本音
ブレボ達はただ唖然とするしかなかった。
怪物は全体的なフォルムは蛭そのものだが、サイズが桁外れだ。ぬらぬらした胴体部分は小さな家一軒に相当する幅があり、全長は軽く二十メートル以上ありそうだった。体表に幾つも肉腫が浮き出ており、身をよじる度に腐汁が噴出している。
「こ、これが……コモリガミ様なの……?」
「わけないでしょ。ったく、どこに隠れていたのかと思えば、そういうことだったのね」
いつきたのか、ブレボの足元にスウィーの姿があった。
「蛭神はね、大公夫人の体内――多分、子宮に隠れていたのよ。つまり、こっちの情報はぜーんぶ筒抜けだったわけ。『わたくしが死ねば、すぐにコモリガミ様も滅ぶ』か。確かに嘘は言ってない。復活させた蛭神に自分の肉を奪われちゃ仕方ないけど」
「しかし、これは以前私が見たモノとはまるでちがう! これは……こんなものが、癒し神だと言うのか!」
イリマの治療を続けつつ、老司祭は吐き捨てた。彼は神堕ろしの際に蛭神の姿を見ているのだ。
スウィーは顔をしかめた。
「だーかーら、そうじゃないって言ってるでしょ! どうしてこう、アタシの話をちゃんと聞かない奴ばっかりなのよ! 蛭神はもう癒し神じゃないわ。それどころか、厄神ですらない。肉を得たものは、肉に支配される。半実体の存在である神が受肉すれば、神性を失い、ただの化け物に堕してしまうのよ。だから――ほら、見なさい」
周りを囲んでいた触手が薄れて消えていく。
蛭神は実体を得た代わりに、影を操る力を失ったのだろう。
だが、代償はそれに留まらなかった。
「肉を得たことで、アレは強烈な飢えに苛まれているはずよ。だからなりふり構わず――」
蛭神の肉腫が弾け、中からヒトの太股ほどもある巨大な蛭が続々と出てきた。
「あんな風に分身を出して、血を集めようとするわけ」
数十匹の蛭達がガウリに襲い掛かってくる。
多勢に無勢だ。
四方から同時に飛び掛られたら防ぎようもなく、一旦吸い付かれれば引き剥がす暇などないだろう。
ガウリは逆に、地を蹴って突撃した。
群の真ん中に通路を切り開くと、そのまま蛭神に見えない腕を叩き付けた。
蛭神の肉を抉り飛ばして鉤爪の跡が現れ、一拍遅れて血潮を噴出する。
悲鳴を上げて後退するのを許さず、ガウリは蛭神を追撃しようとした。
だが踏み込んだ足は、床に届かないまま止まってしまう。
それどころか、ガウリの身体はじりじりと下がり、遂には吹き飛ばされて床に転がる羽目になった。
両者の戦いをスウィーは興味深そうに観戦している。
「――防御結界か。アイツの突撃を阻止できるとは、さすが元癒し神。護りの力は大したものね」
蛭神は背から擬腕を伸ばした。触手と同じような形状であったが、今度は肉を持つ実体の腕である。
幾本もの擬腕はかわし切れず、とうとうガウリは捕まり、持ち上げられてしまった。
蛭神は擬腕を滅茶苦茶に振り回して、ガウリを壁や床に叩き付けた。
石材が砕けるほどの衝撃を喰らって、ガウリは吐血した。
たっぷり仕返しをした後、蛭神はガウリを壁に向かって投げ捨てた。
「がっ……!」
壁に激突し、ガウリは床に崩れ落ちた。
――肋骨が何本か折れてしまった。背骨もやられたのか、身体がじんと痺れて動かない。先ほど殺し損ねた分身の蛭達が、血の匂いに惹かれて集まってくる。立ち上がらなければ、奴らの餌食になってしまう。
いや、それ以前に。
どうしてまだ自分は死んでいないのか。
「そりゃあ、アンタがフツーじゃないからよ」
頭のすぐ横にスウィーがいた。
彼女は批判的な目で倒れたガウリを見下していた。
いつものことだった。
スウィーはどこにでも現れて、端的に正しいことを言う。
じゃあ、やっぱり自分は怪物に支配されてしまったのか。
「アンタって本当に馬鹿ね。封印の呪縛に逆らってそこまで動けるのには感心するけど。いいこと? アンタの言う怪物なんてね、どこにもいないのよ」
蛭達が寄ってきた。
スウィーを無視し、もぞもぞとガウリの身体に這い上がると、思い思いに牙を突き立てて血を啜り始めた。
――怪物はいない?
いるじゃないか。
何度も声を聞いたし、さっきは爪だって――
「だから、それはアンタがやったんでしょ? 初めからアンタの中にはアンタしかいない。封印だって、アンタが感情に任せて暴走しないように施されたものなのよ。怪物がいるとしたら、それはアンタ自身しかいないわ」
蛭達が血を吸って膨らんでいく。
段々気が遠くなって、スウィーの言葉が良くわからなくなっていく。
――怪物が僕?
