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封神鬼ガウリ  作者: EZOみん
第一章 神堕ろし
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獲物

 その夜、夢を見た。

 恐怖と殺戮、そして血と炎の赤に彩られた夢だった。


 その夢の中で、彼は無敵の怪物と化していた。


 腕は長く、爪は鋭く、肉体は強靭に。

 逞しい脚は巨大な身体を軽々と駆動させる。

 いつも自分を見下していた連中を、遥かな高みから見下ろす気分は最高だ。


 強い。

 俺は強い。

 俺は他の誰よりも強いのだ。


 その証拠に、見渡せば彼を恐れ、怯える顔ばかりであった。かつての立場は一瞬で入れ替わり、弾圧者達は嬲られるだけの獲物に成り果てたのだ。それがおかしくて、吼えた。大気をびりびりと震わせて咆哮した。

 

 この連中。

 人間共は、なんて脆いのか――


 どくん。

 どくん。

 どくん。


 激しい心臓の音は、悪夢からの脱出を告げる福音だった。

 まだ全身に血飛沫を浴びた時のねっとりした感触が肌に残って――ちがう。単に寝汗をかいているだけだ。

 

――だから落ち着け。吐き気を覚える必要はない。

 

 ここは安全だ。

 僕は安全だ。

 深呼吸を繰り返すと、ゆっくりと鼓動が収まっていく。発作は防げないが、対処にはすっかり慣れてしまった。


 夢を見たきっかけは、昼間の遊びだった。


 感情は過去の経験と密接な繋がりがある。特定の出来事をどう感じるかは経験による部分が大きいし、まったく無関係の場面で生じた喜怒哀楽が、過去を想起させることもよくある話だ。


 水が肌を伝い落ちる気持ち良さ。

 イリマと追いかけっこをした時の興奮。


 そうした新鮮な感情の刺激が、おぞましい記憶を呼び起こしたのだ。彼が心からの喜びを感じたのは、あれ以来だったから。

 ガウリはベッドから上半身を起こしたが、力が入らずそのまま前へ倒れ込んだ。原因がわかっていても、数ヶ月ぶりに見た悪夢の衝撃は大きかった。

 

 ガウリの中には怪物がいる。

 

 怪物は彼の心を捻じ曲げ、身体まで変化させる。

 そうなったことはたった一度しかないが――あんな経験は一度で充分だ。

 ガウリの身体にある刺青は、単なる紋章ではない。怪物を封印する呪紋でもあるのだ。


 お蔭でガウリが怪物になることはなくなったが、頭に響く声までは消せなかった。

 近頃は、声が頻繁に聞こえる。封印の効力が弱まっているのかもしれない。


 もしかしたら。

 もしかしたら、自分は徐々に怪物に支配されているのでは……?


 その不安は、誰にも相談できなかった。怪物が制御不能と見なされたら、ギルドの下す決定は一つしかない。ギルド内部から祟り神を出すような不手際をマイスター達が許すはずがないのだから。


 死ぬのは嫌だった。

 そう、絶対に。たくさん殺したのに、自分が死ぬのは嫌だ。ひどい話だが、それが本音だった。

 だから言えない。どんなに苦しくても、誰にも気付かれてはいけないのだ。


――ああ、今夜は眠れないな。


 諦めから生じた直感は、出口を見失った思考より確かだった。

 両腕で身体を抱え込み、まんじりともせずに明かす夜には慣れている。ガウリはぎゅっと瞼を閉じた。

 

 どうせ逃げ道はない。

 

 無駄な努力を重ねても、ますます自分をすり減らすだけ。

 だからただ感情を殺せばいいのだ。なにも感じなければ、悪夢も見ないし、気付かれることもない。

 

 かすかな夜風が肌を撫でた。

 

 違和感の正体を突き止める前に、上掛けが揺れた。なにか落ちてきたのか、上掛けには重みが乗ったままだ。目を開くと窓の引き戸に隙間ができており、そこから月明かりが差している。


