二十五話:最強勇者は平和に暮らしたい④
長くなったので四分割にしました。ご了承くださいませ。
引き絞られ、放たれる矢。さながら銀色の雨のように、俺たちに降り注ぐ。俺はそれを風魔法を発動させることで逸らしていく。確実に直撃コースなのに当たらないことに、兵士たちは不思議そうな表情を浮かべていた。
しかし、彼らは歴戦の兵士たちである。そんな小学生並の対応をするわけではない。そのまま、騎馬兵が正門に陣取り、騎馬槍をこちらへと注意深く向けていた。
いまだ飛来する矢の音。高まる場の緊張感。――それらを俺は肌で感じながら、切れ間に聞こえた鬨の声に深い注意を向ける。見れば、俺のほうへと穂先を向けて、突撃してくる騎馬兵の姿があった。
歩兵相手にそれはどうなのか、なんて思うところはあるが、この物量は普通に恐ろしい。なので、とりあえずは止まってもらおう。
「落下せよ」
地面に魔力を流し、今まさに騎行が通り過ぎる地面を円形に沈める。地面を失った馬の脚は空しく空を切り、そのまま穴の縁に激突する。騎乗していた人間も、振り落とされたり、馬ともども壁へ激突したりで、それなりの数が気絶しているようだ。
……だが、悪運の強い奴はまだ意識を保っている。むろん俺もそれは理解しているので、次の一手を、魔力と共に放つ。
「石礫よ――《エンチャント:ハームレス》」
呪文の詠唱と共に、円形に沈んだ大地をすっぽりと覆う様に、何重もの魔法陣が発生する。よく見ればこぶし大の魔法陣が無数に集合したそれは、黄土色の光を帯びると、猛威を振るい始めた。
こぶし大の岩が宙に浮かび、上空五十メートルから穴の中に集中して降る。隙間なく、すりつぶすように――。そうして、穴の中から生物が出す様な音はしなくなった。残ったのは、石礫が地面を穿つ破砕音と、鉄がひしゃげる音のみ。
百ほどを圧倒したが、心は不思議なほどに凪いでいる。これだけ力を振るえば、なんだか心がささくれ立ったりするものなんだろうか、とふと思うけれども、そんなことはなかった。ただ、ヒョウゲツを守ることができれば、それでいい。
――たぶん、きっと。俺の中にはすでに、普通に生活を送れるような精神性はなかった。あの勇者として戦った日々は、惨いまでの不可逆性を俺に与えていた。
「……さて」
少し長い思考から意識を現実へと戻す。眼前に広がるは、先ほど弓で射かけてきた部隊が、剣で武装して正門に陣取っている姿。ざっと見て、二百はいるだろうか。……流石、召喚者守護の要所だ。
……しかし、無意味だ。彼らも理解しているのだろうか。体を震わせながら、俺へと武器を向けていた。――それは、どう見ても命を惜しむような態度だった。できるなら相対したくない、そう懇願するような目。
ならば、俺は――。
「雷鳴よ」
俺の指が雷の如く魔法陣を描き、正面の敵を襲う。あまりにも速い攻撃に、先頭の集団は対応できずに、一気に二十人ほどが麻痺状態に陥って倒れる。続けざま、魔法を二重に構築しつつ、それら二つに付与魔法で拡大効果を与える。
「霹靂よ。迅雷よ。――《エンチャント:ハームレス》」
天に集う雷雲。低い音を鳴らしながら、兵士たちの上空を覆う雷雲は、やがてその規模を大きいものにして――兵士たちの頭上で、一瞬光る。次の瞬間、正面から放たれた雷に穿たれた兵士たちは、外見に一つの傷もなく気絶し――そんな兵士を見て仰天していた兵士たちもまた、頭上からとめどなく降り注ぐ雷に意識を闇に沈めていった。
俺は彼らの様子を見て、一歩一歩足を前に進めていく。最終的に、俺が教会の正門にたどり着くまでに、正門に存在した全兵力は一人の人死にを出すこともなく、無力化された。
何も、こいつらまで殺すことはない。背中のヒョウゲツが、なんだかそう訴えかけていた気がした。だから俺は、先ほどのおびえる兵士を見て、これから出くわすすべての兵士を戦闘不能状態に陥らせていくことに決めた。
ゆっくりと、されど確実に。俺は教会の中へと足を踏み込んでいく。以前は守るために出入りし、数日前は逃げ出すために出ていき、今は淘汰するために。白く、大きい、まさにこの教会の規模の象徴ともいえる門を潜り抜けると、教会から兵士が更に出てきた。
先ほど、正門を守っていた兵士たちよりも、装備のグレードが圧倒的に高い。……この教会でも、それなりに戦闘の訓練を積んだ存在のようだ。――たぶん、ヒョウゲツを洗脳した奴らと同じ類の敵。
瞬間、飛来する短剣。それを首を逸らすことによって回避し、素早く呪文を紡ぐ。
「怒れる大地よ」
地面から岩の触手が伸び、男たちの足を絡めとろうとする。しかし、そこは歴戦の戦士。素早く触手を剣で破壊し、俺との距離を狭めてくる。その動きは見事なもので、魔法の射程に誰一人として被らない上に、隊としての隙が少なかった。
おそらく、俺にここまでの作戦行動は無理だ。素直にその技量へ賞賛を送りながら、されど俺は指先を彼らへと向ける。次いでのように三重詠唱で、呪文を紡いでいく。
「遍く光の劔よ。《エンチャント:ホーミング》、《エンチャント:ハームレス》」
