9 臨時職員
季節柄か体調を崩してしまい、いつもとズレたタイミングになりました。
「…………………………………………眠い」
何回目かのアラームを止め、流石に起きなければと身体を起こす。
「なんでこういう時に限って一限からあんの……」
あくびをかみ殺しながら洗面所に向かう。私は、まだうまく回らない頭のまま、昨日の…というか今日になっていたけど、話を思い返す。
「はい?」
盛大に声がひっくり返った。
「本来なら、お二人共すぐさま収容され経過観察のち処分というが最近までのうちのやり方でした。それをちょっと変えていこうという感じですね」
「はい?!」
遠野が続けて物騒な事を言うのでさっきよりオクターブ上の声が出る。てつがとん、と指を動かしたのが頭から伝わってきた。
「現状を鑑みた結果、スカウトしても良いのではないかという話になりまして。お二人のカウンセリングや今後のサポートもし易くなりますし、この環境ならてつさんの『分散した自身の一部を吸収する』事も可能になるかも知れません」
目を丸くする伊里院さんの横で、遠野はすらすらと語る。
「異界人の方々と関わる機会を安全かつ多く設けられる上、そこからてつさんの情報が得られる可能性も高まります。榊原さんも、ご自身に変調があった際もこちらでの対処がし易くなります。それらを『協力』と形でご足労願うのも心苦しいですし、雇用の形であれば諸々の制限も少なく出来るでしょう。如何ですか?」
ですか? と言われても。私は何も言えず、遠野を見返した。
まあ、分からない事が多いまま受け身で待つより、繋がりがあった方が良いとは思う。でも急にそんな話をされても、今のこんな状況でちゃんと判断出来る気がしないのだ。
「俺は雇われるのは好きじゃねえなあ」
口を噤んだ私の上から、てつが言った。
「それにてめえの口振りが、なんとも気に食わねえ。頭ん中と言ってっことがずれてんだろう?」
お前も急に何を言い出すんだ。
「俺らだけじゃねえ。誰に対しても妙に霞がかったような喋りしやがって、俺ぁ分かり易いのが好きなんだ」
てつが言う度に遠野の目が険を帯びていく、感じがする。笑顔のまま雰囲気だけ変化していくの怖いんだけど!
「ちょっ──」
「分かり易い、ですか」
私の声を遮って、遠野が話し出す。
「そうですね、『こちらにいれば榊原さんの身の安全は保証します』と言えば、てつさんの考えは変わりますか?」
「ほおん?」
「は……え、ん?」
今度はどういう話だ? 伊里院さんとお互いに泳いでいた目を合わせ、どうとも言えない表情になる。ていうか伊里院さん、そっち側なのに私と同じのは大丈夫なの?
「ほお……良い度胸してんな、てめえら」
「てつさん程ではありませんよ」
「気に食わねえのはそのままだが、さっきより断然分かり易いな。端からそうやって欲しいもんだ」
「この社会ではその方が事が円滑に進んだりするんですよ。その辺りはご了承頂けると有り難いです」
「ましなもんが来たからな、乗ってやるよ。……違えんなよ? 俺ぁ嘘は嫌いだ」
「ええ。ありがとうございます」
二人の間でどんどん話が進む。置いてけぼりの私と伊里院さん。硬かった空気はどことなく解けつつ、なんだか渦を巻いているようで、変に気が引っ張られる。
「榊原さんはどうお考えでしょう?」
「えっ」
遠野の視線が私に移る。
「えっ……と、繋がりがあるのは有り難いんですが……急な話ですし、働くといっても私、大学生なのでちょっと、なんとも……」
どうしても歯切れが悪くなる。ばしっと言えれば良いが、そう簡単に出来る話じゃない。
「その辺りも考えまして、臨時職員の形が良いのではないかと。ここは変則的な動きが多いですし、本来関わりのない筈の榊原さんにはあまり危険な業務は充てられません。あくまでご自身の状態異常を正常に戻す事が目的とされますから。ですよね、伊里院さん」
「あ……あっはい!」
