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三十話:最強勇者は平和に暮らしたい⑨

 大司教の部屋は、記憶によればそれなりの広さを誇る。あまりにも広く、豪勢なそれは、清貧さを謳うこの教会においては、一種異質な存在であるともいえるだろう。

 その部屋がそうなってしまった理由は、歴代の大司教が権力という名の魔におぼれてしまったのが原因だろう。いつだって、人を狂わせるのは金と権力と――狂気的なまでの感情らしい。

 そう言う意味では、ヒョウゲツを洗脳された時の激情でここまで足を運んだ俺も、彼らと同類なのかもしれない。

 頭を振って、そんな雑念を振り払う。そこに価値の貴賤はないような気もするが、それでも”他人を思って蜂起する”行為は、それらよりよっぽど人間味に溢れていて、価値のある行動のように思えてくる。

 ……そう、信じたい。

 きっとこれを、自分自身が否定してしまえば、それは俺の今までの行動を全て否定するものだろう。なんだって、今の俺がここにいるのは、救済に次ぐ救済の果てにあるからだ。――エゴに基づく、救済ではあったが。


「……なんか今日のサトウは差が激しいわね」


 ふとかけられた声と、額にかぶせられた手のひら。心が安らいでいく感触を覚えながら、心の中で一つの確信を得る。

 きっと、何かを貫いた先には誰かの笑顔があって、誰かの悲しむ顔がある。それが正義であろうと、悪であろうと――欲望であろうと、感情であろうと、何であろうと。

 例えば、俺が勇者をやっていた時に街の人々は笑顔を浮かべていたが、その裏で俺の行動に際する恩恵にあずかれなかった人は、悲しげな顔を浮かべたりするだろう。――光があるところには闇がある。簡単に言えば、そう言うことだ。

 ……なんにせよ、何かを貫き通すことは悪いことではないし、かといって良いことともいえない。

 思考がちょっと長くなった気がする。――結局何が言いたいかなんてわからないけど、きっと今までの考えは自己正当化のそれを体現したものだ。今から俺は大司教をぶっ飛ばすが、きっとその理由を”激情”という、不確定なもののままにしたくなかったに違いない。

 そう、思考に結論をつけて俺は一歩を踏み出す。

 目の前には荘厳な扉があって、俺たちの征く道を文字通り阻むように存在していた。きっと、常人の膂力や魔力、魔法の腕では突破するら出来ないだろう。そう思うほどに、この扉の厚さは尋常なものではなかった。

 じつに堅牢。この扉一枚のせいで、あるいは城壁に囲まれた城よりもこの部屋の中は安全といえるかもしれない。……だが、それすらも俺の前では無意味だ。

 魔力を練り上げて、贋作聖剣へと込める。そのままゆっくりと剣を後ろへと構える。剣が次第に光を帯びていき、あたりを太陽のように照らしていく。

 一瞬の溜め。扉の前に、最終戦前の奇妙なまでの静粛が横たわっている。この場所に響くのは、魔力が剣を鳴動させる、キンキンとした高い音。

 やがて魔力は剣に充溢し、剣を白く輝かせた。ここまで来たらもういいだろう。――俺が何をしようとしているのか悟ったヒョウゲツは、すでに俺の傍から離れており、扉から十分な距離を取っていた。

 それを確認してから、一歩足を踏み出す。剣が揺れ、鈴のような音を鳴らす。一歩足を踏み出す。剣が音を潜め、眩いばかりの光はすべて振るわれる刃の部分のみに集中する。


「……じゃ、とりあえず御開帳だ」


 扉の前に立った俺は、剣を上に掲げて――重力に従う様に、自然体で振り下ろす。今の一撃程度の速度なら、冒険者ならだれでも避けることができるはずだ。

 ……避けることは、だ。


「さて、あいつのほえ面を見に行くか」


 俺が一つつぶやいた瞬間、扉に真一文字の亀裂が入った。それは網目状に広がっていき、最後にはサイコロほどの細かさになってばらばらと崩れ去った。俺はそれを踏みしめるようにして、今度こそ正しい立ち方をしている砂煙をかき分けながら中へと入った。

 ヒョウゲツはそんな俺の後ろからついてきている。ちゃっかり空いている俺の左手を握っているあたり、寂しいらしい。そのことが嬉しいんだか恥ずかしいんだか、紅くなる俺の頬。

 仕返しとばかりに、強くヒョウゲツの手を握れば、ヒョウゲツは俺の指へと、自らの指を絡めた。……俗に言う、恋人つなぎというものだ。さらに強く、”誰かに握られている”といった感触を覚える手に、俺の頬はきっと、爆発しそうなほどに赤くなっていたに違いない。

 ……このままやられてたまるか。俺は、そんなヒョウゲツの手を、自分の服のポケットの中にしまう。少しだけとひんやりとした寒空の下で、かじかんだ手は空いての手の感触をことさらに強く感じさせる。

