三十三話:ポンコツ魔王の――
私にできることは、サトウと比べるとかなり少ない。剣で魔物を打ち倒すこともできなければ、通常の攻撃魔法以外で魔物を打ち倒すことも出来ない。
でも、そんな私であっても――誰かを助けることは出来る。失われる悲しみを減らすことは出来るだろう。
じゃあ、その為には何をやるべきか。
――答えは簡単かつ単純だ。
拳に魔力を纏わせて、目の前に広がる魔物の海へと向ける。たったそれだけで、魔物達は怯んでしまっていた。
私は元とはいえ魔王であり、単純な身体能力でいえば、他の追随を許さないほどに強い。
濃密な強さの匂いは、魔物の素因がある全ての生物に恐怖を抱かせることだろう。――対立していた頃のサトウがそうであったように。
「――すぅ、はぁ」
一つ大きく深呼吸して、眼前の敵を改めて観察する。軽く万はいるだろうか。以前私が魔王城で使役していた魔物の数よりも圧倒的に多い。
それだけ、あのアウドゥスという男が、何か大変なものを削ってこの召喚魔法を維持しているということが、嫌でもわかってしまう。
それはアウドゥスの命だけではない。生きとし生けるものの全ての権利であり義務である何か――。
多分、魂みたいなものを、彼は犠牲にしている。無意識下で。
やめさせなければ、それはダメだ――そういう風には思わない。でも、それを放っておけば、きっと大きな被害が出てしまう。
ならば、悩むべくもない。私はただ――。
「強化」
――真っ直ぐに、撃ち抜くだけだ。
地面を蹴って、魔物へと肉薄する。どうやら馬系の魔物が多いらしく、足並みを揃えてチャージを行ってきた。
……しかし、それは悪手だ。こと、私やサトウのように魔法を自由自在に扱える存在には。
「穴よ」
私を中心にして、半径100メートルを穴ぼこにする。それだけで馬たちは足並みを乱し、チャージの威力も皆無になった。
そんな魔物達に向けて、私はすかさず氷の剣を数十飛ばす。狙いは正確に、魔物の頭を穿つ。
飛散する血しぶきに魔物達が戦いているあいだに、私は最前線の魔物に拳が届く範囲まで一気に距離を詰める。
ぎょっとした表情をしているような気がする馬面に、全力の拳を叩き込む。
力という力が込められた拳は、馬面の魔物一体を砕いたあと、衝撃波でさらに十数体の魔物を真っ直ぐに吹き飛ばした。
……サトウの筋力と私の筋力が合わされば、これくらいは造作のないことらしい。ちなみに今吹き飛ばされた魔物は死んでいた。
「すぅ……はぁ……」
深く息を吸って、吐いて。魔力を全身に回して、魔方陣を展開していく。それらはすべて、サトウが好んで使う付与術式。
普段の私なら使えないけど、サトウと一心同体の状況になった今なら使える。
なんだか、それが愛の結晶のようにも思えて、ちょっとだけ嬉しく思う。サトウの術式を身にまとって私が戦う。私の術式を侍らせてサトウが戦う。
……考えてたらそれがひどく興奮する何かになってきてしまった。流石に反省しなければ。
そんな不埒な思考を追い出すように、全身の魔力を一気に蜂起させる。それだけで、自分の身体能力がさらに上昇する。
上昇した身体能力に体が振り回されないように、しっかりと自分の《ステージ》を身体能力とすり合わせていく。
擦り合わせる数秒の間隙。その隙は魔物達にはチャンスに見えたらしい。猛進、と言った速度で襲いかかってくる魔物達に、いっそ面白いくらいの愚直さを感じて――ちょっとだけ笑顔を浮かべた。
「さて、お掃除の時間ね」
そう言いながら、右腕を顔に、左腕を腰に、体は半身に――。サトウ曰く「ぼくさぁすたいる」なるポーズをとる。
眼前に迫る槍を体を沈めることで回避し、突き出された柄を握って、強引に相手の体勢を崩す。
むき出しになった、柔らかくて撃ち抜きがいがあるお腹に、全力の右を叩き込む。
面白いくらいに血の花が飛び散るが、音は何故かしなかった。きっと、音を響かせる余地がないほどに、力が魔物の中で爆散したのだろう。
衝撃波が扇状にひろがり、範囲内にいた魔物の臓腑を散らした。魔物の最後をまじまじと見るでもなく、緑の肌の小人の顔面を殴りつける。
小さく、篭った声で意味の無い言葉を紡ぐと、そのまま全身が破裂するように爆死した。
そんな異様な光景に、魔物達も驚きに目を見開く――ような気がした。