伊里院さんは姿勢を正し、こちらをまっすぐ向いて話し出す。
「お二人には定期検査、カウンセリングの他、臨時職員として第25支部で扱う案件の収集、精査、調査などに携わって頂きたいと考えています。詳しくはこちらを」
伊里院さんから、クリアホルダーを受け取る。戻ってきた時からずっと持ってたけど、この話のものが入ってたのか。クリアホルダーには一見すると会社案内のようなパンフレットが入っていた。
「給与は時間給と特別報酬の二種類が主になります。時間給は二千円、特別報酬は案件にもよりますが──」
「えっ」
開きかけたパンフレットから顔を上げ、伊里院さんをまじまじと見る。
「えっ?」
「時給二千円って言いました?」
「あ、はい。それの後ろのページに載っていますよ」
確かめるとその通りの事が書いてあった。
「……」
「ちなみに、てつさんと榊原さんのお二人を雇う形になるので金額も二人分になります」
「……ここまでの話を合わせまして榊原さん、如何でしょう?」
そう言う遠野の顔は、一番最初に会った時のような笑顔だった。
その後契約をして大学の最寄り駅まで送られて帰って寝ました、はい。しかも寝てすぐに今更の、乗っ取り反動が来て結局あまり眠れませんでした。そのまま来なければ良かったのに。
「…………なるようになる! 頑張る!」
「……なんだあ? でけえ声で」
気合いの声にてつが反応する。寝てたのを起こしてしまったようだ。
「ああ、ちょっと気を引き締めようとね。ちょうど良かった、シャワー浴びるから出てて」
「毎回毎回面倒くせえなあ……」
シャワーを浴びて他の朝の支度も終え、家を出ようとした所でスマホが点滅してる事に気付いた。
「ラインじゃなくてメール……? あっ大学か。……ネットワーク環境及び電子システムの不具合?」
休講の連絡かと思いきや、大学全体での休校の連絡だった。
内容は、昨日夜から大学のサーバーなどのネットワーク環境やエレベーター、自動ドアなどの機器が原因不明の不具合を起こしている、というもの。今はホームページも止まってしまっているらしく、復旧の目処は明日午後を予定しているという。
「……これは、もしや」
昨日の騒動が原因では?
「どうした?外行くんじゃあねえのか?」
「ちょっと問題発生かも。……連絡した方がいい、んだろうな」
昨日、あの帰りにパンフレットと一緒に「とりあえず一式渡しますね」と持たされたダークブラウンの革のケースを開く。
「………ワアスゴイ」
スマホやパソコンとしても使えるタブレット、小型マイクみたいなの、コード類、あとなんか中が見えないカプセルとかなにやら模様が描かれてるお札が束で入ってたりとか……。
「ジャンルがごちゃ混ぜだよ……これが説明書かな」
脇に挟まっていた紙を取り出し、中のものを確認する。
「うん、スマホはそのまま使える訳ね。じゃあこれで」
スマホを取り出し、電源を入れようとすると、甲高い電子音が鳴り出した。
「ほあっ?」
「おお?」
見ると、画面に遠野守弥と表示されている。
「えっえっちょっ」
えっ電源入ってないのに電話かかってきた?! どういう事?! なんで、あっいや大学の事?
「取りあえず出なきゃ!?」
『もしもし榊原さん? 遠野です』
「あっはい榊原です……」
昨日と変わらず、落ち着いた印象を受ける遠野の声だ。
『おはようございます。いやあ電話出てもらえて良かった。朝から突然なんですが、初出勤の要請です』
「初出勤…ですか」
『はい。昨日の話では改めて詳しい説明をしてから、という事でしたが事情が変わりまして。昨日の鬼、異界人に関係する事です』
「あっそれ、大学のネット環境とかの不具合と関係してるやつですか? そういうメールが来てまして」
『ああ、はい。その辺りも含めての調査を一緒にしてもらいます。場所はそのまま昨日の現場です』
次の話数は二桁だ!と思いながらやっています。




