討議
誘拐は明らかに周到に計画されたものだった。
調査の結果、食事を作る際に使用した井戸から極めて特殊な薬が検出された。無味無臭、おまけに無害――だが、時間の経緯に伴って体内物質と結合し、強力な睡眠薬になってしまうのだ。犯人達はまんまと食事に薬を混入させ、タイミングを計って誘拐を実行したのである。
誰一人誘拐犯の姿を見ることもできず、翌朝になっても姫の行方はようとして知れなかった。
「それなのに君には犯人を追えるというのかね? あー、ガウリ君」
「は、はい。ですから、僕を救出隊に加えて欲しいんです!」
討議室に集った人々は、疑わしげに視線を交し合った。
彼等は皆ラサの封主――伝統的な地方領主達であった。自らの支配地域においては小規模ながら独自の軍隊を保持しており、他からの干渉を嫌う傾向がある。
その相手が外国人で、ろくに年端のいかない少年ともなればなおさらだ。しぶしぶガウリの話に耳を傾けているのは、ヤーク・ギルドの威光ゆえだった。
「だがどうやってだね? 犯人の足取りすら掴めていないという報告だが?」
でっぷり太った封主の一人が、嫌味たらしく言った。
彼が責めているのはガウリではなく、その後ろに立つブレボだった。護親衛士の筆頭である以上、責を免れぬ立場である。勝気な彼女もここは黙って耐えるしかなかった。
「それはスウィー――あ、その、僕の猫が……」
「猫又よ。勝手に略さないで頂戴。それに誰がアンタの猫なのよ?」
視線が床に集まった。
が、スウィーは一言発した後は知らん顔で、床に座り込むとせっせと毛繕いを始めた。
封主達は話にならないとばかりに首を振る。中には失笑を漏らす者さえいた。
「スウィーはギルドの使い魔なんです! だから、イリマを……」
「無礼な、姫殿下と呼びたまえ! 君は我々を田舎者とあなどっているのかね!?」
「い、いえ……ごめんなさ……」
「たやすく救出と言うが、誘拐犯達がどこまでこちらの動きを掴んでいるか、わからんのだぞ。連中を刺激して姫殿下に危険が及ぶようなことになったら、どうするつもりだ?」
「第一、これはラサの国内問題だ。お申し出には感謝するが、押し売りは迷惑だね」
こぞって向けられる否定的な目。
蔑んだ笑みがお前はここにふさわしくない、とあからさまに告げている。
だが彼一人ではイリマを救えない。誰かの協力が必要なのだ。
逃げるわけにはいかない。
なおも嘆願しようとしたガウリの言葉は、荒々しい怒声にかき消されてしまった。
「これはどういうことだ! 何故わしがここに呼ばれんのだ!」
衛士を押しのけて部屋に踏み込んできたのは、イド・ファルベ大公主だった。
イリマの黒髪は父親譲りのものらしかったが、大公主の方は少々白いものが混じっていた。細い顎髭をぶるぶると震わせ、秀でた額には青筋が浮かんでいる。
「わしはイリマの父だぞ! わしをのけ者にして、なんの相談をしておるか!」
「それは誤解ですな、大公主閣下。我々はただ姫殿下の……」
ほどなく会議は中断されてしまった。
午後の日差しは王都を眩しく照らしていた。
くっきりと建物の影が落ちた石畳の上を、ガウリはとぼとぼ歩いていた。彼の主張は聞き入れられず、王宮から退去するように言われてしまったのだ。
「スウィー、どうして……」
「助けてくれなかったかって? なーんでアタシが助けなくちゃならないのよ、え?」
対象的にスウィーはいかにも気楽そうだった。
「森でせっかく警告してやったのに、無駄にするしさ。にぶちんね、ホント」
ガウリは立ち止まって王宮を振り仰いだ。
路地から見上げる白亜の宮はどこか非現実的で、彼とは隔絶した場所のように見える。
――最初から、あんな所に居場所はなかった。それだけだろ?
