35 元に戻れば
また浮遊感。溢れ出す記憶。
視界に、脳内に、身体中全てに流れ込むそれを。
「今は!ちょっとどいてて!」
気合いで押し込み、意識を戻す。
一気に視界が開け、さっきまでの景色が広がった。全身に重力を感じ、耳元で風が唸る。
「ぅおっ」
まだ落ちてる。良かった、地面に激突してなくて。
近付く地面を見据え、崩れた体勢を戻す。コンクリだからその衝撃も考えて──
トン
「お?」
上手く、着地出来たんじゃない?身体も全然痛くない。
「よし」
ちょっと体の具合を確かめてから、走り出す。昇って落ちたせいで、芽依達と離れてしまった。早く戻らないと。
「……歪みが、直ってく……」
芽依達の無事を確認がてら、周りに意識を向ける。すると、空間全体が少しずつ、元の知っている土地に戻っていくのが分かった。
「良かった……」
芽依達の近くにも危険は無さそうだし。正宗さん、あの鳥助けてくれたんだ。
「芽依!正宗さん!」
二人の姿が見えた。
「ほら!戻ってきたぞ!言っただろう無事だって!」
「杏!!」
芽依がこっちに走ってくる。正宗さんも、気絶したままの怪鳥を持ちながら飛んでくる。
「ごめん、離れちゃって。でも正宗さんの言った通り、歪みが元に戻ってきてぅっ」
「あんず!」
芽依に勢い良く抱きつかれた。
「怪我は?!無事?!何が、どこも!あんな、大丈夫?!」
そして勢い良く離され、全身をバンバン叩かれる。……あ、怪我したかの確認か。
「うん、うん大丈夫だよ。心配したよね」
「そりゃあね?!…………っ良かった……」
鬼気迫る顔がくしゃりと歪む。
「こいつ、お前が落ちたから助けに行くと言ってな。止めるのに苦労したぞ」
鳥を持ったままで、若干ふらつきながら追いついた正宗が言う。
「芽依……ありがとう。正宗さんもありがとう。もうこの場所も元に戻るよ、帰れるよ」
「そうなの……?」
潤んだ目のまま、芽依が辺りを見る。
「見た目はあんまり変わらないけど……ほら、あれとか」
さっきの勢いで芽依の手から離れ、地面に落ちたバット。それが少しずつ消えていく。
「重なって、閉じ込めてたものが解けていってる。人の気配も戻って──」
そこに仄かに混じる、何か。
「芽依!正宗さん!」
「?!」
「なんだ?!」
二人を引き寄せると同時に辺りが光る。私達は一瞬で、現れた四角い半透明の箱に閉じ込められた。
「は、なに?!」
「落ち着いて、でも動かないで」
戻れたと思ったら……なんだこれ。私達を閉じ込めてるだけ?
「杏、ぐるじい」
正宗のくぐもった声。でかい鳥ごと抱き寄せたもんだから埋まっちゃってる。
「ごめんなさい、ちょっと堪えて」
他のひと達も四角の中だ。合わせてあちこちに、小さい何か……
「ん?」
「え?」
「む゛」
この、小さいの。
「遠野さん?」
小さい遠野さんが?いっぱいいて?それぞれ、閉じ込められてるひと達の所に向かってる。
「……芽依。これ、TSTIのかも」
こっちにも小さい遠野さんが近付いてくる。良く視ると四角い箱も、前に見たやつに似てる。
「多分結界だ、これ。危険は無いよ。」
言いながら、芽依達を放す。
「結界って……」
「っぱあ!死ぬかと思ったぞ!」
私と斑の羽毛の間から、茶色が飛び出した。
「ごめんなさい。咄嗟だったもので」
気を失ったままの鳥を抱え直す。大きい……それでいてふわふわ……。
「こんなので死んだら、死ぬに死にきれん!」
「正宗さん、あんまり上行くと」
「ぎゃん!」
結界の上部に激突し、ぽへっと落ちた。
「……大丈夫ですか?」
「なんの、これしき」
正宗はぱっと起き上がり、羽繕いをする。
「ふん、痛くも痒くもないわ」
誤魔化してる気も……まあ良いか。
「芽依、正宗さん。今こっちに向かってるものがあるんですけど、私達の保護のためのものである可能性が高いです。それが来ればこの結界から」
それと別に、猛スピードでこっちに来るのが二人。
「……出られると思うんですけど、その前に別のひと達もこっちに来てます、ね」
「別?」「杏さん!芽依さん!!」
芽依の声と重なって、聞き覚えのある声が響いた。
「む?」
「……え、何」
道の向こうから、一匹の虎猫と大きな金の狼がこちらに駆けてくるのが見えた。
「美緒さんだよ」
「え?!あ!」
「それと、てつです」
「はあ゛?!」
「ほう、あれがてつとやらか」
正宗が私の左肩に飛び乗り、興味深そうな声を出す。
「杏さん!!芽依さん!!あ!正宗さんも!」
「も、とは何だ!」
結界に激突するように止まり、美緒は両前足でその表面をカリカリと引っ掻く。
「良かった、無事……無事ですか?!お怪我は!……誰ですかその鳥ぃ?!」
そして私の抱えてる鳥を見て飛び上がった。
「み、美緒さん、落ち着いて。無事です。それで、この、結界みたいのは」
「遠野が張ったもんだ。もうちょいすれば、回収だか保護だかの奴らが来る」
てつが結界の周りをぐるりと回りながら、静かに言った。
「てつ……また大きく」
もう子狼じゃない、成体の姿だ。サイズも二メートルくらいになってる。頭の位置だって、私の少し下くらいで。
「お前が……いや、いい。で、その肩の小せぇのは何だ」
「ワタシは正宗。この地の高名な方々に仕える由緒正しき雀である!」
胸を張る正宗に、てつは頬を引き上げた。牙の鋭さも増してるなあ。
「由緒なあ……てめえが杏を連れてったな?」
「なんだと!元はといえば、あれらの主であるお前が原因だろう!」
「ああ?」
「やっやるか?!」
言いながら後ろに隠れる正宗。首の後ろがチクチクする。
「杏……なんか、来た」
「え?」
振り返り、芽依が少し引き気味に指し示す先を見る。そこには、人の形をした白い紙みたいなものが。結界に張り付きそうなくらい近くで、ふわりと浮いて。
「あ」
「遠野さんのです!これが来ればもうすぐ誰か来ます!これも解除してくれます!」
これか!小さいなとは思ってたけど掌サイズか!