 ヒョウゲツの顔が真っ赤になり、俺はしてやったりとばかりに笑みを浮かべる。……さて、そろそろ終わるだろうか――等と思っていたら、次はヒョウゲツが俺の腕へと絡みついてきた。

 その行為に、俺の思考は一瞬だけの遅れを見せた。ヒョウゲツの、太陽のようなにおいが強く感じられるようになり、腕には柔らかさを感じる何かが当たっている。

 ……なるほど、思考がフリーズする、というのはこういう感触なのか。なんだか切り離された様な精神状況で、そんなことを思う。もしかしたら、人間は潜在的に二つの精神性を持っているのかもしれないな、なんて、今の冷静な俺と、爆発しそうな俺を見ていると、そう考えてしまう。


「……ふふん」


 ヒョウゲツは自慢げだが、頬の赤みは明らかにその度合いを増している。ヒョウゲツもヒョウゲツで緊張しているし、照れくさいのだろう。……自分でやっておいて、大層な反応だ。

 そんな表情を見ていると、俺も仕返しとしゃれ込みたくなる。もう十八に差し掛かるような年齢ではあるが、それでもいたずら心なんてものはまだ残っているらしい。

 俺は腕を組むヒョウゲツの腰を、左手で抱いた。


「……ぁ」


 小さく声を上げるヒョウゲツ。その頬は、既に火山のように赤々としている。

 俺はそんなヒョウゲツを強く抱きしめた。……正直俺も恥ずかしくて今にも爆発してしまいそうだ。何せ、強く抱きしめることによって、ヒョウゲツを強くそこに感じてしまうから。

 照れているからか、少しだけ高いヒョウゲツの体温。混じるようで、どこか気持ちよさを感じてしまう。

 そして、どちらともなく、顔を寄せていく。ヒョウゲツの奇麗な瞳を、甘い匂いのする髪を、全て俺のものだと言わんばかりに、目に収める。

 スッと通った鼻梁、桜色の唇。――蠱惑的に揺れるそれらに、自分のそれを重ねようとして――。

 飛来した魔法を、右手の贋作聖剣で切り裂く。


「……黙ってみておれば、儂の部屋の前で睦合いおって……!」


 声のした方向へ俺が視線を向けると、そこには大層な杖を俺たちに向けたアウドゥスの姿があった。その姿は、以前見た時よりもいくらか肥え太っているようにも見える。きっとクラスメイトを使ってアコギな金稼ぎでもした結果だろう。

 ……見るからに、権力におぼれている。俺はそう思った。


「……して、主ら――ここに殴りこんだのがどういう意味か解っておるのだろうな……! どうやってここまで来て、あの扉を突破したのかはわからぬが――とりあえずは死ぬがよい!」


 そう言いながら、アウドゥスは杖を軽く跳ね上げる。それだけで、周辺の美術品に身を隠していた男たちが現れ、俺の首を狙ってダガーを振り上げる。宵闇色のそれらは、暗所で役立つ獲物だったが、しかし明るい大司教の部屋ではかえって目立ち、剣閃が読めてしまう。

 俺は振り下ろされる、二十に迫る刃を避け、弾き、時に魔法で防御しながら対処していく。次いでとばかりに、魔法でダメージを与えることも忘れない。……だが、彼らは、どうも俺の魔法に耐えきれなかったのか、地面に突っ伏していた。

 こうして、二十余名の男たちは、等しく俺の前に意識を闇に落とした。

 アウドゥスは、そんな光景をただただ呆然と見つめていた。


「……で、出鱈目だ――!」

「そんな出鱈目を召喚できた運を大切にしろよ。――最も、俺がここに来た時点でそんなものは無くなっていた、と考えるのが一番精神衛生上いいかもな?」

「………のぼせて上がるな、若造がッ!」


 そう言いながら、アウドゥスは杖で円を描いた。そこからは魔法陣が描かれる。その魔法陣は、召喚魔法陣――のようでそうではない。ところどころが改変されていて、どちらかと言うと、それは――。


「……はっはーん。見えてきたぞ」

「……何が見えたの?」

「魔物を呼び寄せたの、たぶんあいつだ」


 そう。杖で描かれる魔法陣から紡がれるは”招来”のニュアンスを含めた魔法だ。それは、魔力が続く限り、永遠に魔物を生んでいくような性質が備わっている。少なくとも、人に成し得る魔法としては、最上級のものと言っても過言ではない。

 ……そして、俺は一つの仮説にたどり着く。

 それほどの魔力を、このアウドゥスという男はどこから調達したのだろうか。自然界で、魔力を持つ生物はあまたといるが、その中でも特に多い魔力量を持つのは、人間だ。

 そこから導かれる結論は、あまりにも惨く――エゴに溢れていた。

 