でも、ほんの少し前まで彼はあそこにいた。
昨日の朝までは彼女もいた。確かにいたのだ。
「――僕等だけで助けにいけないかな」
「はぁ? どうやってよ? 移動手段は? 装備は? 神堕ろしの修練しか受けてないアンタに、人質救出なんてややこしい真似ができるの?」
捲くし立てるスウィー。具体策のないガウリには返答の術がなかった。
移動一つとっても、スウィーには大まかな方角と距離しかわからない。脚で歩くしても道なき道を進み続けるわけにはいかず、最低でも地図が必要になる。
「それにアンタ、押し売りは迷惑だって言われ――」
「だけど、このままイリマを見捨てられないよ!」
ガウリの勢いに虚を突かれたのか、黒猫は目を見開いたが、すぐに言い返してきた。
「あのね、ガウリ。それってアタシになんとかしろって丸投げしてるだけなんだけど、気付いてる? やりたければ御自分でなさったらいかがかしら? 無駄なことに付き合うほど、アタシは暇じゃないの」
反論できない。できないが、ガウリはうなずくこともできなかった。
つんと顔を逸らし、スウィーは話を打ち切ろうとした。
「連中を説得できたら、アタシも手を貸すって約束でしょ。失敗した以上、無効……」
「わあっ、本当に猫が喋ってるぅ!」
「可愛いーっ!」
「真っ黒だ! 真っ黒の猫は縁起悪いんだぜ!」
わぁわぁと騒ぐ子供達の声が路地に反響する。
建物の影から走り出てきた数人の子供はガウリとスウィーを囲み、物珍しそうに囃し立てた。
全員、ソンガ人の子供だった。
王都メトには異国街がある。
外国に移住した少数民族は自衛とアイデンティティーの保持のために固まって住む傾向があるが、メトのソンガ人は若干事情が異なる。彼等が王宮周辺に住んでいるのは、王家の要請によるものなのだ。
子供等がガウリを連れてきたのは、異国街の一角にある二階建ての長屋だった。
一階部分は酒場になっており、営業時間外だと言うのに、大勢のソンガ人が詰めかけていた。
食事や飲み物も用意されていたが、誰一人として手を付けていない。
皆、一様に期待のこもった視線をガウリに向けてくる。
先ほどとは逆だったが、これはこれで居心地が悪い。
そんな彼らを統率していたのは、やはりブレボだった。
「偉いさんは姫様の安全を第一に考えて、犯人から接触があるまで静観するって言うのよ? まったく、冗談じゃないわ! あんな特殊な薬、入手経路を洗えば手がかりなんて幾らでも出てくるって言うのに!」
警備の不備を問われ、ブレボには謹慎処分が下されていた。
彼女はそれを無視してイリマ救出に向かうつもりなのだ。
他の護親衛士達は待機命令が出ており、表立って動かせない。そこでガウリに協力して欲しいとのことだった。
当然異存があるはずがない。
まだなにも成してはいないが、心強い味方を得てガウリの心は高揚した。
「今でこそ、ソンガ人って言えば傭兵の代名詞だけど、昔は違ったの。あたしらの祖先は奴隷として無理やり大陸に連れてこられたのよ」
誇り高いソンガ人達は主の暴虐に耐えかね、遂に反乱を起こして脱走する。
追われる身となった彼等を唯一受け入れ、助けてくれたのがアムラル王家だったらしい。
以来、一族は代々王家の護衛を務めることとなったのである。それゆえ、女王個人への忠誠心はラサの民以上に強い。
壮年の男性が前に歩み出てきた。グルードと名乗る彼は、ブレボの父であった。
「先代様を私は御守りすることができなかった。娘に同じ轍を踏ませるわけにはいかないのです」
「じゃあ、イリマのお母さんは……」ガウリの疑問にブレボが応じた。
「証拠はないわ。公式には病気で亡くなったことになっている。でも、あたし達は違うって確信しているの。だからイリマ様だけはお助けたいのよ。なんとしてもね!」
皿一杯に並べられた御馳走をぱくつきながら、スウィーが水を差した。
「へぇ、そう。なら、犯人の目星くらいはついているんでしょうねぇ?」
「スウィー!」困り顔のガウリ。
「なによ? アタシは手伝う義務はないのよ、言っておくけど」
ガウリははらはらしたが、スウィーは知らん顔ですましている。
残念ながら、イリマ救出にはこの猫又の助力が必要なのだ。
「おおよそはね。ただ、封主共が一枚噛んでいるのは間違いないよ。でなきゃ、こんな簡単に誘拐できないわ。そう考えれば、連中が妙に及び腰になっているのもわかる。――で、子猫ちゃんは本当にイリマ様を見つけられるのね?」
ブレボが軽く睨むと、猫又は楽しげに喉を鳴らした。
「あら、お返しってわけ? ふふん、今すぐ案内してあげてもいいけど……その前に、冷えたミルクをもう一杯頂きたいわ」