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封神鬼ガウリ  作者: EZOみん
第四章 封神鬼
22/23

消滅

 戦いが終わり、ガウリの胸に寂寞とした思いが過る。

 自分は一人じゃないと感じられたのは、封神鬼と融合している間だけだった。

 

「ガウリ、ガウリ! いつまでそこにいるのよ。封神鬼を無駄に現界させていると精気を吸い尽くされて死ぬわよ、アンタ」

 

 スウィーにわめかれてしまった。

 後ろ髪を引かれつつガウリが離脱すると、封神鬼の身体は見る間に崩壊していった。

 

 床に降り立つと、どっと疲労がのしかかってくる。


 底なしの体力を持つガウリであるが、蛭神との戦闘は負担が大き過ぎた。

 もう少し長引いていれば、負けていたのは彼だっただろう。

 

 刺激臭のある白煙が立ち込める中、ガウリは覚束ない足取りで広場へ向かった。

 スウィーも後を追う。

 

 途中、瓦礫の間に意識をなくした大公夫人を発見した。

 さすがに捨て置くわけにもいかない。抱き上げてみんなのところへ戻ろうと、ガウリは視線を移した。

 

 見れば、ブレボはひどく悲しんでいるようだ。

 修道闘士やソンガ人達も、みんな粛然としている。

 さらに老司祭まで深くうつむき、憔悴した様子だ。


 おかしいな、とガウリは思った。


――司祭様はなにか、大事なことをしていたはずじゃ――


 その時、イリマの姿がガウリの瞳に映った。

 

 彼女はとても静かに横たわっていた。

 静か過ぎるほど、静かに。

 

 途端、足が早まった。

 綿のように疲れた頭にはまともな思考力は残っていない。

 

 ただ、焼け付く焦燥に突き動かされ、ガウリは両足を動かした。

 

 しかし広場へ上がったところでがくんと膝が折れた。一人の修道闘士が慌てて駆け寄ってくる。

 暗転する視界の中、大公夫人をかろうじて床に降ろす――そこがガウリの限界だった。

 

「ガウリ? ちょっとアンタ、しっかり――」


 スウィーの声が遠くなり、ガウリは意識を失った。

 倒れた彼の背中から、大きな蛭が転がり落ちる。

 

 それは子猫ほどの大きさになってしまった蛭神であった。

 見まごうばかりに身は縮み、弱々しく動くだけで、すでに死に体のようだ。

 

「偽神……! 悪魔め、まだ生きていたか!」


 メイスを構える修道闘士を、スウィーが制する。

 

「ちょっと待ちなさい」


 ふんふんと匂いを嗅いでから、スウィーは前足でそっと蛭神を押さえつけた。

 そのまましばらくじっとしている。

 

「はぁ、本気? どの道、アンタは長く持たないでしょうけど……ま、伝言位は承るわ。は? ……ったく、どいつもアタシに平気で迷惑押し付けるんだから」


 スウィーは蛭神を軽く咥えると、事情が飲み込めない修道闘士と気絶したガウリを放置し、老司祭のもとへ走った。




「――ってわけよ。どうやら肉の身体を失って、神性を取り戻したみたいね。ただ大公夫人は衰弱し過ぎているわ。もし、お姫様を助けたいなら――」

「承知した」


 ナハトマンには迷いも逡巡もなかった。

 すでにイリマ・アムラルの生命活動停止から数分が経過している。

 

 スウィーに言われるまでもなく、イリマを蘇生させたいなら、考えを弄ぶ余裕はない。

 

 きっぱりした返答に、むしろ周囲の方が動揺を隠し切れなかった。

 一人の修道闘士が口を開く。

 

