25 記憶
それから一週間、特に変な事は起きていない。
大学と支部のバイトで一日が過ぎる事が多かった。バイトもちゃんとシフトを出せたけど、その仕事は支部内での雑用みたいな事がほとんど。書類のコピーとかファイリングとか。
結構忙しかったけど、伊里院さんのいる職場だったのもあってあまり肩肘張らずにいられたのは良かったと思う。
芽依には、あの後もどんな仕事かとか色々聞かれた。けど、ちょうどそういう内容の仕事ばかりだったので、そんなに変には思われずにいられたみたい。
あ、そういえば遠野さんのジャケットも返せました。
と、そんな時。
久しぶりに遠野さんに呼ばれた。
「てつの、身体を戻す?んですか?」
「ほう?」
私とてつの声が重なる。
「はい。一旦集まった分のてつさんの一部を、てつさんに戻す事をやってみようかと」
遠野さんは頷く。
私達が呼ばれたのは岩尾先生の診察室。当然岩尾先生もいる。
「いつまでもこのままって訳にもいかないからねぇ。様子を見ながらやってみようかという話になったんだよ」
私達と、遠野さん岩尾先生で対面する形で椅子に座っている状態で、岩尾先生はそう言った。てつはいつも通り、私の肩の上。
「あの、でもそれって私は大丈夫なんでしょうか……?」
融合率とかその辺の。やっぱり気になる。
「……今までの傾向からして、榊原さんがしっかり意識を保っている時のてつさんの一部吸収は、双方にそれほど負担は無いと判断されました。本当はてつさんの一部が全て揃ってから行うのが良いんですが……今はそれも難しいので、出来る限りでやろうと。どうでしょう?」
どうでしょうと言われましても。
「俺は問題ないが……杏が気を失わなけりゃあ良いのか?」
「そうです」
てつの問いに再び頷く遠野さん。
「そう簡単に出来ますかね……?」
思い出す限り、しっかり意識を保っていた時は一番最初の時。それ以外は遅かれ早かれ意識を失っている。
まあ、それでもそういう風に言われるんだから、起きていた方が良い事は確かなんだろう。どうやってその数値を出したのかとか、未だ私にはさっぱりだけれど。
「簡単にはいかないだろうけども、奥の手もあるから」
私の呟きに岩尾先生が応える。
「奥の手?ですか?」
「榊原さんの意識が落ちそうになったら僕の神懸かりで引っ張り上げます。ですがこれはあまり頻繁にやるべき事ではありません。なのでギリギリまで、本当に榊原さんの意識が危なくなるまでは使いません」
へぇ、神懸かりってそういう風にも使えるのか。色々応用が利かせられるんだ。
「……分かりました。私も大丈夫です。てつの身体を戻すの、お願いします」
私も腹を決める。いつまでもこのままじゃいられないのは、岩尾先生が言った通りなのだから。
診察室からまた移動するというので付いていくと。
「これが、てつの一部……」
「なんだ、思ったより少ねぇなぁ」
そこは実験室のような、それでいて壁にはなにやら模様か崩し字のようなものがびっしりと書き込まれた部屋だった。
診察室からそんなに離れていない所にあったけど、部屋に入ってから自動ドアを三回通ってここにたどり着いた。そしてその部屋に置いてある、数ある白いテーブルうちの一つにそれはあった。
「はい、他にも痕跡はあったんですが……確保できたのはこれだけです」
遠野さんはそう言って、それに視線をやった。
それは幾つかの肉塊だった。
量は見た目に一キロくらい?テーブルの上にバットが置かれそこに入っているので、何かの実験に使うのか、仕込みに使うのか、みたいな光景だ。
ちなみに部屋には岩尾先生もいる。「何かあった時、対処出来る人間が必要だからね」との事。
「痕跡?」
てつが聞く。
「ええ。恐らく『同調を起こした者達』が何らかの目的で持ち去った、というのが上の見解です」
遠野さんはそれに答え、今度は私達の方を向く。
「では、始めましょう」
「おう」
「……はい」
てつがずるりと私の肩から降り、テーブルの上に乗る。
私は頬をパンと両手で叩いてみた。別段眠かったりはしないけど、気合いを入れてみる。
「じゃあいくぞ。杏、良いか?」
「うん!」
私がしっかり頷いたのを確認すると、てつはその腕を伸ばし、肉塊を掴んだ。
すると、掴んだ肉塊は少しずつてつの手の中で小さくなり…………。
「……!」
「……これは」
岩尾先生はその光景に息を飲み、遠野さんは小さく呟く。
一つ目の肉塊が全て手の中に吸収されると、てつはすぐに別の肉塊を手に取った。
「……?」
私はというと、それを見ながら首を傾げていた。
身体を風が吹き抜けていかない。
最初の、意識がはっきりしていた時の吸収。あの時は身体の中を風が吹き抜ける感触があって戸惑ったのに。あの後はそんな事無かったから、最初限定の現象だった?
