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封神鬼ガウリ  作者: EZOみん
第四章 封神鬼
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解呪

 解呪の間、ガウリはまったく身動きが取れなかった。

 触手は消えたものの、大公夫人が解放している蛭神の力に影響されてしまうのか、ガウリの封印が活性化し、身体を拘束してしまったのだ。

 

 大公主の意識は戻らず、床の上で伸びたままである。

 イリマは大公夫人に促され、古木の前に跪いて祈りを捧げはじめた。大公夫人が幾つか指示する内に、イリマは集中のコツを掴み、深いトランス状態に入った。

 

「――素晴らしい。さすが斎王女殿下ね」


 イリマの才に満足の笑みを浮かべ、大公夫人は彼女の首筋に指先をあてた。

 動脈を探り、脈打つ鼓動に自身のリズムを同調させる。

 

 大公夫人の唇が僅かに動き、なにかの呪文を紡ぎ始めた。

 イリマの唇もまったく同時に動き出した。二人の声が混じり合い、共鳴する。

 燭台の火が弱まった。光苔も発光を弱め、地下祭壇を闇が支配した。

 

 暗黒を割ってぽつ、と弱々しい光明が灯る。

 

 弱々しく点滅する蛍火は、次第に数を増し、地下祭壇を覆い尽くさんばかりになった。

 風に舞う雪のようにダンスを踊りながら、次々と寄り集まって人形を成していく。

 

 ほどなく広場の周囲は燐光を放つ人形――歴代巫女達の影で一杯になった。

 

 服装や目鼻立ちがはっきり見て取れる人形もあれば、かろうじて人らしき形になっているだけのものもある。

 恐らく、生前の力量や記録されてからの経過時間が影響しているのだろう。

 甲高い声で歌うように呪文を叫ぶ、大公夫人とイリマ。大公夫人もトランス状態に入っている。二人は巫女達に呼びかけているのだ。

 

 幾人かの巫女が応じて、同じように叫び返す。

 

 歌劇を思わせる呪文の応酬。

 バラバラの方向を向いていた巫女達は、一人、また一人と広場の方に身体の向きを変えた。

 とうとう全員が広場に向き直った時、大公夫人とイリマは一層高く呪文を歌い上げ、巫女達も揃って歌い返した。

 響き合う唱和が祭壇を満たす。

 

「――! っ、あ、んっ――!」


 数瞬、大公夫人は苦悶した。

 彼女からなにかが引き剥がされ、巫女達の体内へと戻っていく。

 

 どん、と空気が膨張する音。

 

 燭台の明かりは戻り、巫女達の姿は消え失せていた。

 大公夫人とイリマは別方向に弾き飛ばされ、床に転がった。


「イリマ……! あ、うっ……!」


 ガウリは芋虫のように這いずってイリマの元へ行った。

 彼女は気絶していたが、普通に呼吸しているようだ。自分の状況を忘れて、ガウリは安堵した。

 

「ふ、ふふふっ……ははは、あははははははっ!」


 大公夫人は歓喜していた。

 

「聞こえる! 我が神の声が! コモリガミ様の御言葉が聞こえるわ!」


 よほど嬉しいのか、大公夫人は両腕で自らを抱き締めて、さかんに嬌声を上げている。

 涙さえ流し、法悦に浸るその表情。


 ひどく厭わしい、とガウリは思った。


 どうやら大公夫人と初めて会った時に感じた緊張は、恐怖ではなかったらしい。 

 不快感。 

 血に刻まれた本能的な嫌悪。

 何故か、大公夫人がとてつもなく不愉快なイキモノに見えてしまう。


 あの顔を恐怖に歪めてやればどんなに――


「……えっ……?」


 どくん。

 どくん。

 どくん。

 

 苦しい。流れ出る汗は止まらない。解呪の後、鼓動は一層激しくなっている。

 だけど、この位なら耐えられる。

 この位なら身体も動かせるかもしれない。

 

 いや、できる。できるに決まっているじゃないか。

 俺は誰よりも強いのだから。

 

――さあ、立ってあのイキモノを切り刻――

 

「姫様―っ!」


 叫びながら、ブレボが階段の降り口から走り出てきた。

 老司祭が続き、さらにその背後には武装したソンガ人や修道闘士達もいる。

 

 最後にスウィーがのんびり現れたが、階段を降りきった所で腰を下ろしてしまう。

 ブレボ達を誘導したのは、彼女に違いなかった。恐らくはガウリをつけていたのだ。

 

 戦意を漲らせて迫ってくるブレボに、大公夫人は眉をひそませた。

 

「そこまでよ。ここはコモリガミ様と巫女だけが立ち入るべき聖なる祭壇。招いてもいない人間が、勝手に踏み込んでいい場所ではないわ」


 大公夫人が片手を伸ばすと、ブレボ達の目前に触手の群が出現した。

 進路を塞がれて急停止し、ブレボは迷わず抜刀した。

 広場の床に倒れているイリマに気付き、瞳が大きく見開かれる。

 

