23 お上
鯉口を切り、右手で柄を持ち、鞘から引き抜く。両手で構えてから、一拍。鞘を左手で持ち、少し斜め前に出し、鞘の口に切っ先を差し込み、そのまま刀身全体を納めていく。
「すごいよ榊原さん。この短期間でここまで上達するなんて」
「あ、ありがとうございます……」
籠町さんに真正面から褒められ、嬉しさと照れが同時に来る。
あれからまた三日。もう十月も下旬だ。
私は、籠町さんとてつと一緒に、支部内の一室で刀の動作練習をしていた。本番のためにという事もあって、あの水色の衣装を着て、他にも全てを身に着けて、フル装備で行っている。
衣装を着て、刀の抜き差しをして、分かった事。この衣装、パニエで膨らんでいるために、刀がまっすぐ体に沿わない。少しだけ、ズレるのだ。
「衣装部に言う?」と籠町さんに言われたが、少しすれば、そのズレにも慣れてしまえたので、「大丈夫です」と辞退した。
ってか、この服を作った人達、衣装部って言うんだ。
「これなら、万が一があっても一応は大丈夫だね」
「そうですかね」
籠町さんに言われるが、私が出来てるのは、抜く、構える、納める、という三動作だけだ。刀の振り方、というか何かを斬る? 動作などは教わっていない。
「万が一、というのを、籠町さんは経験した事があるんですか?」
「ううん、ない」
聞けば、籠町さんは首を振った。
「いつもね、あっちに行くと、私達は遠巻きに見られるの。あ、やり取りする人達は別だよ? でも、他の町人の人達は、私達には基本近付かない」
「それはまた、どうして」
「余所者だからだろう。その上、見慣れないモンを身に着けてる。警戒するには充分すぎる要素だ」
私の問いに、てつが答えた。
「そう、てつさんの言う通り」
籠町さんが頷く。
「その上興味も持たれる事になる。だから私達は、一挙手一投足にも気を付けないといけない。これからの異界のひと達との関係に、罅を入れないためにも、ね」
「……肝に銘じます」
あっちでは、大人しくしよう。いや、仕事以外に、特別に何かやる事なんて、ないんだけども。
「あ、ごめん。緊張させちゃったかな。そんなに肩肘張らなくていいんだよ。友好的に、だしね」
「はい」
友好的に。……友好的に、かぁ。
今更だけど、そもそもどんな関係を築いていたんだろう。
と、そんな事を籠町さんに聞いたら。
「んー……そもそもを辿るとね、あっちではお上と交渉してるんだよね」
「お上……政府?! あっ、幕府?」
「そう。説明会で言ってたよね。異界のあの辺は幕府が統治してて、こっちの江戸時代みたいな世界だって」
言われた。
こくこく、と私が頷くと。
「うちは表向き独立した組織、となっているけど、本当は政府に連なる組織。で、あっちの幕府と交渉してる。要するに、これは調査でもあるけど、外交なんだよ」
「あー……そういえばTSTIで働くと、公務員扱いでしたっけ」
いつも、想像する公務員とは程遠い仕事をしているもんで、組織の会員証を見ない限り、忘れがちだ。
そして、TSTIみたいな組織は世界中にある。発展途上国や紛争地帯なんかは、それが無かったり機能していなかったりするけど、主だった国には大体ある。そして、世界中にあるそれらの組織と、うちは繋がっている。
「……結構な大役ですよね。私、バイトなのに」
遠野さんにも愚痴った事を、つい、籠町さんにも言ってしまった。
「そうだねー。それなりに珍しい事だとは思うよ。けど、こういうのも無いわけじゃない。特に、力を持つひとなんかは」
「力を持つ……」
それは、私みたいな、人間からちょっとズレてるとか、天遠乃の家系とかの特別な人達とか、異界からのひと達なんかだろうか。
「そう。力。様々なね。権力、財力、異能に神の加護。最後二つは、榊原さんも当てはまるね」
「ですね……」
ちょっとだけ、肩を落とす。別に、今の境遇に文句があるわけじゃない。けどやっぱり、こういう力は、良くも悪くも他に作用を及ぼすんだなぁ、と改めて思っただけで。
「で、話を戻すね」
籠町さんは、そう言うと。
「今日のこれで、榊原さんの刀の問題も解決した、と見なします。なので、遠野くんにもそう報告します。良い?」
「はい」
