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二十六話:最強勇者は平和に暮らしたい⑤

 目の前には、以前のクラスメイトがいた。がっしりとした体つきの男子、ラグビー部所属の大石と、しなやかな体つきで背が高い女子、猿渡。その二人が、まるで死んだ魚のような目で俺を見つめていた。

 そこに正気の色はない。あるのは、ただ何者にも追従してしまいそうな理性の無さ。

 大石と猿渡の姿を見ていると、自らの力の無さを悔やむほかない。もしあの時、俺が勇者としての責務を投げ出さずに逃げ出さなければ。もしあの時、俺がずっと彼らとともにあり、逐一魔の手を退けていたならば。――無意味な想像ではある。しかし、そう考えることを止めることはできなかった。

 ……だからといって、この奥にさらにクラスメイトがいることを考えると、ここで時間を取ることはできない。きっと、今この時にも、洗脳されゆくクラスメイトがいるはずだ。

 幸いにして、彼らのステータスはまだそこまで高くないことが天津の手によって判明している。ならば。


「すまん」


 初手で、押し通る。

 石畳が割れんばかりの踏み込みで、一気に懐へと入る。一秒もせずに、眼前に未だ認識ができていない二人の顔があった。俺はそんな二人のこめかみに指を置いて、魔力を細く、穿つように練り上げて――それを放つ。

 途端に崩れる二人。俺は彼らが地面に頭を思い切り打ち付けないように抱えながら、彼らの息を見る。かなり手加減をしたので、威力が足りずに気絶に至ってないんじゃないか、といった心配が俺の中にあったからだ。

 幸い、彼らは気絶していた。何かあったらいけないと、彼らの周辺に魔法陣を描いて結界を作成する。俺かヒョウゲツレベルの膂力がなければ割れることはないレベルだ。たぶん大丈夫だろう。

 アフターケアも万全。俺は自らの処置に満足しながら、大部屋から回廊へと歩き始める。

 部屋の数は、残り3。おそらくだが、敵は回廊に兵士を放ち、部屋で俺を足止めする算段なのだろう。俺がそう判断したのは、敵の戦闘スタイルからだ。

 先ほどの破壊するなり復活する結界や、散発的な攻撃。そこに作為的な何かを感じる。時間を稼ぐことで、俺に対抗するような罠を張れるのだろうか――なんて思いつつ、俺は回廊を進んでいく。

 相変わらず、兵士たちからの偶発的な攻撃が繰り返される。その攻撃は今までよりもなんだかねちっこく、本格的に俺を足止めするために差し向けられているようだ、と判断できる。

 ……ならば、俺がとる作戦はこうだ。

 魔力で脚部を強化。身を深く沈め――砲弾のように回廊を走る。さすがに俺の速度には追いつけるはずもなく、黒と銀の軌跡を兵士たちは目で追うのみとなっていた。

 しかし、彼らもアホではないらしい。俺の魔力で強化された感覚が、目の前で張り巡らされる極細の糸を発見した。……ヒョウゲツを抱えるのに両手は使ってしまっている。少しの間なら離すことができるが、さすがにそこまでの速度で剣を振るうことは難しい。

 どうするべきだろうか――と俺が思った瞬間だった。俺の耳元で声が響き、三桁に届くかどうか、といった数の氷の刃が周囲に展開される。それらはすさまじいまでの勢いで飛翔し、目の前に展開されていた糸を全て切り裂いた。

 俺は足を止めて、声の主へと声を投げかけた。


「……起きたか?」

「ええ、起きたわよ。……迷惑をかけたみたいね」

「ヒョウゲツが悪いんじゃない。ヒョウゲツに手をかけたアイツらが悪いんだ。――それと、それをけしかけたこの教会の人間も」


 俺がそういうと、ヒョウゲツは俺の首へと手を回し、ぎゅっと抱き着いてきた。背中に広がる幸せな感覚、温かさ――それらが、変わらずそこにあることに、なんだかホッとした。


