26 その姿
そこには、顔と背中、尻尾とお座りしている四本の脚の外側は全て金色、お腹と脚の内側は白……の毛並みの子犬らしきものがいた。
といっても、その大きさは中型犬の成犬くらいある。なので一見すると大きめの子犬のぬいぐるみ、にも見えなくはない。
「なんだぁ杏?変な顔しやがって」
そしてそれは低い男の声で──すなわちてつの声で喋る。諸々突っ込みたい。
「いや、だって……」
「……てつさんは犬の異界人だった、という事でしょうか?それにしては少し違和感が……」
遠野さんが腕を組みながら言う。
「俺の種別か?生憎と、ちゃんとしたもんは知らねえよ」
てつはそう言いながら、たしたしとテーブルの上を歩いてぴょんと降りた。
「いや、犬では無かったと……思います……」
「分かるのかい?榊原君」
岩尾先生が驚いたようにこっちを向く。
「あ、いえ分かるというか、今……」
私は、さっきの事を遠野さん達に話した。
「──それで、最後に見えたのが、多分てつの本当の姿なんでしょうけど」
そこで言葉を濁す。なんでかって、あの見た目はちょっと口に出し難い。
「…………大きな、血塗れの、狼男みたいな姿でした」
「血塗れの、狼男」
そう、あれは狼男だ。犬とも狐とも違う顔。前に動物園で見たそれにとても近いと、私は思った。そしてそれが、人型になって水面をのぞき込んでいた。しかも頭から胴まで、見える部分全てが血で赤黒くなっていたのだ。
思い返すとなかなか衝撃的な場面だ。
「ああ、そういやぁおおかみって呼ばれていたりもしたな」
やっぱり。
「てつさん、自身の事はどれだけ思い出せましたか」
「……あー、そうだな。結構思い出せたんじゃあねえか?」
そう言っててつは立ち上がった。
?!犬ってそんな簡単に立ち上がれたっけ?!あ、狼か。
そう言う前に、一瞬にしててつは人型になった。
その姿は狼男……というより少年?子供?に見える。背丈は私の胸くらいまで。
それと。
「何でスーツなの……?」
黒いスーツを着ているのだ。スーツを着た狼男の子供バージョン……。なんだか奇妙……。
「遠野の服を真似てみただけだ」
「そう……」
「真似、ですか」
それに人型だけど、体表は毛に覆われたままで頭もあの子犬が少し人っぽくなったもの。まあ、記憶の中の大きかったてつも身体は毛に覆われていたからその部分は変わらないのかも。
腕の時も毛に覆われていたし。あれ?でも手の時は人の手だったな?
「それで、どれだけ思い出せたかだったな。……俺ぁな、そんなにでかくもないが小さくもない山で暮らしてた」
てつはそう言って話し始めた。
「このくらいよりもっと小せぇ頃からその山で、あー母親?と暮らしてたな。その山が住処だったんだ。……いつからか一人だったがな……」
それで、一人になってもその山で暮らしてたそうだ。
「その頃からか、周りの連中が山を奪いに来やがってな。返り討ちにしてたんたが……なんでかそれで俺の存在が変な風に売れちまっていたらしくてよ」
『あの山にはとても恐ろしく強いものが棲んでいるそうだ。腕に覚えのある者は、それを討ち取れば名が上がるらしい』
「はた迷惑なもんだ。山を奪いに来る奴、勝手に名を上げようと襲って来る奴……面倒くせぇ」
そして、そいつらをちぎっては投げちぎっては投げしていたらしい。強い。
「そんなもんもあっていつからか、周りの連中は俺の事を錆鉄野郎とか赤黒とか呼び始めやがってな。返り血を浴びちまってただけだってのに」
てつはそう言って、鼻を鳴らした。
じゃあ、私が見たあの血塗れのてつも、その時の?
あそこまで全身赤黒くなるなんて、相当な数とやり合ったんだろうか。
「……てぇぐらいだな。思い出したのは」
「……へ」
間抜けな声を出してしまった。
「そうしますと……てつさんがそれからどうなったか、などは……?」
遠野さんが問い掛ける。
「ああ、そうだな。何でバラけたかとか、その辺りもほとんど思い出せてねぇよ」
えええ……。
私はがっくりと膝を突く。
「まあ、頑張ろう」
岩尾先生はそう言って、私の肩に手を置いた。
そこからまた私とてつは検査を受け、遠野さんは報告に行くからと別行動になり。
検査を終えた私とてつは、伊里院さんの所に戻ったのだ。
「え?その、獣人……みたいな子が、てつさん?なんですか……?」
伊里院さんや周りの人達は目を丸くしている。
「そうです」
「なんだ、そんな珍しいもんでもねえだろう?」
「いや、はい……ええと」
珍しいだろう。特にこの部署の人達は若い人達が多い。だからまだあまり異界に馴染みのない人もそれなりの数いるのだと、この前話していた。
なんともぎこちなく仕事を再開させる。といってもてつは私の周りを離れずにいるだけで、何かするでもない。
まあそもそも腕だったから何も仕事を貰ってなかったけど。
「……てつさんも、なにかしますか?」
同じ事を考えたのだろう、伊里院さんがそう声をかける。未だ若干引き気味ではあるけれど。
「ああ、そうだな。何をすればいい?」
「えっと……そしたらこの資料をコピーして貰えますか?」
「こぴーな、杏がしていたようにやればいいのか?」
「はい、そうですね。分からなかったら聞いて下さい」
てつは資料を受け取りコピー機へ。ちょっと気になって見ていたけど、問題無くコピー出来ているようだ。
「へぇ……」
なんとはなしに声が漏れる。
そうか、自分で動けるんだからそういう事も出来るんだよな。なんだか感慨深い……?
その日はまた呼び出されたりする事も無く、そのままバイトで終わったのだった。




