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封神鬼ガウリ  作者: EZOみん
第二章 烏合錯綜
8/23

虜囚

 特徴的な高い頬と尖った鷲鼻。

 ハルシオ・ナハトマン司祭は容貌が示す通り、大陸北方の出身だった。


 すでに初老の域に達し、短く刈り上げた髪はすっかり白くなった。緑の瞳も色褪せてきていたが、欠かさず続けてきた修練のお陰で身のこなしは今でも機敏であった。


 大教会は組織の利益を守る(あるいは勝ち取る)ためには実力行使をためらわず、専門の武装僧侶――修道闘士を有している。


 老司祭はラサにおける大教会の教導司祭として、修道闘士達を指揮する立場にあった。


「ですから、此度のことは封主諸侯からの全面的な支持のもと、実行した次第です。誓って姫殿下を害する意図は……」


 熱弁を振るう老司祭をイリマは手で制した。

 前髪を軽くかき上げ、軽く息をはく。


「それは理解しました、司祭様。人を招くには変わったやり方ですが、今はこれ以上問いません。でも確かあなたは千日行をなさっていたはずでは?」


 千日行は文字通り千の日々をひたすら修練に明け暮れる苦行だ。

 行に専念する為という名目でナハトマンはここ半年あまり、公の場から姿を消していたはずだった。


「それは方便ですな。私はラサへ赴任する何年も前に千日行は済ませておりますので」


 あっさりとナハトマンは虚偽を認めた。

 教導司祭ともあろう者が他人を騙すのは教義上、問題ないのか――と問い詰めたいところだが、この悪びれのなさでは追及しても無駄だろう。


「父は? ファルベ大公主はこのことを承知しているのですか?」

「いいえ、まさか。大公主閣下より殿下を遠ざけたいが故に、無礼を承知でここへお連れしたのですから」


 口を開きかけたイリマを制するように、老司祭は話を続けた。


「もちろん、大公主閣下は姫殿下の父君でありますが、未だ隣国の王位継承権を手放さない有様。これでは外様とそしられても仕方ありますまい。先代女王陛下が名のみで領地をお与えにならなかった理由もそこにあるのです。王国の未来は、アムラル王家に連なる者で決すべきかと存じます」

「司祭様を含めて、ですか」

「おお、もちろん。特に私を含めて、ですな。すでに私はラサの住民であり、王家に尽くす者。さらには、もったいなくも信者の皆様方を教え導く立場にありますゆえ」


 彼はある意味、大教会の司祭らしさを完璧に備えていた。

 潔癖で、誇り高く、清貧をよくし、弱者を助け――信じ難いほどに、厚かましい。


「それで、わたしをここに連れてきた目的は?」

「姫殿下にご即位頂きたいのです。ラサの女王として」

「――なんですって?」


 間違えようのない言い回しだったが、イリマは聞き返した。

 予想していたのか、老司祭は平然と繰り返した。


「ご即位頂きたいのです。それも、可能な限り早急に」

「わたしは父の後見を受けている身よ。勝手に即位などできないわ。それは国法に反します」

「大教会が即位の正当性を保証いたします」

「保証? どのようにしてですか?」

「唯一神の御名において。諸侯はもちろん、列強各国もこぞって姫殿下のご英断を支持いたしましょう」


 つまりお膳立ては整えてやったから、無理やりにでも女王になれと言っているのだった。

 あからさまな内政干渉だったが、大教会が老司祭に期待する役回りはまさにそれなのだろう。


 しかし、一国の姫君を誘拐し、法を捻じ曲げてでも即位を迫ろうとは尋常ではない。

 イリマは困惑した。


「司祭様、どうしてこんなやり方をなさるのです? 性急で強引な手段は、後々に禍根を残します。本当に司祭様が諸侯の支持を得ているのであれば、少々時間をかけてでも父を説得してくださればよいではありませんか」

「無論、ご即位を急いで頂くのは理由がございます」


 微塵もやましさを感じさせない態度で、老司祭は続けた。


「嘆かわしくも大公夫人は忌まわしき偽神、蛭神の信徒であります。そして大公主閣下は、大公夫人の傀儡も同然。両名は姫殿下の後見人としての権勢を利用して旧神派を糾合し、コモリガミの復権を目論んでいるのです! 我が教会は断じてこれを許すことはできません」

「それこそ、方便でしょう。確かにお義母様はコモリガミ様を崇拝しているけど、そこまでは……第一、かの神はもう……」

「滅んではおりません」


 老司祭は眼光を鋭くし、断言した。


「逆に蛭神めは巫女を――畏れ多くも先代女王陛下を殺害し、まんまと逃げのびた。そしていまだにラサに潜んでいるのです!」


 老司祭の語った内容はこうであった。

 かつて神堕ろしを行った際、女王は蛭神を滅ぼすことを良しとしなかった。司祭の反対を押し切って、地下祭壇から放逐するに留めたのである。


 蛭神には外の環境は厳し過ぎるのは承知の上だったが、すぐに死ぬわけではない。ラサを出て切実に医療を求めている村落などに落ち延びれば、また棲み心地のいい祭壇に祭られるだろうと見越してのことであった。


