九話:貴方さえいればいい。
一人称の視点移動があります。ご注意ください。
宿屋に戻った俺達は、とりあえず今晩分の料金を追加で支払って部屋へと上がった。
俺は露店で買った飲み物で口を潤しつつ、ヒョウゲツの話が始まるのを待っていた。……どうも話しづらいことなのか、躊躇っている節が感じられる。
でも、話すべきだとヒョウゲツが思ったのだろう。ゆっくりとではあるが、言葉が紡がれていく。
「………その、私のことについてなんだけど」
「……おう」
神妙に語だしたヒョウゲツ。その眼差しはいつにもまして真剣そうだった。……もしかして、魔王時代のヒョウゲツについての話だろうか。
だとしたらこんな神妙な顔になるのも頷けるし、改まって話がしたいと言い出すのもわかる。
きっとこれは、俺とヒョウゲツの関係性の区切りとなる。ゴクリと唾を飲みながら、ヒョウゲツの言葉を待つ。
「…………聞いても、笑わないでいてほしいんだけど」
「笑わないさ」
むしろ笑えない。笑えるはずもない。
そんな俺の言葉に、ヒョウゲツは満面の笑みを浮かべながら、口を開いた。
「――じゃあ、なんで私がサトウに惚れたか、その説明をするわ」
……え、はい?
◇
魔王というものはひどく退屈で、何も変わらない日々を玉座で過ごしていた。実をいうと私には本来は睡眠や食事は必要なく、空気中の魔力がある限り永遠に生きていけるような存在だ。なので、日々の生活に僅かな変化すらない。
その日も私は城の外をただ淡々と眺めていた。雲の形なんかをなにかになぞらえてみたり、鼻歌を歌ったり。しかし時間が経つにつれて、すべてに飽きが来てしまって面白みがなくなってくる。
そんな毎日に退屈していた私だったけど、ある日飛び込んできた情報に胸が踊った。
「勇者が魔王討伐の任に就く……ね」
ようやく、なにか違った風が吹きそうな気がした。灰色だった世界が、鮮やかに色づくように――私の見る世界は、本当に綺麗なものになるような予感。
それからというもの、勇者が魔王城に訪れるまでの数週間、とにかく待ち遠しかった。でも、その待ち遠しさも愛おしくって、勇者には来て欲しいけど来て欲しくない、でも折を見て来てほしい、といったなんとも謎な気持ちになる。
そうして、一日が千年にも思える時間が過ぎて――私の目の前に勇者が現れた。
黒髪で、黒目で。顔立ちはちょっと整っている感じの、割とどこにでもいそうな男性だった。身につける装備と、腰に携える聖剣がなかったら、通行人と間違えてしまいそうなほど。
「……お前が魔王か」
声を発する勇者。彼の発する一声一声に、世界が輝いていくような気がした。ずっと話していたい――でもそれは、難しい話。なぜなら彼は勇者で、私は魔王。敵と味方。
「――ええ、そうよ」
「そうか。じゃあな」
そう言いながら背を向ける勇者。まさかそのまま帰るとは思っていなかった私は、勇者を思わず引き留めようとして――その時ようやく、心臓を貫かれていることに気がついた。
「……魔王も石ころで殺せるのか。いよいよ持って馬鹿らしいな」
「……は? いし、ころ……?」
「おう。お前は石ころで殺されたんだ。恨むなら俺をこの世界に召喚した女神を恨め。じゃあな」
そう言いながら去っていく勇者。その背中が遠ざかっていく度に、私の世界が灰色になっていくような、不気味で不快な感触が心を支配する。行かないで。ずっとここに居て。心のうちで叫ぶけれども、声が出なかった。
それでもなんとかここに残ってもらおうと足掻くうちに、私の腕は勇者の足を掴んでいた。
「うおっ」
「ふふ、離さないわよ……。あなたを帰すわけにはいかない……!」
「そっか。じゃあ無理矢理にでも帰るっきゃないな。それじゃぁ、さいならー」
勇者の手元がぶれ、途端に私の腕が切り飛ばされる。……そして、そのまま何事もなかったかのように帰っていく。
「……このまま帰してなるものか。ずっとここにいろ、あるいは連れていけ――!」
もうやけっぱちで、魔法で勇者の足を止める。しかしそれすらも、ほんのわずかな時間だけ勇者を留めることしか出来ず、ずんずんと勇者の背中は遠ざかっていく。