「司祭様、しかしそれでは背信の罪に問われます!」

「そうしたことは後だ。この身が役に立つならば、喜んで差し出すまで」

「ですが、教導司祭の地位にある方が偽神を依り憑かせるなど、前代未聞です! これを教会本部が知れば……」

「議論なら審問会でやればいい。あまり愉快ではなかろうがな。君の忠告には感謝する」


 大公夫人を除くと、この場で巫覡の資格を満たすのはナハトマンだけである。

 だが身に降りかかるはずの災難をまったく省みず、手早く襟元を開いた老司祭に、蛭神の提案を伝えたスウィーすら意表を突かれてしまったようだ。


「あ、あー……じゃあ、誰か蛭神を……」

「あたしがやるわ」


 ブレボは泣き腫らした目を拭って前に出た。

 床からそっと蛭神を掴みあげると、ナハトマンの首筋に近付ける。

 

「女王陛下が亡くなった時、悔しさのあまり陛下を恨んだよ。どうしてなにも相談してくれなかったのか、とな。だがやっとわかった。私は――頑な過ぎたのだろう」

「……司祭様……」


 ことが公になれば彼の処分は厳しいものになるはずだった。

 鞭打ち、破門、いや極刑もあり得る。

 

 ブレボに生じたためらいを、ナハトマンは穏やかな声で打ち消した。


「急ぎたまえ。私も、姫殿下をお助けしたいのだ」


 憑依は数秒で成った。

 蛭神を首の後ろに吸い付かせると、老司祭の身体は神気を帯びて、顔つきまで若々しく変化した。

 横たわるイリマへかがみ込むと、ナハトマン――いや、蛭神は彼女の首筋へ掌をあてた。


「――がっ! あぐうううっ!」


 苦痛の叫びと共にイリマの身体が跳ねた。彼女の身体にナハトマンの意識が入ったのだろう。

 彼の意識が耐えきれなくなる前に致命傷を修復し、肉体を離れかけているイリマの魂を呼び戻す――いずれ劣らぬ大難事を、蛭神は同時にこなしてみせた。

 

 胸を大きく隆起させると、イリマは穏やかに寝息を立てはじめた。

 

 蛭神はブレボにうなずき、身を引いた。見守っていた皆から、どよめきが漏れる。

 暖かさを取り戻した主君に取りすがるブレボ。

 

 スウィーはやっと面倒が片付いたとばかりに、ため息をついた。

 

「やれやれ。さすがは癒し神、見事な手並みね。だけど、アンタの方は――」

「どんな神もいつかは滅ぶ。我にもその時が訪れただけのこと」


 ナハトマンの意識は自分の身体に戻ったが半覚醒状態であり、答えているのは蛭神であった。

 

「わたくしを置いてですか」


 残酷な現実を退けようと、懸命に抵抗する声。

 

 いつ覚醒したのか、大公夫人は震える身体を両腕で支えて、床から上体を起こしていた。

 光を見失った瞳は虚ろで、忍び寄る諦観を払うように瞼を震わせていた。

 

「わたくしを置き去りにして……逝ってしまわれるのですか、我が神よ」


 蛭神は大公夫人の前に片膝をつき、彼女の頬に掌を触れさせる。

 

「わかってくれ、最後の巫女よ。――我は巫女を殺めてしまった。報いを受けて狂った我は、今度はその子までも手にかけてしまったのだ。必死に止めるそなたすら、我は邪魔者として排除しようとしたのだよ」

「神王妃陛下の死はあなたのせいではありません! 意図しない、事故だった!」

「招いたのは我だ。我はフィルマの覚悟を見誤っていたのだ。あれだけ強力な呪い返しの結界を張れば、フィルマもそなたに手出しはすまい、とな。結果、彼女は死に、我は狂ってしまった……」


 多くを救うことと、一人を護ることは似て異なる。

 蛭神にとって、大公夫人は特別な存在になり過ぎてしまったのだ。

 

「我はそなたを護りたかった。世界で唯一人、手を差し伸べてくれた我の巫女を。果たせず、消えてしまうことを許してくれ」

「聞いていいかしら? アタシ達はともかく、お姫様には知る権利があると思うから」


 めずらしくも遠慮がちに口を挟むスウィー。

 

