12 午前二時
診察も終わって、私とてつは一旦このまま帰る事になった。終わって早々に「疲れたからちょいと寝かしてくれ」とてつはお腹に戻ったので、今私の頭は心なしか身軽だ。
「端末などの説明はもうしてもらいました?」
「はい。午前の作業の時に、ケースの中の物の説明はされました」
遠野の替わりにと、途中からは伊里院さんが私についてくれていた。面識のある人間の方が良いと、本来別部署なのに来てくれたらしい。
「なら、何か……今回みたいな事などがあったらその端末の連絡先に連絡して下さい。榊原さんは一応遠野さんの部下ですが、私でもなんなら副支部長でも」
そうだ。あの時、機器の説明と一緒に私の立場の説明もされた。
形式上は遠野の部下、でも臨時職員だから仕事の多い遠野にぴったりつく訳じゃない。今日みたいな仕事や、伊里院さんと一緒になる事もあるかも知れないと。
「分かりました」
並んで歩きながらエレベーターに向かう。
伊里院さん、私より年上なんだろうけど、なんだか雰囲気がほわほわしてて可愛く思えてしまう。背の低さも合わさって、小動物を愛でる目になりそうで危ない。
「どうかしました?」
「いえ! ……あ、そういえば」
誤魔化す訳じゃないが、ちょっと気になった事を聞いてみよう。
「この前の鬼達以外の異界の人で、話をさせて貰えそうな方っていませんか?」
あの鬼達は今、強い飢餓感と凶暴性が認められるため『強制養生』という措置をとっていて、話を出来る状態では無いんだそうだ。
「うーん……いるにはいる、んですが……」
伊里院さんはちょっと難しい顔になった。
「最初の検査の段階でTSTI内部でもてつさんの情報を求めたんですが、現時点でも有用なものは出て来てなくて……話を聞きに行っても、どうでしょう……」
あまり実になる話は出来なさそうだという事か。あと、新たに一つ気になる事が。
「あの、てぃーえすてぃーあいって何ですか」
「あ、超自然対策委員会の略称ですよ。超自然対策委員会って名前が長いとかイマイチという意見がここ何年かで大きくなりまして、正式な略称として『TSTI』を採用し、使うようになったんです」
「なるほど……」
……TSTIも少し言い難くないか?
エレベーターに乗り、伊里院さんがパネルに触る。
「そういえば今日って、どう帰ればいいんですか?」
今になって気付く。この間は遠野の車だったけど、今日どうするんだ?
「ああ、このまま帰れますよ。前に遠野さんが送った駅で良いんですよね?」
「あ、はい……ん?」
「そのうちに榊原さんもパネル操作を教えてもらえると思います。それまでちょっと驚いたりするかも知れないですけど」
伊里院さんが少し笑うように言う。
「私も最初、ちょっと戸惑ったので」
エレベーターが停まり、ドアが開く。
「こっちです」
降りてから、伊里院さんの先導で通路を歩く。突き当たりまで来ると、左側のドアを開けた。
「……えっ」
伊里院さんを越えて見えた景色は、いつもの駅の改札と駅ビルの入口。
「ここで大丈夫ですか?」
その声に我に返る。
「あっ…はい、大丈夫です。けど……あの、私達ずっとここにいたって事ですか?」
「いえ、支部のエレベーターとここの業務用エレベーターのドアを一時的に繋げたんです。異界に渡る技術を応用しています」
「………」
なんて事無いように説明されたけど、物凄い事だよね、これ。ちょっとどころじゃない衝撃だよ。
「では、私は戻るので。お疲れ様です」
「お疲れ様です……」
駅の方に出て、ドアが閉められる。
驚きはまだ消えないが、今はまず家に帰ろう。私は身体の向きを変え、改札の方へ歩き出した。
「……ぃ………ろ……ぉい、おい! 起きろ!」
「………ぅんあ?」
頬をべしべしと叩かれる感覚で、意識が浮上した。なんだ、こんな夜中に。
「起きたか?」
「……ねる……」
「起きろってんだよ」
叩かれまいと顔の向きを変えたら、今度は耳を引っ張ってきた。地味に痛い。
「……あー、もう……」
観念して瞼を開くと、薄ぼんやりと手の形の影が見えた。
「…………あ、てつか」
起き上がり、一拍してからその存在を認識する。てつは私の正面に来ると、はぁ、とため息を吐いた。
「あ、じゃあねえよ。危機感がねえなあ……」
「何、危機感って。また変な事起きたの?」
自分の身体を確認しても、特に変化は見られない。
スマホの画面を点けると、午前二時と表示されている。完全に深夜だ。
「お前じゃあねえよ。外だ、外」
「外?」
窓に目を向け、耳を澄ます。この時間帯の住宅地らしく、静かで、特に人の気配なども無い────。
「……なんか、周りにいる?」
ざわめきのような気配が、辺り一帯を覆っているような。そして、それはこちらを見据えている。
「ああ」
「……見て、平気?」
「刺激すんなよ。覗く程度にしておけ」
及び腰でベッドから降り、窓に向かう。カーテンの隙間から、そっと外を窺った。
「! ……っ」
見えたのは、猫。猫、猫、猫の群れ。
向かいの家の屋根の上、そのベランダ、斜向かいの家にも同じ様に、夥しい数の猫がそこに居た。多分、路上や反対側の家にも同じ様に居るのだろう。そして、その猫達は皆、鳴きもせずこちらを見ていた。
「……猫の集会とか、じゃない……よね」
その光景から目を離し、窓からもそっと遠ざかる。
「あいつらの狙いは、何故かは知らねえが完全に俺らだ。散らそうかとも思ったが、面倒くせえ事になりそうでよ」
面倒くさい事……いっぺんに襲いかかるとか、ここからさらに親玉が出てくるとか?
