42 姫様を慕う者達
「何?」
「どういう意味だ」
今度はわいわいと、集まった方々は織部さんに言い寄っていく。稲生さんは、クマノミ──ダンさんを支えながら、それを見ている。
「お社を封じて、ここにいるみんなを守ってるって、本当は解ってるんでしょ?」
さっきまでと違い、はっきりと喋る織部さん。それに押されてか、辺りの声が小さくなる。
「けどそれを自分達は見てるだけで悔しくて、進むも戻るも出来なくなってるんでしょ?」
大切なひとに、何も出来なくて。自分達はどれだけ無力なのかと。せめて共に、その傍に。
「けど、それが姫様の負担になってるのは、あんまり解ってない。ていうか、見て見ぬ振りしてる」
その場は完全に静まり返る。そこへ一つ、絶え絶えの声が響いた。
「良く、言うな……若いのが」
ダンさんは力を振り絞り、身体を縦にする。
「人など……数十、生きれば……御の字の生物が……何を、分かったような、口を……」
言葉一つ一つに怒りが込められて、それがまた、周りに伝播していく。ああ、駄目だ。
「姫様はこの地を長く、何百と長く治められてきたお方!そのお方に対して何もせず、己の身だけを案じろと言うのか!」
「だから違「そのような薄情な事をするくらいならば、この身果てるまで姫様と共に居ろうぞ!」
わああ、と歓声が上がる。熱気が広がっていく。
「ダンさんの言う通りだよ!」
「姫様が身を挺してるってんなら、こっちも姫様のために身を差し出すってんだ!」
皆、それは駄目だ。
稲生さんが溜め息を吐くのを見ながら、私は口を開いた。
「駄目です」
それは存外大きく響き、ヒートアップしていた彼らも口を閉じた。ちょうど良い。
「ただの自己犠牲です、それは。……誰かのためにと痛みを得ても」
そのために死のうとしても。
「その誰かの幸せには繋がりません。ぜっっったいに」
社の上に浮かび、底を見下ろすようにしているてつ。その目が、ちらりとこっちを見た、気がした。
「姫様は、あなた達のために今死ぬほど頑張っている。そして私達は、そんな姫様とあなた達を助けるために今、ここにいるんです」
織部さんと稲生さん、そして周りのひと達がこっちを見る。ダンさんはまだ挑むように、他のひと達は時々視線を外しながら。
「あなた達だけじゃ無い。姫様も!助けるために!来てるんです。だから」
全体を見渡す。
「姫様を助けるために、私達と来て下さい。これ以上、自分達が、姫様が、苦しい思いをしないで済むように。……お願いします」
膝をついて、頭を下げた。私より低い位置にいるひとにも、なんとか伝わるように。
「……姫様を、お社から離せるの?」
すぐ側で声がした。顔を上げると、大きな赤黒いエビが私の左にいて、その触覚を腕に当ててきて。
「姫様は私達も大事にしてくれるけど、お社もとっても大切にしてるの。姫様いつも、ここからは離れないって、言ってた……」
曇天を見上げ、華珠貴は鼻を動かした。
「雨、本当に降ってきそうですねえ」
「この辺りはもう梅雨だからなあ。逆に降ってない今の方が、この時期は珍しいらしいぞ」
後ろを歩く海江田がそう答え、同じ様に空を見上げた。前を行く加茂は反応を示さない。
島で動く「陸組」は六人。それを三人ずつ二つのグループに分けている。こちらも、未だ島に残っているもの達を説得し、保護していくのが主な仕事だ。
「そもそも皆さん、あんまり出てきてくれません」
猫の姿で歩く華珠貴は辺りを見回し、二股の尾を揺らす。
「海の『お社』とそこにいる『姫様』が心配なら、泳げずとも浜まで出てきそうなのに……」
瞬間、辺りが騒めいた。穏やかに吹く風とは違う、意思のある空気の震え。
「あー、華珠貴……それはな……」
海江田が少し躊躇うように口を開き、しかしその続きは加茂が繋いだ。
「私達を警戒して、それが出来ないのでしょう。今、私達の一挙手一投足、一言一句が見られ、聞かれています。安易な言葉は、彼らを傷付けてしまうかも知れません」
そして後ろを振り向いて、視線を下げ、
「その辺りも考えて、行動していきましょう。ここは彼らの土地ですから」
「分かりました!」
華珠貴は精一杯真剣に返事をした。が、その声にまた、辺りが騒めく。
「……」
「少し驚いただけだ、多分。大丈夫だ」
しょげた華珠貴に、海江田は苦笑する。
「……姿は、分かってます。場所も、分かります」
垂れた耳と尻尾が少しずつ立ち上がる。合わせて、その瞳が挑戦的に煌めいた。
「おい、ちょっと何を考え──」
「こっちから、行ってやります!」
言い終える前に駆け出し、黒猫は林の奥へ。
「待てこら!……加茂!」
海江田も追うように走り出し、加茂も溜息を吐いてそれに続く。
林の騒めきは収まらず、加えてそこに多少の戸惑いも混ざったようだった。
