三話:魔王「私のものになりなさい!」元勇者「断る!」
「さて、まずは金策をしないとな」
この街の地図を頭の中に思い浮かべながら、俺は冒険者ギルドへ向かっていた。
教会は街の中央に存在するので、交通の便は悪くない。俺が目的地とするギルドまでだって、十分もしないうちに到着することができるのだ。
……ちなみに、盗み聞きを繰り返した結果、俺が送還されてから八十年が経っていることが判明した。……それでよくアウドゥスは生きていられたな。この世界ではほぼ最高齢といってもいいんじゃなかろうか。
ともかく、まずはギルドだ。
というわけで今、俺はギルドに着の身着のままで立っていた。むろん、冒険者登録をするためだ。
「なるほど、つまりサトウ・タロウ様は冒険者登録をしたいと」
「ええ」
「……大変失礼なことをお伺いしますが、どういった戦闘スタイルなのでしょうか?」
「あー……」
ここまで来て、思い出した。そういえば冒険者ギルドは、初心者の死亡率上昇だとかそんな理由で戦闘できる人間じゃないとギルドへの加入を認めないとかなんとか言ってたなぁ。
……もちろんだが、俺も勇者である以上は戦闘はできる。寧ろバリバリだ。何せ魔法で島を消し飛ばしたし、やかましい魔王はスーパーハイテンションのまま、石ころで倒したし。
うぅむ、何をメインに押し出せばいいんだろうか。とりあえず魔法でいいか。剣を買うお金もないし。
「魔法メインで戦ってます。攻撃魔法が得意です」
「そうですか。ここで少しだけ魔法を見てせてもらっても?」
「ええ、いいですよ」
手のひらを上にして、氷の彫刻を作る。モデルは、以前俺が使っていた聖剣だ。……そういえばあの聖剣、今どこにあるんだろうな。
「とりあえずはこんな感じでいいですか?」
「ええ、結構です。そんなに精緻に氷像を作ることができるとは、サトウ様は大層な魔法の腕をお持ちなのですね」
「そうですか? ありがとうございます」
もちろん勇者だからこの程度出来て当然なのだけれども――それは置いといて。
「とりあえずこれで登録のほういいですよね? これ、登録料の銀貨一枚です」
「……はい、わかりました。では、こちらに血を一滴垂らしていただけますか? それで登録完了です」
「わかりました」
差し出された針――ではなく、自分で親指を軽く噛んで血を出す。生半可な武器では、俺の体に傷をつけることはできないからだ。
それを木の板に押し付けると、淡い光が漏れた。これで冒険者登録は完了だ。
「これでサトウ・タロウ様の冒険者登録は終了しました。続けて依頼を受けていかれますか?」
「はい、スライムの討伐なんかあればいいのですけれども」
「ちょうど、スライムの落とす素材の収集依頼があるんですが、こちらでもよろしいでしょうか?」
おお、渡りに船だ。俺はすぐにその依頼を受けることにして、町から飛び出した。
◇
スライムとは、液状の生物である――と言われても、思い浮かぶのは水色で可愛らしい、時折喋ったり赤くなったりメタリックになったりタワーになったりするあの雫状の姿だろう。だが、この世界のスライムの形は、どちらかと言うと水たまり、といったほうが想像しやすい。
とにかく平べったいので見つけにくいのが、スライム系クエストが割と疎まれる所以であるのは小噺である。――ともかく、俺は勇者時代に身につけた気配察知を駆使し、スライムを狩りに狩りに狩りまくっていた。
「そりゃ、クエスト内容に素材超過分は買い取り――なんて書かれてたらなあ」
ぼそりと呟きながら、いい加減入りが悪くなってきたビニール袋――偶然通学鞄に入っていたものだ――を見る。うーむ、荷物持ちがほしいところだ。いっそのこと召喚魔術で呼んでみよう。
召喚魔法自体は、割と常用していた魔法なのでそこそこのレパートリーが存在する。
人と変わらない見た目を持ち、かつ力持ちで――となると、俺の召喚魔法のなかじゃあ、執事くらいなもんか。よし。
「……来たれ、我が忠実なるしもべよ――……? なんか魔力が予想以上に――っ!」
通常の召喚魔法では、およそ持って行かれないほどの魔力が持って行かれている。――このままいくと、大体全魔力の十分の一位は持って行かれそうだ。止めようにも止められないので、もういいか、と半ば諦める形で呪文の制御を諦める。
やがて、地面に魔法陣が広がり、そこから白い手がにゅっと這い出てきた。……えっと、執事ってこんな若々しい肌をしてたっけ……? もっとこう、しわくちゃだった気がするんだけど。
俺の疑念を感じ取ったのか、手がぴしり、と一度硬直し――まるで何かを探し求めるかのようにグーパーし始めた。
ひえっ……軽いホラーじゃないかこれ!
