十五話:告白にキスが伴わないのは間違っているだろうか
好きだと、君に伝えた。この世界に再召喚されてからずっと隣にいてくれた君。俺の努力を無駄じゃないと言ってくれた君。そして何よりも――俺のことをあそこまで思ってくれた君。
言葉にして、深く理解する。きっと俺は、ヒョウゲツから告白を受けた時点で、心が決まっていたんだろう。それを意気地無しな心に任せて、先延ばしにしていた。
そんなのはゴメンだ。だから俺は、この気持ちをためらわない。
「……サトウ」
「……何だ?」
「私ね、ずっと思ってたのよ。もしかしたらずっと、この関係でいるのかな、なんて。もちろんはそれは楽しいことだったし、少なからずそんな関係を望んでいた私もいるわ」
でもね、とヒョウゲツは微笑んだ。まるで氷月のような、涼やかな笑みだった。そんな笑みが、俺には何よりも魅力的に、そして可愛らしく見えて。
俺は、そんなヒョウゲツが続ける言葉をまるで食い入るように待っていた。
「でもね、それでもね。あなたにそう言われると、心がきゅーってなるの。だから私は気づいたし、貴方にこう伝えるわ」
ヒョウゲツは、頬を染めて、瞳を潤ませて――桜色の唇を震わせて、一言一言を紡いでいく。気持ちを編んでいくように。心をそのまま言葉に落とし込むように。
「私も貴方のことが好きよ、サトウ」
……自分でも、こんな瞬間が訪れるなんて思ってもみなかった。このまま普通に生きていって、恋愛も結婚もしないままずっと独りで道を歩んでいくものなんだと思ってた。
だからこそ、だろうか。こんな瞬間が訪れるのが何より怖いし――嬉しい。
「……ありがとう」
言葉は少ない。でもきっと、この5文字にこもっている気持ちは、君へと届くはずだ。ただ漠然と、だけど確信を抱いて俺はそう思った。
ヒョウゲツの綺麗な瞳をずっと覗き込んでいると、確かに伝わっているように見えた。まるで海のように深くて優しい瞳は、その中に俺の黒い瞳を湛えていた。その様子が、なんだか堪らなく好ましくて。俺はずっとそちらを覗き込んでいた。
そうして、何分見つめ合っただろうか。不意にヒョウゲツが小さく笑い声を漏らして、俺の頬へ手を差し伸べてくる。頬に触れるひんやりとしていて柔らかい指の感触。――俺はそれを、自分の手で包む。
よくよく考えれば、ヒョウゲツの手を自分から握ったのは初めてだったかもしれない。軽くヒョウゲツの指を握れば、少しだけぴくりと跳ねた後、素直に握られてくれる。
そのまま、俺のほうへ引き寄せるように、軽くヒョウゲツの腕を引っ張る。一メートル程度だった距離が、つま先の距離に。そして、鼻先の距離に。
「……」
以前何処かで見た映画のように、俺はヒョウゲツの細い顎へと指を添える。そのまま輪郭をなぞって、ヒョウゲツの頬へと手を添える。紅潮している肌は焼けどしてしまいそうなほどに熱くて。
きっと俺の頬も、こんなになっているんだろうな、なんて思うと、なんだか嬉しくなった。ヒョウゲツと何かを共にすることがこんなにうれしいことだなんて、以前の俺ならきっと信じることはできなかっただろう。
……俺とヒョウゲツは勇者と魔王”だった”。かつては剣で、魔法で、知略謀略で相手を淘汰し、滅ぼしあう関係だった。今考えると、何も生まない不毛な争いだったと思う。――そんな争いが、今の俺たちを作った。そう思うと、闘いの日々も悪いものじゃなかった。そう思う。
でも、ずっとこんな関係が続く日々のほうがいい。今まで争い合ってきた分、俺はヒョウゲツを愛したいし、愛されたい。
「本当は、こういうのは男性の方からしなきゃいけないらしいわよ?」
「知るか。俺は俺で、ヒョウゲツはヒョウゲツ。――俺たちは俺たちだ」
