38 夢の中身とチョコアイス
あー苦い。苦い苦い、血生臭い!
「何をそんなに勢い込んでやってんだ」
「てつのせいだよもお!」
「は?」
念入りに歯を磨いてこれでもかと口を濯いで。三回くらい繰り返して、やっと落ち着いた。
「……いや、もう一回やるか?」
「だからなんだってんだ」
四つ脚をだるそうに動かして私の後ろに回る。そして伸び上がるようにして肩に手を置かれた。というか寄りかかってるので、背中全面がもふっとする。
「あの、狭いんだけど」
コップを洗面台に置きながら、鏡に映るてつを見返す。大型犬に乗られる人は、こんな気分だろうか。
「で、どうした」
体勢を変える気は無いようなので、そのまま部屋に戻る。
「……また、あれ。同調だかでてつの夢を見たんだよ」
芽依が帰ってすぐ寝たから、別に寝不足じゃないけど。妙に鮮明な夢のおかげで、起き抜けの気分は悪い。
「人助けは良いとして、でっかい猿の首噛み切った時の味と匂いと食感……う゛ぇ」
「……俺が思い出すもんと別に、お前は何を視てるんだ?」
てつは肩から手を離し、一瞬で人型に。ベッドの脇で胡座になった。
「こっちが聞きたい」
「で、どんなだってんだ?」
知らぬ匂い、知らぬ足音、知らぬ気配。
まだ遠いが、妙に目立つ。
「まぁた弱そうなもんが」
どいつもこいつも飽きもせず、そんなに俺を苛つかせてぇか。
「……」
ふわっふわっした動きにとぼけた気だ。……ああ、いや。こいつは珍しい。
「人か」
だからなんだって話だが。こりゃあ、何もせずとも勝手に死にそう──
「はあ?おい……チッ」
駆け出す。
あのなよっちい奴、やっと気付いたか。あーあーそんな簡単に頭掴まれやがって。
「────、──っ!」
細い悲鳴。潰される前に、頭にかかったその無駄にでかい腕をもぎ取る。
「っぐぅ」
その拍子に手から外れ、人間は蛙が潰れたみてえな声をさせて吹っ飛んだ。
……死んじゃあいねえし、いいだろう。
「久し振りだなぁ?」
片腕になった猿野郎に、向き直る。
「……ひっ?」
今俺に気付いたってか?てめえの目の前から来たんだぞ?
「言ったよな?もう現れねえんなら、命は取らねえ」
もいだ腕は放る。こいつの肉は、不味くて喰えたもんじゃねえ。
「また来るってんなら、そん時ゃ殺す」
「あっ……え、あ……」
朱の噴き出す自分の肩と、俺とを見比べて、そいつは一歩引いた。
「ほお?ちゃんと二本に戻ってんじゃねえか。その足でどっか行きゃあ良かったのによ」
どいつから取ったんだか水掻きついて、細っせえな。右の太さと合わねえだろう。
「ぁ、ァああ゛!!」
「あ?」
逃げた。
「……はあ……」
ちょいと跳んで、首を噛み千切る。勢い余って肩まで裂けた。
「ゥヴぉェッ……苦っ……」
口の中のものを吐き出す。と、後ろの気が揺れた。
「ぅ……」
吹っ飛んだ人間は緩慢な動作で起き上がり、辺りを見回す。そんで俺と目があった。
「おう、気付いたか」
「っうわあっ?!っづう?!」
驚いて仰け反って、後ろの木に頭を打ちつける。
「いっだあ……」
「……で、お前、動けるか」
「……へ……?」
近付いて問いかける俺に、顔を上げる。乱れた長い髪の間から覗く目は、痛みか恐怖か、水か張っていた。
「ここは俺の山だ。どっから来たか知らねえが、とっとと……聞いてんのか」
きょろきょろきょろきょろしやがって。
「あっいえ!……もしや、助けて下さったのですか」
「はぁん?」
「先ほど、何者かに頭を掴まれまして、そのままぎりぎりと締めてくるものですから「あーこれ死ぬなー」と思っていたのですが」
そいつは細くて白い指で、俺の後ろを示す。
「あの者がそうですよね?という事は、僕はあなたに助けて頂いたのかと」
「……てめえを助けた訳じゃあねえ。あいつを殺った結果そうなっただけだ」
「なるほど。という事はやっぱり、僕が助かったのはあなたのおかげという事ですね!」
そいつは何度も大きく頷いて、素早く姿勢を正すと頭を下げた。
「ありがとうございます!」
なんか面倒くせぇぞコイツ。
「……」
「……あの……」
少し耳を反らし、眉間に皺が寄るてつ。なんだか身構えてしまって、問いかけの声が小さくなる。
「……知らねえ、覚えがねえ」
今度は耳がしょげ、それでいて牙を向く。膝に置いた手の指を、とんとんとんとん……。
あーえー、困惑してる?
