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封神鬼ガウリ  作者: EZOみん
第一章 神堕ろし
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秘め事

 蒼穹に映える王宮の白い外壁が、新緑の向こうから顔をのぞかせている。

 その向こうには王都の街並みが広がっていたが、木々の梢に邪魔されて全容を展望することは適わない。それでも丘陵からの景色は、見る者に充分感銘を与えてくれた。

 この丘陵から眺めると、王都から幾つもの山襞が放射状に伸びているのがわかる。

 メトは選ばれるべくして選ばれた都なのだ。

 

「あれが緑紅石の鉱山よ。ラサ全土には主要な鉱山だけで八つもあるの」


 谷の一つを指差しながら語るイリマ。

 ガウリはちらりと彼女の表情を窺った。イリマの提案によってこの丘へ散策にきたのだが、ガウリはブレボと大公夫人の言い争いの原因が気になっていた。

 

――コモリガミ様とは、どんな神だったのか。


 しかし、基本的にこの話題はタブーらしい。

 イリマも人目のない地下祭壇でしか、コモリガミの話に触れていない。

 周囲にブレボ他の護親衛士や近習達もいる状態で、聞いていい話でもなさそうだった。


「なあに?」

「……ううん、やっぱりいいよ」

「ガウリ。わたし、そういう態度は好きになれないわ」

「えっ?」


 思いもよらない強い口調で返され、ガウリは驚いた。


「なにを言いたいのかは知らないけれど、あなたは『いい』なんて思っていない。わたしに聞きたいことでもありそうな顔に見えるわ。違うかしら?」


 イリマはじっと彼を見つめた。深い瞳に覗き込まれ、ガウリは怯んだ。

 底光りする漆黒の双眸は美しくはあったが、心の奥まで見透かされてしまいそうな空恐ろしさをも感じてしまう。

 

「大事なことみたいね。――言いにくいの? 言いたくないの?」


 イリマはさらに追求してきた。

 巫覡の血ゆえか、彼女には隠し事や誤魔化しは通用しないようだ。


「ええと……言いにくい」

「そう――じゃあ、ちょっときて」


 返事を待たず、イリマは木陰にガウリを引っ張っていく。

 護親衛士達は二人の様子に注意を引かれたようだが、別段近寄ってはこない。

 多少距離が離れたので、会話を聞かれる心配はなさそうだ。


「ここならどう?」

「うん、その……ん?」


 言いかけたガウリの頭に、木の実のようなものが降ってきた。

 何気なく手で掴むと、それは大きな山蛭だった。

 気付けば、首筋にももぞもぞと蠢く濡れた感触がある。

 怖気を誘われ、ガウリは叫び出しそうになった。


「動かないで。わたしが取ってあげるから」


 イリマは落ち着き払って山蛭を摘み上げ、二匹とも自分の掌に移した。

 彼女が木の枝に手を伸ばすと、山蛭は指先を伝って葉の上へと這い戻っていく。まるで躾のいいペットのようだった。


「だ、大丈夫なの?」

「平気よ。この辺りは山蛭が多いんだけど、わたしは昔から一度も血を吸われたことがないの。ご先祖様がコモリガミ様の巫女だったから遠慮しているのね、きっと」

「巫女だったから? それって、もしかして……」

「ええ。コモリガミ様はね、蛭から成った神様なの」


 古くから蛭は医療の象徴ともされてきた。膨大な時の果てに精霊として昇華され、ついに祭られるようになった蛭神が癒し神と成ったのは、至極当然でもあった。


「でも吸血の性質と外見は民の嫌悪を招くわ。だからわたしのご先祖様は地下祭壇に蛭神をお迎えして、そこに棲んで頂くことにしたの。直接お会いするのは代々の巫覡だけ。だからコモリガミ様、って呼ばれるようになったのよ」