そんな風に思っていると、てつが全ての肉塊を吸収し終えた。
「ああ、うん。俺だな……」
そう言って手を握ったり開いたりしている。
「てつ、あのさ」
私は風の感触の事をてつに聞こうとした。その時。
ぐにゃり、と、てつの腕がひん曲がった。
「は?!」
「あー、心配すんな」
いやいやいや!
「何が起きてんの?!」
遠野さんも岩尾先生も、突然形を変え始めたてつに何も言えないでいる。
「ちょいと形が変わるだけだな。今の俺に合わせた姿になるだけだ」
凄い冷静に喋っているけど、その間にもてつの身体はぐにゃぐにゃと粘土のように形を変える。驚愕の光景だよ。
「いやそんな……うっ」
頭を押さえる。なんだ、頭痛?
「!……榊原君?大丈夫かい?」
「岩尾先生……なんか、頭が」
痛いような。そう言おうとして、目の前の景色が一瞬変わった感覚に、目を瞬いた。
「は?……え?」
何今の。
「榊原さん、大丈夫ですか?」
「杏?」
遠野さんとてつの声が聞こえる。でもそれは遠い……。
あ、これ意識が飛びかけてるな。駄目だ、起きてなきゃ。
その間にも今いる場所と違うものが見える。ほんとなんだこれ!
と、身体がふわりと浮いた気がした。
いや、これも今見えているもののせいかも知れない。森の景色、草原、赤い色、よく分からない生き物の恐怖に引きつった顔……。
「杏!おい、俺に引っ張られんな!」
やっぱりそうなのか。これはてつの記憶、異界にいた時のてつは、こんなものを見ていたって事か。
遠くにてつの声が聞こえた、と思った時。
湖か何か、水面に映った自分の──てつの姿を見た。
「……これは」
そして、これ以上ない勢いでてつの記憶が頭の中を駆け巡る。同時に風が、さぁっと自分の身体を吹き抜けていく。
あ、この風。最初に吹き抜けた風と似ている。
そう思って目を瞬くと、私はさっきまでの実験室のような部屋にいた。
「榊原さん!」
「……あ、れ?」
私はいつの間にか床にしゃがみ込んで、肩で息をしていた。
「榊原君、大丈夫かい?」
岩尾先生が私の顔をのぞき込んでくる。
「あ、はい……なんとか……」
「ギリギリ、踏みとどまれましたね……」
その横で遠野さんもしゃがんで、私を見ながら息を吐いた。
「立ち上がれますか?」
「無理はいけないよ」
「あっいえ、大丈夫だと思います」
テーブルを支えに立ち上がる。
「私、今……」
「俺に引っ張られそうになったんだよ。なんとかいったようだがな」
「………………てつ?」
テーブルの上の存在に、目を丸くする。声は一緒だけど、いや、でも。
「てつさん、だいぶ変わりましたね」
「これでも、今までよりは元の姿に近いぞ。少々小せぇが」
そこには、金色の毛並みの子犬らしきものがいた。




