二十三話:最強勇者は平和に暮らしたい②
俺は、先程までベランダにいたヒョウゲツを迎えに行っていた……が、そこにヒョウゲツの姿はなく、俺がいれたお茶がまだ残るティーカップだけがそこにあった。
すわ、もうあいつらの手がヒョウゲツにまで回ったのか。……俺が鬼気迫る表情で、三歩でリビングから玄関へと抜ければ、そこにはやはり男に囲まれていたヒョウゲツがいた。
まだ取り囲まれてそこまで経ってはいないはずだ。俺がヒョウゲツを救い出そうと一歩を踏み出して――その腕につけられているものを見た。
先程の、洗脳魔法に関するアイテムだった。
濁った目。発情期、と言った彼女の言葉が嘘のように聞こえる、凪いだ表情。まるで感情がすっぽりと抜け落ちたような、そんな印象を受ける。
理解し――激昂する。
コイツらは……いや、このゴミクズどもは、ヒョウゲツを洗脳したのだ。ヒョウゲツが、発情期で理性の壁が脆くなっている状態につけこんで。
「…………殺す」
「おい、あれがメインターゲットだ。油断するなよ、あいつは凄腕の冒険者――」
貴様らには、もはや言葉すら紡がせてなるものか。獣のように、あるいは畜生のように――尊厳なく、一片の憐憫すらなく殺してやる。
裂帛の気合いとともに、拳を直線上にいる男へと叩き込む――が、しかし。
がしり、と俺の拳を全力で掴むヒョウゲツ。そのまま握り潰そうとしているのか、万力のような力が込められる。
発情期の影も感じないヒョウゲツだったが、特性自体は引き継いでいるらしい。なんとも苛立たしい……が、俺の勇者としての経験が、強制的に思考を沈静化させていく。
考えを尖らせ、戦場を見つめ、最も効果的な策を模索する。狭い空間、身体能力で確実に勝るヒョウゲツ。人数差、実力差――。
俺が見出した最善策は、苦渋の決断とも言えた。
「……爆ぜよ!!」
一拍。俺の掌から魔法陣が紡がれ、魔力を帯びた呪文の軌跡が、瞬時にして拳大の炎を形作る。
白炎咆哮。一瞬にして俺の眼前で放たれた爆発系の魔法は、指向性を持ってヒョウゲツたちに襲いかかる。
ヒョウゲツはそれを危なげなくガード。しかし後ろの男達はそうもいかず、爆風に後退した。
頭上で響く崩壊音、そして火が弾ける音。爆発系の魔法を用いた理由、そしてその結果は、見事に俺の意のままになっていた。
眼前に広がるは、'見渡すばかりの草原'。そこに、以前までの家の影はない。……そう、俺が魔法でその大半を爆破したからである。
俺とヒョウゲツの愛の巣。これからの幸せな光景を幾度思い浮かべたかは知らないが、この家の存在は決して欠かすことの出来ないものだった。
それを爆破してしまうような事態を招いてしまった自分がひどく腹立たしい。いっそ自分で自分を殺してしまいたいほど。
……だが、思い出と未来、どちらが大切かといえば、確実に後者だ。ヒョウゲツ無くして、俺の未来は存在しえない。そんな気がした。
故に。
「……ヒョウゲツ。今俺は、お前をここで倒す。勇者としてではなく、一人の女性を愛する一人の男として――!!」
ここでヒョウゲツを、倒す。
俺の言葉をトリガーに、ヒョウゲツは俺との距離を詰めてくる。地面が抉れ、その度に掻き消えるヒョウゲツの姿。
すれ違う勢いで振り被られた初撃を見極められたのは、ヒョウゲツの姿ではなく、地面の亀裂と砂埃の立ち込め方を見ていたからに違いない。
喉を目掛けて伸ばされる貫手を体を半身にすることによって回避。そのまま、横へ流れゆくヒョウゲツの腹に膝をねじり込む。
しかしヒョウゲツは、魔力を暴発させて急激なまでの加速を敢行。上方向へ跳ねたヒョウゲツの体は、俺のひざに命中することなく、数メートル先で静止した。
「風塵よ」
すかさず、風の刃でヒョウゲツの機動力をそごうとするのだが、するりと避けてそのまま突進してくる。
普段の怜悧なまでのヒョウゲツはそこにない。……ならば、幾ばくかの敗北要因は、全て消えた。
「氷棺よ」
ヒョウゲツの進路を塞ぐように、5mの高さの氷の壁が十五メートルに渡って横並びに顕在した。
しかし、ヒョウゲツはそれを難なく飛び越える。そしてそれも……計算の内。既に俺の手中である。
「《エンチャント:リモートライズ》……故に氷獄、久遠なる氷の都よ――《錬成:散》!」
三重詠唱で、遠隔操作魔法、氷系の最大魔法、物質を散逸させる魔法を唱えながら、なおも紡ぐ。
「《エンチャント:ノックバック》……いざ永久凍土の跫音よ、全てを眠らせ、閉ざしたまえ――《エンチャント:ウェポナライズ》」
四重……五重。重奏する魔法の律動は、ヒョウゲツが近寄る音よりも速く、どこまでも夙く紡がれていく。
「根絶たる冬よ」
最後のトリガーが引かれ、絶技が発動する。まず、ヒョウゲツと俺の周囲を、厚さ十メートルはある氷壁が六重に俺たちを包囲する。
ヒョウゲツが俺にあと二歩あれば届く距離で、遠隔操作可能となった、物体の錬成が開始、終了。氷の壁が一重になり、五重分の膨大無比な粒子があたりを満たす。
その粒子一粒一粒に武器としての性質を持たせ――それらすべてにノックバック効果を与える。その結果として。
「……!!」
魔法障壁が俺程度ないと、一ミリすら動くことの出来ない、絶対移動不可領域が完成する。微細な氷の粒子が、俺の魔力が尽きる限り、上下左右、三百六十度からヒョウゲツの体を押しあう。――ちなみに、満員電車を思い出して作られた魔法であることは内緒である。
そうして動きを止めたヒョウゲツ。俺はそんなヒョウゲツの頭に手をかざして――全力で魔力を解き放つ。
至近距離で放たれた魔法は、絶大な威力を発揮し、周囲の高度を約五メートルに渡って下げた。
家からは戦いのうちに遠ざかっていたので、被害はない。
そのままゆるゆると倒れていくヒョウゲツを、俺は抱きしめるようにして受け止める。そして、飛来する短刀を退けるように、両側に氷魔法で盾を作る。
吸い込まれるように盾に刺さる短刀。俺は短刀が飛んできた方向へ氷の剣を百ほど飛ばす。途端に上がる悲鳴と血しぶき。
どうやら、あの虫にも劣るゴミクズ共がようやく俺をねらい打てるような体勢になったらしい。
……全く、怠惰なことこの上ない。俺を殺すなら、ヒョウゲツが俺と戦っている間に攻撃を敢行した方が効果的だというのに。
だが、そんなボンクラさのおかげで、俺は初めての人殺しを、案外簡単にこなすことが出来た。愛おしいものを害したこいつらを殺すことに、罪悪や恐怖は、無論ない。
「だが、殺すに易いのは十分わかった。――来い。全力で叩き潰してやる。お前達も、そのバックにいる奴らも、全員だ」
そうして、全方位へ魔力を解き放つと、方々で悲鳴が上がる。その声を皮切りにするように――。
「止められるものなら止めてみろ。勇者の凱旋だ。しかとその身で、誰を怒らせたかを刻み付けろ!!」
――俺の……いや、光の勇者の最後の戦いが幕を開けたのである。