 地下祭壇は儀式の場だけでなく、蛭神の棲家でもあったのだ。

 人々に癒しの力を振るう時、巫女は己の首にコモリガミを吸い憑かせ、長い髪で隠して表に連れ出したのだと言う。イリマの母が大教会への鞍替えを宣言するまで、コモリガミの正体は王家だけの極秘事項だった。


 国家神でありながら、衆目を避けてひっそりと暮らしていた神。

 それはつまり、本当の居場所がないということではないか。


「でも、どうやって診察するの?」


 治療の術は万能ではない。治療の根源は患者本人の生命力である。

 よって闇雲に力を振るえば、術者が消耗するだけでなく、患者の身体に大きな負担をかけ、死に至らしめる場合もある。

 どこが悪いかわからなくては治しようがない――ごく当たり前の話だった。

 そしてガウリには、蛭が人間の身体に詳しいとは思えないのだ。


「意識交換と精神同期よ。コモリガミ様にはそういう力があるの」


 蛭神は自分が憑いた人間と、他の人間の意識を入れ替えることができるらしい。

 また、憑いた人間の精神に同期することも可能だ。


 治療の際にはまず巫女に憑いた後、巫女と患者の意識を入れ替える。


 巫女の意識が患者の身体に入れば、精神同期によって蛭神にも患者の容態――どこが痛いとか、ここが苦しいとか――を正確に掌握できるのだ。

 

「危険はあるわ。治療が間に合わず、意識が入れ替わったまま患者が亡くなれば、コモリガミ様はともかく、巫女は死んでしまうから」

「待ってよ。なら、最初から患者に憑けば……」

「それができるなら簡単だけどね。単に血を吸わせるだけならともかく、神を憑かせるには、よほどの修行が必要よ。誰でも巫女になれるわけじゃないでしょ?」


――誰でもなりたがるわけじゃない、の間違いだろ? 巫女とは神の配偶者。おぞましき蛭神と結ばれたい者なんぞ、そうはいない――


 内なる声に影響されてしまったのか、ガウリの口から困惑を帯びた言葉が滑り出た。


「だけど……蛭の神様なんて。イリマは気持ち悪くないの?」

「ええ、平気よ。なによりも大切なのは物事の表層じゃないわ。本質を見極めて、それをどう受け入れるかよ。例え好ましくなくても、ないことにはできない。みんなと仲良く付き合わなくちゃ」


 人差し指をぴんと立てて一息に語ってから、イリマは照れ笑いした。


「母の言葉の受け売りだけど、わたしもそう思うわ」


 明るい笑顔が妙に気に障った。

 怪物のことを知らないのは決して彼女の手落ちではないが、ガウリは反発する気持ちを抑えられなかった。

 

 誇り高く、公明正大なイルマ。

 

 自分が無価値であるとか、ここに居てはいけないのだとか――思ったことはあるのだろうか。

 いや、ないだろう。恐らくは一度だってない。だからこんなに堂々していられるのだ。


「受け入れられない相手だっていると思うよ」

「そう? 例えば?」

「――例えば、ブレボさんときみのお義母さんとか」

「わたしはお義母様のことは嫌いじゃないの。とても一途で真摯な方だと思うわ。ただ妥協がない分、周りと上手くいかないことも多くなるのよ。ブレボはわたしを守る立場だから、特にね」

「でもさ、本当にコモリガミ様の恩恵で見えているのかな?」


 もちろんその場合、コモリガミは未だにラサで生きていることになってしまう。


「そうね……お義母様は、本当にあまり目はよくないの。文字は読めないし、明暗や色の区別もつかない。離れた場所になにがあるかもわからないようだし。でも一方で、ご自分の周囲で起きていることはちゃんと把握しているの。これはブレボも同意見よ」