「……なるほどなぁ、これは悪だわ。完全なる悪だわ」


 俺は一つつぶやいて、アウドゥスへと剣を向けた。

 そして、石畳を砕くほどの踏み込みで――一気呵成に、アウドゥスへと剣を突き立てる。――が、その剣がアウドゥスに届くことはなかった。

 アウドゥスが呼び出した魔物が、俺の剣を自らの体で受け止めていたからだ。俺はそれを火魔法で焼き払って、剣を強制的に離す。あのままだと、筋肉の硬直で、剣が離れなくなっていただろう。

 俺が耐性を整えるためにいったんその場から退却する。――そして、その光景に目を瞠る。


「…………」


 魔物が、あふれ出している。


「…………」


 その時初めて、俺は純粋な怒りを、アウドゥスへと抱いた。

 今も、人の生活を脅かしている魔物。それを生み出しているのは、怪物でもなく、まして魔に堕ちた何かしらではなく――同じく人であった。

 俺だって、何かを斬り捨てる選択はできるし、必要があればする。しかし、このアウドゥスという畜生は、平和をわざわざ壊し、必要に迫られず魔物を生み出した。


「……外道が」


 知らず、低い声が漏れる。

 きっとその声はアウドゥスに届いていたのだろう。僅かに体が揺れ、その表情がこわばる。――今の反応、さては俺の正体に気が付いたか。


「ゆ、勇者――!」

「おう。わざわざ平和を壊すとは、なんとも面倒くさい回り道を取ったもんだ」

「……何故、何故貴様がここにいる――!」

「お前が呼び出したんだろ? 仮初・・の敵を作り上げて……な?」


 ……おそらく、アウドゥスが魔物を生み出したのは戦争をするためだ。魔物が出た、となると、多くの国はその対策に追われ、防衛力が著しく低下する。それだけ魔物の存在は脅威であり、人々の生活を脅かすものだ。

 しかし、仮にその魔物が――特定の軍隊だけを襲わずに、むしろ見方をするような動きを見せれば?

 各国は、迫りくる魔物の脅威と軍隊とを、対策によって手薄になった防衛で相手しなければならない。それは明らかに無理難題であり、よしんば退けたとしても、馬鹿にならない衰退が国に生まれることは明白だ。

――そして、戦争を仕掛けた国の利は大きい。まず、魔物が味方に付いている時点で、軍事力が格段に増す。また、魔物を先行させることで、人的被害を最小限に抑え、軍事力と国力の低下を抑止する効果を生み出すこともできる。

 それだけ、魔物とはこの世界では”強者”であり……どうしようもないほどに”絶望”そのものであった。


「……ああ、そうだ。今やこの国は、私の操り人形だよ、勇者殿。王女は勇者の名誉のために立ち回ったが、それを諸貴族から叩かれて力を落とした。そこに、儂の子供を送り込んで、強引に婚約をさせたんじゃ……。哀れよの、勇者。お前を応援していた人間が、汚される気持ちはどうだ? ん?」

「……一つだけ、お前に聞きたい」

「お? なんじゃ? 末路か? それなりに頑張っていたようじゃが、最後には勇者に恩を返せないと、泣きながら逝った!」

「……いや、そうじゃなくて。……その話、マジなん?」


 ……正直なところ、俺の心には二つの考えがあった。

 そんな胸糞悪い政略結婚をさせたこのクソジジイを許さない、といった義憤に駆られる想い。そしてもう一つは――。


「あいつ、俺のことそんな風に思ってたの?!」


 どこまでも辛辣だった、でもどこか憎めない王女がそんな末路を辿っていたことだ。まして、勇者に恩を返せない――などと口にするなんて、到底思えない。

 しかし、それはどうも真実であるらしい。嘘をついている人間特有の所作が、アウドゥスからは見られなかった。どうしようもなく、俺の今までの積み重ねが、その言葉を真実として受け取っていた。


「……はぁ、成程なぁ。恩なんて売った覚えもないし、仮に打っていたとしても、それを返してもらおうなんて思ってなかったんだけどなぁ」


 ……それでも、割と仲良くやっていたのは事実なので、そんな彼女が失意のまま死んでしまった、と聞いてしまったら。――意外なほどに、俺の中の正義が燃え上がった。


「……ほどほどに済ませるつもりだったけど、やっぱやめた。……全力で行くぞ、アウドゥス」

「笑止ッ! すでに魔物を万単位で召喚できる手はずは出来ている……! 貴様の仲間は、良質な魔力タンクになったよ。感謝しよう」


 そう言いながら杖を振り翳すアウドゥス。その背後に――無数の魔物の影が生まれた。


 どうしてもその光景は。


 この戦いのゴングを鳴らすようで、終幕の鐘を鳴らすように、俺の目には映った。

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