40 無人島の依頼者
「……」
「なにしてんだ」
「ちょっと、一回閉める」
支部の中にある、今回行く場所へ通じるドア。一度開けたそこを閉め、深呼吸をした。
「なんだ?臆してんのか?」
「いや、私もまだまだだなあと……良し」
気合いを入れ、もう一度、ノブを回す。
「……うん」
右には海が、左には林らしき木々が生え、足元は砂浜だ。
「おい」
「はい、行きます」
ドアを通り抜け、すぐ横へ避ける。てつは三角の耳を動かしながら、砂浜へ四つの足裏を付けた。
「ほぉ……」
私をちらりと見てから、海の方へ。私はドアを閉めながら、辺りを見回す。ここは支部にある別空間じゃない。今回の仕事の現場であり、無人島。
完全に支部と違うと、足元の感触や周りの音や湿気や、勿論景色も合わせ、実感する。
「てつー」
海に近寄っていくてつへ声をかける。今は九時半で、集合時間は十時。そんなにのんびりはしてられない。
「近くにあるって言われた事務所をさが──」
「てつさん杏さんこんに、おはようございます!」
元気な声が被さり、私は口を閉じた。この前もあったなこれ。
「来てたんですね、今来たんですか?」
閉めたドアが付いている、物置のような箱の向こうから、黒猫が一匹駆けてくる。まだ距離はあるのに、その声ははっきり聞こえた。
「……華珠貴さん、おはようございます。今来た所です」
一応聞いてはいたけれど、本当に通ったんだなあ、話。
「そうなんですね!私今、この辺りを探検してたんです!」
そんな事して良いんですか?と聞こうとして、その後ろからやってくる人影に気付く。
「あー……元気なのは良いんだけどな、もうちょい、抑えてくれ……」
「あ、海江田さん」
「おう、榊原。今回も一緒だな。よろしく頼む」
「はい、よろしくお願いします」
軽く礼をし、頭を上げる所で、
「てつさん!!」
「……この間もだが、お前は何故そんな事をしたがるんだ?」
海側の会話に、思わずそっちを向いた。
波打ち際の、本当にぎりっぎり波がかからない場所。そこに佇む金の狼の頭の上に、黒い猫又が乗っかっていた。華珠貴はそのまま丸くなり、二股の尻尾を揺らす。
「この前は乗り損なってしまったので……てつさんの毛並みって、母様みたいに気持ちいいですね!」
「……」
なんとなく、写真を撮った。周りの景色と合わさって、結構いい感じになった気がする。
「よーし、もう良いだろ。皆で戻るぞ」
「……あっはい!すみません」
ハッとしてスマホをしまう。
「はい!ありがとうございました!」
そう言って、華珠貴はてつから飛び降りる。てつも視線を、海からこちらに向けた。
「こっから、この林を入ってすぐ……」
先導の海江田さんについて行く。ぱっと見はそうでもない、けれど良く見るとしっかりと整備された道を歩いた。
「あれだ」
不意に、開けた場所に出た。そこには瓦屋根と漆喰の、古民家みたいな家が一軒。
「あれ、ですか」
波音はここからも聞こえる。それと緑に囲まれた家の風景が合わさって……なんでだろう。また異界に来た時のような、不思議な気持ちになった。
「戻りましたー!てつさんと杏さんも一緒です!」
華珠貴は駆けながら人の姿になって、そのままの勢いで扉を開ける。そしてするりと中に入っていった。
「さ、俺達も入るか」
「はい…………てつ?」
斜め後ろにいたてつはいつの間にか立ち止まり、少し距離が開いていた。てつはそのまま耳をぐるりと回して、後ろへ傾ける。そしてその長い尾をゆっくりと振った。
「……何か、あるか?」
海江田さんが抑えた声で問う。
「……いや」
もう一度緩く尻尾を振って、てつはまた歩き出す。
空には薄く雲がかかり、それでも煌めく金色の毛は、温い風で柔らかく波打った。
「それでは、今回はこのメンバーで」
遠野さんの飄々としながらも、いつもより張りのある声。湿度が高めなこの場所で、相変わらずの黒いスーツを着て。
「今回は範囲が広く、大変な作業も多いでしょう」
全員に聞こえるよう響くその声。私はさっきまでの、この島に着いた時の事を思い出しながら、それを聞いていた。
なんだったんだろう、てつのあれ。
「調査結果は頭に入ってますね?経験による判断も大事になりますが、こういう時こそ基礎をしっかり思い出して行動しましょう」
来た時とは別の浜の、林寄りの場所。大きな木を背にする遠野さんを囲むように、集まった人達は半円になる。私とてつも、半円の一部になっている。
「最後に、当たり前ですが安全を第一に。それと共に、周りとのコミュニケーションも忘れずに。……はい、それでは行動開始!」
パンと手を打ち、それが合図となって周りが動き出す。
私も遠野さんの元へ向かおうとして、肩を叩かれ足を止めた。振り向くと、少し眉根を寄せた表情の、
「加茂さん」
あの古民家の中で、メンバーとは顔合わせが終わっている。人数は私とてつも入れて、十六名。その時に、加茂さんとも普通に挨拶した、と思うんだけど……。
「……えっと、何でしょうか」
無言でこっちを見るもんで、私から言ってみる。……私、何か変な事したっけ?