 そしてベッドの上には黒い影が鎮座していた。

 

「いいご身分ね、ガウリ・アング?」


 影は足音を立てずに上掛けの上を歩み寄ってきた。

 それは小さな黒猫だった。

 

「……スウィー」


 猫は金色の瞳を瞬かせた。

 スウィーはただの猫ではない。ギルドの使い魔――『猫又』と呼ばれる半精霊である。

 

「あーあ、やっと追い着いたわ。流され過ぎでしょ、アンタ。おまけになんでこんなとこにいるのよ?」

 

 じろりとガウリを睨みつける。


「連絡も寄越さないし、まさかギルドから抜けるつもりなの? アタシから逃げ隠れしようとしたって、無駄ですからね!」


 スウィーは二股に分かれた尻尾をぴくぴくと動かした。

 身体能力は普通の猫と大差ないが、猫又は特定の術行使に関しては人間より優れた資質を持つ。スウィーの場合、追跡術だった。


「別に……そんなつもりはないよ。すぐにスウィーがくるってわかっていたし……」

「ああ、そう。お気楽なもんね。ったく、アンタの失敗を誰がフォローしたと思っているの? ド田舎のしょぼい地祭神なんかに追い返されて。アタシが浄化符を発動させなかったら、ヤークギルドが失敗したってことになっていたのよ。そのくせ、やらかした御本人様はこんなところで王家の客人に納まって、のんびりご逗留なさっているとはね。アタシになにか言うことはないのかしらねぇ?」

「――ごめん」

「ハ! ごめん? ごめん、ですって! まぁまぁ、ガウリ。アンタ、それで謝っているつもりなの? 謝ってすむことだと思っているの? ムカつくわ。心底ムカつくわね、アンタって子は!」


 ガウリはうつむいて沈黙した。

 彼女との会話はいつもこんな調子だった。スウィーはガウリの補佐役にされたことをとんだ貧乏くじだと見なしているらしく、なにかにつけて口やかましく文句を言ってくる。

 実際、言われても仕方のないことばかりなのだが。


「とにかく、マイスターからの伝言があるから、心して聞きなさい」

「伝言……?」

「ええ、伝言。命令じゃなくてね」


 疑惑に動かされ、ガウリはようやく顔を上げた。

 スウィーは鼻の辺りに皺を寄せ、髭をひくつかせていた。

 ひどく苛立っている。

 彼女はもともと怒りっぽい性質だが、ここまでいらいらしているのも珍しい。


「こんな内容、命令するようなもんじゃないし。本当、呆れちゃう」

「……」


 自分の鼻を一舐めし、スウィーは蔑みを込めて言い放った。


「アンタはお払い箱よ、ガウリ。当面はギルドの仕事から外すから、好きにしろってさ!」




 予想外なことに、ガウリは翌朝までぐっすり眠った。

 少なめではあったが朝食も食べた。一応会話することもできた。ただ、まるで身体から芯を引き抜かれたように力が入らなかった。テラスでイリマと話している今も、自分がなにを喋っているのかきちんと把握できない始末だ。

 

――とうとう見捨てられてしまった。


 ガウリはそう思っていた。そう考えるしかなかった。

 時にはヤーク・ギルドとて失敗することはある。

 失敗したなら原因を究明し、除去するのが当然の対応だ。ガウリの場合は単純な力量不足であるから、ギルドに戻って再修業を命じられるはずだった。

 だがマイスターは、それは無駄であると判断したらしい。迎えどころか門前払いを告げられたも同然だった。

 

 ガウリには故郷がない。

 