「女王が放った呪い。王家に伝わる大禁呪って、なんだったの?」

「――生命の改変。つまり、我をヒトに作り変えようとしたのだよ。なんの変哲もない、ただの人間にな」


 蛭神と女王には深い絆があった。

 ルールィのことは知らなくても、蛭神が誰かの子宮内に潜んでいることは察知できたのだろう。

 

 呪文は蛭神をルールィの体内に封じ、人間に生まれ変わらせるためのものだった。

 

「そりゃ、また……結界がなくても女王一人じゃ無理だったでしょうね。まさに大禁呪の名にふさわしい呪文だもの」


 スウィーの理解は正しい。

 殺さなければいいとは決して言えない。望まぬ姿に作り変えられてしまう方からすれば、かえって残酷な仕打ちであり、倫理的にも許されざる非道であった。

 

 ラサの癒し手としては、生命を断つことなどできない。

 女王としては蛭神が復権を目論む以上、捨て置けない。

 

 せめぎ合う両者の間で、フィルマはぎりぎりの判断を下したのであろう。

 

「だが、そこには一つの間違いがあった。ルールィは、子を生せない身体なのだよ。生まれつきの障害は、我には癒せない。呪いが成就すれば、我はルールィの子となったろうが、遅かれ早かれ流産していただろう」


 懐妊は蛭神の死刑宣告に等しかった。

 女王はそれと知らず、執行人にルールィを指名してしまったのだ。

 

 女なのだから産めるに違いない――いや、恐らくはそれを疑うことすらしなかった女王の判断を、ルールィは絶対に許せなかったのだろう。

 

「呪文の効果を遅らせようと、我は巫女に力を預けて眠りについた。最悪の眠りだったよ。眠りながら我は巫女殺しの報いによって、じわじわと狂い、厄神と化したのだから」


 一体、誰が愚かであったのか。

 誰が誰の厄神となってしまったのか。

 どうしてわかり合えなかったのか。

 

 それを他人が評するのも良いだろう。

 だが断罪できるのは、当人達だけであった。

 

「最後にそなたへ詫びたい」


 蛭神は指先をそっとあてて、大公夫人の瞼を閉じさせた。


「そなたに本当の光を与えなかったのは、怖かったからだ。視力を蘇らせれば捨てられるのではないかと我は恐れていた。だから我の力を通してだけ、光を得られるようにしてしていた……」


 大抵のヒトは蛭神の姿を厭う。

 アムラルの巫女達にすら追われた蛭神が恐れを抱いたのは、ある意味当然でもあった。

 

「我はそなたにしがみつこうとするあまり、癒し神としての本分を忘れた。せめて今、それを果たそう」


 一瞬、大公夫人は身を震わせ、ゆっくり瞼を開いた。

 同時に涙が零れ落ちる。彼女が流すまいとしていた、惜別の涙が。

 

 ナハトマンの身体を覆っていた神気が薄れていく。

 

「お別れだ、ルールィ。いつの日か、どこかでまた巡り会おう」

「待って! 待ってください、コモリガミ様! まだ、わたくしは――」

「健やかであれ、我が巫女(つま)よ。そなたに、心からの感謝を」


 神気は消え失せ、脱力したナハトマンは大公夫人に倒れかかった。

 彼の首筋から剥がれ落ちる蛭神を、大公夫人は両手で受け止めた。

 

 見る間に蛭神は白茶け、塩の塊に変わって砕けてしまった。

 

「あ、ああっ――あああああっ……!」


 去りし神の名残を胸に抱き、巫女は祭壇に慟哭を捧げるばかりであった。

 ラサの癒し神はその役目を終えて、消滅した。

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― 新着の感想 ―
[一言] 誰も悪くなんかない。 しいていえば時代が変わってしまったせいだ。 しかしそれを呪うのも間違いだ。 なぜならば時代は移りゆくモノなのだから。
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