俺の周囲に、こぶし大の短剣が数百浮かぶ。それらすべてに、敵を自動で追尾する能力を付与し――飛ばす。
一瞬で敵との距離を詰めた光の剣は、兵士たちの足をまず刺して――実際には傷が付いていないので、あくまでそう見える、という話である――、動きを止める。そして腕、胴体、首、頭と剣がつき立っていく。
そうして光の剣が消えた時には、俺へと襲い掛かろうとしていた十人ほどの集団は完全に意識を沈黙させていた。……これほどの力量を持つ人間が、数百、数千と徒党を組んでくるとさすがにまずいかもしれない。俺は先ほどまでの油断を拭い去る様に、建物の中へと足を一歩だけ踏み入れた。
瞬間、左右から剣が振るわれる。俺はそれを氷壁で危なげなくガードし、魔力を衝撃波へと変換して、兵士をノックバックする。よろめく兵士の足元を凍らせ転倒させつつ、確実にその頭を電撃で打ち据える。
そうして視線を前に向けた瞬間、飛来する糸のような吹き矢を、上方向の豪風で防ぎ、そのまま体の周囲に風の結界をまとう。次いで飛来する様々な飛び道具は風に逸らされ、時に反射され、完全に無効化された。
「烽火よ」
指くらいの小さな炎を数百と周囲に浮かべながら、それらを風の結界の上から周回させる。俺が一歩を踏み込んだ瞬間、背後から迫る気配。ヒョウゲツを害しようとして襲い掛かってきたらしい。――それを俺が。
「許すと思うか――!」
烽火で敵の四肢を打ち砕いて、終いに風の鎚で外へと打ち上げる。死んではいないだろうが、かなり傷は深いはずだ。たぶん一年くらいは療養に専念しなければいけないだろう。
……次から次に襲い来る敵。一歩を踏み出すたびに、散発的に俺を襲う兵士たちを見ていると、そこに何らかの意図が隠れているような気がした。事実、俺がこの建物に足を踏み入れてすでに十分ほどが経過しているのに、俺は入口から十歩も歩みを進めていない。
俺の直感が告げる。これは足止めであると。そして、それが意味するところは二つ。
一つは、俺への対抗手段の用意。
もう一つは――。
「っ!」
事前に仕組まれていたのだろうか。俺の足元で魔法陣が煌めき、魔法陣に俺を閉じ込める。魔力を衝撃波に転換して魔法陣を壊そうとするが、なかなかの強度を誇っているのか、すぐに壊れる様なヤワなつくりではなかった。
だが、幾度か繰り返すと壊れそうな気配があったので、俺は何度も魔力を衝撃波として放つ。――そうして、漸く壊れそうだ、と俺が思った瞬間だった。
魔法陣が、回復した。
「……おいおいおい、それはでたらめすぎるぞ……!」
本来、魔法によって構築された結界やバリアの類は回復しない。俺だって、風壁が飛び道具によって消費される度に、魔力を増やして増強しているのだ。魔法の原則的に、今目の前の光景はあり得ざるものだと言える。
……そして、俺にはその原因が何となく理解できる。さらに言えば、それがどういうことを意味しているか。
元勇者には勇者を。――つまり、あいつらはクラスメイトの好むと好まざるにかかわらず、俺への対抗手段としてクラスメイトを用いた。
……勝手に召喚して、勝手に使命を押し付けて、勝手に使役して――挙句の果てには洗脳。そしてまるで時間稼ぎの駒のように、クラスメイトを操っている。
それが露わになった瞬間、俺の復讐は、一種正当な正義となって俺へと宿る。これは、仲間を救う戦いであるからにして。
「……とりあえずトップは一回くらいぶん殴ってもいいな」
そう、全力で。きっとその結果、首があらぬ方向に曲がったり、数百メートルを垂直飛行したりするかもしれないが、たぶん大丈夫だろう。
あの戦乱の時代から生き抜いてきた、しぶとい奴だ。いっそのこと、一回殴った後に、付与魔法で限界まで威力を高めた極限魔法でも叩き込んでしまってもいいかもしれない。
そんなことを思っていると、結界が解除された。――やはり、あり得ざる状況を顕現させるには魔力量がまだ足りないらしい。五分程度が限界だろう。……しかし、これを作ることが可能な生徒は将来有望だ。たぶん、ヒョウゲツが以前言っていた、「強い光を放つ勇者」の一人に含まれているのだろう。
……いや、あるいは、底辺と言われる誰かがこんなものを編みだしたりして。――テンプレは、存外侮れない可能性を俺に突きつける。それはそれで楽しそうだな、なんて思いつつ、俺は足を進める。
入り口だけで十五分稼がれた。ならば、きっとこの先は俺への対抗策で溢れているのだろう。召喚の間、その先にある大司教の部屋へは、四つの部屋を経て、ここから一直線に伸びている。
とにかく全方位に警戒しなければいけない。あるいは空へと、地へと意識を配る必要もある。久しぶりに、自分の心の中に滾る、戦闘意欲ともいえる何かを滾らせながら、俺はゆっくりと歩みを進めていく。
幸運なことに、そこから二つ目の部屋へとつながる廊下に出るまでに、襲撃や罠と言ったものは存在しなかった。そのことになんだか薄気味悪いものを感じながら、廊下へと身を晒した瞬間だった。
「………やっぱり、か」
俺の目には、うつろな目をした、クラスメイトの姿が映っていた。