「こ、これは……! どっちが……?」

「ふふふっ――見た通り、わたくしがルールィですわ。もう一度意識の入れ替えを行なったのよ。安心なさい、斎王女殿下は気を失っているだけだから」


 状況が掴めず混乱するブレボ達に、大公夫人は得意そうに解呪の顛末を語った。

 

「なんと、歴代巫女が協力者とは……!」

「ご理解頂けまして、司祭様? でも、困りましたわね。申し上げた通り、わたくしはことを丸く収めたいのですけど――」


 大公夫人は邪気のない笑みを浮かべ、ブレボをちらと見た。

 

「ここはソンガの皆様に後始末をお願い致しますわ」

「なにを言ってやがるんだ、てめぇは! いいから、ここを通せ!」


 すぐそこにイリマの姿を見ながら近寄れないもどかしさに、ブレボは地団太を踏みかねない様子だった。

 触手の壁に護られ、大公夫人は檻の向こうの珍獣を見るような視線をブレボに向けている。

 

「あら、おわかりになりませんか? だって司祭様をはじめ、修道闘士の皆様はここでコモリガミ様が養生なさるのを黙認できないでしょう。そんなに器用な方々ではありませんもの。ですから、秘密を守るには皆殺しにする他ないのですけれども、できればそんなことにはコモリガミ様の御力は使いたくないのですわ」

「あんた……あたし達に殺し合えって……?」


 次に大公夫人が言い出すことはわかり切っていた。

 

 従わなければ、イリマを殺す。

 

 だが脅しの言葉が出る前に、イリマは触手に掴まれてしまった。

 彼女を掴んだまま、たちまち触手は地下祭壇の天井すれすれまで伸び上がる。

 

 色めき立ったのはブレボ達だけではなかった。


「コ、コモリガミ様……? いいえ、殿下に罪は……。そ、そんな――わたくしは、ただ――」


 大公夫人はすっかりうろたえていた。なにか不測の事態となったらしい。

 ガウリは全身を締め付ける封印の痛みを堪え、身体を起こそうとした。

 

「ぐっ……! あっ……!」


 どうにか立ち上がれたが、痛みがひどくてとてもイリマのところまで行けそうにない。

 ガウリは塞がろうとする喉を強引に開き、途切れ途切れに叫んだ。


「ブレボ……触手は、今ならっ……イリマをっ!」


 蛭神と大公夫人の意思が同調してないのか、触手の群れは痺れたように動きを止めていた。ガウリの言葉を了解し、ブレボは触手の間を駆け抜けた。イリマを掴んでいる触手の根元に取り付くと、鉈を突き立てて這い上がろうとする。

 

「あ、あああ――やめて、やめて、お願いーっ!」


 大公夫人の悲痛な叫び。

 動き出した触手は大きく身をくねらせて、ブレボを水中に振り落とす。

 

 そして、イリマは勢い良く投げ捨てられ――古木の幹に胴体を串刺しにされた。




 風化した古木は、衝撃に耐え切れなかった。

 幹の中ほどに亀裂が入り、古木は二つに折れてしまった。イリマは広場の床に投げ出され、砕けた木片と一緒にガウリの足元へ転がってきた。

 

 ばきんっ、どん、ごろごろ。からん。

 

 全然現実感のない光景だったのに、音だけは奇妙にはっきりと響き渡った。

 それでこれは本当に起こったことらしいと、ガウリは気付いた。

 

「イリマ……?」


 胴体の下から血溜まりが現れ、絶望的な速度で拡大していく。

 桜色の唇も鮮血を溢れさせ、滑らかな肌を汚している。

 

 乱れた髪のせいで目元は隠れていた。

 どうか瞼を閉じたままでありますように、とガウリは祈った。

 

 だって、ひどすぎる。

 

 生きたままお腹を貫かれるなんて、あんまりにもひどすぎる。

 だったらせめて意識のないまま、死――

 

「……斎王女殿下……」

「てっ……てめぇーっ!」


 渾身の力を込めて、ブレボは鉈を投擲した。

 大公夫人は避けるそぶりも見せず、鉈は頭にまともに命中した。骨に刃が食い込む重い音と共に大公夫人は転倒した。

 制御するものがいなくなったせいか、触手はぴたりと動きを止めた。

 

 ブレボは大公夫人には目もくれず、イリマに駆け寄った。

 

「ひっ……姫様、こんな……こんなことにっ……! あ、ああっ……!」


 混乱しきっているらしく、未だ血を吹く傷口を素手で押さえようとするブレボ。

 老司祭は上着を引き裂くと応急の包帯を作った。

 