それに頷けば、「じゃあ、着替えて、片付けて、解散!」と籠町さんは元気よく言った。
「てつ~……」
いつもの洞窟で、狼姿に戻ったてつの側にへたり込んだ私は、その金色でもふもふの横っ腹へ、顔を突っ込んだ。
「なんだ」
「疲れた……」
「それがどうした」
「どうしたって……」
あの後、帰り際に、「あ、でも、刀の練習は続けてね。動きを忘れるといけないし、やっぱり万が一の備えは必要だから」と、籠町さんに言われて。
終わったー、と思ったところに来たもんだから、なんだか疲労感が出てしまった。
いや、当たり前っちゃ当たり前だけどね? そりゃ、あと一週間、あの動きを何もしないで覚えていられる、なんて自惚れてはいない。
「てつはいいよね~。刀、ちゃんと使えるし、戦えるし、いざという時だって、ちゃんと動けるだろうしさ」
「……」
ふぁさり、と、背中に柔らかい毛が当たった。てつが尻尾で囲ってくれたんだと、今までの事から理解した。
「てつってさぁ、あったかいよねぇ……」
「お前な……」
「いいじゃん。ちょっとこのまま、休ませてよ」
「……」
ハァ、と溜め息の音が聞こえた。てつの気は、穏やかだ。了承を得たと勝手に思う事にする。
……てつ、本当に温かい。生きて、血が通ってるんだから、当たり前だけど。
「……杏?」
「……うん……」
だんだん、なんか、その温かさに包まれて、気持ちがふわふわとしてきた。
「……お前な……」
てつの声が、どこか遠い。
私はそのまま、いつの間にか、眠ってしまったらしかった。
リリリン、リリリン
「……んぁ……?」
アラーム、鳴ってる……? 起きなきゃ……でも、これ、あったかくて、まだ、寝たい……。……あれ、私、いつの間に、寝てた……?
「……ッ!」
ガバッ! と、金色の毛束から顔を出す。
「起きたか」
低い問いかけに、ああ、てつの声だ、とぼうっとした頭でそれだけ理解する。
「……えっ、あれ、わたし、あれっ……?」
じょ、状況把握、状況把握……。
私は、丸くなっているてつの、尻尾とお腹に支えられるようにして、その金色とお腹の白銀の毛に覆われていた。ようだった。
「起きたなら、その音を止めろ」
その音。……あ、アラーム!
「ご、ごめん」
アラームを止めようとして、スマホが見当たらないと気付く。そして、スマホがてつの毛に埋まっている事を悟る。
「……てつ、ごめん。スマホが」
「が?」
「てつの毛の中のどこかに……」
「はあ? ……ハァ」
呆れたように声は響き、てつはのそりと立ち上がった。すると、カタン、と音がして。
「あっ、あった!」
予想通り、てつのお腹あたりから、スマホが落っこちてきた。
危ない危ない。ケース付けといて良かった。スマホだけだったら絶対ヒビいってた。
リリリン、リリリンと鳴り続けるそれを切り、ほっと息を吐いた後は、またハッとする。
「……てつ、ごめんね。いつの間にか寝落ちちゃったらしくて……」
てつは無言で座り直す。
この、気の揺らめきからは、怒気は感じられない。だから、怒っては、いないはず、だと、思うん……だけど……。
「……」
てつは静かに、顔は前──洞窟の口へと向けた状態で、目と耳だけをこっちに向けている。
「……その、……てつ、さん……?」
「……寝る時は周りに気を付けろ」
「う、うっす。すみません」
「謝らなくて良い。寝るほど疲れていたと、気付かなかった俺も悪かった」
「いや、いやいや」
てつが妙だ。なんか、なんかこう、妙だ。なんだ、何があるんだ。
「で、時間なんだろう? 早く帰って寝直せ」
「う、うん」
あたふたと支度をして、てつと一緒に洞窟を出る。森の中を歩いていって、ドアに来たところで。
「てつ、じゃあ」
てつの方へ向きを変えた。毎度の事になった、頭を乗っけられるあの体勢への準備だ。
「……」
けど、てつは、目を細めるだけで、動かない。
「……杏」
「え? はい」
尻尾を一度、ゆっくり振って。
「お前、周りには気を付けろよ」
「は、はぃ……?」
本格的に、どうした、てつ。
「てつ、どういうこ──」
モファッ。
「……。……ふゃのふゃ……」
「あ?」
いや、喋ってる時に来るのはどうなのよ?