「前のさ、人が出て来た夢の話、覚えてる?」
これが単なる私の妄想だったら、こんな考えなくていいんだけど。そんな訳もなく。
「あ?」
「てつの名前を藍鉄ってつけた人の。今日視た、てつが助けた人、その人だと思う」
てつの目が、まん丸になった。
「……ああ、ああそうだ。そんな話もあった……」
「忘れてた?」
「わす……いや、ああ?」
おおおお、こんがらがった感じが見て取れる。てつは首を捻って頭を振って、耳を掻いて足を組み直す。
「前より良く視えたんだけど……戻った記憶の方には、無い感じで……?」
一頻りこんがらがって気が抜けたのか、てつは溜め息を吐いた。
「ねえな、さっぱりだ」
「……あの人、長いまっすぐな黒髪の、あれは、袴?と──」
「今は良い」
「ア、ハイ」
若干重めに言われた。具体的にイメージ出来れば、何か思い出せるかと思ったんだけど。
「一応言うが、俺が殺った奴の話もいらねえぞ」
「は、ああ!逆に思い出しちゃったよ!……おぅぶっ……」
無いはずの生暖かさが口内に広がる。
「ぐ……やっぱり、もう一回みがく……」
「……おぉ……?」
ちょっと、呆れた声出さないでくれます?
「で、今もいるの?」
「いるの」
講義が終わり、周りが騒がしくなる。ものを仕舞いながら芽依が、声を潜めて聞いてきた。
「……問題、ないんだよね?」
そして軽く首を傾ける。と、今日は下ろしてるゆる巻きの髪が、ふわりと揺れた。
「うん、大丈夫。ただ……」
「ただ?」
左側、芽依の方へ体を向けながら、
「食費が心配になりそう……」
朝ご飯の光景を思い出し、私は少し黄昏た。食べられるようになったからと、一応二人分用意したんだけど。
「いっぱい、食べるの?」
「いっぱい食べるの。それはもう気持ちの良い食べっぷりで」
朝ご飯は綺麗に……食べ方は置いといて綺麗に全部食べて。そして足りないと、あるだけ集めだし、
『もう無理、無理、駄目、止まれ、怖い』
家中の食べ物が半分以上無くなった所でそれは終わった。全て食い尽くされるかと思った。
なんでか雰囲気で「喰えるかどうか」判断がつくらしい。そんで家にあるものは大体「喰える」し、口に合うようで。
『……まあ、久方振りだからな。あんまり喰わねえ方が良いか』
『……』
不満げに言ったてつの尻尾を、思いっきり握ってやった。
『あ?なんだ』
抗議は通じなかった。
「いやそれダメじゃない?」
真面目な顔をした芽依に、力強く首を縦に振る。
「だよね!」
これらの朝の諸々含め、連絡はしてあるけど。すぐその返信が来る訳じゃないし、てつは良く分かんねえ的な顔をするし。
同じ考えを示されると安心する!
「黙って聞いてりゃあ、言いたい放題だな」
呆れたような、低く響く声。
「っ……?!」
「え?!あ!」
芽依は驚いた後にすぐ私のお腹に目をやった。けど、私は一瞬、頭が真っ白になった。
「は……な、な!」
「なんだ、拙いか?芽依はもう知ってんだろ?」
そ、それはそれ!これはこれ!講堂で喋っちゃ駄目!
──はぁ……わあったよ……。
出てきた割に、てつはすぐ引いた。頭に響く声に、だらりと力を抜いた狼の姿が浮かぶ。
「……はぁ……」
「杏、今の……」
小声になる芽依に、こっちも小声で返す。
「うん……てつです……もう喋んないから大丈夫……」
辺りの騒めきに紛れたらしい。てつの声ややり取りに、反応した人はいなさそうだった。
「芽依ー!サッキー!ご飯行こー!」
少し遠くの、出入りのドアから声がかかる。
「あ、うん行くー!」
ババッと鞄にものを仕舞い、呼ばれた方へ足を向ける。
「芽依も行こ」
「うんまあ、行くけど」
「もうてつは引っ込んだし、平気平気」
芽依はちょっとだけ溜め息吐いて、
「そんな軽く……」
呆れた顔をしながら立ち上がった。私はそれに向けて、にやりと悪い顔をする。
「あのね、秘策があるんだよ。今思い付いたんだけど」
──秘策ぅ?
「?」
「またおんなじ事したら、チョコアイスはあげない」
──は、てめえ!
「なにそれ」
歩き出しながら疑問符を飛ばす芽依に、説明する。
「朝、冷凍庫のものも出す羽目になって、チョコアイスに目を付けられたんだ。それがとっても美味しかったみたいでさ」
私のご褒美アイスだったんだけどね。そんな事言う前に一口で食べられたよ。
「もっと欲しいって言われたけど……これだと買えそうにないなあ」
──そんなんが脅しになると思ってんのか?
じゃあいらないんだ?……おやあ?返事が聞こえませんね?
「……楽しそうだね……」
「え?そう?」
「なんとなく、秘策が効きそうな感じは伝わった」
「なに?なんの話?」
呼んでいた三人と合流する。
「好きなアイスの話ー」
「チョコミント!断然チョコミント!」
最近はよくこのグループでご飯を食べる。
「あ、私も結構好き。あのスッとするの良いよね」
「そう、それが良いんだけどそれだけではないんですよ……まだそこはチョコミントへの入り口……」
「ハニトーバニラ乗せ」
「それハニトーが主体じゃない?」
皆でわいわいと食堂へ。今日は午後一の講義が無いから、ゆっくりご飯を食べれる日だ。
そして座学系をもういっこ受ければ、後はバイトに向かうだけ──
ではあった、んだけど。