腑抜けた表情だった。そして惚けている魔物から、私が絶え間なく放っている氷の剣に穿たれて、命を散らしていく。
気づけば、私の戦場からは音が消えていた。
呻き声も、悲鳴も、そして怒号すらも、上げる前に魔物が死んでいくのだ。響くのは、私の衣すれの音と呼吸の音のみ。
殴っては蹴り、殴っては魔法。それを続けていくと、戦闘の余波で、加速度的に敵はその数を減らしていく。
あまりにもはしゃぎすぎたせいか、魔物の数は十を切っていた。いつの間にそんなに倒したのだろうと後ろを見てみると、大地が赤く染まっているのが見えた。
……深く考えないようにしよう。
止めとばかりに、魔物にラッシュを決めて戦闘終了。哀れ最後のライオンのような魔物は、血と細かい肉片だけになってしまっていた。
「すぅ…………。はぁ…………」
周囲に敵がいないことを確認して、残心を解く。さて、サトウはどうなっているのかな、なんて思いながら、サトウが向かっていった方向へと目を向ける。
…………そして絶句した。
凄まじい規模の氷壁ができていたからだ。
「――なかなかすごいよね、アレ」
「……誰よあなた」
「綺麗な狼族のお嬢様がいらっしゃったからね。ちょっとお誘いをと思って」
「……お誘いの割には随分と物々しいものを持っているのね」
私がそういうと、突如として現れた男は一瞬表情の仮面を剥がした。しかしすぐにかぶり直して、またおどけ始める。
袖口に隠した、短剣をいつでも取り出せるように準備をしながら。
「お誘いはお誘いといいましてもね、お嬢さん。今回お招きしようと思っている場所が割と特殊な場所でございまして」
「特殊、ねぇ」
「そう、特殊なんですよ」
まるで、私の手を取るために膝をつくように。さも「私は無害ですよ」という様に、その男は私の方へと近づいてきた。
きっと、並の冒険者なら今までの一連の行動に違和感なんて覚えなかっただろう。
でも、私にはわかってしまう。袖口から臭う、濃厚な鉄の匂いも。歩いてくるときの隙の無さも。全部全部――臭ってしょうがない。
この男は、まぎれもなく敵だと、私の嗅覚が囁いている。
「――シッ!」
短く息を吐いて、袖の短剣を奔らせる男。まるで雷光のような、と形容されてもおかしくないほどの鋭い剣だった。
でも、私の動体視力と身体能力の前では、あくびが出るほどの遅さになり下がる。
氷の剣を振るわれる軌跡に合わせて出現させると、短剣は甲高い音を立てて停止する。
きっと首を取ったと確信していたのだろう。余裕綽々といった様子の表情が、次第に歪んでいった。
「……まぐれだ」
「なら試してみるといいんじゃない?」
私がそういうと、男は少しイラついたような表情を一瞬だけ浮かべて、私に向かって短剣を素早く三度振ってきた。
……それを事も無げに避け、ついでと言わんばかりに、がら空きだった足元を払ってやる。
「スキだらけね」
「……ありえない。何故こんな女に……」
「ごめんなさいね。あなたが魔物ではなかったのなら手加減はして生かすつもりだったけど、そうじゃないみたいね」
だから、ごめんなさい。情けは与えない。
「ありえない……元勇者たる私が……」
「………………」
「何故元勇者の実力で届かない……。俺は勇者で、アンデッドとして蘇って、それでも技術を磨いてきたの――」
「べらべらと、何を語ると思えばそんなくだらないこと? 聞いてて耳が腐るわ」
唖然とする偽物。私は言葉を重ねる。
「元勇者? 腕を磨いてきた? ……笑止よね。もしサトウに神から授かった力が無くても、貴方なんて指先一つでちょいよ。………………思い上がるのは大概にして。正直雑魚にその名前を使われるのは不愉快極まりないわ」
呆然とする男。ほうけた瞳には、私が魔力で薄く輝いている姿が映っていた。それはまるで何かに恐怖するように震えていた。
……どこまでも勇者失格なのだ、この男は。勇者たるもの、死にゆくその瞬間まで勇ましく強くなければならない。
弱いこいつを、勇者と騙ったこいつを。生かしておく道理などもはや一片すらない。
恐怖に揺れる瞳に腹立たしさを感じながら、私は拳で男の頭を潰した。
ザクロのようだった。
「サトウは……どうしてるのかしら」
冷ややかに立っている氷壁を見て、そんなことを思いながら、召喚魔法陣から肉串を取り出して、それをはむ、と食べた。