「……やっと、やっと開いたわ――!」
聞き覚えがありすぎる声が響く。むろんその声の持ち主はこの魔法陣の中にいるわけで。
「…………。いろいろと疑問はあるけど、まず聞こうか。救い出したほうがいい?」
「……お願いするわ」
弱弱しい声が返ってくる。
俺は魔法陣から延びている白い手を取って、それを力強く引っ張り上げる。
まるで、畑からカブが抜けるようにすっぽーんと魔法陣から出てきたのは、銀の髪の女性だった。頭には狼の耳、臀部には狼の尻尾。背丈はすらりとしていて、俺よりもちょっと高い。
というか何も着てないのはどうしてだろう。別れの時はしっかりと着てた気がするんだけど。
「とりあえずほら、これを着ろ」
「……へくち。ありがとう、ありがたく頂くわ」
「で、何であんなところから出てきたんだ、『魔王』さんや」
そう、この人こそ俺が石ころで撃退し、たびたび倒していた魔王――銀狼族のヒョウゲツだ。何故だか最後俺が元の世界に戻るときにはひょっこり顔を出していたが、その場で俺が送還魔法で俺の召喚獣がいる世界に送り込んでやった。
前回の召喚の時は、何度倒しても、何度殺しても蘇ってきた不朽の魔王として俺も恐ろしく思っていた。だが、しばらく経ってくると、会話を交わすようになり、交わす回数に比例して倒す回数も増えたり――。とにかく、魔王と勇者という関係にしては、そこそこ長い付き合いがある。
……にしてもゲートを無理やりこじ開けて出てくるとは。些か非常識なんじゃないだろうか……。いやよくよく考えてみたら、魔王の存在自体が割と非常識だった気がする。
「む、何か失礼なこと考えてるでしょ?」
「むしろ失礼なこと以外を考えたことがないんだが」
「……。まぁ、いいわ。今はそんなことは重要ではないの。あの時の答えを、聞かせて」
答え。その言葉が指す意味を、俺はよく理解していた。
俺が地球に戻る前――最後に掛けられた言葉。何でもないと考えていたけれど、実を言うならば何も言えなかったことをそれなりに後悔しているそれ。もし、もう一度会えるなら――勇者と魔王という因縁を捨てることが出来たなら――きっと言葉にしようと思っていた答え。
「……まさか、忘れてなんていないでしょうね?」
「それこそまさか。あんな言葉を受けたことなんて一度もなかったよ、魔王――いや、ヒョウゲツ」
「いい心がけだわ。――勇者……いえ、サトウ。私のものになりなさい」
魔王が、俺を指さして声高に叫ぶ。
「断る――」
「――そういうと思ってたわ」
何を言うんだ、と訝し気に魔王を見つめていると、不意に魔王が顔を赤く染めた。
予想外のリアクションに呆然としながら、それでも魔王から視線は外さない。
そんな魔王は、数秒間をおいて指をもじもじさせる。そして――。
「私は、貴方のことが異性として気になっている――どう?」
「……は?」
「だから、貴方の強さとか諸々に一目ぼれしたってことよ、サトウ。……いきなりはあれだから、まずはヒョウゲツとサトウという一個人として――お友達から始めましょう?」
前略、俺は魔王に告白されました。どうしたらいいのでしょうか。是非お答えください。
◇
結局、俺と魔王はその後言葉をかわさずに街へと帰還した。ちなみに魔王の服は、俺がブレザーと上の制服、ズボンを脱いで渡すことでどうにかした。無論報酬を得たらすぐに服を買うつもりだ。ちなみに俺の格好は体育で使うジャージ。かっこ悪いことこの上ない。
で、今はギルドの受付。俺は溢れんばかりのスライムの核を受付に渡す。
「……あの、まさか不正なんて行ってませんよね?」
「そんなわけないじゃないですか、やだなー」
「……私たちは不正を許しません。もし発覚した場合は相応の罰を与えますので、お覚悟を。では、こちらが報酬です。成功報酬が銀貨五枚、素材超過の買取分が銀貨五十枚ですので、ご確認ください」
机に転がる銀貨を数えて、空いた皮袋にそれを放り込む。
