37.5 杏はもう寝た頃
一週間お休み頂きました。ありがとうございます。
これからまた、(多分)通常頻度で更新出来ると思います。宜しくお願いします。(2020/7/20)
かちゃり、という音に、手元のスマホから顔を上げる。
「ああ、加茂さん。お疲れ様です」
休憩所に入ってきた加茂は遠野に声をかけられ、切れ長の目を微かに細めた。
「……お疲れ様です」
遠野から少し離れたソファに腰を下ろし、加茂は薄く息を吐く。
「……もう戻ってたんですね。あの場の区切りは付いたって事ですか」
加茂の言葉に、遠野は少ししてからああ、と頷いた。
「ええ。保護も完了しましたし、土地の変化も落ち着きましたからね」
医療部はまだ大変だと思いますが、と続ける遠野を、加茂はまっすぐに見つめる。
「……原因はやはり、あの異界の者ですか」
「そうですねぇ。調査がきちんとなされるまでは、なんとも言えませんね」
加茂の低い問いかけに、遠野は薄い笑みを浮かべる。
「実際会ってみて、思う所がありましたか?」
言われ、加茂は遠野から視線をずらした。
「いえ、深い意味はありませんが。加茂さんから僕に話しかけるなんて珍しいなと」
「……」
右横の髪を耳に掛け、加茂は視線を遠野に戻す。
「どこにでもいそうな未成年と、奔放な気質の異界の者。私の受けた印象はそんなものです」
加茂は静かな口調で続ける。
「榊原杏を保護下に置くのも、あのてつという者を監視下に置くのも理解できます。ですが、どうにも処遇に違和感を覚えます」
「違和感、ですか」
少し語気を強めて加茂は言う。
「特に異界人に対して。情報収集だけでなく調査に加わらせて、しかも生活も基本自由で縛りもない。榊原への懸念はありますが、本来なら収容……そうでなくとも、行動規制及び厳重監視のはずです」
遠野は顎に手をやり、目を細めた。
「ここ最近の案件はほぼあの異界人と関わりがあります。今回の件も。このまま野放しにすればまた……」
そこまで言って何か思い当たったように、加茂は言葉を止めた。
「予期せぬ害を及ぼし、拡大させると」
「……え、あ、ええ」
言われ、ハッとしたように首肯する。それを見た遠野は、口の端を上げながら言葉を紡いだ。
「そうですね。率直に言えば、上層部はそれを望んでいるんでしょう」
「!」
「まあ、そうなっても致し方ない、くらいの考えかも知れませんが」
遠野は軽く溜め息を吐く。
「てつさん達は、彼らにとっては駒みたいなもんです。いや、鯛を釣り上げる海老にしたいのかな」
それを聞いて、加茂は眉をひそめる。
「十年前の件との関わりと、天遠乃当主の話は耳にしてますよね?」
「……ええ」
より眉をひそめた加茂を見て、遠野は特に表情を変えずに続ける。
「てつさんはあの事件の手掛かり、所謂黒幕と繋がってる。しかもその黒幕とやらは、てつさんに戻ってきて欲しいようです」
加茂は僅かに目を見開いた。
「そこには天遠乃当主もいる。TSTIの人達はてつさんを使って、事件の完全解明と天遠乃当主の奪還を目論んでいるんですよ」
「な」
「てつさんは榊原さんを気に入っている。榊原さんはTSTIにいる。監視も操作も容易です」
遠野は目を細め、底冷えのするような笑みを浮かべた。
「自由にさせるのは囮だから。上層部は待ってるんです、獲物が掛かる瞬間を。それを釣り上げ大きな成果を得て、組織が力を取り戻すのを」
呆けた顔になった加茂だったが、すぐさま表情を引き締め口を開く。
「そんな上手くいくとも思えませんが。そもそも、本人達には知らされてないんでしょう?」
「ええ。ですがそれだけ上は切羽詰まった思いをしてるんでしょうねぇ。ある程度の犠牲も覚悟の上だと」
言って、遠野は肩を竦める。
「……その話の先頭に、遠野さんが立っていると?」
眉間に盛大に皺を寄せながら、しかし冷静な声音で加茂は問う。
「そう見えます?」
「……何故、私にここまでの話を?」
「この辺りまでなら、もうそろそろ加茂さんにも共有されるでしょう。少し早いくらい問題ありませんよ」
壁を隔てたような笑顔で、遠野はそう返す。
「それにしてはあなたの心情が強く出てたように思えましたが」
加茂の言葉に、遠野は苦笑を零した。
「大目に見て下さい。僕も少し疲れてるんです」
加茂の目が、今までで一番大きく見開かれる。
「……そ、っ!」
空気を震わす振動音に、加茂は言葉を止めた。素早く端末を取り出し、確認する。
「休憩は終わりですかね」
「……ええ」
短く息を吐いて立ち上がり、加茂は遠野を見た。
「……、……では」
なにやら言いかけ口を閉じ、低く一言。
「ええ」
遠野は出て行く加茂へそう返し、ドアが閉まるのを見届ける。
「……」
そして一人になってから、スマホのスリープを解除し、
「さて」
加茂が来る前に見たそれに、再度目を通し苦笑する。
『──から、榊原の生命エネルギー及び肉体は、異界人の融合とは別に自ら変異し始めていると──』
「どうしましょうね、次から次に」
覇気のない声は、空気に溶けて消える。
 