「……で、今の状況ってどうなってるのかしら」

「ヒョウゲツを襲った奴らの本山をつぶしに来てる」


 俺のその言葉に、背中のヒョウゲツの息が止まった。顔を見ることはできないが、その表情にはきっと驚きが浮かんでいることだろう。……確かに、怒りのままに組織をぶっ潰す、というのはなかなかに思考が飛んでいる人間の行動だったかもしれない。

 案の定、ヒョウゲツは俺の言葉を受けて何かを考えているのか、低いうなり声をあげている。何を言われるのだろう――俺がそんなことを考えていると、不意にヒョウゲツが俺の背から降りた。

 すたん、と石畳に響くヒョウゲツの足音。俺は後ろを振り向いて、その姿を眼中に収める。

 ヒョウゲツの表情は、なんだか嬉しさと戸惑いが混じったような微妙なものだった。何というか、”嬉しいんだけど、結果としてなんか凄まじいことになってしまいそうな予感がする”と顔が語っているような気がする。

 いや、確かにこの教会はかなり大きな組織ではあるけれども。それでも、教会だとか国がいくらかかってこようが、俺には大きな切り札があるからにして。……極限魔法って言うんですけど。


「……何を考えてるかわかるけれど、実行しないようにね?」

「ええー」

「ええー、じゃないわよ。単純な強さだけじゃ成し遂げられない者もあるのよ?」


 確かに、通れは頷いて、いま俺が浮かべていた黒い考えを振り払った。そしてヒョウゲツに向き合う様にして立つ。


「まぁ、この教会は今日限りでぶっ潰す。ヒョウゲツにも手を出したし、クラスメイトも洗脳してるみたいだしな」

「……へぇ。それはいただけないわね」

「で、ヒョウゲツはどうする? 体調が優れないならこのまま俺に背負われておくか?」


 ヒョウゲツの調子が悪いのは傍から見ていても明らかだ。普段四桁に届く氷の剣が三桁に届くかどうか、といった数になってしまっていたのは、発情期の影響を考えてもかなり少ない。

 発情期でどの程度下がるかは俺にはわからないが、さすがに半分の五百くらいは出せる程度の魔力を、ヒョウゲツには感じた。ならば出せないのは、単純にヒョウゲツが本調子ではない、ということになる。

 俺が心配する言葉を投げると、ヒョウゲツは不敵な笑みを浮かべた。その真意がわからず、俺はヒョウゲツが続けるだろう言葉を待つ。


「体調が優れないのは事実だし、それを隠す気も無いわ。でも、貴方が行くんだもの。私がついていかなくちゃ、誰が貴方のあるべき場所になるのよ」

「……あるべき場所、というと」

「何となくわかるわ。――家、無くなったか壊れてるんでしょう? あの家は、少なくともサトウの帰るべき場所、あるべき場所だと私は思うの」


 そう言いながら、ヒョウゲツは手を差し出してくる。

 いつぞや、俺がそうしたように。


「私は貴方の恋人よ? 家に負ける気はないし、むしろそれ以上に貴方が、近くにいて安心できるような存在であろうと思っているの。――だから、というのはちょっと帰結としておかしい気もするけど、私はあなたについていくわ、サトウ」


 そういいながら、俺へと笑顔を送ってくるヒョウゲツ。そんなヒョウゲツに改めて惚れ直してしまうし、むしろこれ以上惚れさせないでくれ、とも言いたくなる。それほどに今のヒョウゲツの言葉は俺にとって、福音のような幸せが感じられた。

 男前なことを言ってのけたヒョウゲツは、少しだけふらつく足を前に向けながら、前方を険しい目で見つめた。その瞳には先ほどとは違って、剣呑な色が浮かんでいた。


「……サトウ。前に私は言ったわよね。召喚された、強い輝きを持つ勇者が数人いるって」

「ああ、覚えてる」

「数人いたうちの二人が、この先の小部屋にいるわ。注意したほうがいいわね」


 ヒョウゲツのその言葉に、俺も心を引き締め直して、こくりと頷いた。

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