なんにしろ、こんな住宅地の真ん中で事を起こしたくは無い。
「……もし、もうし」
「……!」
呼び掛けに、一瞬身体を硬くする。声は、窓もカーテンも抜けて、この場で発しているような響き方をする。
「あん?」
「突然の訪問、失礼致します。……あなた方と、少し話をさせて頂きたいのです。危ない事は致しません。……どうか」
その声は緊張と不安で、震えているようにも聞こえた。突然の語りかけに、どう対応すべきかと悩む。
「囲い込んではじろじろと睨め付けといて、いきなり殊勝な申し出たあ笑っちまうな。何が目的だ?」
「?!」
急に何言ってんの?! ていうかてつ、いつの間に窓まで?!
「……申し訳ありません。こういった事は初めてで、きっかけなど迷っていたらここまでの状態に………」
今度は震えが分かるほどの揺れた声音が返ってきた。てつの物言いに完全に気圧されているみたいだ。
──おい、喋ってる間に連絡とやらをしちまえ。
「?! ……!」
てつの声が頭に響く。テレパシーもどきだ。
そうだ。てつが多分猫、と話している間に、誰か支部の人とかにこの状況を伝えなくては。
「あー、わぁったよ、面倒くせえなあ……もっとはっきり喋れ。で?」
「……え……え、と」
「目的だよ。聞いただろう? 俺らにどういった用がある?」
私はスマホを持ち、意味があるか分からないけど一応部屋の隅に移動する。まずは遠野に掛ければいいだろうか。
「……ぁ、はい! はいそうです! ね、姐さんを! 助けて頂きたいのです!!」
姐さん?
そっちに意識が向いた瞬間に、遠野に繋がった。
『はい…榊原さん? どうしました?』
「あっ……えと、すみません遠野さん、こんな時間に。今、ちょっと問題が起きているようで」
なるべく声を潜めて話す。その間に、てつと声のやり取りはなんだか大事になっていく。
「姐さん? 助ける? もっと具体的に言ってくれよ」
「ぅえ、と、私達の姐さんが、最近どんどん、元気を無くしていっていて……昔の話をよくして下さるんです。とても懐かしそうに、寂しそうに……」
その声は少しずつ小さくなっていく。それに合わせるように、周りの空気も湿っていくようで。
「ほおん……そんで?」
「ここの所の元気の無くし方が凄くて、このまま消えてしまうんじゃないかって……! ……華珠貴もどっか行っちゃうし……もう、どうすればいいか全然分からなくて」
状況を伝えた私は、通話を途中からスピーカーに変え、その声が聞こえるようにしていた。
「でも姐さんと似た匂いの方を見つけたんです! その方と話せば、姐さんも少しは元気になるんじゃないかって、昔みたいに笑って下さるんじゃないかって!」
「だから昼間に覗いてたのか?」
えっあれって猫の視線だったの?
「はい。その話をしたら姐さん、少し笑ってくれたんです! 同郷のものじゃないかって……お願いします! 私達と一緒に姐さんに会って下さい!」
「同郷?」『なるほど』
てつと遠野の声が重なった。なんて?
『猫……に類するもののデータで………っと、保護出来てない案件、っ、無いんですが、取りこぼしですかね』
遠野の声が途切れたり、後ろから騒がしい音が聞こえだした。さっきまで静かだったのに。
「え、遠野さん、今……何してるんです?」
『ああ、保護かつど……ですよ。あのっ……鬼、みたいな感じです、ねっ!』
なんだか、大分悪いタイミングだったようだ。
『やあ、さっきまで大人しくして…………ですけど』
「すいません……」
『いえ、そっちもっ……重要です、から』
申し訳無いなあこれは。でも通話を切る訳にもいかない。
「あの、お願いします! 姐さんの所に一緒に来て下さい!!」
高く震える声の必死さが増している。ああ、これをどうするかを早く決めなければ。
「ああ、いいぜ」
「ええ?!」
あっけらかんと応えるてつに、思わず声が大きくなった。
「い、良いんですか?!」
声は、少し安堵したように響く。
「いや待ってよこっちの指示を仰がなきゃ……」
『そうで、すね……行く事は良いっ……です……っ』
「良いんですか?!」
「本当ですか?!」
……あっ途中から隠れるだの潜めるだの忘れてた! 筒抜けか私の馬鹿!
「お前らの言うようにいくかは知らんが、俺らにも何かしら有りそうだ」
「ありがとうございます!! それでは今すぐお連れしますね!」
『あ、なんかはなっ……拗れてませんっ? 人員を増……』
ぶつり、と通話が途切れた。同時にカーテンがブワリと大きく浮き上がり、窓が開く。
「はあっ?!」
ポルターガイスト?!
開いた窓から見えた先、さっきより二倍ほどに増えている猫の群れから一匹が、こちらに向かってふわりと跳んだ。トトン、とうちのベランダの柵を足場にして部屋に入ってきた虎猫は、頭を下げ言葉を発する。
「本当にありがとうございます。このご恩は決して忘れません!」
ああ、この猫が喋っていたのか。そう思うと同時に、窓から入ってきた猫の群れと、なんだか黒いものに視界が埋め尽くされた。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
月二回更新の頻度についてですが、上旬下旬で一回ずつという形にしようかと思います。活動報告にもその辺り詳しく書きますので、よければそちらもお読み下さい。(2019年6月4日現在)