ああ、僕は怪物に乗っ取られて――
「だから、違うってのに! お姫様を助けに修練場に行った時のこと、覚えてる? アンタはアタシが怪物の声を聞いたとでも思ったんでしょうけど、そうじゃないの。アンタの本音が顔に出ていたのよ! いい子の振りをしていても、まだまだ修行が足りないってこと」
――本音?
怪物の声が僕の――ちがう。
嘘だ。それは嘘だ。
「へえ、そう? 怪物の声とやらは、アンタがなにかを我慢している時にしか聞こえないんじゃないの? アンタが心からそうしたいと思ったことには、反対しないんじゃないの? それはそれがアンタの本音だからよ」
それは嘘――じゃないの?
だって怪物は――いつもひどいことを――あれが僕の本音……?
それじゃ、僕は――
「さぁ、ガウリ。よおく、思い出してみなさいよ。いまならそうできるはずよ。自分の村から追い出される前のことを。アンタがどんな人間だったかをね!」
田舎を牧歌的に捉えるのは、都会の人間の幻想に過ぎない。
村は自給自足が原則だが、余裕のある暮らしをしている者などほとんどいないのだ。
口減らしに子供を捨てたり、売り払う親は後を絶たなかった。
孤児達の救済施設もあるにはある。
だが実態は人間牧場に過ぎない。子供を育てはするが、それはあくまで買い手がつくまでの間だけなのだ。
売られる前は一日中働かされて、水のようなスープしか与えられないこともしばしばだった。
六歳になった時、ガウリは施設から脱走した。
両親のことはなにも知らなかった。
物心ついた時から施設にいたが、ここが逃げ出すべき場所であることは本能的に察知していた。
無我夢中で走り、やっとどこかの村に辿り着いたが、そこも安らげる場ではなかった。
村人達は汚らしい浮浪児を嫌い、追い払おうとした。
実際には同情を覚えた人もいたはずだが、それもすぐにいなくなっただろう。
ガウリが盗みを働いたからである。
畑や納屋の作物、家畜だけでなく、家の中にまで侵入して生活物資を盗んだ。
逃げ足が速く、子供とは思えない怪力で、並みの獣より数段性質が悪かった。
村人は彼を排斥し、うかつに昼間出歩くと石を投げ付けられた。
追い掛け回されて棒で打たれ、怪我を負うこともあったが、村に寄生する以外に生き延びる方法がなかった。
よってたかって自分を苛む連中を、いつか思い知らせてやりたい。
自分にその力があると気付いたのは、ある晩のことだった。
村を襲った盗賊の一団と鉢合わせになったのだ。自分を殺そうとした盗賊団を逆に一掃した後、ガウリは力尽きて倒れた。
村人達は彼を『祟るモノ』として檻の中へ閉じ込め、ギルドへ引き渡した。
「ギルドに引き取られた後、アンタは心の中に怪物を作り上げた。そして悪いことは全部怪物のせいにするようになったのよ。自分はいい子なのに、コイツが悪いんだ、ってね」
――そう、か。
思い出した。
いや、忘れようもなく覚えていた。
存在全てを否定する蔑みの目。
口を極めて罵る怒鳴り声。
村人がガウリを追い払ったのは、怪物を恐れたからではない。
彼が嫌われていたからだ。
「アンタが大したことのない地祭神にも過剰反応するのは、封印のせいだけじゃない。力を振るうことで、都合の悪い記憶を思い出したくなかったのよ。盗賊共を殺した時の感情を思い出したくなかった。だからアンタはなんでも当たり障りなく誤魔化して、厄介ごとからは逃げるようになってしまったんでしょ?」
――ああ、そうだった。
楽しかった。とても楽しんで人を殺した。
盗賊達を一人一人追い詰めて、夢中で嬲り殺したのだ。倒れなかったら、村の人もみんな殺していたかもしれない。
怪物は強いだって?
いやちがう。怪物は惨めな位に弱い。
たまたま鋭い爪があって力もあるけど、心は弱い。
凶暴な外見より、心の在り様の方がずっと醜いのだ。
どこにも居場所がなく、誰からも受け入れられず、心が挫けて捻じ曲がってしまった哀れな奴なのだ。
だから怖かった。
本音を――醜い自分を見抜かれるのが怖かった。
イリマを嘲笑った奴。
皆を馬鹿にしていた奴。
この世界に居場所がない奴。
それは僕だった。
僕は――怪物だったのだ。
「そうよ。それがアンタ。それがガウリよ。まずそこから始めないと、アンタはどこにも行けなかった……! やったじゃない。とうとう思い出したじゃない!」
スウィーはすっかり興奮して、ピンと尻尾を振り立てている。
こんなに嬉しそうな彼女は見たことがなかった。
でもどうして? 僕はどうして怪物に生まれたの――
「それを知るためにも、蛭共に喰われるわけにはいかないでしょ? 枷を外してあげる――さぁ、獲物を喰らいなさい!」
猫又は心底楽しそうに微笑んだ。