……勇者時代に比べれば微々たる報酬だが、それでも報酬は報酬だ。……でもなぁ、スローライフを送りたい俺としては、少なさを感じる報酬だ。
うぅむ、手っ取り早くお金を増やすにはギルド内ランクを上げなければなるまい……。だけど、どうやったらそこまで早く上がるかもわからない。
「……あの、何かランクを早くあげるコツはないですか?」
「コツ……と言いますか、誰もがとっている方法なんですが、チームを組むと冒険者ランクが上がりやすくなります」
「チーム?」
こほん、と一つ受付員が咳き込み、俺に説明を開始した。
曰く、冒険者同士でチームを組むことが出来る。チーム内でクリアしたクエストの回数は蓄積され、ランクアップ条件(クエストクリア数)に加算される。あと、チームを組んでもランクアップに必要なクエストクリア数は据え置きだそうだ。
「つまり、チームを組んだ方が得ってことですよね?」
「ええ、そういう事です」
「ふぅむ、チームか……。俺と組んでくれる人なんているのかねぇ」
「……いや、ここにいるじゃない、ここに」
そう言いながら俺の脇あたりからにゅっと顔を出すヒョウゲツ。
「いや、まずお前戦えるのか?」
「失礼しちゃうわね。私だってブイブイ言わせてたのよ。あなたにはかなわなかったけどね! ね!」
「えぇ……?」
「えぇ、じゃないわよ! これでも私は天下無双の魔お――」
「バカ、お前ッ!」
急いで口を塞ぐ。流石にこの場所で魔王であると名乗るのは馬鹿以外の何者でもない。考えなしに叫ぶな、と耳元でつぶやくと、ヒョウゲツは途端に大人しくなった。……心なしか顔が赤いのはなんでだろう。
ともかく、よくよく考えれば、ヒョウゲツは魔王だ。魔を統べるものだけあって、それなりに強いのも道理。……そして今現在、怪しさ満点の俺とパーティーを組んでくれる程度には親交(と言っていいものなのかはさておいて)がある。
……もうほぼ一択じゃないか。
「えっと、俺とここの女――ヒョウゲツとでパーティー申請をしたいんだが」
「え、ええ……。では、サインの方をお願いします」
俺が書類にサインした後に、ヒョウゲツにもサインをさせる。その間ずっと口は塞いだままだ。これでパーティー申請の方は完了となる。
「……じゃあとりあえず、俺たちはここでお暇します」
「え? クエストは受けていかれないんですか?」
「それよりも前に、少しだけお話がありますので。ではこれにて」
そう言いながらギルドから退散する俺たち。なおも俺の手はヒョウゲツの口を塞いでいる。流石にそろそろ離すべきだろう。俺が手を離すと、ヒョウゲツが心なしか恍惚とした表情をしながら、俺へと話しかけてくる。
「サトウの匂いをあんなに押し付けるだなんて……。求婚ね、そうなのね……?」
「違うっつーの……。で、俺が言いたいことわかるよな?」
「ええ。結婚式はいつにするのかしら?」
「違うわ! 俺たちの以前の立ち位置についてだ!」
「……わかったわよ。言わなきゃいいんでしょう、魔王だとか勇者だとか」
「わかってるならいい。……それと、あともう一つ言いたいことがある」
ヒョウゲツは少しだけ不思議な顔をして首を傾けた。こてんと傾けられた首にその表情は、正直ちょっと可愛いと思ってしまう。……性格はアレでポンコツだけど、可愛いからなぁコイツ……。
それはさておいて。
「半ば強制的にパーティーを組んでしまったことを謝りたい。すまんかった」
「……はぁ、なるほど。普段なら許さないところだけど、まぁサトウだし許すわ」
でも、とヒョウゲツは一つ指を立てて、悪戯っぽく笑う。視界の端で尻尾が、まるで俺を何かに誘うように揺れる。
「これで貸し一つよ」
「……魔王の貸しか、タダじゃ返せなさそうだ」
「当然よ、魔王なんだから」
ふんすと胸を張るヒョウゲツ。その姿に、俺は初めてこの世界に戻った懐かしさを感じたのだった。