらは、姫様と言葉を交わした……」
昨日より確実に、周りのひと達の気持ちは揺れている。
「ねえ、考えるのも大事だけど。それなら『姫様のためになる事』を考えてみなよ」
「姫様のため……」
織部さんの言葉にも、耳を傾けてる。これならこのまま、上手くいけば全員保護出来るんじゃ──
ボォァアアッ!!
「っ!」
社の方から、勢い良く何かが弾けた。その衝撃は窪地から溢れ、形を崩しながら外へ広がる。
「何だ?!」
「今何が」
「姫様ぁ!」
一気に騒ぎ出し、社の方へ身を翻すひと達。薄まったとはいえまだ強い衝撃波の残りによろめきながら、窪地の底を覗き込む。
「大丈夫です!今のはてつ、ええと、あの狼がやったものです!」
呼びかけながら私も縁へ、というかそっちへ行ったひと達のもとへ泳ぎ走った。
「説明する前に始まってしまったね……聞いてはいたけど、結構な威力だ」
稲生さんも織部さんも、同じ様に縁へ近寄る。
「何が起きたんだ?!」
「今のは、てつが姫様の意識をこちらへ向けようとしたんです。だから──」
言いながら、社へ目を向ける。
「……」
社のすぐ傍で牙を剥くてつと、苦笑いでもしているような雰囲気の遠野さん。
姫様はまるで何もなかったかのように、社を抱えたままだった。
「姫様……!」
「おい、本当に何をしたんだ?!」
周りのひと達は右往左往し、何人か私に詰め寄る。
「危ない事をしてないだろうな?!」
「姫様になにかあったら、あんたらも只じゃおかないよ……!」
「……はい。大丈夫です。そんな事にはさせませんしなりません」
私の声が少し低かったからか、詰め寄ったひと達はちょっと離れた。
「失敗ではないようだけど」
そう言って、稲生さんも少し眉をひそめて姫様達を眺める。
「はい。姫様はちゃんと起きてますし、気付いてます」
私の言葉に、周りはまたこっちを見た。
「織部さんも、分かりますか?」
魚の気持ちが分かるって、昨日聞いたけれど。……まあ姫様は、魚じゃないけど。
「……うん。なんとなくだけど、分かる。姫様はあえて無視してる」
織部さんの言葉に、またどよめきが起こる。
「姫様……?」
「お社を守るためだろ?」
「けれど昨日はお顔をお上げになって……」
『A班B班、C班は順調に進んでいます。皆さんの動揺を収めて、作業を続けて下さい』
遠野さんの声が、耳から響いてきた。
それと別に少しずつ、社の方から何かが伝わってくる。苛立ち……違う、怒り?それと、困惑と哀しみ……?
『それを言葉通りに受け取って大丈夫なんだね?なんなら一旦、全員とは言わずとも姫様へ人手を割いても良かったりしないか?』
稲生さんの言葉に、遠野さんは少し間を置いてから、
『……いえ、最少人数で当たった方が良いでしょうから。このまま進めていきましょう』
『……了解』
苦笑しながら応えた稲生さんに続いて、皆も返事を返していく。
『了解、しました……』
私も、なんとかそれだけ返す。けれどまだ、社から──恐らく姫様から伝わる渦巻く感情に、足を動かせない。
「……織部、さん」
「はい」
「織部さんには、伝わってきてますか……?姫様の……」
織部さんは首を傾げ、ややあって口を開いた。
「自分の封を破られた苛立ちの事?それなら僕にも、多分周りにも伝わってるだろうけど……」
「いえ、それじゃなくて……」
なんだろう。上手く言えない。滲むようにぶつかってくる感情の波に、足元を掬われそうな気分になってくる。
「皆さん、問題はありません。じきに姫様もまた顔を上げます」
まだ騒めいているひと達へ、稲生さんが呼びかける。
「ほら、二人も。……榊原さん?何かあった?」
「……いえ、大丈夫です」
良く分からないものに時間を使ってる場合じゃない。一度深く、深呼吸をして。不安そうなひと達の説得に、戻っていく。
大丈夫。てつがいる。