「これで止血をするのだ! 大丈夫だ、まだ姫殿下は死んではおらん!」


 ナハトマンはイリマに掌をかざし、聖句を唱え始めた。

 しかしながら、人の身ででき得ることには自ずと限界がある。

 

「くっ……傷が、深過ぎる……!」


 額に脂汗を浮かべ、老司祭は治療法術を行使し続けていた。

 専門家ではない彼にとって、これほどの重傷を治療するのは明らかに手に余った。

 紛れもない致命傷であり、即死していないのが不思議な位なのだ。

 

 本来治療法術は、患者の生命力を引き出して治療する。

 

 しかしイリマの場合は本人に引き出せる生命力が残っていない。

 やむなくナハトマンは自分の生命力を削ってイリマに分け与えているらしいが、それでは肝心の傷の治療に回す力がほとんどなくなってしまう。

 

 つまりイリマはまだ死んでいないが、それだけだった。

 どう足掻いても数分で死ぬ――とガウリは思った。

 

「私には時間稼ぎしかできん! その間に、典医をここへ連れてくるのだ! 急げ!」

「わ、わかった! 頼むよ、司祭様!」


 包帯を巻き終え、ブレボは慌てて立ち上がった。

 

「我らは急ぎクレオ司祭様をお呼びして参ります!」


 治療を見守っていた修道闘士達の言葉に、老司祭はうなずく。

 クレオは治療法術に長けた司祭である。今は大公夫人の命令で大教会施設に軟禁されているはずだったが、修道闘士達は警備を突破して連れてくる覚悟のようだ。

 

 だが駆け出した足は、わずか数歩で停止を余儀なくされた。

 上半身を血に染めた大公夫人が、彼等の前に立ち塞がっていた。


 深く頭部に食い込んでいた鉈は、ひとりでに外れて床へ落下した。

 

 ぱっくり開いた陰惨な傷が、見る間に塞がっていく。

 治療とか修復のレベルではなく『戻った』と表現するのがふさわしい、凄まじい回復力だった。

 

 数秒を経ただけで、すでに大公夫人には傷の痕跡も残っていない。

 この異様な状況に最初に反応したのは、ブレボだった。

 

「ちっ……このくたばり損ないがっ! 邪魔するんじゃないよ!」


 触手が再び動き出し、くねりながらブレボに迫る。

 彼女はきわどく先端を回避し、身体に巻きつこうとする触手を剣で叩き斬った。粘液を撒き散らしつつ、触手は消滅した。

 

 だが、触手は次々と襲い掛かってきた。

 

 ソンガ人と修道闘士達はイリマと老司祭を囲む円陣を形成して、懸命に防戦する。

 周囲の戦闘は、ガウリの意識にはほとんど入ってこなかった。彼の目は大公夫人に釘付けとなっていたのだ。

 

 だらしなく開き、よだれをたれ流している唇。

 瞳は虚ろで、およそ感情というものが窺えない。

 

――ああ、アレはもうちがう。ちがうイキモノになってしまった。


 なるほど――だったら、遠慮はいらないじゃないか?

 封印が一気に活性化し、ガウリの全身は奇妙な紋様で覆い尽くされた。


「ちょ、ちょっと! 戻りなさい、ガウリ君!」


 すたすたと歩き出したガウリの背に、ブレボがなにか叫んでいる。

 後で聞けばいいと判断し、ガウリは円陣の外へ出た。すぐさま、触手が伸びてくる。

 

 ガウリが軽く手を振ると、触手は数本まとめて薙ぎ倒された。

 まるで彼の腕が見た目よりも数倍も長いかのように、到底届かない位置にあった触手まで倒れていた。

 

 ブレボ達を置いて、ガウリは無造作に触手を斬り払って歩いていく。

 ガウリは触手にはあまり興味を持たなかった。これは所詮影であり、ただの障害物に過ぎないからだ。しかも、大して役に立たない程度の。

 

 どくん。

 どくん、どくん。

 

 大公夫人を見ていると、興奮で胸が高鳴った。

 身体を縛る封印の鬱陶しさも気にならないほどに。

 

 そう、アレは本物。本物の獲物だ。

 

 それにアレは。

 あの化け物は、イリマを殺した。相応の報いを与えてやらなくては。

 

「あ……が……ががががっ……!」


 ガウリの接近に反応したのか、大公夫人の身体が痙攣をはじめる。

 下腹部がはち切れそうな勢いで膨張を繰り返し、ドレスの裾から不気味な肉塊が流れ出た。

 

 肉塊は増殖して、大公夫人自身を飲み込んだ。

 たちどころに見上げる高さまで成長すると、最上部の肉がぱっくり裂けて、鋭い牙の並んだ顎が形成された。

 

 蛭神は巫女を苗床に受肉し、復活したのである。

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