「美緒さん、これって何です?」
「印だって言ってました。先にこれで保護対象を確認してから人をやるって」
ああ、だからこれ、閉じ込められてるひと達の所に向かってたんだ。
「ほんと、本当ご無事で良かったです……杏さんも芽依さんも正宗さんも急に消えちゃって、この場所の歪みもどんどん大きくなって、変なひとにも会うしぃ……」
美緒は完全に猫の声で、細く鳴き始めてしまった。
「美緒さん……」
「美緒ちゃん……」
私も芽依も、美緒の前で膝をつく。手が届かないのがもどかしい。
「お二人とも、心配なのは分かりますが弾丸のように飛び出すのは、何があるか」
大きい遠野さんの気配、じゃなくて遠野さん本人が、こちらに走ってくる。それと共に、人形の紙がふわりと離れていく。
「だってぇ……ぁぅぅみゅぅぅぅ……」
「通報の人間二名、神使の雀一羽……それと大型の地獄鳥一羽を確認」
目の前まで来ると、遠野さんは結界に手を当てる。そこから箱は崩壊し、溶けるように消え失せた。
「あんずさんめいざんんんん!!」
「わっ」
「ぅお」
「ひょあっ!」
一瞬で人になった美緒が抱きついてくるのを、倒れないように受け止める。美緒の腕に驚いた正宗は、慌てて背中に移動した。
鳥は……ぎりぎりで潰れてない。
「もう大丈夫です。お怪我は無いようですが、念のため支部で検査をさせて下さい」
しゃがんで、ゴーグルを掛けた顔を主に芽依に向けながら、遠野さんが言う。
「は、検査」
「はい。立てますか?」
こっちを見る芽依に頷く。
「……大丈夫です。立てます」
けれど、美緒にがっちり掴まれて動けない。
「……美緒さん、美緒さん一回手を離して。芽依立つから」
「…………はぃ……」
美緒は回した腕を、離れがたそうにしながらもなんとか外す。そしてその腕を私に回す。
「……榊原さんもですが……」
「うぅ……」
腕を外し、今度は私達の服をしっかり掴む。
「存在を確かめてたいんです……」
「んなら立ってから掴み直せ。それじゃどっちにしろ立てねえだろう」
で結局、美緒を真ん中にして三人横一列に。美緒の右手は芽依と手を繋ぎ、左手は私の服を掴んでる。
「榊原さん、その方は僕が」
「あ、はい」
出された手に、抱えてた鳥を渡す。遠野さんは鳥の頭に何か付けたかと思うと、片腕で抱え直した。
空いた私の手は、すかさず美緒に握られる。
「では行きましょうか」
遠野さんの先導で、てつは後ろ、私達は挟まれるように歩き出す。
「……杏」
後ろから、いつもより低く、それでいて弱めの声がした。
「お前………………いや、いい」
えっなに気になるんだけど。
「随分参ってるようだな、てつとやら」
「あん?」
背中に引っ付いたままの正宗が、羽を広げる気配がした。
「ふむ、気の乱れがとても分かり易いぞ。杏が戻り安堵したか、はたまた別の──」
「丸呑みにしてやろうか、チビ」
「ひゅおぅっ?!」
「うわっ」
盛大に羽をばたつかせ、今度は前側に移動する。
「正宗さん……あまり動かれると服が伸びるというか」
最悪、穴が空くというか。
「ちょ、ちょっと驚いただけだ!決して臆してはいない!」
「はい後ろ、静かにして下さいね」
こちらに振り返った遠野さんが、圧のある笑顔で言った。
「う、すいません……」




