十四話:All you need is love
「……正直に言おう。予想以上だ」
「でしょう?」
ヒョウゲツの笑顔を傍目に、俺は玄関から組みあがっていた家を見渡す。玄関は言って真っすぐのところにリビングがあり、二階へ上る事の出来る階段が存在していた。
この時代の建物にしては珍しく、風呂とトイレが完備されている。ちなみに両者とも、水魔法で流したのちに火魔法で焼却できる機構になっている。環境に対する配慮もばっちり。下手すれば現代よりもハイテクな家なのかもしれない。
ヒョウゲツに促されるままに家に入る。むろん靴は脱いで上がる形式にしてもらっている。ここあたりは、家選びの時に俺が漏らしていた言葉をしっかりと反映してくれた結果だろう。ヒョウゲツには頭が上がらない。
きっと良妻になるんだろうな、なんて思う。
「……良妻、かぁ」
「?」
そんなことを言いながら、俺は誰かとヒョウゲツがくっつくような未来を思い浮かべてみる。――が、できない。なんというか、思い浮かべること自体はできなくもないんだが、それをしようとすると途端に思考が途切れるというか。たぶんこれが、嫌ってことなんだろうなぁと思う。
……もう俺の気持ちは確固としたものになっている。だって、誰かとヒョウゲツがくっつく未来を受け入れられない、いやだと思うのは、俺がヒョウゲツを悪しからず思っている証拠だ。
問題は、この思いをいつ伝えるか。……俺はラブコメの主人公よろしく、好きになった相手との関係が、告白したことによって崩れないかなんて女々しいことを考えていた。
無論、ヒョウゲツのあの反応から見るに、そんなことを万に一もない。結局のところ、タイミングという名の俺の覚悟の決まり方だ。
「サトウ?」
「ん、ああ、なんだ?」
「とりあえず、今日は家具を中に運び込むだけで終わらせておきましょう。ベッドは私が寝室に運んでおくから、サトウはリビングに家具を配置してくれる?」
「あ、ああ」
心の内を少しでも悟られないように背後を向けながら、外に置いてある家具や小物を取りに行く。ここあたりはヒョウゲツが考えたのか、本当に必要最低限のものしか存在していなかった。
俺はその中から、椅子を二脚と机をそれぞれ片手でもって家の中へと入っていく。それをベランダから運び込むような形リビングへと運び入れる。あとに残った家具は、邪魔にならない程度に部屋の端っこに寄せておく。それでもあまり数は多くないので、三十分もあれば配置も終わるだろう。
もう一度外に戻って、今度は調理器具を持ってこようとしていると、ベッドに向かい合っていたヒョウゲツがいた。薄く呟くと、ベッドが召喚魔法陣に掻き消えた。
「何をやってるんだ……?」
「ああ。召喚魔法でベッドを召喚獣として設定するでしょう? その上で召喚魔法陣で別の場所へ転移させて、必要な時に呼び出すのよ」
「……いやいや。待て、待てよ。生物以外を召喚獣として設定できるのか……?」
「何言ってるのよ。岩でできたゴーレムだって生き物じゃないのよ?」
言われてみればそうだが……。驚きで口を開くことしかできない俺を目にして、ヒョウゲツは勝ち誇ったような顔を向けてくる。その顔になんだかむっとしたが、それでも俺が知らなかったことであるのは確かだ。
過ちて改めざる、即ちこれを過ちと言う――なんて言葉は、俺でも知ってるくらい有名な言葉だ。これから先、今得た知識を活かしてヒョウゲツの顔を驚きに染めることが、今勝ち誇られた俺にできる、唯一の反撃の方法だ。
「今に見てろよ……」
「やれるもんならやってみなさいよ」
なおも勝ち誇った顔を崩さない。そのまま笑い声を漏らしながら、二階へと悠々と歩いていくヒョウゲツを見送りながら、俺はその他日用品に魔力を通して召喚獣認定しながらそれを魔法陣に収納した。
◇
一通りの整理が終わるまで、大体三十分がかかった。まだまだ時間があったので、それからさらに三十分かけて、細かいものの配置も終えた。これで人が住むことができる空間は完成したのだった。