「じゃあ、やっぱり――」


 イルマは控えめに首を振った。


「コモリガミ様は癒し神よ。もし本当に恩恵を頂いたなら、見えるようになっているはずでしょ?」


 言われてみればその通りだ。

 神の力で治癒されたなら、病気で損なわれた視力は回復していなければおかしい。


「それにね、視線と逆方向のこと……例えば背中側から誰かが現れた時とか、お義母様はすぐ気付くの。たぶん目はぼんやりしか見えないけど、代わりに耳がいいのよ。つまり音を聞いて細かい状況を判断しているのだと思うわ」


 なるほど、からくりはそうかも知れない。

 しかし、それなら何故わざわざコモリガミの恩恵などと言う必要があるのか。


「わからないけど、恐らく政治的なものでしょうね。お父様とお義母様はコモリガミ様の復権を言い立てることで、大教会をうとましく思っている人達――旧神派を取りまとめようとしているんじゃないかしら」


 ファルベ大公主はもともと隣国の貴族だったそうで、以前からラサの諸侯とは折り合いが悪かったようだ。

 女王の喪が明けてからいくらもしないうちにルールィを継妻に迎えてしまったこともあり、大公主はラサ国内で完全に孤立してしまったらしい。せめて少数派だけでも味方につけようとするのは、うなずける話であった。

 

 ただ、そのせいで父娘は利害が対立する勢力――旧神派と大教会派に分かたれる羽目になってしまった。

 

 僅かに声を落とし、イリマは一つ一つ確認するようにゆっくり話した。


「なんでも利用しようとするのが政治だもの。他にも色々あるのは確かよ、ラサみたいな小さな国でもね。ただ、わたしはまだ子供だから、口を出せないの。どうしてなのか理解できないこともあるし……」


 公式には、現在のイリマには一切の政治権力はない。王位継承権第一位であっても、実父で後見人のイド・ファルベ大公主の支持を取り付けなければ、なにも決定できない立場のようだ。


 しかし非公式とは言え、次期女王の影響力はやはり強いはずだ。


 それだけに下手な口出しをすると、大きな混乱を招きかねない。まして自身がよく理解できない事柄なら、なおさらであった。


「でも、もう少し大人になれば、きっとわかるようになるわ。わかるようになれば対立を解消する方法もわかってくるはずよ。そう思うの」

「ふうん……そう、かな」


 生き生きとした笑顔が今はうとましい。

 イリマは己の力不足を自覚しているようだが、未来に希望を繋げるがゆえに前向きでいられるのだ。明るく力強く歩めるのだ。

 

 ガウリの未来は違う。

 

 故郷を追われ、怪物の声に怯え、ギルドにも見捨てられたとしたら、この先どうすればいいのか? 自分はどうなってしまうのだろうか、と思わずにはいられなかった。それがただ路傍にうずくまり、頭を抱えているだけの無意味な行為と同じとわかっていても。


「ねぇ、ガウリ? ところでわたしに聞きたいことって、なに?」

「え? ああ……いや、コモリガミ様のことだったけど、もう詳しく教えてもらったからいいよ。本当にいいから」


 念押しするガウリにイリマは苦笑した。


「そう。じゃあ、今度はわたしが聞いてもいい?」

「うん……」


 きっとギルド絡みだろうと予想し、ガウリの心は暗くなった。

 イリマは一歩傍に寄ると、気負いのない様子で尋ねた。


「あなたが隠しているモノは、なに?」


 どくん。

 鼓動が跳ね上がった。


「な、なにって……」

「なにかアるでしょ? ナにか――とても――コワいモノガ」


 どくん、どくん。

 イリマの声が奇妙に歪んで聞こえる。何故知って――いや、いつ気付いたのか。

 

 バレた。バレてしまった。

 

 思わず逃げ出しかけた彼の袖を、イリマは素早く掴んで引き止めた。ぐっと顔を寄せられ、ガウリは硬直した。

 

「どうして逃げるの?」


 容赦なく覆いを剥ぎ取り、秘め事を剥き出しにしてしまう貪欲な瞳。

 怖い。

 この娘は、怖い。


「なにがいるの、ガウリ?」

「ど――どうして……?」

「一目見た時から、あなたが気になった。なにが気になるんだろうって、ずっと考えていたの。それでさっき気付いた。あなたの中にはなにかがいる。あなたはなにかを隠している、って」


