三十七話:――とあるおはなし④
夜。俺は自室の布団に転がりながら、ヒョウゲツの言葉を思い出していた。
二者択一、それも片方は俺の望む希望系そのものだった。迷う道理はない。
そもそも迷っている訳では無いのかもぢれない。あまりに唐突に降って湧いた望む未来だったせいで、心が戸惑っているだけの話かもしれないし。
ただ、どちらにしろ、一晩は置いておくのが吉だろう。眠れるかどうかはわからないが、とりあえず目を伏せて――。
「就寝しようとしている時にすまん」
「…………なんでお前がここにいる、天津」
「なにかやらかすと聞いて、朝からずっとつけてた」
「ストーカーじゃねーか」
「…………で、佐藤。どうやら悩んでいるようだが、どうしたんだ?」
天津は、俺をのぞき込みながらそんなふうに言った。これがヒョウゲツだったらいざ知らず、男にやられている状態で薄ら寒さを覚えない俺ではない。
速攻で起き上がり、天津の胸を軽く押す。
「離れてくれ、と一言いえばいいものを」
「近すぎなんだよ。拒否反応の一つや二つくらいは出るわ」
「……巷では男の気があるとかなんとか噂されてるけど?」
「…………何故そうなったんだ」
「勇者時代、女の子の影がなかったらしいじゃないか。それでじゃないか?」
それだけで男の気があると言われてしまう噂の恐ろしさを、俺はこのときはじめて体感した。
それはさておき、こんな夜中にわざわざ寝室にまで来て俺を起こした天津に話を聞かねばなるまい。
流石にいたずらだとかそんな陳腐な理由で、天津が俺を起こすとは考えにくいし。
「で、何の用だよ」
「いや、1つだけ佐藤の耳に入れておきたいことがあって」
「それだけのために?」
「そうするだけの重要なことだと判断してほしいんだけどね」
天津は少しだけ苦笑を浮かべて、一枚の紙を取り出した。似顔絵と、その下に書かれた馬鹿げた金額。つまりは手配書だった。
それはクラス全員分あり、ついでにいうならば俺とヒョウゲツの分まであった。
「クラスメイトがどこにいるのかはわかってるよな?」
「……確か、廃教会に結界を張ってるんだったか。それが?」
「そこが境界の塀に包囲されてる。明後日には突破されそうな勢いだ」
「……で?」
「送還の魔法、明日の午後までに準備をしてほしい」
「………………お前、それが俺にとってどういう意味を持ってるのかを知った上で言ってるんだよな」
凄む俺に、天津の表情が一瞬こわばる。しかしそれでも、天津は気丈に俺に言葉を返してきた。
「ああ、知ってる」
「なら――」
「でも、そうはしないんだろう? 話は全部、ヒョウゲツさんから聞いてるよ。双方向からの魔法行使による召喚――だっけか」
なぜお前がそれを、と口に出しかけたところで、やめる。答えは示されているからだ。
ヒョウゲツが言った作戦を結構するにあたって、クラスメイト全員にも作戦を周知してもらう必要がある。だから天津に作戦の概要を説明した理由も整っている。
問題なのは――焦燥に駆られている俺の心だけだ。
「確率は高い。……いや、万が一にでも失敗することはないだろう。ヒョウゲツさんと、佐藤なら」
「……」
「そのことは佐藤もわかっているはずだ。……じゃあなんで、黙り込んだままなんだ?」
天津の問いかけは、心に深くえぐり込むように放たれた。
……確かに、ヒョウゲツが提示した方法と、それに伴う理論構築はほぼ完璧のそれに近い。疑う要素はなく、誰がどう聞いても実行は可能だと判断できる。
なら、なぜ俺はこうも悩んでいるんだろう。
……わからない。
「わからない、って顔だな」
「……なんでわかる」
「顔に出やすいんだよ、佐藤は」
ヒョウゲツにも言われたことがある。……どうやら俺は本当に顔に出やすいらしい。
そのことについて、悔しいだとかそういうことは思わない。でも、今この瞬間だけは少しだけ恨めしく思った。
「……わからないなら、教えてやろう」
「俺でもわからないのに、俺に教える? できるのかよ、そんなことが」
「人間っていうのはな、たまーに自分より他人の方が自分のことを深く理解できる時期があるんだよ」
天津は得意げにそう言いながら、部屋に備えてある座椅子に座り込んだ。胡坐をかきながら、座り心地を調整。
そして、開口一番。
「――端的に言えば、お前は信用しきれていない」
信用?
それは何に対する信用なのだろうか。世界? 魔法陣? それとも術式? あるいはクラスメイトだろうか。
俺の考えることをあらかじめ予想していたのか、そして俺の考えが想定通りの方向に進んでいることを理解したのか、天津は冷然たる笑みを浮かべた。
「何を信用しきれていないか? 答えは簡単だ。――ヒョウゲツさんが立てた作戦と、伴う理論について」
「……それがどうしたよ」
「さっきも言った通り、成功する確率は高い作戦だよな。これを思いついたヒョウゲツさんは、さすがだと俺は思う。いろんなことを学んで、知って、その集大成があの作戦だと思うと、憧れすら感じる」
「何が言いたい」
「――でも”確実”じゃない。それが、佐藤に疑心を生み出している」
……そう、なのだろうか。
否定したい。それはヒョウゲツが考えた作戦だから、きっと確実何だと思っている自分が内々にいるから。
でも、なぜか否定できない。確かに完璧に近い作戦だとは思うけれども、それが確実ではない、というなら俺は100%の信用を寄せることはできない。……悔しいことに。
はっきりといおう。天津がいま並べている言葉は、すべて正しいものだった。俺の心の中には疑心が巣くっていて、ゆえに俺は信用できなくなっている。
「疑心が悪いこととは、俺は思わない。だけど、ヒョウゲツさんが”大丈夫”と太鼓判を押した作戦を疑わしく思うのって――ヒョウゲツさんを信用していないことに繋がらないか?」
「なっ――。それとそれは違」
「違わないと俺は思うけどな」
かぶせられた天津の言葉は、ひどく重いものに感じた。
「……ま、とは言ったけど、信用できなくても俺は良いと思うけどな。さっきも言ったけど」
「………手のひらドリルかよ」
「ドリルで結構。信用できないならできないなりに、何かできることはあるからな。こと、ヒョウゲツさんが立てた作戦を聞いた今だと、余計そう思う」
「どういうことだ?」
俺がそう聞くと、天津は深いため息を吐いて座椅子から立ち上がる。そして、廊下へ出ながら、首だけをうしろにむけて一言だけ言い放つ。
「ヒョウゲツさん一人で作戦を決行するわけじゃない。それだけわかってれば、それでいい」
そして天津は、廊下に消えた。
俺の胸には、天津の強い、どこまでも強い言葉が残っていた。