あれから、どれだけ経ったろうか。一年か、一日か。皆、どれだけ無事なのか。それを知ろうにも、ここから動く事は出来ない。
あの時より、あの時よりは、私は無力で無い筈だ。
「────。──────、──。」
社が、私に訴えてくる。あの子が私に訴えてくるのだ。まだ駄目だと、まだ行くなと。
お前は、死んでもまだ、私に語りかけるのだな。分かっているよ、離れないから。
「────。────?……──────?!」
社から私が離れれば、また流れ込み、壊れていくだろう。この中で、蠢くものとこのままでいれば。私は皆を守る事が出来る。私がずっと──
「てめえはいつまで、そうしている気だ?」
「──────………………、は?」
「ああ?!姫さんが!」
人面の魚──多分「日本の人魚」のひとが、窪地の底、社を見ながら叫んだ。それによって、動ける者は皆一斉にそっちへ向かう。
「……行きますか。ダンさん、私がお手伝いしますよ」
「……」
無言で、稲生さんに身体を支えられながらダンさんも泳いでく。織部さんもその後を追い、私も少し迷ってから続いた。
「姫様!」
「顔を上げておられる!」
「なんだ?!あの者達は何をした?!」
覗き込むとさっきまでと同じ、社とそれに巻き付く『姫様』がいた。けれどその顔は上げられ、目の前のてつを睨んでいる。そして少し横にずれた位置に、遠野さんがいた。
「てつさんが何かしたのかな?」
「みたい、です……」
稲生さんの呟くような問いに、歯切れ悪く応える。
ここからでも良く分かる、透き通るような肌と息を呑む程の美貌。けれど姫様のその顔はぐしゃりと歪み、歯まで剥いていた。揺れていた髪は逆立つように広がり長くなり、てつと遠野さんへと伸ばされる。
「……あれ、大丈夫なんですか」
織部さんの言葉に、即答出来ない。反対の縁で同じ様に説得をしていた人達も、てつ達を見、こちらに顔を向ける。
『遠野、ヘルプいる?』
稲生さんの問いかけに、少ししてから反応が返った。
『……いえ、問題ありません。今のところは』
耳からの少し呆れたような声に、緊張の糸が少し弛む。
『反応を引き出せた点から見れば、前進してるとも言えますね』
『そうなんですか?!』
思わず声が跳ねた。だって、姫様の髪はもう二人を呑み込みそうで。
『ええ。皆さんは「姫様が話に耳を傾け始めた」と周りの方々に伝えながら、作業を継続して下さい』
二人が完全に包み込まれる──と思ったら、その黒く豊かな髪がぶわりと外へ広がった。いや、弾かれて広げられたんだ。てつだ。
『了解』
稲生さんは軽く頷く。他の人達も次々に返答していき、
『りょ、了解、しました』
私も、気にはなるけどそう返した。……あれを、耳を傾ける、なんて、ものは言いようだな……。
「さあダンさん。今まで動かなかった姫様が動きましたよ」
稲生さんが、抱えたままのダンさんに言う。
「こちらの話に耳を傾けたと。姫様をあのまま、お社と共に逝かせますか?意識をこちらに向けた、あの方を」
「そんなもん……そんな、もん……」
お社を見つめたままダンさんは、さっきとは違う震え声を出した。
「逝かせたく、ない……に、決まってるだろう……!姫様……!」
「それでは一緒に参りましょう。皆さんも」
社を見つめ騒めいていたひと達が、また少しこっちを見た。
「姫様、起きたでしょ?皆がここから動けば、姫様も安心して、お社を僕らに任せて皆と行く。支部にね。そしてきちんと治療だって受けられる」
織部さんの言葉に、もっと多く、こちらを見始める。
あっちこっちから、 本当か? 姫様も? お社は? 色々と言葉が飛び交って。見えた希望と拭いきれない不安で、皆の気持ちが揺れ動く。これはもう一押し、すれば。
「姫様の事はあの二人、と私達が絶対どうにかします。なります。だから皆さんも、姫様と自分達のために、私達と来て……行きましょう!」
……そしたら何人かの、具合が悪いを通り越して危なくなっているひと達が、動いた。
大きな黄色の魚だったり、人魚や鮫や、小さいひと達もフラフラと、私達の方へやってくる。
「おれぁ、行くよ。決心が付いた」
左の鰭が欠けた鮫が、私の目の前まで来てそう言った。
「なにがどうあれ、姫さんはあいつらを見た。……おれはこのまま、姫さんとお社と、最期まで一緒にいようと思ってたが……」
話しながら、楽な体勢になろうとしてか、岩の上にゆっくりと横たわる。
「賭けるよ……お前らに。行っちまった奴らを、薄情だと思ったが、こんな気でいたのかも、知れないな……」
そこから続々と、死にかけてるひと達ばかりだけど、保護を了承してくれて。
「……分かった。私も、行こう」
ダンさんも、とても小さな声だけど、そう言ってくれた。