 イリマの態度には、まるで遠慮がなかった。生まれのせいか、己の横暴さに頓着していないようだ。真っ直ぐに、ずかずかとガウリに深く踏み込んでくる。


「あなたが嫌悪する怖いモノ。あなたを苦しめているモノ。それは、なに?」

「イ、イリマには、関係ないじゃないか!」


 怒鳴っても、少女の視線は小揺るぎもしなかった。

 彼女は誤魔化せない。見逃さない。

 だから怖いのだ。


「言いたくないなら構わないわ。――でも、本当に言いたくないの?」

「なに――」

「誰かに気付いて欲しい、わかって欲しいって思っているはずよ。違う?」

「ぼ、僕は……」

「あなたの秘密がなんであれ、ヒトの本質は変わらない。隠したいモノほど、誰かに認めて欲しいモノなのよ」


――どうせこれも誰かの言葉の受け売りだろうさ――


 ああ、そうかもしれない。確かにその可能性はある。

 だけど彼女は話を聞きたがっている。僕の話を。

 こんなヒトは、今までいなかった。頑なになっていた心が震えた。


――耳障りのいい言葉を並べて悦に入っているだけの、世間知らずだぞ? 話したって興味本位で詮索されて、不愉快な思いをするだけだ――


 確かに、わかってはもらえないかもしれない。

 怪物のことは妄想と思われるかもしれない。信じれば信じたで、ひどく怖がるかも。

 第一、話したところでなにも解決しないんだ。問題はそのまま残るだけ。


 だけど彼女は気付いた。

 気付いたけど、ここにいる。僕の腕を取ってくれているじゃないか。


――それはまだ知らないからだ。目の前にいるのが正真正銘の怪物だってことをな。オマエは違う。本質がヒトとは違うんだぜ――


 だけど――イリマなら。

 僕を拒否しないかもしれない。受け入れてくれるかもしれない。


――そうかい。なら、話せよ。昨日あったばかりの餓鬼がそんなに信用できるなら、全部話してみるがいいさ――

 

 どくん、どくん、どくん。

 動悸は収まらない。身体が熱く、呼吸が苦しかった。

 

「あの……ど、どこから話せばいいのか……長い話だし……」


 期待と不安が目も眩むような勢いで膨張していく。誰かに受け入れられるかもしれない、と本気で思ったことはなかった。

 望んではいても、あり得ないことと諦めていたのだ。

 

 だがガウリは希望を抱いてしまった。あり得るかもしれないと信じてしまった。

 

 掛け金は際限なく吊り上がってしまい、支払いの限度などとうに超えている。もし彼女に手酷く拒絶されたら、もう二度と誰の手も取れなくなりそうだった。


 それでももはや降りることはできない。

 イリマは黙って続きを待っていた。


 覚悟を決める時だった。ガウリは唾を飲み込んだ。


「ち、小さい頃のことは、覚えてない部分も多いんだけど……」


 ゆっくりと話し始めた時、遠くで猫の鳴き声がした。


――スウィー……?


「ガウリ? どう――」


 言葉が途切れ、唐突に彼女が倒れかかってきた。ガウリは咄嗟に抱きとめる。


「わっ! ちょっ、ちょっとイリマ!」

「……」

「イリマ……? ねぇ、イリマってば! ど、どうしたの?」


 呼びかけに反応はなかった。彼女は糸の切れた操り人形のように完全に脱力している。

 異常に気付いてブレボ達を呼ぼうとした時、背後に気配を感じた。

 振り返る間もなく後頭部に鈍い衝撃が走り、ガウリは昏倒した。彼が意識を取り戻したのは、その日の夜だ。

 

 イリマ・アムラル姫誘拐から、十時間が経過していた。

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