待て、待てと何度叫ぶけれども、勇者の足は止まらない。そうして魔王城から完全に姿を消した時、始めて私は勇者になにか惹かれているのを感じた。
もちろん、この時の感情は恋愛とかそういうものじゃなく、単なる魔王と勇者の因縁的なものだ。私は、ここまで嘆願した私を見捨てたのだから、地の果てまで追って、追って、追いかけまくって殺してやる。そんな感じの慕情。
そして、追いかけてやると決断したその瞬間、島が消し飛んだ。
◇
それからというもの、私は勇者を追い求めるために海を渡り空を飛び地を駆けた。勇者を追いかけている限り世界に果てはなく、色で満ち溢れていた。
いつしか彼を追うことが楽しくなり、彼の影が見えないと気分が少しだけ落ち込んでしまう自分がいることに気づいて――。
「勇者!」
「……魔王か。なんでこんな時にお前がいるんだよ」
「最後の時だと聞いて。あなたに伝えたい言葉があったの」
根付いた思いは止められず、私は人目もはばからず、声を大にして告白した。
「――サトウ……いえ、勇者! 私のものになりなさい!」
「…………。転ぜよ」
だけど、そこに回答はなく、私は勇者の送還魔法で、彼の召喚獣がいる世界に押しやられたのだった。
その世界には何もなく、ただ白い空間を漂っているだけだった。
でも、私はそれすら楽しかった。勇者のことを考えるだけで、なんだか心が燃え盛るような炎に包まれる気がしたからだ。
いつか、彼が召喚の門を開いた時、どんな言葉をかけようか。どういう態度で接しようか。そう考えるだけで、私はその空間でいつか来る開門の時まで耐えることが出来る。……だから私はこれを貴方が好きだという証拠にするし、もし貴方がこの感情をほかの何かだと否定しても、私はこの感情を恋情だと言い張り続ける。
◇
「……それって、俺をずっとストーキングした結界、俺を好きになった、ってことだよな」
「ええ、端的にいうとそうなるわね」
もちろん、私をあの場所から連れ出すのはサトウにしかできなかった。だからこそ私はあなたを好きでいる。他の誰かが私の前に現れていたとしても、ここまで心は動いていなかった。
「正直に言えば、ちょっと言葉に詰まるよな」
「まぁそうよね、今だから言えるけど、当時の私はちょこっと狂気的だったもの」
「ちょこっと……?」
不思議そうに首を傾げるサトウ。その距離は今までのどんな状況よりも近くて、こんな仕草を間近で見つめることが出来る幸せは、きっとあとにも先にもない。
――いいや、違う。
これからも続いていく。そうに決まってる。そうしてみせる。
「サトウは、私のこんな気持ち、気持ち悪いと思う?」
「いや、別に。誰がどんな気持ちを、どんな過程を経て抱くかは自由だと思うし、俺もそれを否定するほど人ができていない」
だってほら、女の子の腕だとか胴体だとかを簡単に傷つけた男だしさ、なんて笑うサトウ。確かにそうだ。乙女の柔肌をあそこまで遠慮なしに傷つけられる男がマシな人間なはずがない。
……でも、だからこそ。マシな人間じゃないからこそ、私が釣り合うと思った。
「……ふふ」
「何がおかしいんだよ……」
「こうやって、切った切られたなんて物騒な話でも、一緒に笑いながら話せる。それって幸せなことだなぁ、って思っただけよ」
そうだよなぁ、そうよねぇ、と声を発しながら、笑い合う私達。そんな日々が続くことを願いながら、でも変わることを願いつつ、一つ提案という形でサトウに話しかける。
「ねぇサトウ。言うだけ言ってもいいかしら」
「言うだけならな」
「……じゃあ言うわね」
流れで、と言ったらなんか雰囲気に流される女だと思われそうだけど、どうしようもなくこの時間が愛おしいから、しょうがないこと。そう、責任の所在はサトウにある。……私の、唯一の対等である貴方にしかない。
だから、という訳では無いし、どうあってもこの言葉を贈ることにはなったのだろうけど、便宜上そういうことにして。
格好は悪いけど、今のありったけの気持ちを、言葉にして紡げば。
「――好きよ、サトウ」
きっと想いは届くはず。
――私は、信じている。
これにて序盤は終了です。次回から本格的に、冒険者をしつつモノづくりして言ったりなんただったりします。多分、きっと、メイビー……。