43 共に
「では、一旦上がりましょう。あなた方の負担にならないようにお連れしますから、ここに集まって下さい」
稲生さんが、作業着のポケットから小さな四角を幾つか取り出す。それを手の中でぐしゃりと潰して、集まったひと達へ放る。
「……中、別にここと変わんないんだな……」
どこか安心するように、青い小さな魚が呟いた。
展開された、幾つもの大きな四角の結界。その中に保護されるひと達は一度入れられる。というか展開した時点で入ってる。
結界というより、水槽のように使われる結界。初めに説明された時、私はもう、結界や封というモノは便利道具なんじゃないかと思ってしまった。
『A班、保護収容で動きます』
『了解』
『了解』
稲生さんの言葉に、いくつも返事が返される。そして稲生さんは来た道、海水の向こうへ顔を向ける。
「うーんどうしようかな。一人は残るから、私と榊原さんが行くか、私と蓮が行くか」
蓮……は織部さんの名前だ。そう、ちゃんと皆さんの名前覚えないと。
「僕行く」
「じゃあ私は残る方で」
織部さんの言葉に続けて、私も意志を示す。
「おお。じゃ、次の時は逆ね。行くよ」
「待って、くれ」
ダンさんが結界の中からこちらへ、ゆらゆらと泳いでくる。
「どの口がと……自分でも、思うが……どうか……姫様、を……」
言い終わる前に、透明な四角の底へ落ちる。
「ダンさん……!無理するなよ……!」
「あっち行く前に、あんたが死んじまうよ……」
「……ダンさん、今はご自分の身を案じて下さい。姫様の事は、我々が責任を持って対応します」
稲生さんの言葉に、ダンさんはまた少しだけ身体を持ち上げる。
「どうか……頼みます……」
そして結界達はふわりと浮かび、進み出す。それに合わせて、稲生さん達も泳いでく。
「昔からこういうものなのか、最近こういうものになったのか……」
あの結界と海上の船とは、何かしらで紐付いているらしい。それを頼りに半自立的に、結界は海中を進む。
「……本当に、変なとこに行く訳じゃあないんだよな?」
さっきの大きな赤いウミウシが、不安そうに私に訊ねてきた。
「はい、勿論。ちゃんとした設備があって、きちんと治療も受けられますし療養も出来ます。以前、支部に保護されてこちらに戻ってきた方々から、そういった話は聞いてませんか?」
今ここに残っているのは、比較的元気なひと達。力を振り絞る強情さは出さないものの、「自分はまだ大丈夫だ」と説得を避ける方が多くなる。
「まあ……聞いちゃあいるが……」
加えて元気なおかげで、説得に応じず抵抗されたりする可能性も高まる。すると、その種類によっては惨事が起きるかもしれなくて。
「問題なく、元気になって戻ってきましたよね?皆さん、皆さんと姫様も、そう出来る道があるんです」
だから出来るだけ歩み寄り、その本人が自ら動くように進める事。そうは言われているけれど──
「でもさ、私はまだ余裕だよ。姫様が行くってんなら、それについて行きたいよ」
赤い二本の角がある、長い鱗の身体をしならせた人面の魚が、そう言ってきた。
「でも、今のこの場所は危険です。何もなくとも長くいるだけで、心身が蝕まれてしまいます。なので、出来るだけ早く一緒に来て頂けると安心なんですが……」
「海が悪くなってるのは皆分かってるよ。だから姫様が心配で……」
その言葉に、周りのひと達もまたざわざわと喋り出す。
「そうだよ。やっぱり姫さんが心配だ」
「また元のように、お社をお守りし始めたら……」
「姫様と共にいるぞ!」
あああ、話が元に戻ってしまった。これをずっとやっていた初期の人達、大変だったろうな……。
なんなんだ、この無駄に眩しい犬は。
「分かってんだろ、そうしてても良くはならねえって」
「……何を」
何故、どうして、私の封をこじ開ける?このままここで、社と皆を護っていたのに。
「てつさん」
「うるせえ。てめえはここで、果てる気だ。皆だのなんだの、背負った気になって穏やかに社になるつもりだろう?」
陸の者が、分かったような口を。
「なんなのだ、お前は。この無礼者が」
力の強さは測れるが、それは陸での力に過ぎない。それでなくとも、そのような口の利き方。
「俺ぁ…………てつだ」
「てつとやら。生憎だが、私はお前に構う暇などない」
ああ、気が揺れて封が緩んでしまう。また元に、いや、より強固に直さなければ。
「姫様、『瑠璃鱗の磯姫』様、どうか少しだけでも耳を傾けては下さいませんか」
「……」
隣の人間は、少しは出来た奴のようだ。……いや、どこかで……?