俺は不思議な達成感と、圧倒的なまでの幸福感を胸にしながら、漂ってくる香ばしい匂いに胸を躍らせていた。今までの食事は外で済ませたり、そもそも食べなかったりしたのだが、今日はヒョウゲツが作ってくれるというので厚意に甘えている。
……なんというか、好きな相手に料理を作ってもらえることがこれほどに嬉しいことなんて思わなった。待っていることにすら幸せを感じるあたり、もう気持ち自体に嘘もいいわけもない。
どうするか、とうなっていると、ヒョウゲツがこちらのほうに寄ってきていた。付けているエプロンから、先ほどの香ばしい匂いが漂ってきて、すぐにわかる。
「疲れたの?」
「……ああ、そうかもしれないな。それよりも、料理のほうは大丈夫なのか?」
「ああ、あとは余熱で中まで火を通すだけだから気にしなくても大丈夫。……で、大丈夫なの? 何かうなってたけれど」
「特に何もないさ。大丈夫」
するとヒョウゲツは、ずいっと顔を近づけてきた。その目は何かを疑う様に、俺のことを覗き込んでいた。――澄んだ瞳に吸い込まれるように、俺の目は自然とそちらへと向いていた。
……近づいてきた距離に鼓動の速度が上がっていく。たぶん今の俺の顔は赤くなっていて、ヒョウゲツにもわかるほどになっているだろう。そう思うと、なんだか恥ずかしさが積み重なって、頭が真っ白になっていきつつある。
俺の恥ずかしさがいい加減限界に近づいてきそうなとき、遂にヒョウゲツがその口を開いた。
「……私は知ってるわよ。サトウが「大丈夫だ」っていうときは、大抵大丈夫じゃないときだってこと」
その一言にドキッとした。なんだかヒョウゲツに俺の考えを、思いを見透かされているようで、それを必死にひた隠そうと言葉を重ねる。
「そんなことはない」
「……もし仮にそうだとしても、今の「大丈夫」は大丈夫じゃないサインだと私は感じたわ。違う?」
そういいながら、俺の頬に手を添えてくるヒョウゲツ。きっと以前なら、その手を除けていたのだろうが、今の俺にそれを行う力はなく、意志はない。そんな俺の反応に驚いたのか、ヒョウゲツが俺を心配する目は更に深いものになっていた。
比例するように、俺の鼓動は早くなっていく。
「……本当に大丈夫じゃないみたいね」
「そりゃ、悪しからず思ってる女性にこんなことされたら……」
「えっ」
「あっ」
俺の頭が一気に白くなった。今俺は何を口走った。
今俺は、ヒョウゲツに向かってどんな言葉を吐いた。
絶対に言ってはいけない言葉のような。あるいは絶対に言わなければいけない言葉のような。そんな言葉だったのだろうか。
覚えている。知っている。そしてこの言葉は、絶対に忘れちゃいけない。たぶん
一生のうちで一番重要な言葉だろうから。そして、俺はそれを、このタイミングで言った。――きっとそれは、俺の覚悟が決まったから。
だからこそ、俺の中のトリガーは引かれた。もう止まることはない。できない。
「……なぁ、ヒョウゲツ」
「な、何?」
「何とも思ってない女がこんなことをして、俺が対応しないと思うか?」
「……しないんじゃないかしら」
「じゃあ、俺は何をした?」
「……対応、しなかったわね」
……じゃあ、どういうことか理解しろ。俺は目で一瞬だけ訴えて、それではいけないと首を軽く振る。
生まれて初めて抱いた感情だ。どう処理するべきか、どう対応するべきか。その術は知らない。それでも、何となく「こうしなきゃいけないんじゃなかろうか?」といった理想像のようなナニカは俺の胸の中にあった。
だからこそ、ゆっくりと、確実に――俺は言葉を紡いでいく。
「……なぁ、ヒョウゲツ。俺とお前は、過去敵だった」
「そうね」
「本当に数奇な運命だと思う。過去に敵だったヒョウゲツと向き合っている俺がいることが」
「……私もそう思うわ」
「そして、そんなヒョウゲツのことが、いつの間にか大切になってたことも」
「………」
静かに、俺の言葉を待つヒョウゲツ。頬は赤らんで、瞳は潤んで。今にでも涙を流してしまいそうなほどに――。
俺はそんな表情が何より綺麗だと思ったし――
「だから、こんな不甲斐ない男だけどさ、言うよ」
――愛おしいと思った。
「――好きだ、ヒョウゲツ」