「……いえ、止めてしまってすみません。……あの、私が言うのもなんでしょうが……」
加茂さんはぐっと目に力を入れて、真っ直ぐに私を見た。
「……気を付けて、下さいね」
「は、い……?」
何をそんなに──
「あ!はい!気を付けます!常に意識して力は抑えますし、変な事に首を突っ込んだりしません!」
てつ由来の力の事、どれだけの人が知ってるんだろう。この間会ったばかりの、加茂さんにまで心配されるなんて。
「あ、いえ……いや、そうですね。それも気を付けて。それでは」
「? はい」
違った?加茂さんはちょっとだけ眉を動かして、自分の持ち場へ向かってしまった。
「……行くぞ」
「ああうん……」
てつに促され、再び遠野さんの方へ。あっちも何人かと話しているようで、さっきと同じ場所にいた。
「んー……」
加茂さんは単に心配してくれた、という事で良いんだろうか。何かありそうではあるけど。
「お前は無茶をせずに、ちんまり動いてりゃ良い」
「ちんまりて」
「ああ、てつさん、榊原さん」
私達が来た時にちょうど終わったらしい。話をしていた人達は「それでは」と離れていった。
「では、行きましょうか」
言って、遠野さんはぐるりと周りを見る。その場には、私とてつと、あと七人。
「依頼者の所へ」
この島唯一らしい船着き場から、船に乗って少し沖へ。停止した海上は風もなく、波も穏やかで、このままだと観光気分になりそう……。
「……っ!」
呑気にそう思っていたら、船が不自然に大きく揺れた。すぐ傍に渦ができ、その中心から黒く大きな丸い頭が、せり上がるように出て来る。
「ほおん」
それを見て、てつが関心したように声を出した。
「今日はよろしくお願いします。こんな時間帯に出て来て頂いてすみません」
呼びかけた遠野さんに、少し泡混じりの声が返される。
「いやあ、急げっつったんはこっちだからな。別に出られねえ訳でもねえし」
──海坊主。
その姿を人はそう呼ぶ。私もアニメとかで見た事がある。
「で、だ」
真っ黒い顔の上半分だけ出ているせいか、白目の部分が際立って白く見えた。その目がこちらを向いている。
「ちゃあんと、どうにかなるんかねぇ?」
「全力を尽くします。そのための僕達ですから」
今回の内容。それは現地調査ではなく、その次の段階、問題解決のための「実働」だった。
『海の様子がおかしい』
数週間前、二十五支部管轄のこの島から、そんな簡素な「伝言」が送られてきた。それから急速に、そこだけでなく周辺や、別の島からも同じような報告が上がり出し。周辺地域の「人」からの目撃情報も出始める。それだけでも、確実に問題とその範囲が大きくなっていると分かる。
「よろしく頼むよお?」
ここの島民は所謂「怪異、妖怪」と呼ばれるひと達のみ。だから一応無人島。そうなら本来、迅速に対応出来た筈なのに、最初の調査に入る前に状況は急激に悪化した。それ以外の理由もあるんだけど、調査は長引いて。やっと今回、実働に入れるまでになった、と事前に説明された。
「ええ、勿論」
船に乗ってる私達は、主に海中で動く「海組」。華珠貴が同行を許された、加茂さんや海江田さん達は島に残って動く「陸組」。今回それぞれに分かれて問題解決に当たる。けれどその問題が、なんかややこしい状態らしい。
因みに、一番最初に『様子がおかしい』と言ってきたのが、目の前にいる海坊主、さん。古株では無いらしいけど、わりかし私達に友好的なのだそうだ。
「では、行きましょうか」
少し前と同じ台詞を言って、遠野さんは船から海へ。落ちていった。
「……ほんとに」
ドポンという音を聞いて、私は反射的に駆け寄って覗き込む。
波立った碧から、少しして白が浮かび上がり、遠野さんが顔を出した。
「テスト通り、問題ありませんね」
こちらにか自分にか言葉を発し、持ち上げた右手で髪をかき上げる。その髪も、顔も腕も、衣服もどこも濡れていない。
「凄いよなあ……新しく構築したやつなんだろ?」
事務所で渡された小さな護符。プラスチックみたいな素材のそれは、『海中での動きの補助、呼吸や発声の確保、簡易の保護結界』の機能……呪い?が込められてるらしい。私はそれを首から下げ、服の下にしまっている。
「そりゃ天遠乃の方だしな。前々からこういうのは進めてたらしいぞ」
横で同じ様に覗いていたメンバーの人達は、どこか誇らしげに頷いていた。
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