「お前、前にどこぞで会ったか?」
「覚えてらしたんですね。十年前のあの時にお会いしました、超自然対策委員会の遠野守弥と申します」
そうか、十年前か。名も僅かに憶えている。黒だらけの中で動く白は、色は違えど、あの子と同じに目立っていた。
「……それで、何だ」
「このままでは、あなたもあなたを慕う者達も、全てが危険に晒されます。いや、晒されています」
周りに見える者達。皆、こちらを見て私を案じている。
ああ、これだけでも救えたのか。
「……皆には己の身を案じろと伝えてくれ。私はここに残る」
犬の方から、舌打ちの音がした。
「まだ言ってんのか。お前も行くってんだよ。ここは俺達に任せやがれ」
「どこの誰とも知れぬ者に、この社を任せられるか。そうでなくとも、私は動く気は無い」
あの子もまだ、ここにいる。あの子と共に、ここを守る。
「ですが、磯姫様」
「何度も言わせるな」
滞った流れを整え、社に巡らせる。私と、流れを同じにする。
「……お前、危ういな」
もう犬に耳など貸さぬ。
「そこに縛られ、自分でそれに酔ってんのか。それを知ったら、あいつらがどう思うか」
貸さぬ、貸さぬ!
「『姫様は、我らよりご自分の欲を優先なされた』とか、言ったりすんじゃねえ「貴様!!」」
流れが乱れる、巡りが滞る。戻さなければ。
しかし、この犬は!
「何も知らぬ、お前に!何が分かる!!」
髪を伸ばす。こいつを連れてきた遠野とやらも同罪だ。
「……はぁ、てつさん。穏便にと言いましたが」
「知るか。苛つくんだよ、こいつ」
どこまでも無礼な!
「姫様だか磯姫だか知らねえが、お前、無駄に偉そうにしてんなよ」
「何を!何を!!知ったような口を!!」
そのまま髪で覆い尽くす──
「……っ?!」
直前で弾かれた。
「一人でやるなら全部一人でやれってんだ。それが出来ねえなら周りを頼れ」
「……言ってくれるな、この犬が」
思ったより、ここでも力を使えるようだ。
……ああ、皆が心配する。気を静めなければ。
「姫様」
遠野の方が姿勢を正し、再びこちらに語りかける。
「僕らには、この状況と問題を解決する策も術もあります。どうか、話を聞いて下さい」
……ほお。
「十年前にあれほどの事になってから、少しは力が付いたというのか?お前達は」
社の流れを、整える。大丈夫、こちらに漏れてはいない。
「ええ。人にとっての十年は、長い期間ですから」
挑むような笑みの横で、今度は犬が息を吐いた。
「お前も大概だな、遠野」
「まあ良いじゃないですか」
淀むこの場で、何かしら守りを施しているのだろう。この者達は皆と違い、負担無く動いている。
「この場は今、姫様のおかげでなんとかバランスが取れています。ですが、とても不安定な状態である、そこに変わりはありません」
そこだけを見ればこの者の通り、十年前より多少ましな事が出来るのだろう。
「強固な結界を幾重にも張る必要があります。そしてそれは、海流や自然の状態を歪めないように行わなければなりません」
社と意識を合わせつつ、真剣な面差しで話すこの者を眺める。この遠野とやらの力も、人にしては相当なもの。
「けれど、姫様を案じる皆さんが動かず、その作業に入れないのです。あなたが周りに呼びかけ、自身もここから離れれば、それが可能になります」
だが。
「お前達のその策が、必ず成ると何故言える?」
「……それだけの事を、この十年でしてきたのです。不安があるのもよく分かります。けれど何もしなければ、あの時よりもっと、酷くなるかも知れません」
「そうであろうな」
遠野の眉が微かに動く。
「だからこそ、私は今こうしている。あと少しすれば社はより頑強に、流れも元の通りになる」
あの子のように、あの子と共に、私も。意識を、馴染ませてゆく。
「故に、私はお前達の力を必要とはしていない。けれど策をするというのなら、私ごとすると良い」
遠野は眉を寄せる。犬の溜め息は苛つくが、今は窘めている暇など無い。
「そうすれば、より強固なものが造られよう。……この海域の者達の事は、宜しく頼みたい」
もう、これ以上は時間も惜しい。またこの場と、社と……ひとつに……。
「ですが姫様」
「何度も……言わせるな……」
瞼を閉じる。深く、近く、意識を──
以下、勝手な補足です。読み飛ばしても問題ありません。
磯姫はてつの事を「狼」だと認識してはいますが、てつの言動に腹を立てているので「犬」と言っています(心の中でですが)
それと磯姫の上半身は裸です。社に抱き付いて背中しか見えていないのと、周りの誰もそれを気にしていないので分かり易い描写はありませんが……
書いてて思いましたが、下半身も鱗に覆われてるだけなので何か身に付けてる訳じゃありませんね。こちらも人型でないためか誰も気にしていませんが。