 だが、蛭神はラサに執着した。


 それどころか衰えた力を次第に盛り返しつつあるのを、女王は感知したのだ。

 蛭神だけで成せることではなく、間違いなく誰かが匿っていると考えられた。


 堕ろされた神が徘徊していると知れ渡れば、民の間に動揺が広がる。

 大教会も協力して極秘に蛭神を捜索することになったのだが、突然女王は病を得て急死してしまった。


 ただの偶然とは考え難いタイミングである。

 さらに喪が明けた途端、ファルベ大公主の前にルールィという女が現れた。


 ルールィは表向きは没落した封主の遠縁とされているが、実際には身元の怪しい人物だった。大公主は彼女の美貌にたちまち骨抜きにされ、同時にそれまで順調に進展していた大教会関連施設の建立が、事故や予算の都合でしばしば中断されるようになった。

 ルールィが後妻に収まる頃には、大半の施設が建立計画そのものを白紙とされてしまった。


 逆に最近では伝統文化の保存との名目で、取り壊された蛭神の祭祀塔を再建する動きすらあるらしい。

 

「これら全てはルールィ・ファルベ大公夫人の暗躍によるもの。彼奴めは蛭神を復活させて新しき巫女となり、女王の座をも奪おうとしております。つまり時が至っても姫殿下のご即位を認めるつもりは、はじめからないのです」


 簡単には飲み込めない話だった。

 だが、一定の真実味も感じられる。


「コモリガミ様は、まだこの国にいる。母――フィルマ女王陛下はそう言ったのですか?」


 イリマの問いに、老司祭は大きくうなずいた。


「そうです。巫女と神の縁は簡単に断ち切れるものではない、と陛下は申しておられました。だからこそ偽神めの動向をお感じになられたのでしょう。しかし、それは相手にも知れたこと。故に陛下は害され……いまや姫殿下の身にも危険が迫っております」


 堕ろされた蛭神の存命。

 女王の死に纏わる疑惑。


 これら二つについてはイリマも噂の形で耳にしたことはあり、まだ受け入れやすかった。

 だが最後の一つは別だ。


「でも、お義母様から害意を感じたことはありません。わたしを排除するつもりなら、幾らでも機会があったはずです」

「姫殿下、騙されてはなりません! 今まで御無事であったのは、連中の権力の源が後見人の地位にあるからですぞ。私もあえて強攻策は手控えておりましたが、もはや猶予はありません。大公夫人は追い詰められており、なにをしでかすかわからない状態なのです!」


 老司祭の大仰な手振りは演出効果を狙っただけでなく、本心の発露でもあったらしい。

 為に生じた僅かなほころびをイリマは見逃さなかった。


「司祭様。猶予がないと思われるのは、どうしてですか?」

「これ以上時間を与えては、本格的に偽神が復活してしまう恐れがあるのです」

「ならば追い詰められている、とは? 一体、なにがお義母――いえ、大公夫人を追い詰めているのですか?」

「む、それは……」


 控えめなノックが、言いよどむ司祭を助けた。

 扉から顔をのぞかせた若い修道闘士と小声で話を交わすと、老司祭はイリマに一礼して部屋から出て行ってしまった。夜更けでもあり、続きはまた明日とのことらしい。


 扉が閉まり、外から閂がかけられた。

 どう取り繕おうが、イリマが虜囚の身であることは変わりなかった。恐らく扉の向こうには、見張りの者がいるのだろう。


「ふう……」


 質素なベッドに座り、イリマは指先を組んだ。

 砂岩でできた壁は分厚く、部屋の中はしんと静まり返っている。


 差しあたって命の危険はなさそうだが、話がこじれればどうなるかわからない。なんと言っても大教会派は反逆罪に問われる覚悟で、事を起こしているのである。老司祭は彼なりの真実を語ってくれたようだが、隠し事をしていることも間違いない。

 

 諸侯の支持を受けた大教会と、蛭神を信仰する大公夫人は、これまでも王国の主導権を巡って暗闘を続けてきた。

 

 それを知りつつ、イリマは積極的な関与を避けてきた。対立を上手くおさめるためにも、あと数年は経験を積む必要がある。その位の猶予はあると思っていたのだが、どうやら考えが甘かったらしい。

 

 果たしてどう判断すべきか。

 

 首を縦に振らない限り、老司祭がイリマを解放することはないだろう。それを道徳的な概念で非難してもあまり意義はない。戦場においてとらえられた王族が、敵対者に身代金を払ったり、不利な条約を結ぶ羽目になったりするのは、ごく普通のことだ。

 

 しかし、強要された即位に応じることはできない。

 

 そんなことをすれば、イリマの代でラサの女王は完全なお飾りになったと内外に喧伝するようなものだ。それで国の運営が上手くいくならまだしも、恐らくそうはなるまい。諸侯は遠慮なく自らが実権を握ろうと相争い、国の分断を招きかねない。

 

 思考に沈むイリマを引き上げたのは、木を引っかくような音だった。

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