「それもそうね……。まったく、ロマンチックな展開だったっていうのに、余計な一言だったわ」
「違いない……でもこれも俺たちなんじゃないか?」
「ええ、そうね」
小さく笑い合う俺たち。そこに過去の影はない。
「じゃあ、どうしましょうか。このままずっとこうしてるわけにはいかないでしょう?」
「俺はずっとこのままでもいいんだけど」
「……私は、ちょっと嫌なんだけれど」
何故、と問いかけると、ヒョウゲツは悪戯っぽく笑みながら、ひとさしゆびを俺の唇に置いた。そのまま表情を蠱惑的な笑みに変えて、囁く。
「――証が欲しいの」
「……っ!」
「だから、ね?」
唇から指をどけて、目を閉じるヒョウゲツ。まつ毛は何かを待つように揺れている。血色のいい頬は、なおその色を赤に変えていた。――その意味が解らないはずがない。
いざその時が訪れると硬直して何もできない俺がいることに気付く。……当然だ。俺は女性慣れしているわけではないし、まして女性の肌に自分から、故意に触ったのはこれが初めてだ。
真っ白になる頭の中。いつぞや読んだ小説のような、甘い甘いラブロマンスのような高尚な頭の中ではない。ただただ、このままキスしていいのか否か、それだけが頭の中でぐるぐると周回していた。
結果として。
「……サトウ、無理しなくていいわよ?」
「無理なんかしてないって」
「いや、私にはわかるわ。――はぁ、わかってはいたことだけど、サトウってば相当のヘタレよね」
「はぁ?!」
「キスの一つもできない男がヘタレじゃなくて何なのよ。……いや、そんなところも好きなのだけれど」
自然と顔と顔の距離は離れていたが、それでもまだ近い距離。ヒョウゲツの表情の変わり方がよくわかって、心の中を桜色の感情が占めていく。ああ、きっとこれが好きだっていう感情なんだな、なんて思うと同時に、なるほどそういうことか、と自分で納得する。
……俺は、段階を踏まないと先に進めないタイプらしい。
「その、すまん」
「いいわよ、別に。どんなサトウであろうと、どのようなサトウであろうと、私はサトウがサトウである限り、それでいいわ」
考えてみれば、今のサトウのほうがサトウらしいわよね、なんて笑いながら、ヒョウゲツはほほ笑んだ。
「……へっ、どうせ俺はキスもできない軟弱ものですよーだ」
「拗ねないの、まったく。絵にならないわよ?」
「わかり切ったことを言うなぁ」
そりゃ、確かに十七の男が拗ねる図なんて絵にならないことこの上ないんだけれど。じゃあ誰だったら似合うかと言われると、それはヒョウゲツとかの美少女だろうと思う。
そんなことを思っていると、ヒョウゲツが不意に呟いた。
「こんな日がいつまでも続くといいのだけれども」
「続くさ。……いや、続けてみせる」
「……まぁ、私たちに適う相手なんて私たち以外にありえないわ。だって元魔王と、元勇者だもの」
よく意味がわからないが、それでもなんとなく乗り越えていけそうな気がした。きっとそれは、ヒョウゲツと一緒だから。
「……はぁ、今日はなんだか疲れたわね」
「俺もいろんな意味で疲れたよ……」
「でも、いちばん嬉しかった日でもあるわ」
そうだな、と小さく呟いて、俺はソファに座る。すると、ちょうどヒョウゲツがキッチンから何かを持ってきていた。手には鍋、そしてもうもうと立ち込める湯気。
「とりあえずは夕食にしましょう? 腹が減っては戦が出来ぬ……だったかしら」
「……なんでそんな言葉知ってるんだよ」
「貴方が使ってたのを盗み聞きしただけよ。前の召喚の時にね」
「それを堂々と言うのか……」
二人で何気ない会話を交わしながら、夜は更けていく。
次の朝を迎えるために。