 まだ幼い頃に住んでいた村を追われて、ギルドに引き取られたのだ。ギルドでの生活は厳しかったが、衣食住は満たされていたし、公平でもあった。


 もし本当にギルドから追い出されたとしたら、一体どうすればいいのか。


 行くあてなどない。神薙ぎ衆の見習いですらなくなれば、ガウリに残されるものは自分自身と怪物だけになってしまう。

 いや、もともとそうなのだ。自分にはいつだって、自分の居場所などなかったのだから。


「殿下よりも幾つか年若いと伺いましたが、こちらの方がそうなのですか?」

「はい、お義母様。わたしのお客様として王宮にお招きしました」

「神薙ぎ衆も色々なのね。驚きましたわ」


 大人の女性らしい落ち着いた響きの声が耳に入り、ガウリははっとした。

 彼が座るベンチの前に妙齢の女性が立っていた。よほどぼんやりしていたのか、彼女がいつ現れたのか覚えていない。

 イリマに習って立ち上がり、ガウリは大急ぎで礼をとった。

 女性――ルールイ・ファルベ大公夫人はイリマの継母だった。先代女王が亡くなった後、父親のイド・ファルベ大公主がルールィを後妻に迎えたのだ。見た目にはイリマの姉と言っても通りそうな、若々しい面立ちだ。

 

 穏やかに微笑みながら、何故か大公夫人は視線を合わせてくれない。

 顔はガウリの方へ向けているのだが、瞳の焦点があっていないように見える。

 

「ああ――お話するのが遅れましたが、わたしくは盲目なのです」

 

 以前に病気にかかり、完全に視力を失ったのだ、と大公夫人は語った。


「でも、その……お供の方がいないみたいですけど……」

「不思議かしら? わたくしは、一人でも平気なのよ」

「もしかして、全部覚えているんですか? 王宮内のことを」


 ガウリは素直に感心した。もちろん周囲の協力あってこそだろうが、驚異的な記憶力がなければできないことだ。

 大公夫人は鷹揚に微笑み、少年に触れようと手を伸ばした。

 大人が子供に親愛の情を示す、ありふれた行為――それなのに、ガウリの身体は最大限の警報を鳴らした。

 

 どくん。

 綺麗な人だ。とてもほっそりしている。


 どくん。

 この女性に力はない。だから危険はない。あるはずがない。


 どくん。


――だが、ヤバい。こいつはヤバい奴だ。殺せ。早く、今のうちに殺――


 怪物の声にはひどく切迫した響きがあり、つい従いそうになってしまう。

 全身を固く強張らせ、ガウリは必死で攻撃衝動を押さえ込む。一方で大公夫人は一層優しげな声色となった。


「いいえ、覚えているのではありません。わたくしにはわかるのです。この瞳は光を失って久しいですが、あなたの表情は手に取るようにわかる。見えていた時以上に、わかるのです。これもすべてコモリガミ様の御加護なのよ」

「大公夫人、姫様とお客人の前で胡乱なお話はご遠慮頂きたい」


 ブレボが口を挟んだ。テラスの入り口に控えていたのだが、我慢しきれなくなったらしい。

 さっと歩み寄ってくると、イリマと大公夫人の間に割り込む。

 たちまち一触即発の雰囲気となった。

 口火を切ったのは大公夫人だった。

 

「ずいぶんと無礼ね。わたくしが嘘をついているとでも? それにわたくしも斎王女殿下も、衛士を呼んだ覚えはないわ」

「イリマ様のことは、姫とお呼び願います」

「ああ――神王妃大祭主は女王、斎王女は姫と呼び変えるのでしたね。でもそんな言葉遊びになんの意味があって? コモリガミ様の威光は未だ――」

「古き神はとっくに堕ろされております! 大教会の教圏に入った以上、迂闊な発言はラサを害するだけです。ましてや大公夫人ともあろう方が、いつまでも過去を引き摺られては困ります!」


 怒りも露にブレボは凄んだが、大公夫人はまるで意に介さない。

 美貌に浮かぶ冷笑は、筆頭護親衛士への嘲りをたっぷりと含んでいた。

 

「おお、怖いこと。でも、どちらが過去の遺物となるか……まだ決まったわけではなくてよ、ブレボ・ニヌ」

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